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2011年8月

2011年8月30日 (火)

ランボー・ランボー<22>日記に現れる「ランボーという事件」

中原中也は
ランボーとの出会いを
「ランボーという事件」とはもちろん言っていませんが
京都で知り合った富永太郎から
ランボーの存在ほかフランス象徴詩の活動を知って
そのことで上京する決意を固めた
そのことがダダ詩人からの脱皮のきっかけになったのだとしたら
これを「事件」と言わずになんと言えばいいものか――。

そのほかに言いようがないので
「ランボーという事件」と言っておくのですが
では
その事件は
中原中也の日記の中に
どのように捉えられているでしょうか
それを見ることにします。

中原中也の日記が
現存するのは
昭和2年(1927年)からのものになりますが
最も古いのが

2月25日(金曜)
聖書。スチルネル。地理書。
ヴェルレエヌ。ボオドレエル。ラムボオ。
ロダン。植物・鉱物・動物。ゴリキイ。
 余は当分の読書を、右の範囲に於てする。これは実に不思議なクリティク精神の顕現が与へた、論理的範囲なのである!

です。
ランボーは、
スタイナー
ベルレーヌ
ボードレール
ロダン
ゴーリキー
……の中に交じって
特別視されているほどではありません。

以下

3月3日(木曜)―5日(土曜)
私は一切を認識した、
(略)
(ランボオは愛がまだ責任のある時にカルチュアをもつ努力が出来た、現金的人気があつた、それであんなに早く歌が切れた。いいや、それはあとにヴェルレエヌがゐるからといふので安心したこともその理由ではある、それ位ランボオを純潔な人間と考へる位分る人には造作もないことだ!)

4月23日(土曜)
世界には詩人はまだ3人しかをらぬ。
ヴェルレエヌ
ラムボオ
ラフォルグ
ほんとだ! 3人きり。

5月29日(日曜)
すべてラムボオ以前の所謂自然詩人とは風景の書割屋也。

6月11日(土曜)―12日(日曜)
この自然詩人ランボオと
                   相違の所以。
あの自然詩人ワーズワース

7月19日(水曜)
ラムボオ    印象的情感+自己批評
ヴェルレエヌ 情感的印象+生きることについての心懸

7月29日(金曜)
Rimbaud est plus romaintique que Verlaine.
C’est seul différent entre ils.

8月6日(土曜)
ラムボオつて人はほんとに素晴らしいんだ。Commédie de la soifを読め。
人が一番直接歌ひたいことを正直に実践してゐる。

8月22日(月曜)
ランボオを読んでるとほんとに好い気持になれる。なんてきれいで時間の要らない陶酔が出来ることか!
茲には形の注意は要らぬ。
聖い放縦といふものが可能である!

10月2日(日曜)
ラムボオはVanityで自らを殺した。
これは私に分るだけのこと。

10月3日(月曜)
詩人のテーマは古来
ヴァニティと
情感(ヴェルレエヌの)と
恋との三種のみである。
(ポオのタメルランは一見例外だが、あれはヴァニチイに属す)、

11月4日(金曜)
ラムボオは自分のクリティクに魅領された。それが不可なかつた。

(「新編中原中也全集 第5巻 日記・書簡 本文篇」より)


以上、ランボーの名前が現れる日記の
昭和2年の分だけを
拾いました。

名前が出ていなくても
ランボーに関連した記述は
いくらでもありそうですが
ここでは限定して
ピックアップしました。

支持の表明と
若干の批判と
ランボーへの見極めとが入り混じり
詩人固有の鋭敏な把握が散らばっています。

(つづく)

 *
 少年時 中原中也
黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。
地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。
麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
 
翔(と)びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――
夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

*
 少年時  アルチュール・ランボオ 
     鈴木信太郎、小林秀雄共訳

        一

 この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人でありまたフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤を越えて、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘る。
 森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇をもつた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と海とは、その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。
 海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中には見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装身具、――巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無人に着飾って闊歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。
 何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。

        二

 薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐる)弟が、――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老人達は、丁字香の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。
 黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街道を辿れば、空家になつた宿屋に行き著く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人が住んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだ
が。
 草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は揚げられてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。
 魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が輪を描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合いに、雲がむらがり重つてゐた。

        三

森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。
時刻を打たない時計がある。
白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。
降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。
輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。
森の裾を貫く街道の上には、衣裳を著けた小さな俳優たちの一団が見える。
最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。

        四

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な動物のやうだ。
 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。
 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲しい洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。
 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。
 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

        五

 終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸してくれるのだ、――地の下の遙か彼方に。
 俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の興味もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。
 俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。泥は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。
 それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、火の井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれぬ。
 懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。俺は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは何故だらうか。

(「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」より、人文書院 昭和28年)

※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、
( )内に記しましたが、現代カナに直しました。編者。

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2011年8月29日 (月)

ランボー・ランボー<21>「奇怪な三角関係」と「ランボーという事件」

大正13年に
京都に遊びに来ていた富永太郎から
ランボーを知って以来
「酔ひどれ船」の上田敏訳を筆写し
鈴木信太郎の著作「近代仏蘭西象徴詩抄」(大正13年9月刊)で
「少年時」
「花」
「虱捜す女」
……を読み
この「少年時」も筆写し
上田敏訳の「酔いどれ船」とともに綴じて保存した――。

