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2011年10月

2011年10月31日 (月)

中原中也が訳したランボー「Ver erat」その2

(中原中也訳の「Ver erat」を読み進めますが
歴史的表記を現代表記に改変した上に
難漢字を書き換えたり
漢字をひらがなにしたり
文語を口語に変えたり
語句・句読点の追加削除や改行なども加えたりして
「意訳」を試みます。

これまでに
3節に分かれている詩の
1節目を読み終えました。)

それにしてもわたしの身体は
浮浪の長い歳月のために衰えが進んでいたので
わたしは緑色の川の岸辺に身を横たえて
たおやかなその呟きに聞き入りながらまどろみ
怠惰のかぎり
鳥のさえずりを聞き、
風の吹くのに身を任せて揺られていた。

そうしていると雌鳩らが谷間の空を飛び交い
その白い群れは、
キプロスの園に、ビーナスが摘んだ
薫り高い花の冠を咥(くわ)えていた。
雌鳩らは、静かに飛んで、わたしが寝そべっている
芝生のところにやってきて
わたしの周りで羽ばたいて
わたしの頭を取り囲み、わたしの両手を
草花の鎖で縛りつけたのだ。
また、こめかみを薫りよい桃金嬢で飾りつけ、
そうして軽々とわたしを空に連れ去った。

(※「桃金嬢」は、「ぎんばいか(銀梅花)」という常緑高木の植物で地中海原産。ドイツ語でMyrteミルテ。古代、葉を利用して、冠を編み、栄光のシンボルとした。現在も、花や葉を結婚式の飾りに使う。)

彼女らは雲の間を抜けて、
バラの葉の中でまどろんでいたわたしを運び、
風はその呼吸でゆるやかに、
わたしのささやかなベッドを丁寧に丁寧に整えた。

鳩らの生まれた住処に来れば
いきなりスピードをあげて飛び、
高山にあるその宮殿のような住処に入ったかと思うと
彼女らはわたしを打ち捨てて、
目を覚ましたわたしを置き去りにしてしまった。

おお! 小鳥らのやさしい塒(ねぐら)! 
……目を射る光は
わたしの肩の周りに広がり、
わたしの全身はその清らかな光でまとわれた。
その光には、影が混ざり、
わたしらの瞳を曇らせる光とはおよそ異なっていて
その清冽な素材はこの世のものではなかったのである。

天界の、それがなにかはわからないが、
ある神明というようなものが
わたしの胸に充ちてきて
大波のように漂うようであった。

やがて鳩らはまたやって来た
口々に調べのよい合唱を
こちらが指で指揮するのを喜んだ
アポロンの被っているのに似た、月桂樹の冠を携えて。

それから鳩らはその冠をわたしの額にかぶせるとすぐに
空が大きく開かれ、
めまいのするようなわたしの眼には
フェビュスが間近に雲の上、黄金色の雲の上に
飛翔し舞うのが見られた。

フェビュスはわたしの上にその神聖な腕を差し伸べ
また頭の上には、天上の炎で
「汝、詩人であれ!」と記したのだ。
するとわたしの身体に
異常な暖かさが昇ってきて、
その清澄に光り輝く
清い泉は太陽の光に燃え立った。

そうして鳩らは先ほどの姿を変身し
ビーナスらの合唱隊をつくり
優しい声で歌を歌えば
鳩らはその腕にわたしを抱きとって
空の方へと連れ去った。

3度、「汝、詩人であれ!」と呼んで、
3度わたしの額を月桂樹で装って
空の方へと連れ去った。

        1868年11月6日
          シャルルヴィル公立中学通学生
            アルチュル・ランボオ
      シャルルヴィルにて、1854年10月20日生

(※「シイプル」はキプロス島、「ヴェニュス」は、ビーナス、「フヱビュス」はアポロン神の別称、美神(ヹニュス)は、ミューズ。「角川新全集第3巻 翻訳」の巻末語註より)

 *
 1 Ver erat

春であつた、オルビリュスは羅馬で病ひに苦しんでゐた
彼は身動きも出来なかつた、無情な教師、彼の剣術は中止されてゐた
その打合ひの音(ね)は、我が耳を聾さなかつた
木刀は、打続く痛みを以つて我が四肢をいためることをやめてゐた。
機(をり)もよし、私は和やかな田園に赴(はし)つた
全てを忘(ばう)じ……転地と懸念のなさとで
柔らかい欣びは研究に倦んじた我が精神を休めるのであつた。
云ふべからざる満足に充たされ、我が心は無味乾燥の学校を忘れ、彼、教師の魅力なき学課を忘れ、
私ははるかな野面(のづら)を見遣り、春の大地のおもしろき、幻術を観るに余念なかつた。
子供の私は、かの田園の逍遥なぞと、洒落(しやれ)ることこそなかつたけれど
小さな我が心臓は、いと気高(けだか)き渇望に膨らむでゐた
如何なる聖霊が我が昂(たか)ぶれる五感にまで
翼を与へたか私は知らぬが、押黙つた歎賞を以て
我が眼は諸々の光景を打眺め、我が胸の裡(うち)に
やさしき田園への愛惜は忍び入るのであつた。マニェジイの磁石が或る見えざる力に因つて、音もなくありともわかぬ鉤(かぎ)もて寄する、かの鉄環の如くであつた。

それにしても私の四肢(てあし)は、我が浮浪の幾歳月(としつき)に衰へてゐたので、
私は緑色なす川の岸辺に身をば横たへ、
たをやけきそが呟きのまにまにまどろみ、怠惰のかぎりに
鳥らの楽音、風神(ふうしん)の息吹(いぶ)きに揺られてゐた。
さて雌鳩らは谷間の空に飛びかよひ
そが白き群は、シイプルの園に、ヴェニュスが摘みし
薫れりし花の冠を咬(くは)へてゐた。
雌鳩らは、静かに飛んで、我が寝そべつてゐる
芝生の方までやつて来て、私のまはりに羽搏《(はばた)》いて
私の頭(かうべ)を取囲み、我が双の手を
草花の鎖で以て縛(いまし)めた。又、顳顬(こめかみ)を
薫り佳き桃金嬢もて飾り付け、さて軽々(かろがろ)と私を空に連れ去つた
彼女らは雲々の間(あひだ)を抜けて、薔薇の葉に
仮睡(まどろ)みゐたりし私を運び、風神は、
そが息吹(いぶ)きもてゆるやかに、我がささやかな寝台《とこ》をあやした。
鳩ら生れの棲家に到るや
即ち迅き飛翔もて、高山(たかやま)に懸かるそが宮殿に入るとみるや、
彼女ら私を打棄てて、目覚めた私を置きざりにした。
おお、小鳥らのやさしい塒(ねぐら)!……目を射る光は
我が肩のめぐりにひろごり、我が総身はそが聖い光で以て纏はれた。
その光といふのは、影をまじへ、我らが瞳を曇らする
そのやうな光とは凡(おほよ)》そ異(ちが)ひ、
その清冽な原質は此の世のものではなかつたのだ。
天界の、それがなにかはしらないが或る神明(しんめい)が、
私の胸に充ちて来て大浪のやうにただようた。

やがて鳩らはまたやつて来た、嘴々(くちぐち)に
調べ佳き合唱を、指(および)もて指揮するを喜んだ
アポロンのそれに似た、月桂樹編んで造れる冠携(たづさ)へ。
さて鳩らそを我が額(ぬか)に被(かづ)けるとみるや
空は展(ひら)かれ、めくるめく我が眼(め)には、
フヱビュス親しく雲の上、黄金の雲の上、飛び翔けり舞ふが見られた。
フヱビュスは我が上にそが神聖な腕を伸べ、
又頭の上には、天上の炎もて
《汝(なんぢ)詩人たるべし!》と記(しる)した。すると我が四肢に
異常の温暖は昇り来り、そが清澄もて光り耀く
清らの泉は太陽の光に炎え立つた。
扨も鳩ら先刻(さき)にせる姿を改め、
美神(ヹニュス)等合唱隊(コーラス)を作(な)し優しき声もて歌を唱へば
鳩らそが腕に私を抱きとり、空の方へと連れ去つた
三度(みたび)《汝、詩人たるべし!》と呼び、三度(みたび)我が額(ぬか)を月桂樹もて装(よそほ)うて、
空の方へと連れ去つた。

     千八百六十八年十一月六日
       シャルルヴィル公立中学通学生
           ランボオ・アルチュル
    シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、二重パーレンは《 》に代えました。また、フヱビュスの「ヱ」は原作では小文字です。編者。

