ランボー・ランボー<1>上田敏訳の「酔ひどれ船」
「上田敏全訳詩集」(岩波文庫)で特筆されるべき
中原中也に関わる最大のニュースは
ランボーの「酔ひどれ船」の訳出が
未定稿ながら収録されたことにあって
このニュースを読んでは
ランボーへランボーへ
一刻もはやく辿りつきたい心が逸(はや)ります。
上田敏訳の、この「酔ひどれ船」こそ
若き日の中原中也が
京都にやってきた富永太郎から
初めてランボーを知って
散文詩「少年時」の鈴木信太郎訳を
原稿用紙に筆写したように
「ノート1924」の余白ページに筆写した詩でした。
これが大正14年(1925年)のことです(推定)。
また、この原作品こそ
ベルレーヌに書き送った手紙の中で
ランボーが
詩人としての自らをアピールし
プレゼンテーションした
大傑作だったのです。
この手紙が送られたのは
パリコンミューン真っ只中の
1871年のことでしたから
50年以上の隔たりがあるのですが
東京帝大仏文科生の間には
辰野隆、鈴木信太郎らの授業を通じて
これを知らぬ者はいないほどの
衝撃をもって伝播していたことが推察されます。
小林秀雄は
この帝大仏文科の学生の中にあり
大正15年(1926年)10月には
ランボーに関する初の評論
「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を発表
(※「斫」は「シャク」と読み、「切る」「撃つ」の意味)
「地獄の季節」の翻訳を準備していたということですから
かなりコアな位置にあったことも想像されます。
上田敏は大正5年(1916年)に亡くなっていますから
堀口大学は
この頃、どこで活動していたのでしょうか。
「酔ひどれ船」を
最初に翻訳したといわれている
柳沢健は
どこにいたのでしょうか。
富永太郎がもたらした
「仏国詩人等の存在」(詩的履歴書)に吸引されて
中原中也が東京行きを決めるのに
さしたる時間はかからなかったであろうことも推察できますが
そのジャッジメントの切れ味は
やはり中原中也ならではのものでしたから
「ランボーという事件」の中心へ
一直線に絡まっていくことになりました。
なにはさておき
上田敏訳の「酔ひどれ船」を
読んでおきましょう。
(つづく)
*
酔ひどれ船(未定稿)
アルテュル・ランボオ
われ非情の大河を下り行くほどに
曳舟の綱手のさそひいつか無し
喚(わめ)き罵る赤人等、水夫を裸に的にして
色鮮やかにゑどりたる杙(くひ)に結ひつけ射止めたり。
われいかでかかる船員に心残あらむ、
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船よ、
かの乗組の去りしより騒擾はたと止みければ、
大河はわれを思ひのままに下り行かしむ。
荒潮の哮(たけ)りどよめく波にゆられて、
冬さながらの吾心、幼児の脳よりなほ鈍く、
水のまにまに漾(ただよ)へば、陸を離れし半島も
かかる劇しき混沌に擾れしことや無かりけむ。
颶風はここにわが漂浪の目醒に祝別す、
身はコルクの栓より軽く波に跳りて、
永久にその牲(にへ)を転ばすといふ海の上に
うきねの十日(いくよ)、灯台の空(うつ)けたる眼は顧みず。
酸き林檎の果を小児等の吸ふよりも柔かく、
さみどりの水はわが松板の船に浸み透りて、
青みたる葡萄酒のしみを、吐瀉物のいろいろを
わが身より洗ひ、舵もうせぬ、錨もうせぬ。
これよりぞわれは星をちりばめ乳色にひたる
おほわたつみのうたに浴しつつ、
緑のそらいろを貪(むさぼ)りゆけば、其吃水(みづぎは)蒼ぐもる
物思はしげなる水死者の、愁然として下り行く。
また忽然として青海の色をかき乱し、
日のきらめきの其下に、もの狂ほしくはたゆるく、
つよき酒精にいやまさり、大きさ琴に歌ひえぬ
愛執のいと苦き朱(あか)みぞわきいづる。
われは知る、霹靂に砕くる天を、竜巻を、
