ランボー・ランボー<27>「ランボーという事件」の達成・その3
中原中也は
「ランボオ詩集」の「後記」に
ランボー=パイヤン論を提示した後
そういう彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかったはずだ。
――と述べて、ランボーの「感性的陶酔」について展開します。
そこで、
「陶酔の全一性」ということを言うのですが
「全一性」とは、
「完璧」「完全無欠」「無敵」と言い替えてもよいほどに
それ以外のことは取るに足らない些事(さじ=トリビュアル)であり
些事の対極にあるのが「全一性」ということなのですが
その些事に人類は血道をあげてばかりいる、と進めます。
「感性的陶酔」が、
新しい人類史を生むであろうと見なすほどに貴重なことと
ランボーには思えた、というのです。
ランボーの喜劇も悲劇もここにはじまったのである。
――と、しかし、双手をあげて賛意を表明することは控えるのですが……。
中原中也は、
人類は「食うため」にはどんなことでもやり遂げてきたけれど、
感性なんて犠牲にしてきたのだし、
今でもそうしているのだ。
こういうランボーの思想は、
嫌われはしまいが受け入れられることはあるまい。
まるで夢のようなことを言っているのだが、
夢というものは、
世間に受け入れられないからといって
意義を失うものではない。
ああ、
それにしてもランボーの夢とは、
なんと受け入れそうにもない夢なんだ!
――と、ランボーの夢に寄り添ってみせるのです。
そんな夢みたいなことは
世界に嫌われることはないにしても、
受け入れ難いことを言い添えるのです。
言い添えた上で、
世界に受け入れられない夢であっても、
その夢の果てにランボーが「洞見」したものは
「生の原型」というべき重大なもの、
それこそ「宝島」のようなものであると展開するのです。
ここが要(かなめ)です。
「生の原型」は、「あらゆる風俗あらゆる習慣以前」の「生の原理」であり、それを一度「洞見」=見抜いてしまったからには、忘れることはできないし、それを表現することもできない(貴重な)(大切な)ものなのだ。
確かに在ると分かっていながら、そこへどのようにすれば行く着くのか分からなくなってしまった「宝島」。
ランボーは、
それを発見したのだ、
と拍手を送ります。
そして、この道(行き道)があるとすれば、
ベルレーヌ!
その楽天主義くらいで、
ほかにはない。
ベルレーヌの道は、
ランボーよりもずっと無頓着な道だから、
ランボーとは異なる道なのだが、
ベルレーヌの夢にしても
世界から受け入れられることは難しい。
ただベルレーヌには、
「夢みる生活」がはじめられ、
生活自体が夢、夢自体が生活というような
行き道も帰り道もある夢なのだが、
ランボーの道は
夢は夢、生活は生活で
二つは繋がらないから、
世界が受け入れることはさらにないのだ。
ランボーの悲劇は、こうして生まれ、こうして急テンポなものだった――。
「異教徒=パイヤンの自由」が
ランボーの「洞見」を生んでいった経緯を
中原中也がこのように記したのは
昭和12年(1937年)8月21日のことで
この1か月後には
小林秀雄に「在りし日の歌」の清書原稿を託し
故郷山口に帰る予定でした。
「さらば東京! おゝわが青春!」と
「在りし日の歌」の後記に記して。
(つづく)
*
後記
(現代新聞表記版)
私がここに訳出したのは、メルキュール版1924年刊行の「アルチュール・ランボー作品集」中、韻文で書かれたもののほとんど全部である。ただ数篇を割愛したが、そのためにランボーの特質が失なわれるというようなことはない。
私はずいぶんと苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されているが分かりにくいという場合が少なくないのは、語勢というものに無頓着すぎるからだと私は思う。私はだからその点でも出来るだけ注意した。
出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となっているように気をつけた。
語呂ということも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するようなことはしなかった。
★
付録とした「失われた毒薬」は、今はそのテキストが分からない。これは大正も末の頃、ある日小林秀雄が大学の図書館かどこかから、写してきたものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボーに関する研究書の中から、小林が書き抜いてきたのであった、ことは覚えている。――テキストをご存知の方があったら、なにとぞ御一報くださるようお願いします。
★
いったいランボーの思想とは?――簡単に言おう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信していた。彼にとって基督教とは、たぶん一牧歌としての価値をもっていた。
そういう彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかったはずだ。その陶酔を発想するということも、はやほとんど問題ではなかったろう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン言っていることも、要するにその陶酔の全一性ということが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、しかも人類とはいかにそのとるに足りぬことにかかづらっていることだろう、ということに他ならぬ。
繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまえと燃えていりゃあ
義務(つとめ)はすむというものだ、
つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見えるほど、忘れられてはいるが貴重なものであると思われた。彼の悲劇も喜劇も、おそらくはここに発した。
ところで、人類は「食うため」には感性上のことなんか犠牲にしている。ランボーの思想は、だから嫌われはしないまでも容れられはしまい。もちろん夢というものは、容れられないからといって意義を減じるものでもない。しかしランボーの夢たるや、なんと容れられ難いものだろう!
言い換えれば、ランボーの洞見したものは、結局「生の原型」というべきもので、いわばあらゆる風俗あらゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないがまた表現することも出来ない、あたかも在るには在るが行き道の分からなくなった宝島のごときものである。
もし曲がりなりにも行き道があるとすれば、やっとべルレーヌ風の楽天主義があるくらいのもので、つまりランボーの夢を、いわばランボーよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、もちろん、それにしてもその夢は容れられはしない。ただべルレーヌには、いわば夢みる生活が始まるのだが、ランボーでは、夢は夢であって遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかった。
ランボーの一生が、恐ろしく急テンポな悲劇であったのも、おそらくこういう所からである。
★
終わりに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚くお礼を申し述べておく。〔昭和12年8月21日〕
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)
※「現代新聞表記」に改めてあります。「現代新聞表記」とは、現代かな遣い、常用漢字、現代送りがなを使用し、常用漢字にない漢字(表外字)はひらがなに、副詞・接続詞なども原則的にひらがなを使用、さらに読点を適宜追加するなどして、読みやすくしたものです。
※ルビは( )内に示しました。編者。
*
後記
(原文)
私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アル
チュル・ランボオ作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ
数篇を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなこと
はない。
私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳され
てゐるが分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過
ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。
出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気
を付けた。
語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうな
ことはしなかつた。
★
附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正
も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たもの
を私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌
か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が
書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。――テキストを御存知の方が
あつたら、何卒御一報下さる様お願します。
★
いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の
思想だ。彼はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌とし
ての価値を有つてゐた。
さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にも
なかつた筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなか
つたらう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つ
てゐることも、要するにその陶酔の全一性といふことが全ての全てで、他の
ことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如何にそのとるに足りぬことにかかづ
らつてゐることだらう、といふことに他ならぬ。
繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、
つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える
程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、
恐らくは茲に発した。
所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボ
オの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふ
ものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボ
オの夢たるや、なんと容れられ難いものだらう!
云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、
謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した
以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るに
は在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。
もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつと ルレーヌ風の楽天主義
があるくらゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと
無頓着に夢みる道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしな
い。唯 ルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、
夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個のことでしかなかつた。
ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ
所からである。
★
終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海
の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。
〔昭和十二年八月二十一日〕
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)
※ルビは( )内に示しました。編者。
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