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2011年10月30日 (日)

中原中也が訳したランボー「Ver erat」

春であった、オルビリュスはローマで病いに苦しんでいた
彼は身動きも出来なかった、無情な教師、彼の剣術は中止されていた
その打ち合いの音は、我が耳を聾さなかった
木刀は、打ち続く痛みをもって我が四肢をいためることをやめていた。
機(おり)もよし、私は和やかな田園に赴(はし)った
全てを忘じ……転地と懸念のなさとで
柔らかい欣(よろこ)びは研究に倦んじた我が精神を休めるのであった。

(これは「Ver erat」という詩のはじまりの部分です。
「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の
巻頭にあります。
中原中也訳の原作を
単純に現代表記化してみますと
このような「逐語訳」が浮きあがってきます。
ラテン語からの重訳であることを
中原中也は意識して
故意に逐語訳を試みているのでしょうか。
もう少し現代表記化を続けてみます。)

言うべからざる満足に充たされ、我が心は無味乾燥の学校を忘れ、彼、教師の魅力なき学課を忘れ、
私ははるかな野面(のづら)を見遣り、春の大地のおもしろき、幻術を観るに余念なかった。
子供の私は、かの田園の逍遥なぞと、洒落(しゃれ)ることこそなかったけれど
小さな我が心臓は、いと気高(けだか)き渇望に膨らんでいた
如何なる聖霊が我が昂ぶれる五感にまで
翼を与えたか私は知らぬが、押し黙った歎賞を以て
我が眼は諸々の光景を打ち眺め、我が胸の裡(うち)に
やさしき田園への愛惜は忍び入るのであった。マニェジイの磁石が或る見えざる力に因って、音もなく
ありともわかぬ鉤(かぎ)もて寄する、かの鉄環の如くであった。

(このあたりまで来ると
歴史的表記を現代表記に改変しただけでは
読むのがつらくなってきますから
漢字をひらがなにしたり
用字の書き換えをしたり
語句・句読点の追加削除や改行なども加えて
「意訳」してみます)

言うに言われぬ満足感に充たされ
わたしの心は、無味乾燥な学校を忘れ
彼、つまり教師の魅力のない授業を忘れ
わたしは遙かな野原を見やり
春の大地の、
面白くて面白くてたまらないマジックを見るのに心を奪われていた。

子どものわたしは、田園逍遥などと洒落るつもりはなかったけれど
小さなわたしの心臓は、とても気高い渇望に膨らんでいた

どんな聖霊がわたしの高揚する五感にまで
翼を与えたかわたしは知らないが
言葉にならない感動で
わたしの眼は色々な光景を眺め
わたしの胸の内に
やさしい田園への愛惜の気持ちは忍び込んでいるのだった。

それは、マニェジイの磁石のようなもので
ある見えない力によって
音もなく
あるともわからない鉤で吸い寄せる
あの鉄の輪のようなものだった。

(ここまでで3分の1ほどです。
「Ver erat」とはラテン語で
「春であった」の意味で
詩の書き出しの一語がそのまま詩題にされています。
「オルビリュス」は、古代ローマの文人、
「マニェジイ」は磁石の産地として知られる小アジアの都市。
「角川新全集第3巻 翻訳」語註より)

 *
 1 Ver erat

春であつた、オルビリュスは羅馬で病ひに苦しんでゐた
彼は身動きも出来なかつた、無情な教師、彼の剣術は中止されてゐた
その打合ひの音(ね)は、我が耳を聾さなかつた
木刀は、打続く痛みを以つて我が四肢をいためることをやめてゐた。
機(をり)もよし、私は和やかな田園に赴(はし)つた
全てを忘(ばう)じ……転地と懸念のなさとで
柔らかい欣びは研究に倦んじた我が精神を休めるのであつた。
云ふべからざる満足に充たされ、我が心は無味乾燥の学校を忘れ、彼、教師の魅力なき学課を忘れ、
私ははるかな野面(のづら)を見遣り、春の大地のおもしろき、幻術を観るに余念なかつた。
子供の私は、かの田園の逍遥なぞと、洒落(しやれ)ることこそなかつたけれど
小さな我が心臓は、いと気高(けだか)き渇望に膨らむでゐた
如何なる聖霊が我が昂(たか)ぶれる五感にまで
翼を与へたか私は知らぬが、押黙つた歎賞を以て
我が眼は諸々の光景を打眺め、我が胸の裡(うち)に
やさしき田園への愛惜は忍び入るのであつた。マニェジイの磁石が或る見えざる力に因つて、音もなく
ありともわかぬ鉤(かぎ)もて寄する、かの鉄環の如くであつた。

それにしても私の四肢(てあし)は、我が浮浪の幾歳月(としつき)に衰へてゐたので、
私は緑色なす川の岸辺に身をば横たへ、
たをやけきそが呟きのまにまにまどろみ、怠惰のかぎりに
鳥らの楽音、風神(ふうしん)の息吹(いぶ)きに揺られてゐた。
さて雌鳩らは谷間の空に飛びかよひ
そが白き群は、シイプルの園に、ヴェニュスが摘みし
薫れりし花の冠を咬(くは)へてゐた。
雌鳩らは、静かに飛んで、我が寝そべつてゐる
芝生の方までやつて来て、私のまはりに羽搏いて
私の頭(かうべ)を取囲み、我が双の手を
草花の鎖で以て縛(いまし)めた。又、顳顬(こめかみ)を
薫り佳き桃金嬢もて飾り付け、さて軽々(かろがろ)と私を空に連れ去つた
彼女らは雲々の間(あひだ)を抜けて、薔薇の葉に
仮睡(まどろ)みゐたりし私を運び、風神は、
そが息吹(いぶ)きもてゆるやかに、我がささやかな寝台(とこ)をあやした。
鳩ら生れの棲家に到るや
即ち迅き飛翔もて、高山(たかやま)に懸かるそが宮殿に入るとみるや、
彼女ら私を打棄てて、目覚めた私を置きざりにした。
おお、小鳥らのやさしい塒(ねぐら)!……目を射る光は
我が肩のめぐりにひろごり、我が総身はそが聖い光で以て纏はれた。
その光といふのは、影をまじへ、我らが瞳を曇らする
そのやうな光とは凡(おほよ)そ異(ちが)ひ、
その清冽な原質は此の世のものではなかつたのだ。
天界の、それがなにかはしらないが或る神明(しんめい)が、
私の胸に充ちて来て大浪のやうにただようた。

やがて鳩らはまたやつて来た、嘴々(くちぐち)に
調べ佳き合唱を、指(および)もて指揮するを喜んだ
アポロンのそれに似た、月桂樹編んで造れる冠携(たづさ)へ。
さて鳩らそを我が額(ぬか)に被(かづ)けるとみるや
空は展(ひら)かれ、めくるめく我が眼(め)には、
フヱビュス親しく雲の上、黄金の雲の上、飛び翔けり舞ふが見られた。
フヱビュスは我が上にそが神聖な腕を伸べ、
又頭の上には、天上の炎もて
《汝(なんぢ)詩人たるべし!》と記(しる)した。すると我が四肢に
異常の温暖は昇り来り、そが清澄もて光り耀く
清らの泉は太陽の光に炎え立つた。
扨も鳩ら先刻(さき)にせる姿を改め、
美神(ヹニュス)等合唱隊(コーラス)を作(な)し優しき声もて歌を唱へば
鳩らそが腕に私を抱きとり、空の方へと連れ去つた
三度(みたび)《汝、詩人たるべし!》と呼び、三度(みたび)我が額(ぬか)を月桂樹もて装(よそほ)うて、
空の方へと連れ去つた。

     千八百六十八年十一月六日
       シャルルヴィル公立中学通学生
           ランボオ・アルチュル
    シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。また、二重パーレンは《 》に代え、フヱビュスの「ヱ」は原作では小文字です。編者。

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2011年10月29日 (土)

中原中也が訳したランボー「天使と子供」その3

中原中也訳の「天使と子供」は
ラテン語詩のフランス語訳詩から
日本語に訳した「重訳」です。

重訳であることの限界を
想像することができますが
ここでは研究を目指しませんから
そのことには深入りしないで
あくまでも
中原中也が訳した詩
中原中也が日本語に訳したランボーの詩を追いかけます。