寄波(よせなみ)を、潮ざゐを。また夕ぐれを知るなり。
白鳩のむれ立つ如き曙の色も知るなり。
人のえ知らぬ不思議をも偶(たま)には見たり。
神秘のおそれにくもる入日のかげ、
紫色の凝結にたなびきてかがよふも見たり。
古代の劇の俳優(わざをぎ)が歩んで進む姿なる
波のうねりの一列がをちにひれふるかしこさよ。
夜天の色の深(こ)みどりはましろの雪のまばゆくて
静かに流れ、眼にのぼるくちづけをさへゆめみたり。
世にためしなき霊液は大地にめぐりただよひて
歌ふが如き不知火の青に黄いろにめざむるを。
幾月もいくつきもヒステリの牛小舎に似たる
怒涛が暗礁に突撃するを見たり、
おろかや波はマリヤのまばゆきみあしの
いきだはしき大洋の口を箝(かん)し得ると知らずや。
君見ずや、世にふしぎなるフロリダ州、
花には豹の眼のひかり、人のはだには
手綱のごとく張りつめし虹あざやかに染みたるを、
また水天の間には海緑色のもののむれ。
海上の沸きたちかえへる底見ればひろき穽(わな)あり、
海草の足にかわみて腐爛するレヰ゛ヤタン、
無風(なぎ)のもなかに大水はながれそそぎて、
をちかたの海はふち瀬に瀧となる。
氷河、銀色の大陽、真珠の波、炭火の空、
鳶色の入江の底にものすごき破船のあとよ、
そこには蟲にくはれたるうはばみのあり、
黒き香に、よぢくねりたる木の枝よりころがり落つ。
をさなごに見せまほし、青波にうかびゐる
鯛の族(ぞう)、黄金(こがね)の魚(いろ)くづ、歌へるいさな。
花と散る波のしぶきは漂流を祝ひ、
えも言へぬ風、時々に、われをあふれり。
時としては地極と地帯の旅にあきたる殉教者、
吐息をついてわが漂浪を楽しくしながら、
海は、われに黄色の吸盤をもてる影の花をうかぶ、
その時われは跪く女のごとくなり。
半島のわが舷(ふなべり)の上に投げ落すものは、
亜麻いろの眼をしたる怪鳥の争、怪鳥の糞、
かくて波のまにまに浮き行く時、わが細綱をよこぎりて、
水死の人はのけざまに眠にくだる……
入江の底の丈長髪(たけなががみ)に道迷ふわれは小舟ぞ、
あらし颶風によつて鳥もゐぬ空に投げられ、
甲鉄船(モニトル)もハンザの帆船も
水に酔ひたるわがむくろ、いかでひろはむ。
思ひのままに、煙ふきて、むらさき色の霧立てて、
天をもとほすわが舟よ、空の赤きは壁のごと、
詩人先生にはあつらへの名句とも
大陽の蘚苔(こけ)あり、青海の鼻涕(はな)あり。
エレキの光る星をあび、黒き海馬の護衛にて、
くるひただよう板小舟、それ七月は
杖ふりて燃ゆる漏斗のかたちせる
瑠璃いろの天をこぼつころ。
五十里のあなた、うめき泣く
河馬と鳴門の渦の発情(さかり)をききて慄(ふる)へたるわれ、
嗚呼、青き不動を永久に紡ぐもの、
昔ながらの壁にゐる欧羅巴こそかなしけれ。
星てる群島、島々、その狂ほしく美はしき
空はただよふもののためにひらかる、
そもこの良夜(あたらよ)の間に爾はねむり、遠のくか。
紫摩金鳥の幾百万、ああ当来の勢力(せいりき)よ。
しかはあれども、われはあまりに哭きたり、あけぼのはなやまし、
月かげはすべていとはし、日はすべてにがし、
切なる恋に酔ひしれてわれは泣くなり、
竜骨よ、千々に砕けよ、われは海に死なむ。
もしわれ欧羅巴の水を望むとすれば、
そは冷ややかに黒き沼なり、かぐはしき夕まぐれ、
うれひに沈むをさな児が、腹つくばひてその上に
五月の蝶にさながらの笹舟を流す。
ああ波よ、一たび汝れが倦怠にうかんでは
綿船の水脈(みを)ひくあとを奪ひもならず、
旗と炎の驕慢を妨げもならず、
また逐船(おひぶね)の恐しき眼の下におよぎもえせじ。
(岩波文庫「上田敏全訳詩集」山内義雄、矢野峰人編より)
※新漢字に改めてあります。編者。
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