ランボー・ランボー<4>小林秀雄の「事件」
僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の「地獄の季節」の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。而も、この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学の力なぞ殆ど問題ではないくらい敏感に出来ていた。豆本は見事に炸裂し、僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。それは確かに事件であった様に思われる。文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である。と、はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様に思われる。
小林秀雄が、
ランボーとの出会いを回顧して、
このように書いたのは、
昭和22年「展望」誌上においてでした。
(「ランボオの問題」のちに「ランボオⅢ」)
とここまで転記していて気づかされたのは
2011年現在とほとんど変わらない
現代表記で
この文章が書かれてある、ということですが
これが文春文庫版「考えるヒント4」(1980年第1刷)の編集によるものか
小林秀雄自身の表記法なのか
不明です。
廿三歳
而も
殆ど
或る
様に
……
やや古めかしく感じられるのは
これくらいの用語で
拗音促音、新漢字、口語と
これが終戦直後の文章そのままではないにしても
現代仮名遣いへの変更に包容力のあるのがわかり
このあたりにも
長い人気の秘密があるのかなあ、と
余計なことを考えてみるのでした。
この文庫には
「ランボオⅠ」として
大正15年発表の「人生斫断家アルチュル・ランボオ」
「ランボオⅡ」として
昭和5年10月発表の「アルチュル・ランボオⅡ」が
編まれているのですが
これらも
口語、新漢字の現代表記であるところをみると
著者の考えが反映しているとみて差し支えないようで
早い時期から
「文学界」の編集を経験したことなどの影響によるものか
などと思ったりもしますが……。
小林秀雄の
最も早い時期のランボー訳であるに違いのない
長詩「酩酊船」は
基本的には文語体です。
「事件」の発端ともいうべき
「酩酊船」を
まずは読んでみましょう。
(つづく)
*
酩酊船
われ、非情の河より河を下りしが、
船曳(ふなひき)の綱のいざなひ、いつか覚えず。
罵り騒ぐ蛮人は、船曳等(やつら)を標的(まと)に引つ捕へ、
彩色(いろ)とりどりに立ち並ぶ、杭(くひ)に赤裸(はだか)に釘付けぬ。
船員も船具も今は何かせん。
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船(わたぶね)よ。
わが船曳等(ふなひきら)の去りてより、騒擾(さわぎ)の声もはやあらず、
流れ流れて思ふまゝ、われは下りき。
怒り高鳴る潮騒(しおさゐ)を、小児等(こどもら)の脳髄ほどにもきゝ判(わ)けず、
われ流浪(さすら)ひしはいつの冬(ひ)か。
纜(ともづな)ときし半島も、この揚々(やうやう)たる混沌を、
忍びしためしはなしと聞く。
嵐来て、わが航海の眼醒めを祝ひてより、
人呼んで、永劫の犠牲者(にへ)の運搬者(はこびて)といふ波の上、
身はコルクの栓よりなほ軽く、跳り狂ひて艫(とも)の灯の、
惚(ほほ)けたる眼を顧みず、われ漂流ひて幾夜へし。
小児等(こどもら)の囓(かぶ)りつく酸き林檎の果(にく)よりなほ甘く、
緑の海水(みず)は樅材(もみ)の船身(ふないた)に滲み通り
洗ひしものは安酒の汚点(しみ)、反吐(へど)の汚点(しみ)、
船は流れぬ、錨も失せぬ。
さて、われらはこの日より、星を注ぎて乳汁色(ちちいろ)の、
海原の詩(うた)に浴しつゝ、緑なす瑠璃を啖(くら)ひ行けば、
こゝ吃水線(きっすい)は恍惚として蒼ぐもり、
折から水死人のたゞ一人、想ひに沈み降(くだ)り行く。
見よ、その蒼き色、忽然として色を染め、
金紅色(きんこうしょく)の日の下(もと)に、われを忘れし揺蕩(たゆたい)は、
酒清よりもなほ強く、汝(なれ)が立琴(りいる)も歌ひえぬ。
愛執の苦き赤痣(あかあざ)を醸(かも)すなり。
われは知る、稲妻に裂かるゝ空を、龍巻を、
また寄せ返す波頭(なみ)、走る潮流(みず)、夕(ゆうべ)送れば、
曙光(あけぼの)は、むれ立つ鳩かと湧きたちて、
時に、この眼の視しものを、他人(ひと)は夢かと惑ふらむ。
不可思議の怖れに染みし落日に、
紫にたなびく凝結(こごり)赫(かがよ)うて、
