ランボー・ランボー<22>日記に現れる「ランボーという事件」
中原中也は
ランボーとの出会いを
「ランボーという事件」とはもちろん言っていませんが
京都で知り合った富永太郎から
ランボーの存在ほかフランス象徴詩の活動を知って
そのことで上京する決意を固めた
そのことがダダ詩人からの脱皮のきっかけになったのだとしたら
これを「事件」と言わずになんと言えばいいものか――。
そのほかに言いようがないので
「ランボーという事件」と言っておくのですが
では
その事件は
中原中也の日記の中に
どのように捉えられているでしょうか
それを見ることにします。
中原中也の日記が
現存するのは
昭和2年(1927年)からのものになりますが
最も古いのが
2月25日(金曜)
聖書。スチルネル。地理書。
ヴェルレエヌ。ボオドレエル。ラムボオ。
ロダン。植物・鉱物・動物。ゴリキイ。
余は当分の読書を、右の範囲に於てする。これは実に不思議なクリティク精神の顕現が与へた、論理的範囲なのである!
です。
ランボーは、
スタイナー
ベルレーヌ
ボードレール
ロダン
ゴーリキー
……の中に交じって
特別視されているほどではありません。
以下
3月3日(木曜)―5日(土曜)
私は一切を認識した、
(略)
(ランボオは愛がまだ責任のある時にカルチュアをもつ努力が出来た、現金的人気があつた、それであんなに早く歌が切れた。いいや、それはあとにヴェルレエヌがゐるからといふので安心したこともその理由ではある、それ位ランボオを純潔な人間と考へる位分る人には造作もないことだ!)
4月23日(土曜)
世界には詩人はまだ3人しかをらぬ。
ヴェルレエヌ
ラムボオ
ラフォルグ
ほんとだ! 3人きり。
5月29日(日曜)
すべてラムボオ以前の所謂自然詩人とは風景の書割屋也。
6月11日(土曜)―12日(日曜)
この自然詩人ランボオと
相違の所以。
あの自然詩人ワーズワース
7月19日(水曜)
ラムボオ 印象的情感+自己批評
ヴェルレエヌ 情感的印象+生きることについての心懸
7月29日(金曜)
Rimbaud est plus romaintique que Verlaine.
C’est seul différent entre ils.
8月6日(土曜)
ラムボオつて人はほんとに素晴らしいんだ。Commédie de la soifを読め。
人が一番直接歌ひたいことを正直に実践してゐる。
8月22日(月曜)
ランボオを読んでるとほんとに好い気持になれる。なんてきれいで時間の要らない陶酔が出来ることか!
茲には形の注意は要らぬ。
聖い放縦といふものが可能である!
10月2日(日曜)
ラムボオはVanityで自らを殺した。
これは私に分るだけのこと。
10月3日(月曜)
詩人のテーマは古来
ヴァニティと
情感(ヴェルレエヌの)と
恋との三種のみである。
(ポオのタメルランは一見例外だが、あれはヴァニチイに属す)、
11月4日(金曜)
ラムボオは自分のクリティクに魅領された。それが不可なかつた。
(「新編中原中也全集 第5巻 日記・書簡 本文篇」より)
◇
以上、ランボーの名前が現れる日記の
昭和2年の分だけを
拾いました。
名前が出ていなくても
ランボーに関連した記述は
いくらでもありそうですが
ここでは限定して
ピックアップしました。
支持の表明と
若干の批判と
ランボーへの見極めとが入り混じり
詩人固有の鋭敏な把握が散らばっています。
(つづく)
*
少年時 中原中也
黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。
地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。
麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
翔(と)びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――
夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!
(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
*
少年時 アルチュール・ランボオ
鈴木信太郎、小林秀雄共訳
一
この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人でありまたフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤を越えて、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘る。
森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇をもつた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と海とは、その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。
海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中には見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装身具、――巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無人に着飾って闊歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。
何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。
二
薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が石段を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐる)弟が、――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老人達は、丁字香の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。
黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街道を辿れば、空家になつた宿屋に行き著く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人が住んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだ
が。
草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は揚げられてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。
魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が輪を描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合いに、雲がむらがり重つてゐた。
三
森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。
時刻を打たない時計がある。
白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。
降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。
輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。
森の裾を貫く街道の上には、衣裳を著けた小さな俳優たちの一団が見える。
最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。
四
俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平和な動物のやうだ。
俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。
俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の物悲しい洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。
本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手は空にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。
辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌も泉の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。
五
終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸してくれるのだ、――地の下の遙か彼方に。
俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の興味もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。
俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。泥は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。
それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、火の井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれぬ。
懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。俺は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは何故だらうか。
(「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」より、人文書院 昭和28年)
※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、
( )内に記しましたが、現代カナに直しました。編者。
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