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2011年7月29日 (金)

ランボー・ランボー<7>最後の斫断―「地獄の季節」へ

小林秀雄は
「酩酊船」の最終3連

想へば、よく泣きたるわれかな。来る曙は胸を抉(えぐ)り、
月はむごたらし、陽(ひ)は苦(にが)し。
切なる恋に酔ひしれし、わが心は痺れたり。
龍骨よ、砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。

今、われ欧洲の水を望むとも、
はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲(うずくま)つてはその上に、
五月の蝶にさながらの、笹舟を放つ池かな。

あゝ波よ、ひとたび汝(なれ)が倦怠に浴しては、
綿船(わたぶね)の水脈(みを)ひく跡を、奪ひもならず、
標旗(はた)の焰の驕慢を、横切(よぎ)りもならず、
船橋(せんけう)の恐ろしき眼をかいくゞり、泳ぎもならじ。

を呼び出し

ランボオの詩弦(リイル)は、最初から聊(いささ)かの感傷の痕も持たない。彼は、野人の恐ろしく劇的な触角をもって、触れるものすべてを斫断する事から始めた。それは不幸な事であった。その初期の作る処は、その煌(きらめ)く断面の羅列なのである。

と解釈を加えて
「人生斫断家ランボオ」は
証明されたものとされます。

ランボーの歌う詩は
ことごとくが
斫断された断面
キラキラと輝く断面の羅列である、と読まれました。

つづけて
ボーオドレールの人生嫌厭が
人生を斫断しないのに
ランボーの人生嫌厭は
人生のあらゆる局面を斫断する

ベルレーヌは
無意識な生活者であったのに
ランボーは
意識的な生活者であった

このようなことを
韜晦(とうかい)にくるんで
思惟し
今度は
「最高塔の歌」を呼び出して
ランボー最後の斫断――「地獄の季節」への道のりをたどるのです

斫断の末に
ランボーは
アフリカの砂漠に消えてゆきます。

吾々は、はや砂漠の如く退屈な、砂漠の如く無味な、然し砂漠の如く純粋な彼の書簡集のみしか読む事が出来ない。

「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を
ざっとたどれば
このようになります。

ジンセイシャクダンカ アルチュル・ランボオ

何度繰り返しても
舌を噛みそうですが……
これが
アルチュール・ランボーへ接近するための
案内として
戦中戦後をくぐり抜け
今も読み継がれている思惟の書であることに
いささかの揺るぎもないのです。

(つづく)

*
酩酊船

われ、非情の河より河を下りしが、
船曳(ふなひき)の綱のいざなひ、いつか覚えず。
罵り騒ぐ蛮人は、船曳等(やつら)を標的(まと)に引つ捕へ、
彩色(いろ)とりどりに立ち並ぶ、杭(くひ)に赤裸(はだか)に釘付けぬ。

船員も船具も今は何かせん。
ゆけ、フラマンの小麦船、イギリスの綿船(わたぶね)よ。
わが船曳等(ふなひきら)の去りてより、騒擾(さわぎ)の声もはやあらず、
流れ流れて思ふまゝ、われは下りき。

怒り高鳴る潮騒(しおさゐ)を、小児等(こどもら)の脳髄ほどにもきゝ判(わ)けず、
われ流浪(さすら)ひしはいつの冬(ひ)か。
纜(ともづな)ときし半島も、この揚々(やうやう)たる混沌を、
忍びしためしはなしと聞く。

嵐来て、わが航海の眼醒めを祝ひてより、
人呼んで、永劫の犠牲者(にへ)の運搬者(はこびて)といふ波の上、
身はコルクの栓よりなほ軽く、跳り狂ひて艫(とも)の灯の、
惚(ほほ)けたる眼を顧みず、われ漂流ひて幾夜へし。

小児等(こどもら)の囓(かぶ)りつく酸き林檎の果(にく)よりなほ甘く、
緑の海水(みず)は樅材(もみ)の船身(ふないた)に滲み通り
洗ひしものは安酒の汚点(しみ)、反吐(へど)の汚点(しみ)、
船は流れぬ、錨も失せぬ。

さて、われらはこの日より、星を注ぎて乳汁色(ちちいろ)の、
海原の詩(うた)に浴しつゝ、緑なす瑠璃を啖(くら)ひ行けば、
こゝ吃水線(きっすい)は恍惚として蒼ぐもり、
折から水死人のたゞ一人、想ひに沈み降(くだ)り行く。

見よ、その蒼き色、忽然として色を染め、
金紅色(きんこうしょく)の日の下(もと)に、われを忘れし揺蕩(たゆたい)は、
酒清よりもなほ強く、汝(なれ)が立琴(りいる)も歌ひえぬ。
愛執の苦き赤痣(あかあざ)を醸(かも)すなり。

われは知る、稲妻に裂かるゝ空を、龍巻を、
また寄せ返す波頭(なみ)、走る潮流(みず)、夕(ゆうべ)送れば、
曙光(あけぼの)は、むれ立つ鳩かと湧きたちて、
時に、この眼の視しものを、他人(ひと)は夢かと惑ふらむ。

不可思議の怖れに染みし落日に、
紫にたなびく凝結(こごり)赫(かがよ)うて、
沖津波、襞(ひだ)を顫(ふる)はせ揺れ動き、
古代の劇の俳優も、かくやとわれは眺めけり。