アーサー・シモンズの「表象派の文学運動」の岩野泡鳴訳に読みふけり
正岡忠三郎から
原書・ペリション版「ランボオ作品集」を貰い受け
アテネ・フランセに通いはじめたのは
大正15年秋でした
同年10月には、小林秀雄の「人生斫断家アルチュル・ランボオ」が
東京帝大仏文科紀要「仏蘭西文学研究」に発表されます――。

中原中也は
小林秀雄の「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を読み
感想を12月7日付け書簡で送ります――。

同日の日記全文に目を通しておきましょう。

 12月7日 小林秀雄宛
 先達から書いといた手紙、ない。ディクテの練習をした紙と一緒に卓子(テーブル)
の下に置いたか何かで、掃除の時棄てられたのだ。

「人生斫断家アルチュル・ランボオ」面白く読んだ。ランボオは僕を教へるよりも何より
も、「大乗」病を湧きたたす。

 地理の厖大な本を買った。何でもある、ホテルの名前まである。

 ぼうッと霧がして一切合切石盤石だ。お正月前の匂ひだ。冬の脆弱なくせに、辛辣なくしやみが出る。いやだいやだ。ぐちやぐちやな詩稿をとても清書する勇気が出ない。何れ君にはいろいろみせたいが。

僕には小説を読んだって詩を読んだって、また批評を読んだって、勉強にはならないことを此の頃知つた。ロビンソンクルーソー流のもの、歴史、地理、経済史などが、一番僕の生地を踊らすのだ。

 君の林檎の説はよく分るが、直哉が林檎だといふにおいて少しうなづけない。

 僕は直哉のものを読むと、これを書いた人は邪慳な人なんぢやないかと思ふ。 ではまた。
                              住所を変わつたら知らせて呉れたまへ
                                                        中也
   7日
   秀雄様

(「角川新全集第5巻 日記・書簡」より)

これを書いたとき
長谷川泰子が
小林秀雄のもとへと去って
1年が経過しています。 
「奇怪な三角関係」(小林秀雄)のただ中での書簡です。

「ランボーという事件」と
「奇怪な三角関係」は
ほぼ同時進行していました。

(つづく)

 *
 少年時 中原中也

黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
 
翔(と)びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

*
 少年時  アルチュール・ランボオ 
     鈴木信太郎、小林秀雄共訳

        一

 この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人で
ありまたフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤
を越えて、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘
る。
 森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇
をもつた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と
海とは、その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。
 海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中
には見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装
身具、――巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無
人に着飾って闊歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。
 何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。

        二

 薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が
石段を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐ
る)弟が、――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老
人達は、丁字香の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。
 黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街
道を辿れば、空家になつた宿屋に行き著く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。
――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人
が住んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだ
が。
 草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は
揚げられてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。
 魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が
輪を描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合いに、雲がむらがり重つてゐ
た。

        三

森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。
時刻を打たない時計がある。
白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。
降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。
輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。
森の裾を貫く街道の上には、衣裳を著けた小さな俳優たちの一団が見える。
最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。

        四

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平
和な動物のやうだ。
 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。
 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の
物悲しい洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。
 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手
は空にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。
 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌
も泉の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

        五

 終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸して
くれるのだ、――地の下の遙か彼方に。
 俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の
興味もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。
 俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。
泥は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。
 それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、
火の井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれ
ぬ。
 懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。
俺は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは
何故だらうか。

(「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」より、人文書院 昭和28年)

※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、
( )内に記しましたが、現代カナに直しました。編者。

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2011年8月28日 (日)

ランボー・ランボー<20>中原中也が訳した「虱捜す女」

「花」を読んだのですから
「虱を捜す女」を読むのが流れです。
中原中也が
ランボーを知って間もない頃に読んだのは
鈴木信太郎が訳して
「近代仏蘭西象徴詩抄」(大正13年9月発行)に収めた
「少年時」や「花」や
「虱を捜す女」でした。

「虱を捜す女」は
やがて中原中也自身によって翻訳され
「虱捜す女」として
「ランボオ詩集」中「初期詩篇」の章に収録されます。
初出は「ランボオ詩抄」(昭和11年6月)発行)ですが
昭和12年発行の「ランボオ詩集」の「初期詩篇」に
「酔ひどれ船」につづいて配置されています。

鈴木信太郎訳の「虱を捜す女」は
2011年7月31日付けで一度目を通していますから
ここでは中原中也訳「虱捜す女」を読みます。
(鈴木信太郎訳も併せて掲出しておきます。)

みどりご(嬰児)のおでこが、ポーっと赤らんできて
いつかしら、夢に入りはじめて真っ白な世界を欲しがっているとき
美しい二人の姉妹が、彼の眠る枕元に現れる
その細い指の爪は白銀の色をしている。

花々が乱れ咲き涼しげな風が吹きつける窓辺に
二人はみどりごを座らせる、そして
露の滴に濡れたふさふさのその子の髪の毛に
不気味なほど美しい細い指を差し入れ撫で擦る。