すると
「天使と子供」が
リズムによって
音数律によって
整然と作られているのが見えてきます。

ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の

この第1行を
声に出して読んでみると分かるのですが

●●●●●●● ●●●●● ●●●●●●● ●●●●●
ながくはまたれ  すみやかに  わすれさられる しんねんの
7―5―7―5

と、きれいな七五になっています。

第2行以下も――

子供等喜ぶ元日の日も、茲に終りを告げてゐた!
●●●●●●●● ●●●●●●● ●●●●●●● ●●●●●
8―7―7―5

熟睡(うまい)の床(とこ)に埋もれて、子供は眠る
●●●●●●● ●●●●● ●●●●●●●
7―5―7

羽毛(はね)しつらへし揺籠(ゆりかご)に
●●●●●●● ●●●●●
7―5

音の出るそのお舐子(しやぶり)は置き去られ、
●●●●● ●●●●●●● ●●●●●
5―7―5

子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す
●●●●●●● ●●●●● ●●●●●●● ●●●●●
7―5―7―5

その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。
●●●●● ●●●●●●●● ●●●●● ●●●●● ●●●●●●●● ●●●●●
5―8―5―5―8―5

笑ましげの脣(くち)そと開けて、唇を半ば動かし
●●●●●●● ●●●●● ●●●●● ●●●●●●●
7―5―5―7

神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、
●●●●● ●●●●●●● ●●●●●●● ●●●●●
5―7―7―5

子供の上に身をかしげ、無辜な心の呟きに耳を傾け、
●●●●●●● ●●●●● ●●●●●●● ●●●●● ●●●●●●●
7―5―7―5―7

ほがらかなそれの額の喜びや
●●●●● ●●●●●●● ●●●●●
5―7―5

その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ
●●●●●●● ●●●●● ●●●●●●● ●●●●●
7―5―7―5

此の花を褒め讃へたのだ。
●●●●● ●●●●●●●●
5―8

――と、「字余り」もわずかです。
「字余り」がなくしては
整然としすぎて「変」と思えるほど
七五のリズムに貫かれているのです。

2節目も終節も
そうです。

破調といえるほどの
揺れもなく
この詩が七五調でできているという
理屈を意識させることもなく
この「天使と子供」は訳されています。

ランボーを
リズムの詩人が
とらえようとしている――
そんなことを言っても
おかしくはない翻訳です。

 *
 天使と子供

ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の
子供等喜ぶ元日の日も、茲に終りを告げてゐた!
熟睡(うまい)の床(とこ)に埋もれて、子供は眠る
羽毛(はね)しつらへし揺籠(ゆりかご)に
音の出るそのお舐子(しやぶり)は置き去られ、
子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す
その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。
笑ましげの脣(くち)そと開けて、唇を半ば動かし
神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、
子供の上に身をかしげ、無辜な心の呟きに耳を傾け、
ほがらかなそれの額の喜びや
その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ
此の花を褒め讃へたのだ。

《此の子は私にそつくりだ、
空へ一緒に行かないか! その天上の王国に
おまへが夢に見たといふその宮殿はあるのだよ、
おまへはほんとに立派だね! 地球住(ずま)ひは沢山だ!
地球では、真(しん)の勝利はないのだし、まことの幸(さち)を崇めない。
花の薫りもなほにがく、騒がしい人の心は
哀れなる喜びをしか知りはせぬ。
曇りなき怡びはなく、
不慥かな笑ひのうちに涙は光る。
おまへの純な額とて、浮世の風には萎むだらう、
憂き苦しみは蒼い眼を、涙で以て濡らすだらう、
おまへの顔の薔薇色は、死の影が来て逐ふだらう。
いやいやおまへを伴れだつて、私は空の国へ行かう、
すればおまへのその声は天の御国(みくに)の住民の佳い音楽にまさるだらう。
おまへは浮世の人々とその騒擾(どよもし)を避けるがよい。
おまへを此の世に繋ぐ糸、今こそ神は断ち給ふ。
ただただおまへの母さんが、喪の悲しみをしないやう!
その揺籃を見るやうにおまへの柩も見るやうに!
流る涙を打払ひ、葬儀の時にもほがらかに
手に一杯の百合の花、捧げてくれればよいと思ふ
げに汚れなき人の子の、最期の日こそは飾らるべきだ!》

いちはやく天使は翼を薔薇色の、子供の脣に近づけて、
ためらひもせず空色の翼に載せて
魂を、摘まれた子供の魂を、至上の国へと運び去る
ゆるやかなその羽搏きよ……揺籃に、残れるははや五体のみ、なほ美しさ漂へど
息づくけはひさらになく、生命(いのち)絶えたる亡骸(なきがら)よ。
そは死せり!……さはれ接唇(くちづけ)脣の上(へ)に、今も薫れり、
笑ひこそ今はやみたれ、母の名はなほ脣の辺(へ)に波立てる、
臨終(いまは)の時にもお年玉、思ひ出したりしてゐたのだ。
なごやかな眠りにその眼は閉ぢられて
なんといはうか死の誉れ?
いと清冽な輝きが、額のまはりにまつはつた。
地上の子とは思はれぬ、天上の子とおもはれた。
如何なる涙をその上に母はそそいだことだらう!
親しい我が子の奥津城に、流す涙ははてもない!
さはれ夜闌(た)けて眠る時、
薔薇色の、天の御国(みくに)の閾(しきみ)から
小さな天使は顕れて、
母(かあ)さんと、しづかに呼んで喜んだ!……
母も亦微笑(ほゝゑ)みかへせば……小天使、やがて空へと辷り出で、
雪の翼で舞ひながら、母のそばまでやつて来て
その脣(くち)に、天使の脣(くち)をつけました……

        千八百六十九年九月一日
          ランボオ・アルチュル
       シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の二重パーレンは《 》に代えました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年10月27日 (木)

中原中也が訳したランボー「天使と子供」その2

「天使と子供」を
現代表記+意訳して読んでおきます。
原作の詩を現代表記化するだけにとどめようとしながら
適宜、改行を入れたり
時には、ボキャブラリーを捕捉したりもします。
ざーっと目を通してみるのです。

 ◇

長く待たれ、速やかに、忘れさられる新年の
子どもらが喜ぶ元日の日も、ここに終わりを告げていた!

熟睡したベッドに埋もれて、子どもは眠る
羽毛をセットしたゆりかごに
音が出るおしゃぶりは置き忘れられ、
子どもはそれを幸福な夢の中で思い出す

その母のお年玉をもらった後で、天国のおじさんたちからまたもらう。
嬉しそうに口をそっと開けて、唇を半ば動かして
神様を呼ぶ心持。枕元には天使が立ち、
子どもの上に体を倒して、罪のない心の呟きに耳を傾け、
ほがらかなその額の喜びや
その魂の喜びや。南の風がまだ当たっていない
この花を褒めたたえたのだ。

(この子は私にそっくりだ、
空へ一緒に行かないか! その天上の王国に
お前が夢に見たというその宮殿はあるんだよ、
お前はほんとに立派だね! 地球住まいは沢山だ!
地球では、真の勝利なんてないのだし、真の幸福を大事にしない。

花の香りもいっそう苦く、騒がしい人の心は
哀れな喜びしか知りはしない。
曇りのない歓びはなく、
不確かな笑いの中に涙は光る。

お前の純粋な額だって、浮世の風には縮むだろう、
憂鬱な苦しみは青い目を、涙で濡らすだろう、
お前の顔のバラ色は、死の影が来て追うだろう。

いやいやお前を連れ立って、私は空の国へ行こう、
そうすればお前のその声は、天の御国の住民の佳い音楽よりも美しいだろう。
お前は浮世の人々との騒ぎを避けるとよい。
お前をこの世につなぐ糸を、今こそ神はお断ちになる。

ただただお前の母さんが、喪の悲しみをしないよう!
そのゆりかごを見るように、お前の棺も見るように!
流れる涙をうち払い、葬式の時にもほがらかに
手にいっぱいの百合の花、捧げてくれればよいと思う
本当に汚れのない人の子の、最期の日こそは飾ってあげてほしいもの!)

いちはやくも天使は翼をバラ色の、子どもの唇に近づけて、
ためらいなく空色の翼に乗せて
魂を、摘まれた子どもの魂を、至上の国へと運び去る
ゆるやかなその羽ばたきよ……ゆりかごに、残るはもう五体だけ、
みな美しさが漂っているけれど
呼吸する気配はいっこうになく、命のなくなった亡骸よ、
それは死んだ! ……ところがキスした唇の上に、今も香っている、
笑い声こそ今は止んで、母の名はなお口のあたりに波立っている、
死に臨んでもお年玉を思い出していたのだ。

なごやかな眠りにその目は閉じられて
なんと言おうか、死の誉れとでも?
とても清冽な輝きが、額の回りにまつわっている。
地上の子とは思われない、天上の子と思われた。

どんな涙をその上に母は注いだことだろう!
親しいわが子の墓に、流す涙は終わりがない!

