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2011年9月20日 (火)

ランボー・ランボー<28>「ランボーという事件」の達成・その4

大正13年(1924年)に
京都に遊んでいた富永太郎から
「仏国詩人等の存在を学」んで以来10余年
昭和12年(1937年)8月21日は
中原中也が亡くなる2か月前のことですから
「ランボオ詩集」の「後記」は
最終的なランボー観です。

そこに記されたのが
ランボー=パイヤン思想であり
ランボー詩=「生の原型」論であり
ランボー=「宝島」の発見でした。

分かりやすく「喩(ゆ)」で言われたこの「宝島」とは

それを一度見抜いてしまっては
忘れられもしないがまた表現することも出来ない

在るには在るが行き道の
分からなくなった宝島のごときものである。

――と換言されています。

ここのところで
中原中也が作った詩を
三つばかり想起してしまうのは
唐突なことでしょうか。

とりあえずその三つの詩を
ここに引いてみます。

 ◇

 幻影

私の頭の中には、いつの頃からか、
薄命さうなピエロがひとり棲んでゐて、
それは、紗(しや)の服なんかを着込んで、
そして、月光を浴びてゐるのでした。

ともすると、弱々しげな手付をして、
しきりと 手真似をするのでしたが、
その意味が、つひぞ通じたためしはなく、
あわれげな 思ひをさせるばつかりでした。

手真似につれては、唇(くち)も動かしてゐるのでしたが、
古い影絵でも見てゐるやう——
音はちつともしないのですし、
何を云つてるのかは 分りませんでした。

しろじろと身に月光を浴び、
あやしくもあかるい霧の中で、
かすかな姿態をゆるやかに動かしながら、
眼付ばかりはどこまでも、やさしさうなのでした。

 ◇

 言葉なき歌

あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処(ここ)で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い

決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼(め)のやうに遥かを見遣(みや)つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい

それにしてもあれはとほいい彼方(かなた)で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない

さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた

 ◇

 いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
                         ――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

  Ⅱ

否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ

されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

(つづく)

 

 *
 後記

(現代新聞表記版)

 私がここに訳出したのは、メルキュール版1924年刊行の「アルチュール・ランボー作品集」中、韻文で書かれたもののほとんど全部である。ただ数篇を割愛したが、そのためにランボーの特質が失なわれるというようなことはない。
 私はずいぶんと苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されているが分かりにくいという場合が少なくないのは、語勢というものに無頓着すぎるからだと私は思う。私はだからその点でも出来るだけ注意した。
 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となっているように気をつけた。
 語呂ということも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するようなことはしなかった。

     ★

 付録とした「失われた毒薬」は、今はそのテキストが分からない。これは大正も末の頃、ある日小林秀雄が大学の図書館かどこかから、写してきたものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボーに関する研究書の中から、小林が書き抜いてきたのであった、ことは覚えている。――テキストをご存知の方があったら、なにとぞ御一報くださるようお願いします。

     ★

 いったいランボーの思想とは?――簡単に言おう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信していた。彼にとって基督教とは、たぶん一牧歌としての価値をもっていた。
 そういう彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかったはずだ。その陶酔を発想するということも、はやほとんど問題ではなかったろう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン言っていることも、要するにその陶酔の全一性ということが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、しかも人類とはいかにそのとるに足りぬことにかかづらっていることだろう、ということに他ならない。

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまえと燃えていりゃあ
義務(つとめ)はすむというものだ、

 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見えるほど、忘れられてはいるが貴重なものであると思われた。彼の悲劇も喜劇も、おそらくはここに発した。
 ところで、人類は「食うため」には感性上のことなんか犠牲にしている。ランボーの思想は、だから嫌われはしないまでも容れられはしまい。もちろん夢というものは、容れられないからといって意義を減じるものでもない。しかしランボーの夢たるや、なんと容れられ難いものだろう!
 言い換えれば、ランボーの洞見したものは、結局「生の原型」というべきもので、いわばあらゆる風俗あらゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないがまた表現することも出来ない、あたかも在るには在るが行き道の分からなくなった宝島のごときものである。
 もし曲がりなりにも行き道があるとすれば、やっとべルレーヌ風の楽天主義があるくらいのもので、つまりランボーの夢を、いわばランボーよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、もちろん、それにしてもその夢は容れられはしない。ただべルレーヌには、いわば夢みる生活が始まるのだが、ランボーでは、夢は夢であって遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかった。
 ランボーの一生が、恐ろしく急テンポな悲劇であったのも、おそらくこういう所からである。

     ★

 終わりに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚くお礼を申し述べておく。
                                       〔昭和12年8月21日〕

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)

※「現代新聞表記」に改めてあります。「現代新聞表記」とは、現代かな遣い、常用漢字、現代送りがなを使用し、文語を口語に、常用漢字にない漢字(表外字)はひらがなに、副詞・接続詞なども原則的にひらがなを使用、さらに読点を適宜追加するなどして、読みやすくしたものです。
※ルビは( )内に示しました。編者。

 *
 後記
(原文)

 私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アルチュル・ランボオ作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数篇を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。
 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。
 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気を付けた。
 語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうなことはしなかつた。

     ★

 附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌
か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。――テキストを御存知の方があつたら、何卒御一報下さる様お願します。

     ★

 いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌としての価値を有つてゐた。
 さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかつた筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなかつたらう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つ
てゐることも、要するにその陶酔の全一性といふことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如何にそのとるに足りぬことにかかづらつてゐることだらう、といふことに他ならぬ。

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、

 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。
 所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れられ難いものだらう!
 云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。
 もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつと ルレーヌ風の楽天主義があるくらゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯 ルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかつた。
 ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ所からである。

     ★

 終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。
                                  〔昭和十二年八月二十一日〕

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)
※ルビは( )内に示しました。編者。

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