さて嬰児は聴く
気遣わしげなバラ色のしめやかな蜜の匂いのする二人の意気が歌うのを
姉妹の唇に浮ぶのは唾液なのかキスを求める欲求なのか
ともすれば二人の歌は途切れ途切れになる。

子どもは感じる
乙女らの黒い睫毛が芳(かぐわ)しい匂いの中で
まばたきするのを、またしなやかな指が
鈍い色の気だるさに包まれ、あでやかな爪の間で
シラミ(虱)をプチプチと潰す音を聞く。

(その音を聞き)たちまち気だるさに酔う子どもの脳天にあがってくる
天にも昇るようなハーモニカの調べみたいなためいきか
子どもは感じる、ゆるやかな愛撫につれて
絶え間なく泣きたい気持ちが絶え間なく消えたりまた出てきたりするのを。

「酔ひどれ船」と
「花」と
「虱シラミ――」と。
ほんの少し
ランボーに近づいているでしょうか。

いや
ランボーを通じて
中原中也に近づいているでしょうか――。

 *
 虱捜す女
   中原中也訳

嬰児の額が、赤い噴気(むづき)に充ちて来て、
なんとなく、夢の真白の群がりを乞うているとき、
美しい二人の処女(おとめ)は、その臥床辺(ふしどべ)に現れる、
細指の、その爪は白銀の色をしている。

花々の乱れに青い風あたる大きな窓辺に、
二人はその子を坐らせる、そして
露滴(しず)くふさふさのその子の髪に
無気味なほども美しい細い指をばさまよわす。

さて子供(かれ)は聴く気ずかわしげな薔薇色のしめやかな蜜の匂いの
するような二人の息が、うたうのを、
唇にうかぶ唾液か接吻(くちずけ)を求める慾か
ともすればそのうたは杜切れたりする。

子供は感じる処女らの黒い睫毛(まつげ)がにおやかな雰気(けはひ)の中で
まばたくを、また敏捷(すばしこ)いやさ指が、
鈍色(にびいろ)の懶怠(たゆみ)の裡(うち)に、あでやかな爪の間で
虱を潰す音を聞く。

たちまちに懶怠(たゆみ)の酒は子供の脳にのぼりくる、
有頂天になりもやせんハモニカの溜息か。
子供は感じる、ゆるやかな愛撫につれて、
絶え間なく泣きたい気持が絶え間なく消長するのを。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

*
虱を捜す女
   鈴木信太郎訳

紅の疼く痒さを をさな児は額に湛へ
おぼろかの夢の真白き簇(むらが)りを 求むる時に、
銀色の爪ある指もしなやかの二人の姉の
愛らしき姿は 忽然 児の臥床(とこ)のほとりに現る。

繚乱と咲きたる花を、涵(ひた)したる碧き大気に
広々と開け放たれし窓辺、児を 乙女は坐らせ、
露のたま滴り落つる 児の重き髪 かき分けて、
美しくまた恐しき 細き指 爪立てて掻く。

物怖ぢしその気息(いきづき)の奏でたる歌を 児は聴く。
植物の淡紅色の蜜の香の立罩むる息。
脣にはしる蟲醋唾(むしづ)か 接吻をもとむる慾か、
児の喘ぐ憂き溜息に 息の歌とぎれとぎれに。

香の盈てる沈黙の中に しばたたく黒き睫毛を
仄かに児は聞く。やはらかく また稲妻と走る指、
懶惰(けだる)さのほろ酔心地、華やかの爪と爪との
間には小さき虱の 音たてて潰るる命。

かくていま「懈怠」の酒の酔ひは、児の脳髄にのぼる、
興奮に狂はむとするハモニカの調べの吐息。
をさな児の心の中に、ゆるやかの愛撫のままに、
さめざめと泣かむ思ひは 絶間なく湧きて消え行く。

(「ランボオ全集第1巻 詩集」より、人文書院 昭和27年)
※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、
( )内に記しましたが、現代カナに直しました。編者。

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2011年8月27日 (土)

ランボー・ランボー<19>小品「花」の宇宙

ランボーに
「花」というタイトルの小品があります。
詩集「イリュミナシオン」の中に収録されていて
鈴木信太郎が
その著作「近代仏蘭西象徴詩抄」(大正13年9月発行)で
「少年時」
「虱を捜す女」とともに訳出した散文詩です。

中原中也は
鈴木信太郎訳のこの「少年時」と
上田敏訳の「酔ひどれ船」を共に筆写し
一緒に綴じて保存していますが
「少年時」や
「酔ひどれ船」や
「虱を捜す女」ほどには
関心をもたなかったのか
翻訳されなかった作品です。

「少年時」も中原中也によって
翻訳されることはなかったのですが
こちらは筆写・保存のほかに
詩集のタイトルにしようとしたり
「山羊の歌」の章題にしたり
同題の詩をつくったりと
大きな影響を受けたことが明らかですし、
「酔ひどれ船」や「虱を捜す女」は
やがて翻訳して正面から向き合ったのに
「花」だけは関心を寄せたという痕跡がありません。

「酔ひどれ船」のスケールに圧倒されてしまえば
ちっぽけな「花」なんぞに
構っていられなかったというのが
実際のところだったのでしょうが
この「花」にも
ランボーの想像力は目一杯羽根を広げていますから
少しそれを見ておきましょう。