ところで夜が更けて眠る時、
バラ色の、天の御国の領域から
小さな天使が現れて、
母さん、と静かに呼んで喜んだ!

母もまた微笑み返せば……その小さな天使は、やがて空へとすべり出て、
雪の翼で舞いながら、母のそばまでやって来て
その唇に、天使の唇をつけました……。

        1869年9月1日
          アルチュール・ランボー
      シャルルビルで、1854年10月20日生まれ

 *
 天使と子供

ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の
子供等喜ぶ元日の日も、茲に終りを告げてゐた!
熟睡(うまい)の床(とこ)に埋もれて、子供は眠る
羽毛(はね)しつらへし揺籠(ゆりかご)に
音の出るそのお舐子(しやぶり)は置き去られ、
子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す
その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。
笑ましげの脣(くち)そと開けて、唇を半ば動かし
神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、
子供の上に身をかしげ、無辜な心の呟きに耳を傾け、
ほがらかなそれの額の喜びや
その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ
此の花を褒め讃へたのだ。

《此の子は私にそつくりだ、
空へ一緒に行かないか! その天上の王国に
おまへが夢に見たといふその宮殿はあるのだよ、
おまへはほんとに立派だね! 地球住(ずま)ひは沢山だ!
地球では、真(しん)の勝利はないのだし、まことの幸(さち)を崇めない。
花の薫りもなほにがく、騒がしい人の心は
哀れなる喜びをしか知りはせぬ。
曇りなき怡びはなく、
不慥かな笑ひのうちに涙は光る。
おまへの純な額とて、浮世の風には萎むだらう、
憂き苦しみは蒼い眼を、涙で以て濡らすだらう、
おまへの顔の薔薇色は、死の影が来て逐ふだらう。
いやいやおまへを伴れだつて、私は空の国へ行かう、
すればおまへのその声は天の御国(みくに)の住民の佳い音楽にまさるだらう。
おまへは浮世の人々とその騒擾(どよもし)を避けるがよい。
おまへを此の世に繋ぐ糸、今こそ神は断ち給ふ。
ただただおまへの母さんが、喪の悲しみをしないやう!
その揺籃を見るやうにおまへの柩も見るやうに!
流る涙を打払ひ、葬儀の時にもほがらかに
手に一杯の百合の花、捧げてくれればよいと思ふ
げに汚れなき人の子の、最期の日こそは飾らるべきだ!》

いちはやく天使は翼を薔薇色の、子供の脣に近づけて、
ためらひもせず空色の翼に載せて
魂を、摘まれた子供の魂を、至上の国へと運び去る
ゆるやかなその羽搏きよ……揺籃に、残れるははや五体のみ、なほ美しさ漂へど
息づくけはひさらになく、生命(いのち)絶えたる亡骸(なきがら)よ。
そは死せり!……さはれ接唇(くちづけ)脣の上(へ)に、今も薫れり、
笑ひこそ今はやみたれ、母の名はなほ脣の辺(へ)に波立てる、
臨終(いまは)の時にもお年玉、思ひ出したりしてゐたのだ。
なごやかな眠りにその眼は閉ぢられて
なんといはうか死の誉れ?
いと清冽な輝きが、額のまはりにまつはつた。
地上の子とは思はれぬ、天上の子とおもはれた。
如何なる涙をその上に母はそそいだことだらう!
親しい我が子の奥津城に、流す涙ははてもない!
さはれ夜闌(た)けて眠る時、
薔薇色の、天の御国(みくに)の閾(しきみ)から
小さな天使は顕れて、
母(かあ)さんと、しづかに呼んで喜んだ!……
母も亦微笑(ほゝゑ)みかへせば……小天使、やがて空へと辷り出で、
雪の翼で舞ひながら、母のそばまでやつて来て
その脣(くち)に、天使の脣(くち)をつけました……

        千八百六十九年九月一日
          ランボオ・アルチュル
       シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の二重パーレンは《 》に代えました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年10月26日 (水)

中原中也が訳したランボー「天使と子供」

「ラシイヌ、ふふんだ、ヴィクトル・ユウゴオ……堪らない」。
――と、小林秀雄が案内したランボーの
駄々っ子振りの真偽のほどにここでこだわりませんが
ランボーが若き日に
ビクトル・ユーゴーに影響を受けたこと示す事実があります。
それが
ランボー作のラテン語詩「天使と子供」です。

ランボーは
「孤児等のお年玉」を書く数カ月前の
シャルルヴィル高等中学校在学中(14歳から16歳)に
多くのラテン語詩を制作したのですが
ほとんどが散逸してしまったもののうち幾つかが残り
「高等中学校時代の韻文詩」としてまとめられ
1932年にメルキュール・ド・フランス社から発行されました。

この本は主に
ラテン語詩に対してフランス語訳を付したもので構成されていて
中原中也は
ランボーが書いたラテン語詩の
フランス語訳の部分を翻訳しました。

昭和8年12月に三笠書房から刊行された
「ランボオ詩集《学校時代の詩》」がそれで
5作品が収録されています。
(角川新全集・解題篇)

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の中の
「天使と子供」という詩は
やがて書かれる「孤児等のお年玉」の予告篇のような作品で
死ぬ間際にも
お年玉をもらった楽しげな元日の思い出を
夢にみて眠る子どもの枕元に
天使が現れて天上の王国へ連れ去る、という内容を歌っています。

小林秀雄が
「人生斫断家アルチュル・ランボオ」の中で案内する
「地獄の季節」を書く詩人とは
想像もできない少年詩人が
ここにいます。

 *
 天使と子供

ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の
子供等喜ぶ元日の日も、茲に終りを告げてゐた!
熟睡(うまい)の床(とこ)に埋もれて、子供は眠る
羽毛(はね)しつらへし揺籠(ゆりかご)に
音の出るそのお舐子(しやぶり)は置き去られ、
子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す
その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。
笑ましげの脣(くち)そと開けて、唇を半ば動かし
神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、
子供の上に身をかしげ、無辜な心の呟きに耳を傾け、
ほがらかなそれの額の喜びや
その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ
此の花を褒め讃へたのだ。

《此の子は私にそつくりだ、
空へ一緒に行かないか! その天上の王国に
おまへが夢に見たといふその宮殿はあるのだよ、
おまへはほんとに立派だね! 地球住(ずま)ひは沢山だ!
地球では、真(しん)の勝利はないのだし、まことの幸(さち)を崇めない。
花の薫りもなほにがく、騒がしい人の心は
哀れなる喜びをしか知りはせぬ。
曇りなき怡びはなく、
不慥かな笑ひのうちに涙は光る。
おまへの純な額とて、浮世の風には萎むだらう、
憂き苦しみは蒼い眼を、涙で以て濡らすだらう、
おまへの顔の薔薇色は、死の影が来て逐ふだらう。
いやいやおまへを伴れだつて、私は空の国へ行かう、
すればおまへのその声は天の御国(みくに)の住民の佳い音楽にまさるだらう。
おまへは浮世の人々とその騒擾(どよもし)を避けるがよい。
おまへを此の世に繋ぐ糸、今こそ神は断ち給ふ。
ただただおまへの母さんが、喪の悲しみをしないやう!
その揺籃を見るやうにおまへの柩も見るやうに!
流る涙を打払ひ、葬儀の時にもほがらかに
手に一杯の百合の花、捧げてくれればよいと思ふ
げに汚れなき人の子の、最期の日こそは飾らるべきだ!》

いちはやく天使は翼を薔薇色の、子供の脣に近づけて、
ためらひもせず空色の翼に載せて
魂を、摘まれた子供の魂を、至上の国へと運び去る
ゆるやかなその羽搏きよ……揺籃に、残れるははや五体のみ、なほ美しさ漂へど
息づくけはひさらになく、生命(いのち)絶えたる亡骸(なきがら)よ。
そは死せり!……さはれ接唇(くちづけ)脣の上(へ)に、今も薫れり、
笑ひこそ今はやみたれ、母の名はなほ脣の辺(へ)に波立てる、
臨終(いまは)の時にもお年玉、思ひ出したりしてゐたのだ。
なごやかな眠りにその眼は閉ぢられて
なんといはうか死の誉れ?
いと清冽な輝きが、額のまはりにまつはつた。
地上の子とは思はれぬ、天上の子とおもはれた。
如何なる涙をその上に母はそそいだことだらう!
親しい我が子の奥津城に、流す涙ははてもない!
さはれ夜闌(た)けて眠る時、
薔薇色の、天の御国(みくに)の閾(しきみ)から
小さな天使は顕れて、
母(かあ)さんと、しづかに呼んで喜んだ!……
母も亦微笑(ほゝゑ)みかへせば……小天使、やがて空へと辷り出で、
雪の翼で舞ひながら、母のそばまでやつて来て
その脣(くち)に、天使の脣(くち)をつけました……

