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2011年7月30日 (土)

ランボー・ランボー<8>鈴木信太郎訳の「酔ひどれ船」

小林秀雄は
「人生斫断家アルチュル・ランボオ」(大正15年)を書いて後に
「アルチュル・ランボオⅡ」(昭和5年)
「ランボオの問題」(昭和22年、後に「ランボオⅢ」と改題)と
ランボー評論を3本著わしていて
さしあたり
中原中也生存中に書かれた
この「ランボオⅡ」を読んでおきたいところですが
いまそちらのほうへ行く余裕はありませんから
大正・昭和のランボー受容史のうち、
「酩酊船」(酔いどれ船)という「事件」を
もう少し書き進めておくことにします。

中原中也は
富永太郎を通じて
「酔ひどれ船」を
上田敏訳で読み
読むばかりか
3回も筆写します。

「ノート1924」の空きページに
第11連までを筆写したのが
大正13年秋、
原稿用紙へ全文筆写したのが
大正14年後半
同じく原稿用紙への全文筆写が
大正13年秋から同15年の間に行われ
これら筆写原稿3種類が
現存しています。

2回目の
大正14年後半の筆写原稿は
鈴木信太郎訳ランボーの「少年時」の筆写稿と
同一の原稿用紙に綴じられ
保存されていた(大岡昇平)ということで
上田敏以外の翻訳へも
詩人の目は向けられていたことを示すものです。

ならば
小林秀雄訳の「酩酊船」を
未定稿の段階で読むことはなかったのだろうか、とか
本邦初訳の柳沢健訳を読むことはなかったのだろうか、とかと
疑問は横っ飛びしていくのですが
いまのところ
それを明かす「事件」は
発見されていないようです。

しかし
鈴木信太郎訳は
全文ではなかったにせよ
公刊された出版物や
授業や
授業中に配られたブリーフィング(筆写稿)の類で
中原中也の目にとまったことが想像できます。

ランボーが案内されるからには
ポール・ベルレーヌの「呪われた詩人たち」の
案内を通じたに違いなく
「呪われた詩人たち」を案内する鈴木信太郎や
辰野隆ら東京帝大の教官の言及の中に
「酔ひどれ船」が
案内されないことはなかったはずですから。

というわけで
ここで鈴木信太郎訳の
「酩酊船」を
読んでおくことにします。
「酔いどれ」ではなく
「酩酊」としているところは
小林秀雄も
これを参考にしている可能性が高いことを示しています。

(つづく)

*
酩酊船

非情の大河の溶々たる流れを 下り行きしとき(*1)、
水先の船曳どもの嚮導も いつしか覚えず。
赤肌の南蛮鴃舌(げきぜつ)、 船曳の弓矢の標的に引捕へ、
色鮮やかなる乱杙(らんぐい)に、赤裸、釘付けに射止めたり。

弗羅曼(フラマン)の小麦を積むか 英吉利の棉花を運ぶ輸送船、
わが乗組の奴原に 心残りはあらざりけり。
船曳どもの醸したる騒擾 今は収まりて、
意のままの水夫に 船は 大河を下りたり。

潮騒の哮り狂へる高鳴りの真中(さなか)(*2)を、曩(さき)の
冬なりき(*3)、幼き児らの脳髄より なほ耳鈍く、
馳駆したり。纜(ともづな)解かれし半島も、これに勝りて
誇らしき大混乱に陥りしためし無かりき。

その時 暴風は 海上のわが覚醒に祝福を浴せかけたり。
永劫に犠牲を転々するといふ 波濤の上に
コルクの栓よりなほ軽く 身を躍らせて、
夜は十夜、港の灯火の阿呆なる眼つきも悔いず。

爽やかに酸き林檎より 子供らにとりては甘き
緑なる海水は わが樅材の船体に滲み入り、
色青き葡萄酒の汚染、嘔吐の汚穢を
洗ひ浄めて、舵も失せたり、錨も失せたり(*4)。

この日より、星の光に注がれて、乳色に光り輝き、
碧瑠璃の空を啖(くら)ひて、大海の詩のただ中に
涵(ひた)りたり。その大海に、流れ行く、恍惚として
蒼ざめし吃水線の 水死人(*5) 時をり思ひに沈みつつ。

その大海に、忽焉と波の群青を色に染め、
金紅燦たる日の下の 錯乱か 緩るき韻律か、
アルコホルより強烈に、わが竪琴より壮大に
愛慾の苦き朱の痣 滾々として醗酵す。

電光(いなづま)に裂けたる空を、竜巻を、寄せては返す
海嘯(かいしょう)を、はた潮流を われは知る。また夕暮を、
一群の鳩をさながら 歓喜に満てる曙を われは知る。
また人間の見しと思ひし物相を 時をりは真に見たり(*6)。

神秘なる恐怖の色に染まりたる 低き落日
紫の長き凝固(*7)を 色彩りて耀(かがよ)ふ様を、
古代の劇の俳優の姿に似たる沖津波
鎧扉漏るる明暗の襞の顫へを転ばすを、われは見たり。

ゆくらゆくらに昇り来て 海の瞳(*8)に接吻(くちづ)くる、
燦々と眩(まばゆ)き雪の 緑の夜を、
未聞の生気溌剌と循環するを、はた 歌を
唄ふ燐光 黄に青に眼醒むるさまを、われ夢みたり。

幾月もまた幾月も、ヒステリイの激情に似し
大浪の 暗礁に襲ひかかるに随ひ行きて、
愚かやわれは知らざりき、マリヤの如き輝ける
尊き御足 息も喘げる大洋の面を覆ひて静め得んとは。