中原中也は
この「花」をいずれ原書で目を通すに違いないのですが
ランボーを知って間もない
大正末から昭和初期には
鈴木信太郎訳が手近にあり
それを読んだことが確実ですから
この訳を見ますと――。

 ◇
 花
   鈴木信太郎訳

 黄金の階段から、――絹の紐、鈍色の薄紗、緑の天鵞絨と日向の青銅のやうに黒
ずんだ円盤が入り乱れる間に、――銀と眼と髪の毛との細線で、織られた毛氈の上
に、ぢぎたりすの花が開くのが見える。
 瑪瑙の上にばら撒かれた黄色い金貨、緑玉の円天井を支へてゐる桃花心木(アカ
ジユウ)の柱、白繻子の花束と紅玉の細い鞭とは、水薔薇を取り囲む。
 巨きな青い眼で、雪のいろいろの形をした神様のやうに、海と空とは、この大理石の
台の上に、若々しくて強烈な薔薇の群を引き寄せる。

(「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」より、人文書院 昭和28年) ※な
るべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、( )内
に記しましたが、現代カナに直しました。編者。

 ◇
文庫版で1ページに収まる小品ですが
ここには
いったいどれだけの花が
咲いているというのでしょうか!

文字面(づら)を見るだけで
ぢぎたりす=ジキタリス
桃花心木(アカジユウ)の柱
白繻子の花束
紅玉の細い鞭
水薔薇
薔薇の群
……という花が登場するのですが
それは「花」の一部というほかになく
野原や山の岩陰に香る植物の花というほかになく
花はそれだけの花ではないだろう、と
花の概念を覆(くつがえ)す「花」の世界が広がっています。

このカレードスコープ(万華鏡)の中心にあるのは
ジキタリスの花であるかに思いきや
水薔薇というこの世に存在しない「花」のようです。
水薔薇には
無数に咲き誇る「花」のビジョンが込められてあるかのようで
それはもはや中心にありながら
広大な周辺に向かい
そのまた外部に海と空が連なり広がっています。

「花」を引き立てる脇役であるかのように
黄金の階段
絹の紐
鈍色の薄紗
緑の天鵞絨(ビロード)
日向の青銅
黒ずんだ円盤
銀と眼と髪の毛との細線で織られた毛氈
瑪瑙の上にばら撒かれた黄色い金貨
緑玉の円天井を支へてゐる桃花心木(アカジユウ)の柱
白繻子の花束と紅玉の細い鞭
巨きな青い眼で、雪のいろいろの形をした神様
大理石の台……が
花の舞台装置として組み立てられますが
これらはもはや
舞台装置であるというよりも花の舞台そのものであり
花の一部であり
「花」そのものでもあります。

これは
宇宙というほかに
いいようにない花の世界……。
一字一句が
すべてが花と化しています。

(つづく)

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2011年8月25日 (木)

ランボー・ランボー<18>色々な「酔ひどれ船」

「酔いどれ船」は
初めて日本に紹介されたのが
柳沢健によるものなのか
全訳ではないものが
柳沢健以前にあったのかわかりませんが
上田敏はもちろんのこと
ざっと数えるだけで20人近くの名が挙がるほど
翻訳家、フランス文学者、詩人らによって
いろいろな訳が試みられてきました。

そして
ランボーであるゆえにか
翻訳であるゆえにか
ほかの理由からか
原作が
一つの作品、
一つのフレーズ、
一つの語句であっても
それぞれの翻訳は
まったく異なる作品のように現れることになりました。

その一例を次の

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

で見ることにします。

「酔ひどれ船」の中の
この第10連は
荒れ狂う海で見る夢の中の情景の
中原中也訳ですが
この第10連だけでも
ほかの翻訳がどんなかを見ておくことにします。

<柳田健の訳>「醉ひどれの舟」

自分は、物静かに海洋の眼へとのぼりくる接吻、
恍として雪ふる青き夜を夢みた。異常なる液力の
循環と歌唄ひなる燐光の黄色と青色の警戒を夢みた。

<上田敏の訳>「酔ひどれ船」

夜天の色の深(こ)みどりはましろの雪のまばゆくて
静かに流れ、眼にのぼるくちづけをさへゆめみたり。
世にためしなき霊液は大地にめぐりただよひて
歌ふが如き不知火の青に黄いろにめざむるを。

<堀口大学の訳>「酔いどれ船」

我見たり、雲母雪(きららゆき)ふる青き夜ぞ、
静々と海の瞳へ昇り来(こ)し接吻(くちづけ)を、
壮大なる生気の巡り充ち満ちて、
歌いつつ青に黄に燐火と化して燃え立つを。

<金子光晴の訳>「酔つぱらひの舟」

 目もくらむ光の雪と降る良夜。
ものやさしくも、海の睫をふさぐ接吻や、
水液のわき立ちかへるありさまや、
唄ひつれる夜光虫の大群が、黄に青に変わるのを夢に見た。

<鈴木信太郎の訳>「酩酊船」

ゆくらゆくらに昇り来て 海の瞳に接吻くる、
燦々と眩き雪の 緑の夜を、
未聞の生気溌剌と循環するを、はた 歌を
唄ふ燐光 黄に青に眼醒むるさまを、われ夢みたり。

<小林秀雄の訳>「酩酊船」

まばゆきばかり雪の降り、夜空の色は緑さし、
海を離れてゆらゆらと、昇る接吻も眼のあたり。
未聞の生気はたゞよひて、歌ふが如き燐光の
青色に黄色に眼醒むるを、われはまた夢みたり。

