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2011年8月29日 (月)

ランボー・ランボー<21>「奇怪な三角関係」と「ランボーという事件」

大正13年に
京都に遊びに来ていた富永太郎から
ランボーを知って以来
「酔ひどれ船」の上田敏訳を筆写し
鈴木信太郎の著作「近代仏蘭西象徴詩抄」(大正13年9月刊)で
「少年時」
「花」
「虱捜す女」
……を読み
この「少年時」も筆写し
上田敏訳の「酔いどれ船」とともに綴じて保存した――。

アーサー・シモンズの「表象派の文学運動」の岩野泡鳴訳に読みふけり
正岡忠三郎から
原書・ペリション版「ランボオ作品集」を貰い受け
アテネ・フランセに通いはじめたのは
大正15年秋でした
同年10月には、小林秀雄の「人生斫断家アルチュル・ランボオ」が
東京帝大仏文科紀要「仏蘭西文学研究」に発表されます――。

中原中也は
小林秀雄の「人生斫断家アルチュル・ランボオ」を読み
感想を12月7日付け書簡で送ります――。

同日の日記全文に目を通しておきましょう。

 12月7日 小林秀雄宛
 先達から書いといた手紙、ない。ディクテの練習をした紙と一緒に卓子(テーブル)
の下に置いたか何かで、掃除の時棄てられたのだ。

「人生斫断家アルチュル・ランボオ」面白く読んだ。ランボオは僕を教へるよりも何より
も、「大乗」病を湧きたたす。

 地理の厖大な本を買った。何でもある、ホテルの名前まである。

 ぼうッと霧がして一切合切石盤石だ。お正月前の匂ひだ。冬の脆弱なくせに、辛辣なくしやみが出る。いやだいやだ。ぐちやぐちやな詩稿をとても清書する勇気が出ない。何れ君にはいろいろみせたいが。

僕には小説を読んだって詩を読んだって、また批評を読んだって、勉強にはならないことを此の頃知つた。ロビンソンクルーソー流のもの、歴史、地理、経済史などが、一番僕の生地を踊らすのだ。

 君の林檎の説はよく分るが、直哉が林檎だといふにおいて少しうなづけない。

 僕は直哉のものを読むと、これを書いた人は邪慳な人なんぢやないかと思ふ。 ではまた。
                              住所を変わつたら知らせて呉れたまへ
                                                        中也
   7日
   秀雄様

(「角川新全集第5巻 日記・書簡」より)

これを書いたとき
長谷川泰子が
小林秀雄のもとへと去って
1年が経過しています。 
「奇怪な三角関係」(小林秀雄)のただ中での書簡です。

「ランボーという事件」と
「奇怪な三角関係」は
ほぼ同時進行していました。

(つづく)

 *
 少年時 中原中也

黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
 
翔(と)びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

*
 少年時  アルチュール・ランボオ 
     鈴木信太郎、小林秀雄共訳

        一

 この偶像、眼は黒く髪は黄に、親もなく、侍者もなく、物語よりも気高く、メキシコ人で
ありまたフラマン人、その領土は、傲岸無頼の紺碧の空と緑の野辺、船も通はぬ波濤
を越えて、猛々しくもギリシャ、スラヴ ケルトの名をもて呼ばれた浜辺から浜辺に亘
る。
 森のはづれに、――夢の花、静かに鳴り、鳴り響き、光り輝く、――オレンヂ色の唇
をもつた少女、草原から湧き出る明るい流の中に組み合せた膝、裸身、虹の橋と花と
海とは、その裸身を暈(くま)どり、貫き、また着物で包む。
 海のほとりのテラスに渦巻く貴婦人の群。少女たちや巨大な女たち、緑青の苔の中
には見事な黒人の女、木立と雪解けの小庭の肥沃な土の上に、直立する宝石の装
身具、――巡礼の旅愁に溢れた眼の、うら若い母と大きな姉、トルコの王妃、傍若無
人に着飾って闊歩する王女達、背の低い異国の女、また物静かに薄命な女たち。
 何という倦怠だろう、「親しい肉体」と「親しい心」の時刻。