        千八百六十九年九月一日
          ランボオ・アルチュル
       シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の二重パーレンは《 》に代えました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に
入れました。編者。

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2011年10月25日 (火)

中原中也が訳したランボー「孤児等のお年玉」その5

「孤児等のお年玉」が
ビクトル・ユーゴー(やフランソワ・コペ)の影響を受けているといわれていて
そういえばこの詩の子どもたちが
「ああ、無情」の主人公ジャン・バルジャンに重なって
ジャン・バルジャンが幼い時に両親を亡くした生い立ちにはじまる
みなしごの物語であったことなどがなつかしく思い出されます。

ランボーもまた出身国の大先輩である文豪の作品を読んで
多少なりとも感化を受けたことを想像するのですが
小林秀雄の最初のランボー論で
「人生斫断家アルチュル・ランボウ」ののっけに

「偉大なる魂、疾(と)く来れ」、1871年10月「酩酊の船」の名調に感動したヴェルレエヌは、シャルルヴィルの一野生児を巴里に呼んだ。すばらしい駄々っ子を発見するものは、すばらしい駄々っ子でなければならない。「ラシイヌ、ふふんだ、ヴィクトル・ユウゴオ……堪らない」。

――と、ランボーが紹介されているのを読んでしまうと
ランボーのユーゴーから受けた影響とやらも
警戒して受け取らねばならない構えになります。

ランボーはそれくらいのことを
言い放ったって当然のことですが
ランボーが「孤児等のお年玉」を書いたのは
15歳か16歳ですから
純粋な面を見ておいたほうが
ランボーを真芯(ましん)で捉えることになりはしないでしょうか。

中原中也の訳は
そのあたりに敏感で
ランボーの純粋さを
失うまいとして純粋です。

というようなことがいえるのは
どんなところかというと……
例えば
いきなり

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。

――という冒頭3行を見るだけでも
フレーズをむやみに剪定した痕がない
考えすぎてしまって「角を矯めた」という語句でもない
強さとか
荒さとか
ここに語勢があります。

悲しいやさしいささやき

――と言ってしまうところが
中原中也です。

かなしいやさしいささやき
kanasii yasasii sasayaki
悲しいやさしい私話

この語勢は
訳詩の全行にわたって
集中されているところが
中原中也です。

 *

 孤児等のお年玉
 中原中也訳

    Ⅰ

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。
灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。
さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、
ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。

    Ⅱ

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、
低声で話をしてゐます、恰度暗夜に人々がさうするやうに。
遠くの囁でも聴くやう、彼等は耳を澄ましてゐます。
彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には
びつくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、
硝子の覆ひのその中で、金属的なその響き。
部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まはり)に散らばつた
喪服は床(ゆか)まで垂れてます。
酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いてゐて、
陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。
彼等は感じてゐるのです、何かゞ不足してゐると……
それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとつて、
それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛へてる母親なのではないでせうか?
母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れてゐたのでありませうか、
灰を落としてストーブをよく燃えるやうにすることも、
彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどつさり掛けることも?
彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云ひながら、
その晨方(あさがた)が寒いだらうと、気の付かなかつたことでせうか、
戸締(とじ)めをしつかりすることさへも、うつかりしてゐたのでせうか?
――母の夢、それは微温の毛氈です、
柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなつて、
枝に揺られる小鳥のやうに、
ほのかなねむりを眠ります!
今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。
二人の子供は寒さに慄へ、眠りもしないで怖れにわななき、
これではまるで北風が吹き込むための塒です……

    Ⅲ

諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。
養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……
そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。
つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……
今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、
恰度お祈りする時に、念珠を爪繰るやうにして。
あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。
明日(あした)は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
わくわくしながら玩具(おもちや)を想ひ、
金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、
しやなりしやなりと渦巻き踊り、
やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。
目を擦(こす)つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、
目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、
小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、
さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻(しき)つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

    Ⅳ

あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……
――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。
家中明るい灯火は明(あか)り、
それは洩れ出て外(そと)まで明るく、
机や椅子につやつやひかり、
鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
子供はたびたび眺めたことです、
鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、
戸棚の中の神秘の数々、
聞こえるやうです、鍵穴からは、
遠いい幽かな嬉しい囁き……
――両親の部屋は今日ではひつそり!
ドアの下から光も漏れぬ。
両親はゐぬ、家よ、鍵よ、
接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないまゝで、去(い)つてしまつた!
なんとつまらぬ今年の正月!
ジツと案じてゐるうち涙は、
青い大きい目に浮かみます、
彼等呟く、『何時母さんは帰つて来ンだい?』

    Ⅴ

今、二人は悲しげに、眠つてをります。
それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云はれることでせう、
そんなに彼等の目は腫れてその息遣ひは苦しげです。
ほんに子供といふものは感じやすいものなのです!……
だが揺籃を見舞ふ天使は彼等の涙を拭ひに来ます。
そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。
その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は
やがて微笑み、何か呟くやうに見えます。
彼等はぽちやぽちやした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、
やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。
そして、ぼんやりした目してあたりをずつと眺めます。
彼等は薔薇の色をした楽園にゐると思ひます……
パツと明るい竃には薪がかつかと燃えてます、
窓からは、青い空さへ見えてます。
大地は輝き、光は夢中になつてます、
半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、
陽射しに身をばまかせてゐます、
さても彼等のあの家が、今では総体(いつたい)に心地よく、
古い着物ももはやそこらに散らばつてゐず、
北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。
仙女でも見舞つてくれたことでせう!……
――二人の子供は、夢中になつて、叫んだものです……おや其処に、
母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、
ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光つてゐる。
それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、
チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、
みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。
                〔千八百六十九年末つ方〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

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2011年10月24日 (月)

中原中也が訳したランボー「孤児等のお年玉」その4

「孤児等のお年玉」は
中原中也が訳した「第2次ペリション版」(別称、メルキュウル版)では
冒頭に置かれてはいなかったのですが
ラコスト版(1939―1949年)や
プレイヤード版(1946年)
ガルニエ版(1960年)などが刊行されて
ランボー最初の詩作品としての認知が定着しました。
これら以降、
「初期韻文詩」や「前期韻文詩篇」などと分類された項目の
冒頭に置かれることが普及しました。

ランボーの作品では
「孤児等のお年玉」よりも前に書かれた「散文」があるため
ランボー詩集によっては
この「散文」を詩集冒頭に配置するものもあります。

僕が、はじめてランボオに出くわしたのは、23歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、と書いてもよい。向うからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、何の準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けたメルキュウル版の「地獄の季節」の見すぼらしい豆本に、どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。

――と戦後すぐに小林秀雄が
「ランボオの問題」(1947年、後に「ランボーⅢ」と改題)に記した「メルキュウル版」と
中原中也が
「ランボオ詩集」(1937年)の「後記」に記した「メルキュル版」とが
同一の出版物であったかどうかは別として
同じ「メルキュール版」であったことは間違いありません。

堀口大学(1892~1981年)が
昭和24年(1949年)3月に刊行した「ランボオ詩集」(新潮社)は
目次に「初期詩篇」の項目を立てていないものの
冒頭に「みなし児たちのお年玉」を置いていますから
「メルキュール版」よりも新しい原典を
使用(参照)していることが推察されます。

1895年生まれの詩人・金子光晴(~1975年)は
早くからランボーに関心の目を向け
ランボーの詩の翻訳も早くから手がけましたが
1984年発行の「ランボー全集」(斉藤正二、中村徳泰との共著、雪華社)では
「みなし児たちのお年玉」を冒頭詩篇としています。

ここで
堀口大学の「みなし児たちのお年玉」の「一」を
昭和24年版「ランボオ詩集」と平成23年88刷の「ランボー詩集」で
金子光晴の「みなし児たちのお年玉」の「Ⅰ」を
1984年発行の「ランボー全集」(雪華社)で
あわせて読んでおきます。

 *
 みなし児たちのお年玉
 堀口大学訳 (昭和24年新潮社名作詩集)