 □ □ □

このほかの新しい訳が、
まだたくさんありますが
今回は比較的古い訳を紹介するにとどめます。

(つづく)

*

酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来のよ!精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2011年8月24日 (水)

ランボー・ランボー<17>中原中也の「酔ひどれ船」を読む・その4

時には地極と地帯にあき果てた殉教者さながら海は
すすり泣いて私=船をあやしなだめ
黄色い吸い口がある仄暗い花をかざして見せた
その時私=船は立て膝をつく女のようであった。

半島が近づいて揺らぎ金褐色の目をした
怪鳥の糞を撒き散らす
こうしてまた漂流してゆけば、船のロープを横切って
水死体が幾つも後方に流れて行ったこともあった……

私=船でさえ浦という浦で乱れた髪に踏み迷う有様で
鳥も棲まない大気までもハリケーンによって投げられたら
モニター艦もハンザの船も
水に酔っ払ってしまった私=船の死体を救出してくれることもないだろう、

思うままに、煙を吹き出し、紫色の霧を吐き上げて
黒い海馬に守られて、狂った小舟は走っていた
7月が、丸太棒を打つかのように
燃える漏斗形の紺青の空を揺るがせた時、
(夏の海の紺青の空が「ロート」の形に捉えられたのです。)

私=船は震えていた、50里の彼方で
ベヘモと渦潮(メールストローム)が発情する気配がすると
ああ永遠に、青く不動の海よ
昔ながらの欄干にもたれるヨーロッパが恋しい!
(「欄干」も中原中也に詩に出てきます。)

私=船は見た! 天を飛ぶ群鳥を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流者たちに開放されていた
底知れぬこんな夜に眠ってはいられない、もういないのか
おお、百万の金の鳥、未来よ! 精力よ!

だが、思えば私=船は慟哭し過ぎた。曙光は胸を抉(えぐ)り
月はおどろしく太陽は苦かったから。
どぎつい愛は心をとろかして私=船をいかせてしまい縛りつけてしまった。
おお! 竜骨も砕けてしまえ、私=船も海に沈んでしまおう!

もし私=船がヨーロッパの水を欲しているとしても、それはもはや
黒い冷たい林の中の池水で、そこに風薫る夕まぐれに
子どもは蹲(しゃが)んで悲しみでいっぱいになって、放つのだ
5月の蝶とかいたいけない笹小舟。

おお波よ、ひとたびお前の倦怠(けだい)にたゆたっては
棉船の水脈をひく航跡を奪ってしまうわけにもいかず
旗と炎の驕慢を横切りもできず
船橋の、恐ろしい眼の下を潜り抜けることも出来ないってことなのさ。
(「倦怠」も、ここでは「けだい」と読みました。多少なりとも、「倦怠」でランボーと中原中也がクロスします。)

無理やりに整合性を取ろうとして
語句と語句、詩句と詩句を結びつけようとしては
ランボーを壊しかねない、というスタンスを
求められるような読みになります。

飛躍、省略、矛盾……は
四角四面の石頭に心地よく響くはずです。

めくるめく万華鏡……。
色彩の天国地獄……。
想像の変幻無限……。

(つづく)

*

酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来のよ!精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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ランボー・ランボー<16>中原中也の「酔ひどれ船」を読む・その3

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

これは「酔ひどれ船」の第10連で
大洋に出た船が
猛(たけ)り狂う現実の海のさ中にあって
目も眩(くら)むばかりの雪が降り積もった緑の夜を
夢に見る、という展開を見せるくだりです。

雪の白が夜の中で緑を帯びる眩(まばゆ)い光景に
接吻(くちづけ)が海の上にゆらりゆらりと立ち昇ってくる
(というのは、太陽が昇ってくる朝の景色でしょうか)
かつて聞いたこともない生気がぐるぐると循環し
歌うような(赤い)燐光は青や黄色に映えていっそう鮮烈さを増した

大海原に雪が降り積もり緑色を帯びている夜の夢が
太陽の昇るシーンへ場面転換し
めくるめく色彩の乱舞するサンライジングのあざやぎ!

(「あざやぐ」は、中原中也がよく使う造語です。「あゝ! 過ぎし日の 仄燃えあざやぐ
をりをりは」の例が「含羞」にあるほかにも、いくつかが使われています。)

私=船は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小屋に似た大波が暗礁にぶつかっていくのに
もしもあの光り輝くマリアの御足が
お望みとあらば大洋に猿轡(さるぐつわ)をかませ給うたままであったのにも気付かず
に。

船は衝突した、世にも不思議なフロリダ州
人の肌の色をした豹の目は、群れなして咲く花々にまじって
手綱のように張り詰めた虹は遙か彼方の沖合いで
海の緑の色をした畜獣の群れに、混ざり合っている。

私=船は見た、沼かと見間違えそうな巨大な魚簗(やな)が沸き返り
そこにリバイアサンの仲間が草にからまり腐ってゆき
凪の中心に海水は流れ込み
遠くの方の深みをめがけて滝となって落ちているのを。