沖津波、襞(ひだ)を顫(ふる)はせ揺れ動き、
古代の劇の俳優も、かくやとわれは眺めけり。
まばゆきばかり雪の降り、夜空の色は緑さし、
海を離れてゆらゆらと、昇る接吻(くちづけ)も眼のあたり。
未聞(みもん)の生気(せいき)はたゞよひて、歌ふが如き燐光の
青色(あお)に黄色に眼醒むるを、われはまた夢みたり。
愚なり、われは幾月もまた幾月も、
ヒステリィの牛舎さながらの大波(たいは)暗礁を襲ふに従ひぬ。
知らず、若しマリヤそのまばゆき御足(みあし)のあらば、
いきだはしき大洋に大洋に猿轡(さるぐつわ)かませ給ふを。
船は衝突(あた)りぬ、君知るや、世に不思議なるフロリダ洲。
人間(ひと)の皮膚(はだへ)の豹の眼は、叢(むら)なす花に入り交り、
海路(うみじ)はるかの沖津方(おきつかた)、青緑色の羊群に、
太靱(たづな)の如き虹を掛く。
われは見ぬ、沼々は醱酵し、巨(おおい)なる魚梁(やな)のあるを。
燈心草(とうしんぐさ)は生(おい)茂り、腐爛(ふらん)せるレヴィンヤタンの一眷族(けんぞく)。
大凪(おおなぎ)のうちに水は崩れ逆(さか)巻きて、
遠方(おちかた)は深淵(ふち)か滝津瀬か。
氷の河に白銀(しらがね)の太陽(ひ)、真珠の波や熾(おき)の空、
褐色(かちいろ)の入江の底深く、目も当てられぬ坐洲(ざす)のさま。
蚜虫(くさむし)に食はれたゞれたる大蛇(おろち)のあまた群がりて、
黒き香をあげ、捩(ね)じ曲る樹木よりどうと墜(お)つるなり。
小児等(こどもら)のあらば見せまほし、
黄金(こがね)の魚(さかな)、歌うたふ魚、青海原に浮ぶ鯛、
水泡(みなわ)がくれた花々、わが漂流を賞(ほ)めそやし、
時に、得も言われぬ風ありて、われに羽(はね)を貸しぬ。
また、ある時は殉教者、地極(ちきょく)に地帯(ちたい)に飽きはてゝ
海すゝり泣く声きけば、僅か慰む千鳥足。
黄(き)の吸角(すひだま)ある影の花、海わが方(かた)にかざす時、
われは、膝つく女の如く動かざりき。
わが船舷(ふなべり)をおほひて、半島は金褐色(きんかっしょく)の眼をむきて、
哮(たけ)り、嘲(あざけ)り、海鳥(かいてう)の争ひと糞(くそ)とを打ち振ふ。
せん術(すべ)なくて漂へば、脆弱(もろ)き鎖を横切りて、
また水死者の幾人(いくたり)か、逆様(さかしま)に眠り降(くだ)りゆきぬ。
されど、われ船となりて浦々の乱れし髪に踏み迷ひ、
嵐来て島棲まぬ気層(そら)に投げられては、
海防艦(もにとる)もハンザの帆走船(ふね)も、
水に酔(ゑ)ひたるわが屍(むくろ)、いかで救はむ。
思ふがまゝに煙吹き、菫(すみれ)の色の靄(もや)にのり、
赤壁(あかかべ)の空に穴を穿(うが)てるわれなりき。
詩人奴(め)が指を銜(くは)へる砂糖菓子、
太陽の瘡(かさ)、青空の鼻汁(はな)を何かせん。
身は狂ほしき板子(いたご)かな。
閃電(ひばな)を散らす衛星(ほし)に染み、黒き海馬(かいば)の供廻(ともまは)り。
それ、革命の七月は、丸太棒(まるたんぼう)の一とたゝき、
燃ゆる漏斗(ろうと)の形せる、紺青の空をぶちのめす。
五十海里の彼方(かなた)にて、ベヘモと巨盤渦(うず)の交尾する、
怨嗟(えんさ)のうめきに胸(とむね)つき、慄へしわれぞ。
永劫に蒼ざめし嗜眠(ねむり)を紡(つむ)ぐはわれぞ。
あゝ、昔ながらの胸墻(かべ)に拠(よ)る、欧羅巴(ヨーロッパ)を惜しむはわれか。
見ずや、天体の群鳥を、
島嶼(しまじま)、その錯乱の天を、渡海者(たびびと)に開放(はな)てるを。
そも、この底無しの夜(よ)を、汝(なれ)は眠りて流れしか。
あゝ、金色(こんじき)の島の幾百万、当来の生気(せいき)はいづこにありや。
想へば、よく泣きたるわれかな。来る曙は胸を抉(えぐ)り、
月はむごたらし、陽(ひ)は苦(にが)し。
切なる恋に酔ひしれし、わが心は痺れたり。
龍骨よ、砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。
今、われ欧洲の水を望むとも、
はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲(うずくま)つてはその上に、
五月の蝶にさながらの、笹舟を放つ池かな。
あゝ波よ、ひとたび汝(なれ)が倦怠に浴しては、
綿船(わたぶね)の水脈(みを)ひく跡を、奪ひもならず、
標旗(はた)の焰の驕慢を、横切(よぎ)りもならず、
船橋(せんけう)の恐ろしき眼をかいくゞり、泳ぎもならじ。
(小林秀雄「考えるヒント4 ランボオ・中原中也」所収「ランボオ詩抄」文春文庫より)
※原作のルビは、( )内に記しました。編者。
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