君知るや、世に不思議なるフロリダに船は衝突(あた)りぬ、
人間の皮膚の豹の眼の光 叢なす花に
入り乱れ、手綱の如く張り渡す七彩(なないろ)の虹、
水夫のさかひの下に、紺青の羊の群(*9)を率ゐたり。

巨大なる沼 沸き滾るを われ見たり、燈心草の
生ひ繁る中に怪獣レヴィアタンの腐爛せし魚簗(やな)。
また 大凪の唯中に 水 忽然と崩壊し、
深淵に向ひて 瀧と落下する 遙かなる景色を見たり。(*10)

氷河や、銀の太陽や、螺鈿の波や、火の空や、
褐色の入江の奥に 座礁せる醜き船や、
その船に、南京虫に喰はれたる大蛇蟒蛇(だいじゃうわばみ)、
黒き臭気を放ちつつ、拗れし樹より、墜落す。

をさな児に見せばや見せむ 紺碧の波間に遊ぶ
桜鯛、黄金の魚や、歌唄ふ魚。
――花と散る泡沫(みなわ)は 船の漂流をやさしく揺(ゆす)り、
言ふに言はれぬ微風は 時をりわれに翼をかしぬ。

また或る時は、両極と地帯の旅に倦き果てし
殉教者、わが心地よき横揺れを 海の嗚咽はゆさぶりて(*11)、
黄の吸角(すいだま)ある影の花を 海 わが方に挿頭(かざ)したり、
われはそのまま座し居たり、女性の跪坐(ひざまず)けるごと……

宛然(さながら) 島のごとくなり(*12) さはれこの島 舷(ふなべり)に 声甲高き
金色の眼の群鳥の喧噪と糞とを 軽く揺りたり。
なほ漂うてゆくほどに、わが細索を横切りて、
逆に流れて、水死人(*13) 眠りに落ち行くものありき……

さて われは、颶風(はやて)によりて 鳥飛ばぬ虚空の中に
投げられて、入江の髪の藻の下に 難破せる船、
よしや 海防艦なりと ハンザの帆前船なりと、
水に浸りて酔ひ痴れしこの形骸を いかで拾はむ。

思ひのままにのびのびと、煙を吐きて、紫の霞を乗せて、
赤味を帯びたる大空を 壁の如くに 刳(く)り抜きし船、
積みたるは、太陽の蘚苔(こけ) 蒼空の鼻汁(はな)、
世の中の詩人の輩に 至上の美味の砂糖菓子。

火花を撒(ち)らす衛星の光を浴びて駆(かけ)りし われ、
黒き海馬に護衛され、踊り狂へる板子の船。
折しもあれや、七月は 燃ゆる漏斗の碧瑠璃の
空を 忽ち棍棒の乱打に 崩壊し了(おわ)んぬ(*14)。

五十里の彼方に、ベヘモの発情と 轟々たるマルストロムの
渦巻と 呻く気配を感じては 戦き顫へしわれながら、
碧き不動の大海より 永劫に浪を紡ぐ われ、
昔ながら胸壁に取囲まれし欧羅巴の 懐しきかな(*15)。

われは 星座の群島を、島嶼(しまじま)の無数を 見たり、
その錯乱せる天空は この漂泊人(たびびと)に開かれたり。
――底無しのかかる夜な夜な 汝は 眠りて流浪すや、
おお、百万の金色の鳥よ、未来を創造(つく)る生気よ――

されど、げに、余りにわれは泣きたりき。あけぼのは
胸を抉りて痛し。月 なべて無慙に、日は なべて苦し。
苛酷の恋は 酔ひ痴れし麻痺に 心を満たしたり。
おお、龍骨よ 破裂せよ。おお、海底にわれを沈めよ。

若しわれにして欧羅巴の、今なほ、水を望むとせば、
そは 冷やかなる黝き隠沼(こもりぬ)、風薫る夕暮どきに、
悲しみの溢るる童子 蹲踞(うずくま)りて、五月の蝶を
さながらの木葉の小舟を放ちやる 森の水沼(みぬま)。

噫、波よ、ひとたび汝の倦怠を浴びたる(*16)われは、
棉花積む船の曳く水尾(みお)を追ふ流離(さすらい)も(*17)、
旌旗(はた)と焔の驕慢の真中(さなか)を貫く彷徨(*18)も、
はた船橋の恐しき眼を掻潜(かいくぐ)る漂流(*19)も、終ひに叶はずなり果てたり矣。

<脚注>
*1 高踏的詩の世界。
*2 革命の世界。
*3 1871年2月か。
*4 革命に難破して漂流する。
*5 自己の酩酊船
*6 ランボオの詩の世界。即ち、ヴォアイアン(見者)の世界。
*7 ボオドレエル「夕の諧調」参照。
*8 細波。
*9 うねり波。
*10 驟雨遠望。
*11 酩酊船静かに流れる。
*12 酩酊船。
*13 過去の詩の世界の詩人達。
*14 酩酊船難破。
*15 見者の世界を脱出。
*16 脱出せる見者の世界。
*17 高踏的詩の世界。
*18 革命の世界。
*19 見者の世界。

(「ランボオ全集第1巻 詩集」より、人文書院 昭和27年)

※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、( )内に記しましたが、現代カナに直しました。また、脚注は、*と番号をつけて、末尾にまとめました。原作には、傍点が3箇所にありますが、省略しました。編者。

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