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠(オキ)のような空
褐色の入江の底にはぞっとする破船の残骸
そこに大蛇(おろち)が虫の餌食になって
くねくねと曲がった木々の枝よりもどす黒い臭気を放って死んでいた。

子どもらに見せてやりたかった、碧い波に浮いている鯛や
そのほか、金色の魚、歌う魚
(漚=オウの花とは「泡沫」がかなり近い言葉でしょうか)
泡沫=うたかたは、私=船の漂流を祝福し
なんともいえない風が吹いて時々は航行を進めてくれるのだった。

ここで第15連までです。
あと残り10連あります。

論理的にだけ捉えようとすると
ランボーの詩は
するりと指の間から滑り落ちていってしまうかもしれませんから
説明を省いて
読者個人個人の想像力にまったほうがよいことが多々あるようです。

(つづく)

*

酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来のよ!精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2011年8月23日 (火)

ランボー・ランボー<15>中原中也の「酔ひどれ船」を読む・その2

第2連

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

ここの「私」は
「船」です。
フラマンの小麦や
イギリスの綿花を運ぶ仕事なんて
どうでもよかった
曳船人たちの騒動がおさまってから
(曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは)
河は思うがまま航行させてくれたのだ、と読みます。

波が荒れ狂う中を、過ぎ去った冬のこと
子どもの頭よりもきかんぼうに漂ったことがあったっけ!
(「聾乎(ぼつ)として」は「聞き分けのない」の意味の中也的翻訳です。)
滅茶苦茶に漂流しまくった、って感じ。
怒涛の波に洗われる半島の周辺といえども
その時ほど荒れ狂ったことはない、凄まじい動乱だったさ。

嵐は私=船の警戒ぶりを褒めたたえたよ。
浮きよりも軽々と波間におどったもんだ
それまで犠牲になった者たちを永遠にもてあそんでいる波の間に放り出されて
幾夜も幾夜も艫(とも)の灯に目が疲れるなんてことも気にならなかった

子どもが食べるすっぱいリンゴよりしんみりした
(「しんみり」は「熟す」で「甘酸っぱい」の意味か、ここも中也らしい。)
緑の海水は樅(もみ)の木でできた船体に染み込むことだろう
安酒アブサンやゲロの痕が、舵も錨もなくなった私=船に
やたらと刻まれることになった。
(船がアルコール臭のするゲロの臭気で満ちていた)

その時からだ、(真に)海の歌を浴びたのは。
星をちりばめたミルクのような夜の海に
生々しくも船の吃水線が青ずんで、緑の空に溶け込みそうなところを
丁度、一人の水死人が、何か考え込むように落ちて行く。

そこにたちまちにして蒼―い(あおーい)色が浮かび、おどろおどろしく
また太陽のかぎろいがゆるゆるしはじめる、その下を
アルコールよりもずっと強く、オルゴールよりも渺茫として
愛執の、苦い茶色が混ざって、漂ったのだ!
(青、緑のグラデーションに、黄色、赤、茶色……の眩暈!)

私=船は知っている。稲妻に裂かれる空、竜巻を
打ち返す波、潮を。夕べを知っている、
群れ立つ鳩に、上気したようなピンクの朝日を、
また、人々がにおぼろげに見たような(幻を)この目で見た。

落日は、不可思議なるものの畏怖に染まり
紫色の長い長い塊(かたまり)を照らし出すのは
古代ギリシアの劇の俳優たちか
巨大な波が遠くの方で逆巻いている。

ここまでで
全詩の3分の1を少し行ったところです。

(つづく)

*

酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来のよ!精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2011年8月22日 (月)

ランボー・ランボー<14>中原中也の「酔ひどれ船」を読む・その1

ランボーの詩ってどんなものだろうと
はじめて関心をいだいた読者が
早い時期に「酔いどれ船」を手に取ることは間違いありません。

「酔いどれ船は
冒頭の1連で
赤い肌をした無頼漢どもが
船を操る水夫たちに代わって
舵を取ることになった航海のはじまりが告げられるのですが
そのはじまりを告げる「私」が
この「船」であることに気づくまでに
しばらくの時間がかかるような晦渋な詩です。

赤肌人とは海賊かなにかで
これまで船を操っていた曳船人を捕まえては
裸にして
色鮮やかな棒杭に縛りつけてしまいます。
縛りつけるというより
釘付けにしてしまうというのですから
かなり荒っぽい残虐なイメージで
船に革命が起きたことを表現するのです。

これが
4行構成の第1連で
この、酔っ払ったような航海を
「酔いどれ船」というタイトルで
全部で25連にわたって記述していきます。

はじめは
大河を下る船ですが
いつしか
大洋をあてどなく漂流する船になり
フラマンの小麦やイギリスの棉花を運ぶ任務もなくなり
舵も錨もない
解放された航海が続くことになります。

(つづく)

*

酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来のよ!精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2011年8月20日 (土)

ランボー・ランボー<13>海を知らない少年が書いた「酔ひどれ船」

いったい
「ランボーという事件」は
何なのだろう
と、少し引いたところで問うてみれば
一つに
ランボーが書いた詩の圧倒的な空前絶後の傑出ぶり――。
もう一つに
ランボーの実人生の前人未到の軌跡――。
この二つのことが言えることでしょう。