 一
部屋のなかはもの陰で一ぱい。二人の子供たちの
わびしげな音なしやかな私語(ささやき)が聞えるばかり。
垂れ長の白カーテンの揺れ動く裾のあたりで
醒めきらぬ夢の重さに二人の額もうなだれがち。
戸外では、寒むそうに、小鳥達が、目白押し、
灰色の空のもと、彼等の翼(つばさ)も重たさう。
雲霧の供ぞろへいかめしい青陽の新年は
雪白の裳裾長々引きずつて
泣きながら笑つたり、寒さにふるへる声あげて歌つてみたり。

 *
 みなし児(ご)たちのお年玉
 堀口大学訳 (昭和26年新潮文庫、平成19年84冊改版、同23年88刷)

 一
部屋(へや)のなかはもの陰でいっぱい。二人の子供たちの
わびしげなおとなしやかな私語(ささやき)が聞えるばかり。
垂(た)れ長の白カーテンの揺れ動く裾(すそ)のあたりで
覚(さ)めきらぬ夢の重さに二人の額(ひたい)もうなだれがち。
戸外では、寒そうに、小鳥達が、目白押し、
灰色の空のもと、彼等の翼(つばさ)も重たそう。
雲霧(くもきり)の供ぞろい、いかめしい青陽(せいよう)の新年は
雪白(せっぱく)の裳裾(もすそ)長々引きずって
泣きながら笑ったり、寒さにふるえる声あげて歌ってみたり。

 *
 みなし児たちのお年玉
 金子光晴訳 (1984年、雪華社)

 Ⅰ
 物影の多い部屋のうちで、二人の子供の
いぢらしい、小声のささやきがぼそぼそときこえる。
 風におののく白いカーテンが、時々捲(ま)きあがる下で、
すっかりまださめきらないような、うっとりしたおももちで彼らは、頭を傾(かし)げる。
家の外では小鳥らが、寒さにからだをよせあい、
灰一色の空へ、おもい翼が飛びたちかねている。
新しい年は、深霧を身にまとい、
雪の衣裳(いしょう)のながい、襞裾(ひだすそ)をうしろにひきずってやって来て、
涙いっぱいな眼でほほえみかけ、
かじかんだ唄(うた)をうたう。

 *

 孤児等のお年玉
 中原中也訳

    Ⅰ

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。
灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。
さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、
ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。

    Ⅱ

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、
低声で話をしてゐます、恰度暗夜に人々がさうするやうに。
遠くの囁でも聴くやう、彼等は耳を澄ましてゐます。
彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には
びつくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、
硝子の覆ひのその中で、金属的なその響き。
部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まはり)に散らばつた
喪服は床(ゆか)まで垂れてます。
酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いてゐて、
陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。
彼等は感じてゐるのです、何かゞ不足してゐると……
それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとつて、
それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛へてる母親なのではないでせう
か?
母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れてゐたのでありませうか、
灰を落としてストーブをよく燃えるやうにすることも、
彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどつさり掛けることも?
彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云ひながら、
その晨方(あさがた)が寒いだらうと、気の付かなかつたことでせうか、
戸締(とじ)めをしつかりすることさへも、うつかりしてゐたのでせうか?
――母の夢、それは微温の毛氈です、
柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなつて、
枝に揺られる小鳥のやうに、
ほのかなねむりを眠ります!
今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。
二人の子供は寒さに慄へ、眠りもしないで怖れにわななき、
これではまるで北風が吹き込むための塒です……

    Ⅲ

諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。
養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……
そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。
つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……
今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、
恰度お祈りする時に、念珠を爪繰るやうにして。
あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。
明日(あした)は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
わくわくしながら玩具(おもちや)を想ひ、
金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、
しやなりしやなりと渦巻き踊り、
やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。
目を擦(こす)つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、
目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、
小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、
さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻(しき)つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

    Ⅳ

あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……
――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。
家中明るい灯火は明(あか)り、
それは洩れ出て外(そと)まで明るく、
机や椅子につやつやひかり、
鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
子供はたびたび眺めたことです、
鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、
戸棚の中の神秘の数々、
聞こえるやうです、鍵穴からは、
遠いい幽かな嬉しい囁き……
――両親の部屋は今日ではひつそり!
ドアの下から光も漏れぬ。
両親はゐぬ、家よ、鍵よ、
接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないまゝで、去(い)つてしまつた!
なんとつまらぬ今年の正月!
ジツと案じてゐるうち涙は、
青い大きい目に浮かみます、
彼等呟く、『何時母さんは帰つて来ンだい?』

    Ⅴ

今、二人は悲しげに、眠つてをります。
それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云はれることでせう、
そんなに彼等の目は腫れてその息遣ひは苦しげです。
ほんに子供といふものは感じやすいものなのです!……
だが揺籃を見舞ふ天使は彼等の涙を拭ひに来ます。
そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。
その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は
やがて微笑み、何か呟くやうに見えます。
彼等はぽちやぽちやした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、
やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。
そして、ぼんやりした目してあたりをずつと眺めます。
彼等は薔薇の色をした楽園にゐると思ひます……
パツと明るい竃には薪がかつかと燃えてます、
窓からは、青い空さへ見えてます。
大地は輝き、光は夢中になつてます、
半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、
陽射しに身をばまかせてゐます、
さても彼等のあの家が、今では総体(いつたい)に心地よく、
古い着物ももはやそこらに散らばつてゐず、
北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。
仙女でも見舞つてくれたことでせう!……
――二人の子供は、夢中になつて、叫んだものです……おや其処に、
母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、
ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光つてゐる。
それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、
チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、
みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。
                〔千八百六十九年末つ方〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

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2011年10月23日 (日)

中原中也が訳したランボー「孤児等のお年玉」その3

「孤児等のお年玉」を
現代表記にし
少し意訳して読んでいますが
前半部を読んで分かるのは
少なくともこの詩の中原中也の翻訳は
文語体ではなく口語体です。

歴史的表記になっていて見えにくいのですが
昭和初期に一般的だった歴史的表記法以外に
日本語の表記法はなかったのですから
中原中也が
歴史的な表記に拠っていたのは
当たり前のことでした。

 4

ああ! 楽しかったこと! 何度も思い出されてくることか……
――それにひきかえ、変わり果てたこの家のありさま!
太い薪(たきぎ)は暖炉の中で、カッカカッカと燃えていたっけ。
家中が明るい灯でくまなく照らされ
それは洩れ出て家の外まで明るくし、
机や椅子につやつやと光り、
鍵をかけていない大きな戸棚、鍵をかけていない黒い戸棚を
子どもは度々眺めたことです。
鍵がないとは、ほんとに不思議! そこで子どもは夢みるのでした、
戸棚の中の神秘な色々なもの、
聞こえるようです、鍵穴からは、
遠ーい、かすかな嬉しい囁き声……
――両親の部屋は今日ひっそり!
ドアの下から光の一つ洩れてこない。
キスもおやすみの言葉もくれないまま、行ってしまった!
なんとつまらない今年の正月!
じっと不安に思っているうちに涙が
青い大きな目に浮びます、
二人は呟きます、「いつママは帰って来るんだい?」

 5

今、二人は悲しげに、眠っています。
それを見たなら、眠ったまま泣いていると皆さんはおっしゃることでしょう、
そんなにも彼らの目はふくれて、息遣いは苦しげです。
ほんとうに子どもというものは感じやすいものなのです!……
だけど、ゆりかごを見舞う天使が彼らの涙を拭いに来ます。
その夢が面白いので、半ば開けた彼らの口は
やがて微笑み、何かを呟くように見えます。
彼らは、バラ色の楽園にいるように思います……
パッと明るい竃(かまど)には薪がカッカと燃えています、
窓からは、青い空さえ見えています。
大地は輝き、光はくるめいています。
半枯れの野原のよみがえりが嬉しくて
陽射しに身を任せています、
そうしていると彼らのあの家が、今ではまったく心地よく、
古い着物類ももうそこいらに散らばっていないし
北風も扉の隙間からもう吹き込んではいませんでした。
仙女でも見舞ってくれたことでしょう!
――ママンのベッドのそばで明るい明るい陽射しを浴びて、
ほら、そこに、毛布の上に、何かキラキラ光っている。
それらみんな大きいメタル、銀や黒や白いのや、
チラチラ輝く黒い玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、水晶の王冠、
見れば金の字が彫り刻まれている、「僕らのママンに!」と。
                          <1869年末>

 *

 孤児等のお年玉
 中原中也訳

    Ⅰ

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。
灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。
さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、
ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。

