ランボー・ランボー<9>鈴木信太郎訳の「虱を捜す女」
日本のランボー受入れ史で、次に重大なのは、鈴木信太郎の「少年時」「花」「虱を捜す女」の翻訳である。「近代仏蘭西象徴詩抄」(春陽堂、大正13年9月)に収録、中原は大正14年末、「少年時」を上田敏訳「酔いどれ船」と共に筆写し(原稿用紙は「秋の愁嘆」<1925・10・7>と同種)、いっしょに綴じて保存していた。(「中原中也」角川文庫、昭和54年)
と大岡昇平が記している
大正14年末を
中原中也年譜でみてみると、
10月「秋の愁嘆」を書く。11月、富永太郎死去、24歳。同月、泰子、小林のもとへ去る。中也は中野に転居。しかし、その後も中也・小林・泰子の「奇怪な三角関係」(小林秀雄)は続く。この年の暮か翌年の初めごろ、宮沢賢治の詩集「春と修羅」を購入、以後愛読者となる。
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
とあり
中原中也はまさしく「11月の事件」の
真っ只中にありました。
泰子の引っ越しを手伝ったりする
不覚の日々に入る前のことなのでしょうか
富永太郎は病臥に伏していた期間ですから
もっぱら
小林秀雄と頻繁に行き来していました。
この年前半の年譜は
3月10日、長谷川泰子とともに上京。戸塚に下宿。早稲田高等学院、日本大学予科を受験する予定だったが、受験日に遅刻するなどして受けられなかった。その後帰省して、東京で予備校に通う許可を得る。4月、富永太郎の紹介で小林秀雄を知る。5月、小林の家の近く、高円寺に転居。
とあり
まさしく小林秀雄との交流に集中していく
「運命」のような流れの中に
中原中也はありましたが
その小林秀雄との交流の中心に
ランボーがあったということになります。
中原中也と小林秀雄の交流の間には
長谷川泰子という女性があり
同時に
アルチュール・ランボーがあったということなのですが
このことが
同時に語られることは
ほとんどないということの
不思議、不自然に思い当たってしまいます。
この点については
いつか考えることにして
中原中也が
上田敏訳のランボー「酔ひどれ船」を筆写した2回目に
鈴木信太郎訳でランボー「少年時」を筆写し
これを一緒にして綴じておいたところに
焦点を戻します。
ランボーは
「酔ひどれ船」一つをとってみれば
同時代訳として
① 柳沢健訳 アルニュテル・ラムボオ「酔ひどれの舟」(大正3年)
② 上田敏訳 アルチュル・ランボオ「酔いどれ船」(大正12年)
③ 金子光晴訳 アルチュール・ランボオ「よいどれの舟」(大正14年)
④ 小林秀雄訳 あるちゆる らんぼお「酩酊船」(昭和6年)
⑤ 堀口大学訳 アルチュウル・ラムボオ「酔ひどれ船」(昭和9年)
があるほかに
上田敏訳には4種類の未定稿があり
佐藤朔の評論「酔ひどれ船」(昭和2年)中に
内容紹介があるという程度に
豊富なものではありませんでした。
(「新編中原中也全集第3巻翻訳・解題篇」)
そんな状況の中で
鈴木信太郎の「近代仏蘭西象徴詩抄」(春陽堂、大正13年9月)に
「少年時」「花」「虱を捜す女」の翻訳が収録されていたのは
ランボー解釈の数少ない手掛かりの一つだった
ということを大岡昇平は
言おうとしていたのだと考えられます。
いま手元に
鈴木信太郎訳の
「虱を捜す女」がありますから
ここで読んでおくことにしましょう。
(つづく)
*
虱を捜す女
紅の疼く痒さを をさな児は額に湛へ
おぼろかの夢の真白き簇(むらが)りを 求むる時に、
銀色の爪ある指もしなやかの二人の姉の
愛らしき姿は 忽然 児の臥床(とこ)のほとりに現る。
繚乱と咲きたる花を、涵(ひた)したる碧き大気に
広々と開け放たれし窓辺、児を 乙女は坐らせ、
露のたま滴り落つる 児の重き髪 かき分けて、
美しくまた恐しき 細き指 爪立てて掻く。
物怖ぢしその気息(いきづき)の奏でたる歌を 児は聴く。
植物の淡紅色の蜜の香の立罩むる息。
脣にはしる蟲醋唾(むしづ)か 接吻をもとむる慾か、
児の喘ぐ憂き溜息に 息の歌とぎれとぎれに。
香の盈てる沈黙の中に しばたたく黒き睫毛を
仄かに児は聞く。やはらかく また稲妻と走る指、
懶惰(けだる)さのほろ酔心地、華やかの爪と爪との
間には小さき虱の 音たてて潰るる命。
かくていま「懈怠」の酒の酔ひは、児の脳髄にのぼる、
興奮に狂はむとするハモニカの調べの吐息。
をさな児の心の中に、ゆるやかの愛撫のままに、
さめざめと泣かむ思ひは 絶間なく湧きて消え行く。
(「ランボオ全集第1巻 詩集」より、人文書院 昭和27年)
※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、( )内に記しましたが、現代カナに直しました。編者。
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