        二

 薔薇の茂みのうしろにゐるのは、彼女だ、死んだ娘だ。――年若くて亡つた母親が
石段を降る。――従兄の乗つた軽快な幌馬車は砂地を軋る。――(インドに住んでゐ
る)弟が、――夕陽を浴びて、あそこ、石竹の花咲く草原にゐる。――埋葬された老
人達は、丁字香の漂ふ砦に、すつくと立ちあがる。
 黄金の木の葉の群は、将軍の家を取り巻く。家中が南方に居るのだ。――赤い街
道を辿れば、空家になつた宿屋に行き著く。城は売りもの。鎧戸ははづされてゐる。
――教会の鍵を、司祭は持つて行つたのだらう。――庭園の周りの番小屋には、人
が住んでゐない。柵は高く、風わたる梢しか見えぬ。尤も、中には見るものもないのだ
が。
 草原を登つて行くと、鶏も鳴かぬ、鉄砧(かなしき)の音も聞えぬ小さな村落。閘門は
揚げられてゐる。ああ、立ち竝ぶ十字架の塚と砂漠の風車、島々と風車の挽臼。
 魔法の花々は呟いてゐた。勾配が静かに彼を揺つた。物語のやうに典雅な動物が
輪を描いてゐた。熱い涙の永遠により創り出された沖合いに、雲がむらがり重つてゐ
た。

        三

森に一羽の鳥がゐて、その歌が、人の足を止め、顔を赤くさせる。
時刻を打たない時計がある。
白い生き物の巣を一つ抱えた窪地がある。
降り行く大伽藍、昇り行く湖がある。
輪伐林の中に棄てられた小さな車、或はリボンを飾つて、小径を駆け下る車がある。
森の裾を貫く街道の上には、衣裳を著けた小さな俳優たちの一団が見える。
最後に、人が餓え渇する時に、何者か追ひ立てるものがある。

        四

 俺は、岡の上に、祈りをあげる聖者、――パレスチナの海までも牧草を喰って行く平
和な動物のやうだ。
 俺は陰鬱な肱掛椅子に靠れた学究。小枝と雨が書斎の硝子窓に打ちつける。
 俺は、矮小な森を貫く街道の歩行者。閘門の水音は、俺の踵を覆ふ。夕陽の金の
物悲しい洗浄を、いつまでも長く俺は眺めてゐる。
 本当に、俺は、沖合に遙かに延びた突堤の上に棄てられた少年かも知れぬ。行く手
は空にうち続く道を辿つて行く小僧かも知れぬ。
 辿る小道は起伏して、丘陵を金雀枝(えにしだ)は覆ふ。大気は動かない。小鳥の歌
も泉の声も随分遠くだ。進んで行けば、世界の涯(はて)は必定だ。

        五

 終に人は、漆喰の条目の浮き出した、石灰のやうに真つ白なこの墓を、俺に貸して
くれるのだ、――地の下の遙か彼方に。
 俺は卓子(てえぶる)に肘をつく。ランプは、俺が痴呆のやうに読み返す新聞や何の
興味もない書籍を、あかあかと照らしてゐる。
 俺の地底のサロンの上を遙かに遠く隔つて、人々の家が竝び立ち、霧が立ちこめる。
泥は赤く或は黒い。怪物の都会、果てしない夜。
 それより低くに、地下の下水道。四方は地球の厚みだけだ。恐らく藍色の深淵か、
火の井戸もあらう。月と彗星、海と神話のめぐり会ふのも、恐らくこの平面かもしれ
ぬ。
 懊悩の時の来る毎に、この身を、碧玉(サファイア)の球体、金属の球体と想ひなす。
俺は沈黙の主人。円天井の片隅に、換気窓のやうな一つの姿が、蒼ざめてゐるのは
何故だらうか。

(「ランボオ全集第2巻 飾画・雑纂・文学書簡他」より、人文書院 昭和28年)

※なるべく新漢字を使用し、原作のルビは、難読字や訳者独特の読み以外を排し、
( )内に記しましたが、現代カナに直しました。編者。

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