    Ⅱ

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、
低声で話をしてゐます、恰度暗夜に人々がさうするやうに。
遠くの囁でも聴くやう、彼等は耳を澄ましてゐます。
彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には
びつくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、
硝子の覆ひのその中で、金属的なその響き。
部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まはり)に散らばつた
喪服は床(ゆか)まで垂れてます。
酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いてゐて、
陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。
彼等は感じてゐるのです、何かゞ不足してゐると……
それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとつて、
それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛へてる母親なのではないでせう
か?
母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れてゐたのでありませうか、
灰を落としてストーブをよく燃えるやうにすることも、
彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどつさり掛けることも?
彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云ひながら、
その晨方(あさがた)が寒いだらうと、気の付かなかつたことでせうか、
戸締(とじ)めをしつかりすることさへも、うつかりしてゐたのでせうか?
――母の夢、それは微温の毛氈です、
柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなつて、
枝に揺られる小鳥のやうに、
ほのかなねむりを眠ります!
今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。
二人の子供は寒さに慄へ、眠りもしないで怖れにわななき、
これではまるで北風が吹き込むための塒です……

    Ⅲ

諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。
養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……
そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。
つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……
今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、
恰度お祈りする時に、念珠を爪繰るやうにして。
あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。
明日(あした)は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
わくわくしながら玩具(おもちや)を想ひ、
金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、
しやなりしやなりと渦巻き踊り、
やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。
目を擦(こす)つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、
目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、
小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、
さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻(しき)つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

    Ⅳ

あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……
――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。
家中明るい灯火は明(あか)り、
それは洩れ出て外(そと)まで明るく、
机や椅子につやつやひかり、
鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
子供はたびたび眺めたことです、
鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、
戸棚の中の神秘の数々、
聞こえるやうです、鍵穴からは、
遠いい幽かな嬉しい囁き……
――両親の部屋は今日ではひつそり!
ドアの下から光も漏れぬ。
両親はゐぬ、家よ、鍵よ、
接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないまゝで、去(い)つてしまつた!
なんとつまらぬ今年の正月!
ジツと案じてゐるうち涙は、
青い大きい目に浮かみます、
彼等呟く、『何時母さんは帰つて来ンだい?』

    Ⅴ

今、二人は悲しげに、眠つてをります。
それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云はれることでせう、
そんなに彼等の目は腫れてその息遣ひは苦しげです。
ほんに子供といふものは感じやすいものなのです!……
だが揺籃を見舞ふ天使は彼等の涙を拭ひに来ます。
そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。
その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は
やがて微笑み、何か呟くやうに見えます。
彼等はぽちやぽちやした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、
やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。
そして、ぼんやりした目してあたりをずつと眺めます。
彼等は薔薇の色をした楽園にゐると思ひます……
パツと明るい竃には薪がかつかと燃えてます、
窓からは、青い空さへ見えてます。
大地は輝き、光は夢中になつてます、
半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、
陽射しに身をばまかせてゐます、
さても彼等のあの家が、今では総体(いつたい)に心地よく、
古い着物ももはやそこらに散らばつてゐず、
北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。
仙女でも見舞つてくれたことでせう!……
――二人の子供は、夢中になつて、叫んだものです……おや其処に、
母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、
ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光つてゐる。
それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、
チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、
みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。
                〔千八百六十九年末つ方〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

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2011年10月22日 (土)

中原中也が訳したランボー「孤児等のお年玉」その2

「孤児等のお年玉」を
現代表記にした上
少し意訳を加えて
読んでみます。

 1

薄暗い部屋。
ぼんやり聞えるのは
二人の子供の悲しいやさしいひそひそ声。
互いに額を寄せ合って、おまけに夢想の中にいるようで重苦しげで、
震えたり揺れたりしている長い白いカーテンの前。
家の外では、小鳥たちが一所に集って、寒がっている。
灰色の空の下で小鳥たちの羽根はかじかんでいる。
さて、霧の季節のあとにめぐってきた新年は、
ところどころに雪のある衣裳を引きずって
涙を浮かべて微笑したり寒さに震えて歌ったりする。

 ◇

新年を迎えた
二人の子どもの
何の変哲もないような描写ではじまる詩。
薄暗い部屋から聞えてくるひそひそ声という詩句に
幸薄い境涯にあることが暗示されます。
タイトルにあるように
二人の子どもには親がない
みなしごなのです。

 2

二人の子どもは揺れ動くカーテンの前で
低い声で話しています、ちょうど暗い夜に人々がそうするようにして。
遠くの小さな音を聴くように、二人は耳を澄まし、(小さな声で話すのです)。
二人は時々、目覚まし時計が、突然リーンと鳴り出すのに
びっくりするのでした、時計はリンリン鳴ります、リンリンと鳴るのですから。
ガラスのカバーの中でする、金属音。
部屋は凍てつく寒さです。ベッドの周りに散らばった
喪服は床まで垂れています。
厳しい冬の北風は、戸口や窓に吹きつけ、泣いていますし
陰気な息をこの部屋の中までどんどん吹き込んでいます。
二人は感じているのです、何かが足りない、と……
それは、母親なのではないか、このいたいけない子らにとって
それは、得意気な目にニコニコとした微笑をたたえている母親なのではないでしょうか?
母親は、夕方独り訳ありそうにして、忘れていたのでしょうか
灰を落してストーブをよく燃えるようにしたり
二人の子どもにウールや綿毛の衣装をたくさん掛けたりすることも?
二人の部屋を出ていく時に、お休みなさいを言いながら
朝になれば子どもたちが寒がるだろうと、気づかなかったのでしょうか
戸締りをしっかりすることさえも、うっかり忘れてしまったのでしょうか?
――母の夢、それはあったかい毛布です
柔らかい塒(ねぐら)です、そこに子どもらは小さくなって
枝に揺られる小鳥のように
まどろむように眠ります!
いま、この部屋は、羽毛がなく暖房もない寝場所です。
二人の子どもは寒さに震え、眠りもしないで恐怖にわななき
これではまるで北風が吹き込むためにある塒です……

 ◇

恐怖におののいている子どもたちは
声を出すこともできないでいます
賢い猫が
音を立てないで
自らの命を敵から守るようにしているのと同じに
子どもたちが声を出せないでいるのは
恐怖からです。

母親は
うっかりしたのではなく
存在しないのです。

みなしごたちは
楽しかった正月の思い出にひたります。

 3

皆さんは、すでにお分かりのことでしょう、この子らに母親はありません。
養母さえいないし、父親はどこか遠い外国にいるのです!
そこで婆さんがこの子らの面倒はみているのです。
つまり凍ったこの家に住んでいるのは二人の子どもだけ……
いまや、これらの幼いみなしごが、楽しかった思い出を自分たちの胸に
ゆっくりとゆっくりと繰り広げていきます
ちょうどお祈りする時に、数珠をつまぐるようにして。
ああ! お年玉を貰える朝の、なんと嬉しいことでしょう。
あしたは何を貰えることかと、眠れるどころの騒ぎではない。
ワクワクしながらおもちゃを想像し
金紙で包まれたボンボンを想像し、キラキラきらめく玩具の宝石類は
しゃなりしゃなりと渦巻き踊りしてる、
やがて見えなくなるかと思えば、またそれは登場する。
さて、朝が来て目が覚める、すぐに元気に跳ね起きる。
目をこすっている間もなく、口には唾液が湧きます
そうして走っていく、頭はモジャモジャ、
目玉はキョロキョロ、嬉しいんだもん、
小さな裸足で床を踏んで
両親の部屋のドアに来ると、そおーっとそおーっと扉に触れる、
そして、入ります、それからそこで、お辞儀……パジャマのまんま、
キスを何度も何度もして、当然のはしゃぎ振りです!