この二つの魅力は
絡まりあっていて
「あざなえる縄の如し」の状態ですから
分離して考えることがむずかしいのですが
書かれた詩が
詩人の行動によって
評価の高下を左右されるものではなく
その逆も真であるならば
一つ一つを個別に検討しても
不自然にはならないことでしょう。

ランボーは詩人ですから
まずは
その詩が人々の目にふれ
やがてその人となりや行動の軌跡なりに関心が向けられ……
という順序が描かれて当然ですが
そんな順序は無意味なのも
ランボーという事件の特徴かもしれません。

「パリの連中に見せてやる」目的で書かれた
「酔いどれ船」の存在が
そもそも世界に明るみになったのは
ポール・ベルレーヌが「呪われた詩人たち」を公刊した
1888年でした。
「酔ひどれ船」を書いて
20年近くの歳月が流れ
ランボーはこの時すでに
詩を捨てて
アデンの商人になっていました。

「呪われた詩人たち」が公刊されなければ
自筆原稿もいまだに見つかっていない「酔ひどれ船」は
だれにも読まれることがなかったのかも知れず
ベルレーヌが所有していた筆写原稿の中に
埋もれてしまうだけであったのかも知れませんが
(運命の仕業によってとでもいうべき)
奇跡と必然の力によって
この世に生まれることになったのです。

その内容は

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

と冒頭にあるように
河を下って行く私の漂流記なのですが
この私は船であり
船が主人公であり
語り手でもあるという独創を知るまでに
読者はいくらかの時間をかけねばならないのが常であるような
一大絵巻なのです。

この詩を書いたとき
ランボーは
海を見たことがなく
すべてが想像力の産物であったということが知られて
ますます読者は
現代の読者であっても
昭和初期の読者であっても
圧倒されてしまうのも当然で
「事件」に遭遇する読者は今も生まれ続けていますし
これからも生まれ続けるであろう珠玉といえるのです。

*

酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、

七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来のよ!精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2011年8月16日 (火)

ランボー・ランボー<12>現代表記で読む中原中也訳「酔ひどれ船」

中原中也が
アルチュール・ランボーを知ったのは
京都時代で
「大正13年夏富永太郎京都に来て、彼より仏国詩人等の存在を学ぶ」と
後に「詩的履歴書」に記すように
大正13年(1924年)、17歳のことでした。

上田敏訳の「酔ひどれ船」を
3回にわたって筆写し
大正14年後半の2回目の筆写は
鈴木信太郎訳の「少年時」の筆写稿とともに
綴じて保存していたことが知られています。

「酔ひどれ船」は
中原中也自身も翻訳していますが
ずっと後になる昭和10年のことで
短歌雑誌「日本歌人」の同年3月号に初出します。
この時の題名は「酔つた船」という口語で付けられました。

この初出稿は
「ランボオ詩抄」収録の際に
「酔いどれ船」と改められて
「ランボオ詩集」にも収められています。

ここでは
中原中也の「酔ひどれ船」を
現代仮名遣いに改めて
読んでおくことにしましょう。

(つづく)

*

酔いどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人(あかはだびと)等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸かのままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来のよ!精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2011年8月 3日 (水)

ランボー・ランボー<11>二つの「少年時」

中原中也は
昭和2年から3年にかけてのいつか(推定)
ランボーが作った散文詩「少年時」と
同題の詩を作ります。

この詩は
第一詩集「山羊の歌」が
「初期詩篇」を終えて
後半部の「恋愛詩」に入る導入の位置にあり
「少年時」のタイトルでありながら
遠い少年時代の回想の中に
失われた青春、失われた過去への
惜別の歌とも取れる内容になっています。

内容が
少年時代でありながら
つい最近の過去(近過去)を包含しているようにも解釈できて
それならば
長谷川泰子を小林秀雄に奪われてしまった
つい昨日の出来事を
歌っていると捉えることさへ
可能な作品です。
(もちろん、そのような深読みをしなくても構いません。)

ランボーの「少年時」が
5章構成の長編なのに比べれば
2行4連プラス3行2連、合計14行の変型ソネットで
短詩の類に入り
コンパクトといえるまとまりかたですが
繰り返し読んでいるうちに
豊かなイメージの湧いてくる作品です。

この詩の
冒頭から終行にいたるまでの全行が
ランボーの「少年時」の
第4章の末行

 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手
は空にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。
 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌
も泉の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

このあたりの影響を受けていることが
しばしば指摘されるところですから
この二つの詩を
味わい比べてみましょう。

二つの詩は
共通するイメージを歌う部分を持ちながら
まったく別の世界を
歌い出していることが分かるでしょう。

ランボーの「少年時」は
「酩酊船」とともに
中原中也がランボーの存在を
富永太郎や正岡忠三郎から聞き知って
初めて読んだ作品の一つです。

その詩と
同じタイトルであることは
中原中也が
いかにこの作品に心を込めていたかを示すものですが
この詩ばかりではなく
「少年時」というタイトルは
「ノート少年時」や
未発表詩篇の「少年時」(母を父を送り出すと)にも使われたのですから
鈴木信太郎訳のランボー「少年時」の筆写稿と合わせて
4回現れる計算になります。

