ラフォルグ<9>月とピエロの詩人
大岡昇平によると
中原中也がラフォルグの詩の翻訳に取り組んだのは
昭和11年末か12年初めからだそうです。
ということは
愛息・文也が亡くなり(昭和11年11月10日)、
千葉の中村古峡療養所に入退院した頃(昭和12年1、2月)ということになり
もはや「晩年」の作業ということになります。
ランボーの翻訳を
一通りやってみて
区切りをつけたところで
ベルレーヌ、
ネルヴァル、
ヴィヨン
ボードレール
マラルメ
ヴァルモール
といった名のある詩人の詩から
ジッド
リード
レッテ
ルセギエ
カーン
コルビエール
ノアイユ
レールモントフ
カルコ
クロス
グラムージャン
といった
マイナーポエット(当時)の韻文
さらには
散文の翻訳へも手を広げていきます。
こうした仕事の
「終わり」の時期に
ラフォルグの翻訳が試みられたということになります。
上田敏訳や堀口大学訳のラフォルグが
こうして中原中也のラフォルグ訳という仕事の中で
参照されたはずですが
ラフォルグの詩を翻訳することそのものに参照されたばかりか
中原中也が自作詩を制作する場面で
その詩の血となり肉としていったことに
気づかないわけにはいきません。
そうして作られた詩は
「在りし日の歌」中の「月」や
「山羊の歌」中の「都会の夏の夜」ばかりではないことを知れば
あらためて
世界に詩人は3人いる!
と中原中也が日記の中で叫んだ
発言の意味を再確認することになるでしょう。
月とか
メダルとか
月光とか
星とか
地球とか
太陽とか
空とか
宇宙とか
舎密とか
道化とか
ピエロとか
……
中原中也の詩を
ラフォルグの影響という角度でみれば
これら中原中也の詩に現れる
舞台や登場人物には
「月とピエロの詩人」ラフォルグの影が射しているのだなあ
とあらためて
影響には大きいものがあることを知ります。
ここに
中原中也訳ラフォルグ3作品を
一挙に引いておきます。
*
謝肉祭の夜
ジュール・ラフォルグ
巴里は今晩大騒ぎ。弔鐘の如く時計台、
一時を打つ。歌へ! 踊れ! 朝露の命、
すべては空しい、――、さて空に、月は夢みる
生類の、発生以前と変りもなく。
なんと因果なことではないか! すべては閃きすべては過ぎる。
真理だ、愛だと、巧い言葉に乗せられながら
行手はいづこだ? とどのつまりは
地球が虚空で破裂して、影も形もなくなるまでか?
いろいろ歴史が並べて呉れる、叫びや涙や高言の
反響(こだま)は何処で、何時するのやら、
ねえ、バビロンよ、メンフィスと、ベナレス、テーベよ、ねえ羅馬、
おまへら廃墟でけふ此の頃は、風が花粉を運んでゐるよ。
さてこの俺だが、あと幾日を生きるやら?
俺は大地に身を投げつけて、叫びおののく、
永久返らぬ諸世紀の、綺羅(きら)燦然(さんぜん)の目の前で、
神意も通はぬ無心(こころな)の、涅槃(ねはん)の中の只中で!
と、聞えるぞ、静かな戸外(そとも)に、
響く跫音(あしおと)、悲しげな歌
祭りの帰りのへべれけの、労働者かな、
何れそこらの銘酒屋に、なんとなく泊まるのだらう。
おゝ、人の世は、あんまり悲しい、あんまりあんまり悲しいぞ!
お祭りといふお祭が、いつも涙の種となる。
《是空(ぜくう)だ、是空だ、一切是空だ!》
ところで俺の思ふこと、――ダヴィデの死灰やいまいづこ。
*
でぶっちょの子供の歌へる
ジュール・ラフォルグ
お亡くなりになつたのは
心臓病でです、お医者は僕にさう云つたけが、
ティル ラン レール!
気の毒なママ。
僕もあの世に行つてしまはう、
ママと一緒にねんねをするんだ。
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
往来で、みんなは僕を嗤(わら)ふんだ、
僕の様子が可笑しんだつて
ラ イ トウ!
知るもんか。
あゝ! でも一歩(ひとあし)あるくたんびに
息は切れるし、よろよろもする!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
それで野原に僕は行くんだ
夕陽が見えると泣けて来るんだ
ラ リ レット!
泣けてくるんだ。
よく知らないけど、だつて夕陽は
流れる心臓みたいぢやないか!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
あゝ! もし可愛いいジュヌヴィエーヴが
この心臓をお呉れといつたら、
ピ ル イ!
あいよだ!
僕は黄色で悲しげなんだ!
彼女は薔薇色、おまけに陽気さ!
ホラ、ね、鳴つてら、僕の心臓、
きつとだ、ママが呼んでゐるんだ!
だいたいみんなが意地悪過ぎらあ、
夕陽を除(ど)けたらみんな意地悪だ、
ティル ラン レール!
夕陽とママと、
僕もあの世に行つてしまはう
ママと一緒にねんねをするんだ……
ホラ、ね、ホラ、ホラ、僕の心臓……
ね、ママ、僕を呼んでるのでせう?
*
はかない茶番
ジュール・ラフォルグ
バベルを幾つ集めても、威張つた所で泣いた所で、
人間という夢想家は、一小世界の蛆虫(うじむし)と、
とくと考へみるほどに、あんまし滑稽で仕方がない、
いくら考へ直してみても、いつも結局おなじこと。
それ劫初、涯なき海が造られてより、
天辺は、いつも変らぬ無辺際、
恒星は、続々々々繁殖し、その各々が
人畜棲息の惑星を、夫々引率れてゐるといふわけ……
いやはや言語道断な! これではあんまり可笑(おか)しくて!
と、不感無覚の空にむけ、俺は拳固を振上げた!
空の奴、随分俺を騙(だま)しをつたな?
誤魔化したつて知つてるぞ、我が此の地球は、
壮観な、宇宙讃歌(ホザナ・ホザナ)のその中で、
茶番の掛かる、たかゞ芝居の小屋ではないか。
(「中原中也全訳詩集」講談社文芸文庫より)
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