ラフォルグ<6>辰野隆、鈴木信太郎
「レコード芸術」2011年7月号の
「特集・吉田秀和」の「インタヴュー1」は
「回想の1913~1945年 誕生から終戦まで」として
吉田さんの誕生から青春時代へ
そして音楽評論家として出発する戦後までが
聞き手である音楽学者・白石美雪の問いに答えて
克明に語られています。
その中で
音楽の道へ進むことになる
決定的な言葉を投げかけたのが
中原中也だった、という
これはよく話されたり
書かれたりするエピソードを語るのですが
当然、中原中也が親しく交流していた
音楽集団「スルヤ」の話になり
そこで
諸井三郎というよりも
内海誓一郎に楽理を学ぶように、と
言われたことを明かします。
それを語るくだりを、抜粋引用しますと
白石 では、先生が和声学や楽典を勉強されたのは大学に入ってから?
吉田 いえ、勉強を始めたのは高校生の時です。中原中也という男と知り合いになったのですが、ある時中原が「お前、そんなに音楽をやりたいんだったら、少し楽理ってのを勉強しろ。学校がだめなら個人教授を受ければいいじゃないか。諸井三郎のところに行くのもいいけど、あいつはこの頃モダニストになって少し浮かれているから、もう少し確実なところから勉強したほうがいいんじゃないか。諸井と一緒にスルヤをやっていた内海誓一郎のところへ行って和声学を習ったらどうか」という。そして中原が内海誓一郎のところへ連れていってくれて「こいつが音楽をやりたいというんで、ちょっと見てやってくれないか」なんてことになった。で、僕は彼に和声学を習いました。
となり、
このあと
富永太郎の詩に
吉田さんが作曲した! などという
びっくり仰天の秘話なども
初公開されるのですが
次の
白石 大学に入ってから、音楽の勉強はどうされたのですか。
吉田 大学にはあまり行きませんでした。ただ、辰野隆先生の講義と、鈴木信太郎先生のフランス語の詩の講義は聞きました。
白石 では、普段は何をしていらしたのでしょうか。
吉田 つまらない音楽の本を一生懸命読んだり(笑)、和声の勉強をしたり、詩人の吉田一穂とか中原中也とかに会ったり、そういうことをしていました。(略)
というあたり。
この、辰野隆、鈴木信太郎の両先生が登場するあたりが
当時の東大フランス文学科の人気ぶりを
垣間見せてくれるところで
中原中也も
辰野・鈴木両先生の講義を
自主聴講する学外生だったわけですから
吉田さんとここで出くわすというようなこともあったのかなあ、と
このインタビューでは語られなかった場面を
想像してみたりします。
(つづく)
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