まばゆきばかり雪の降り、夜空の色は緑さし、
海を離れてゆらゆらと、昇る接吻(くちづけ)も眼のあたり。
未聞(みもん)の生気(せいき)はたゞよひて、歌ふが如き燐光の
青色(あお)に黄色に眼醒むるを、われはまた夢みたり。

愚なり、われは幾月もまた幾月も、
ヒステリィの牛舎さながらの大波(たいは)暗礁を襲ふに従ひぬ。
知らず、若しマリヤそのまばゆき御足(みあし)のあらば、
いきだはしき大洋に大洋に猿轡(さるぐつわ)かませ給ふを。

船は衝突(あた)りぬ、君知るや、世に不思議なるフロリダ洲。
人間(ひと)の皮膚(はだへ)の豹の眼は、叢(むら)なす花に入り交り、
海路(うみじ)はるかの沖津方(おきつかた)、青緑色の羊群に、
太靱(たづな)の如き虹を掛く。

われは見ぬ、沼々は醱酵し、巨(おおい)なる魚梁(やな)のあるを。
燈心草(とうしんぐさ)は生(おい)茂り、腐爛(ふらん)せるレヴィンヤタンの一眷族(け
んぞく)。
大凪(おおなぎ)のうちに水は崩れ逆(さか)巻きて、
遠方(おちかた)は深淵(ふち)か滝津瀬か。

氷の河に白銀(しらがね)の太陽(ひ)、真珠の波や熾(おき)の空、
褐色(かちいろ)の入江の底深く、目も当てられぬ坐洲(ざす)のさま。
蚜虫(くさむし)に食はれたゞれたる大蛇(おろち)のあまた群がりて、
黒き香をあげ、捩(ね)じ曲る樹木よりどうと墜(お)つるなり。

小児等(こどもら)のあらば見せまほし、
黄金(こがね)の魚(さかな)、歌うたふ魚、青海原に浮ぶ鯛、
水泡(みなわ)がくれた花々、わが漂流を賞(ほ)めそやし、
時に、得も言われぬ風ありて、われに羽(はね)を貸しぬ。

また、ある時は殉教者、地極(ちきょく)に地帯(ちたい)に飽きはてゝ
海すゝり泣く声きけば、僅か慰む千鳥足。
黄(き)の吸角(すひだま)ある影の花、海わが方(かた)にかざす時、
われは、膝つく女の如く動かざりき。

わが船舷(ふなべり)をおほひて、半島は金褐色(きんかっしょく)の眼をむきて、
哮(たけ)り、嘲(あざけ)り、海鳥(かいてう)の争ひと糞(くそ)とを打ち振ふ。
せん術(すべ)なくて漂へば、脆弱(もろ)き鎖を横切りて、
また水死者の幾人(いくたり)か、逆様(さかしま)に眠り降(くだ)りゆきぬ。

されど、われ船となりて浦々の乱れし髪に踏み迷ひ、
嵐来て島棲まぬ気層(そら)に投げられては、
海防艦(もにとる)もハンザの帆走船(ふね)も、
水に酔(ゑ)ひたるわが屍(むくろ)、いかで救はむ。

思ふがまゝに煙吹き、菫(すみれ)の色の靄(もや)にのり、
赤壁(あかかべ)の空に穴を穿(うが)てるわれなりき。
詩人奴(め)が指を銜(くは)へる砂糖菓子、
太陽の瘡(かさ)、青空の鼻汁(はな)を何かせん。

身は狂ほしき板子(いたご)かな。
閃電(ひばな)を散らす衛星(ほし)に染み、黒き海馬(かいば)の供廻(ともまは)り。
それ、革命の七月は、丸太棒(まるたんぼう)の一とたゝき、
燃ゆる漏斗(ろうと)の形せる、紺青の空をぶちのめす。

五十海里の彼方(かなた)にて、ベヘモと巨盤渦(うず)の交尾する、
怨嗟(えんさ)のうめきに胸(とむね)つき、慄へしわれぞ。
永劫に蒼ざめし嗜眠(ねむり)を紡(つむ)ぐはわれぞ。
あゝ、昔ながらの胸墻(かべ)に拠(よ)る、欧羅巴(ヨーロッパ)を惜しむはわれか。

見ずや、天体の群鳥を、
島嶼(しまじま)、その錯乱の天を、渡海者(たびびと)に開放(はな)てるを。
そも、この底無しの夜(よ)を、汝(なれ)は眠りて流れしか。
あゝ、金色(こんじき)の島の幾百万、当来の生気(せいき)はいづこにありや。

想へば、よく泣きたるわれかな。来る曙は胸を抉(えぐ)り、
月はむごたらし、陽(ひ)は苦(にが)し。
切なる恋に酔ひしれし、わが心は痺れたり。
龍骨よ、砕けよ、あゝ、われは海に死なむ。

今、われ欧洲の水を望むとも、
はや冷え冷えと黒き池、吹く風薫る夕まぐれ、
悲しみ余り、をさな児が、蹲(うずくま)つてはその上に、
五月の蝶にさながらの、笹舟を放つ池かな。

あゝ波よ、ひとたび汝(なれ)が倦怠に浴しては、
綿船(わたぶね)の水脈(みを)ひく跡を、奪ひもならず、
標旗(はた)の焰の驕慢を、横切(よぎ)りもならず、
船橋(せんけう)の恐ろしき眼をかいくゞり、泳ぎもならじ。

(小林秀雄「考えるヒント4 ランボオ・中原中也」所収「ランボオ詩抄」文春文庫より)
※原作のルビは、( )内に記しました。編者。

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