「無題」(1927・8・29)以来よく彼の詩篇に現れる「木の下にいる小児」にはランボー
の「少年時」五の「薔薇の木蔭に死んだ児がゐる」の反映があり、初期詩篇に多い「姉
妹」も「少年時」にある。(「中原中也」角川文庫、昭和54年)
※上記引用中に「少年時」五とありますが、これは原文の間違いで、正しくは、「少年時」二です。編者。

と、大岡昇平が記していることも考えれば
「少年時」は「事件」であったのですし
「酩酊船」とともに
中原中也の「ランボーという事件」のはじまりでした。

(つづく)

 *
 少年時 中原中也

黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。
地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。
麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
 
翔(と)びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――
夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

*
 少年時  アルチュール・ランボオ 
     鈴木信太郎、小林秀雄共訳

        一

 この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人でありまたフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤を越えて、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘る。
 森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇をもつた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と海とは、その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。
 海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中には見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装身具、――巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無人に着飾って闊歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。
 何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。

        二

 薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐる)弟が、――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老人達は、丁字香の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。
 黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街道を辿れば、空家になつた宿屋に行き著く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。
――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人が住んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだが。
 草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は揚げられてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。
 魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が輪を描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合いに、雲がむらがり重つてゐた。

        三

森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。
時刻を打たない時計がある。
白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。
降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。
輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。
森の裾を貫く街道の上には、衣裳を著けた小さな俳優たちの一団が見える。
最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。

        四

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な動物のやうだ。
 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。
 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲しい洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。
 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。
 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

        五

 終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸してくれるのだ、――地の下の遙か彼方に。
 俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の興味もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。
 俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。泥は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。
 それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、火の井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれぬ。
 懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。俺は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは何故だらうか。

(「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」より、人文書院 昭和28年)

※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、( )内に記しましたが、現代カナに直しました。編者。

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2011年8月 2日 (火)

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2011年8月 1日 (月)

ランボー・ランボー<10>鈴木信太郎と小林秀雄のコラボ「少年時」「花」

「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」(人文書院 昭和28年)には
鈴木信太郎と小林秀雄が共訳した
「少年時」「花」がありますから
ここで読んでおくことにしましょう。

日本のランボー受入れ史で、次に重大なのは、鈴木信太郎の「少年時」「花」「虱を捜す女」の翻訳である。

と、大岡昇平の列挙する3作品を
眺めておくだけでも
「ランボー事情」を想像するのに役立つかもしれませんし
昭和28年の発行であり
どのような経緯で
鈴木信太郎と小林秀雄の共訳となったのかもわからないのですが
「近代仏蘭西象徴詩抄」(春陽堂、大正13年9月)に収録された
鈴木信太郎訳とが
まったくの別物になる理由も見当たりませんし
「先生と生徒のコラボレーション」を読む楽しみもありますので
ここに掲出しておきます。

小林秀雄が
東京帝大仏文科に入学したのは
中原中也が長谷川泰子とともに上京した直後の
大正14年の春でした。

帝大入学以前の
一高の時代から
富永太郎らとともに
ランボーに関心を抱いていた勢いは失せずに
入学直後から猛烈にフランス語の習熟に取りかかり
大正15年には「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を発表しているほどですから
教官の鈴木信太郎や辰野隆から
絶大の評価を受けていたことが推測できます。

(つづく)

*
 少年時

        一

 この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人でありまたフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤を越えて、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘る。
 森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇をもつた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と海とは、その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。
 海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中には見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装身具、――巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無人に着飾って闊歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。
 何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。

        二

 薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐる)弟が、――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老人達は、丁字香の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。
 黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街道を辿れば、空家になつた宿屋に行き着く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人が住んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだが。
 草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は揚げられてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。
 魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が輪を描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合に、雲がむらがり重つてゐた。

        三

森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。
時刻を打たない時計がある。
白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。
降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。
輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。
森の裾を貫く街道の上には、衣裳を着けた小さな俳優たちの一団が見える。
最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。

        四

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な動物のやうだ。
 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。
 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲しい洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。
 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。
 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

        五

 終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸してくれるのだ、――地の下の遙か彼方に。
 俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の興味もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。
 俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。泥は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。
 それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、火の井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれぬ。
 懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。俺は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは何故だらうか。

 *

 花

 黄金の階段から、――絹の紐、鈍色の薄紗、緑の天鵞絨と日向の青銅のやうに黒ずんだ水晶の円盤が入り乱れる間に、――銀と眼と髪の毛との細線で、織られた毛氈の上に、ぢぎたりすの花が開くのが見える。
 瑪瑙の上にばら撒かれた黄色い金貨、緑玉の円天井を支へてゐる桃花心木(アカジユウ)の柱、白繻子の花束と紅玉の細い鞭とは、水薔薇を取り囲む。
 巨きな青い眼で、雪のいろいろの形をした神様のやうに、海と空とは、この大理石の台の上に、若々しくて強烈な薔薇の群を引き寄せる。

(「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」より、人文書院 昭和28年)

※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、
( )内に記しましたが、現代カナに直しました。編者。

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