 ◇
ここまでで3章。

中原中也の翻訳は
歴史表記を現代表記にすれば
そのまま現代口語になるということが分かります。
文語体ではありません。

 *

 孤児等のお年玉
 中原中也訳

    Ⅰ

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。
灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。
さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、
ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。

    Ⅱ

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、
低声で話をしてゐます、恰度暗夜に人々がさうするやうに。
遠くの囁でも聴くやう、彼等は耳を澄ましてゐます。
彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には
びつくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、
硝子の覆ひのその中で、金属的なその響き。
部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まはり)に散らばつた
喪服は床(ゆか)まで垂れてます。
酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いてゐて、
陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。
彼等は感じてゐるのです、何かゞ不足してゐると……
それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとつて、
それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛へてる母親なのではないでせうか?
母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れてゐたのでありませうか、
灰を落としてストーブをよく燃えるやうにすることも、
彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどつさり掛けることも?
彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云ひながら、
その晨方(あさがた)が寒いだらうと、気の付かなかつたことでせうか、
戸締(とじ)めをしつかりすることさへも、うつかりしてゐたのでせうか?
――母の夢、それは微温の毛氈です、
柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなつて、
枝に揺られる小鳥のやうに、
ほのかなねむりを眠ります!
今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。
二人の子供は寒さに慄へ、眠りもしないで怖れにわななき、
これではまるで北風が吹き込むための塒です……

    Ⅲ

諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。
養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……
そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。
つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……
今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、
恰度お祈りする時に、念珠を爪繰るやうにして。
あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。
明日(あした)は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
わくわくしながら玩具(おもちや)を想ひ、
金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、
しやなりしやなりと渦巻き踊り、
やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。
目を擦(こす)つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、
目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、
小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、
さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻(しき)つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

    Ⅳ

あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……
――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。
家中明るい灯火は明(あか)り、
それは洩れ出て外(そと)まで明るく、
机や椅子につやつやひかり、
鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
子供はたびたび眺めたことです、
鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、
戸棚の中の神秘の数々、
聞こえるやうです、鍵穴からは、
遠いい幽かな嬉しい囁き……
――両親の部屋は今日ではひつそり!
ドアの下から光も漏れぬ。
両親はゐぬ、家よ、鍵よ、
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なんとつまらぬ今年の正月!
ジツと案じてゐるうち涙は、
青い大きい目に浮かみます、
彼等呟く、『何時母さんは帰つて来ンだい?』

    Ⅴ

今、二人は悲しげに、眠つてをります。
それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云はれることでせう、
そんなに彼等の目は腫れてその息遣ひは苦しげです。
ほんに子供といふものは感じやすいものなのです!……
だが揺籃を見舞ふ天使は彼等の涙を拭ひに来ます。
そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。
その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は
やがて微笑み、何か呟くやうに見えます。
彼等はぽちやぽちやした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、
やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。
そして、ぼんやりした目してあたりをずつと眺めます。
彼等は薔薇の色をした楽園にゐると思ひます……
パツと明るい竃には薪がかつかと燃えてます、
窓からは、青い空さへ見えてます。
大地は輝き、光は夢中になつてます、
半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、
陽射しに身をばまかせてゐます、
さても彼等のあの家が、今では総体(いつたい)に心地よく、
古い着物ももはやそこらに散らばつてゐず、
北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。
仙女でも見舞つてくれたことでせう!……
――二人の子供は、夢中になつて、叫んだものです……おや其処に、
母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、
ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光つてゐる。
それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、
チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、
みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。
                〔千八百六十九年末つ方〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。

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2011年10月19日 (水)

中原中也が訳したランボー「孤児等のお年玉」その1

「感動」Sensationの次には
「追加篇」にある
「孤児等のお年玉」Les Étrennes des orphelinsを読んでみます。

「孤児等のお年玉」は
1869年末に作られ
1870年はじめに週刊雑誌に掲載されたもので
ランボーのフランス語詩の中で
最も早く印刷物になったものとして知られています。

そのためもあって
近年出版される「ランボー詩集」では
詩集冒頭に置かれる詩です。

中原中也訳「ランボオ詩集」は
1924年発行の第2次ペリション版(別の言い方でメルキュール版)を原典としますから
テキスト研究もまだ未熟な時代で
「孤児等のお年玉」は
第3章の追加篇に入っていました。

「文学界」の昭和10年11月号に
小林秀雄が同誌の編集者のポジションにあったよしみで発表したものです。
この初出作品がほとんどそのまま
「ランボオ詩集」に収録されました。

今回は
原作だけを掲出します。

 *

 孤児等のお年玉
 中原中也訳

    Ⅰ

薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。
灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。
さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、
ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。

    Ⅱ

二人の子供は揺れ動くカーテンの前、
低声で話をしてゐます、恰度暗夜に人々がさうするやうに。
遠くの囁でも聴くやう、彼等は耳を澄ましてゐます。
彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には
びつくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、
硝子の覆ひのその中で、金属的なその響き。
部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まはり)に散らばつた
喪服は床(ゆか)まで垂れてます。
酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いてゐて、
陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。
彼等は感じてゐるのです、何かゞ不足してゐると……
それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとつて、
それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛へてる母親なのではないでせうか?
母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れてゐたのでありませうか、
灰を落としてストーブをよく燃えるやうにすることも、
彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどつさり掛けることも?
彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云ひながら、
その晨方(あさがた)が寒いだらうと、気の付かなかつたことでせうか、
戸締(とじ)めをしつかりすることさへも、うつかりしてゐたのでせうか?
――母の夢、それは微温の毛氈です、
柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなつて、
枝に揺られる小鳥のやうに、
ほのかなねむりを眠ります!
今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。
二人の子供は寒さに慄へ、眠りもしないで怖れにわななき、
これではまるで北風が吹き込むための塒です……

    Ⅲ

諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。
養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……
そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。
つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……
今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、
恰度お祈りする時に、念珠を爪繰るやうにして。
あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。
明日(あした)は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
わくわくしながら玩具(おもちや)を想ひ、
金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、
しやなりしやなりと渦巻き踊り、
やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。
目を擦(こす)つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、
目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、
小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、
さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻(しき)つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!

    Ⅳ

あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……
――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。
家中明るい灯火は明(あか)り、
それは洩れ出て外(そと)まで明るく、
机や椅子につやつやひかり、
鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
子供はたびたび眺めたことです、
鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、
戸棚の中の神秘の数々、
聞こえるやうです、鍵穴からは、
遠いい幽かな嬉しい囁き……
――両親の部屋は今日ではひつそり!
ドアの下から光も漏れぬ。
両親はゐぬ、家よ、鍵よ、
接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないまゝで、去(い)つてしまつた!
なんとつまらぬ今年の正月!
ジツと案じてゐるうち涙は、
青い大きい目に浮かみます、
彼等呟く、『何時母さんは帰つて来ンだい?』

    Ⅴ

今、二人は悲しげに、眠つてをります。
それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云はれることでせう、
そんなに彼等の目は腫れてその息遣ひは苦しげです。
ほんに子供といふものは感じやすいものなのです!……
だが揺籃を見舞ふ天使は彼等の涙を拭ひに来ます。
そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。
その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は
やがて微笑み、何か呟くやうに見えます。
彼等はぽちやぽちやした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、
やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。
そして、ぼんやりした目してあたりをずつと眺めます。
彼等は薔薇の色をした楽園にゐると思ひます……
パツと明るい竃には薪がかつかと燃えてます、
窓からは、青い空さへ見えてます。
大地は輝き、光は夢中になつてます、
半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、
陽射しに身をばまかせてゐます、
さても彼等のあの家が、今では総体(いつたい)に心地よく、
古い着物ももはやそこらに散らばつてゐず、
北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。
仙女でも見舞つてくれたことでせう!……
――二人の子供は、夢中になつて、叫んだものです……おや其処に、
母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、
ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光つてゐる。
それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、
チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、
みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。
                            〔千八百六十九年末つ方〕

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。また、節を示すギリシア数字は、一部、現代表記にしました。編者。

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2011年10月18日 (火)

中原中也が訳したランボー「感動」その3・堀口大学の「感覚」

三富朽葉(みとみ・きゅうよう)とか
長田秀雄だとか
大木篤夫(別名で大木惇夫)だとか
歴史の彼方に埋もれ
少なくとも一般人の目からは遠い存在になってしまっているのですが
ネットでWikipediaに書かれるからまだよいにしても
藤林みさをは検索にひっかかる情報も微量です。

とはいうものの
明治末から大正・昭和にかけての
ランボーの翻訳という仕事に
永井荷風や金子光晴とともに
そして中原中也とともに
これらの文学者、研究者、翻訳家、詩人らが動き、
活況を呈していたことに驚きを覚えないわけにはいきません。

「ランボーという事件」の
裾野(すその)の広がりを思えば
ワクワクしてくるものがありますね。

「Sensation」のすべての翻訳を読んでみたいものですが
容易にそうはいかないことがわかると
同時代の翻訳で
自然に目がいくのは
上田敏は大正5年に亡くなりますし
鈴木信太郎訳は見当たらず
小林秀雄は「Sensation」を訳していないようなので
行き当たるのが堀口大学訳です。

堀口訳は
新潮文庫「ランボー詩集」(昭和26年初版、平成23年88刷)があり
今でこそ最もポピュラーといえるほどですが
ランボーを訳したのは
昭和9年の「酔ひどれ舟」を除いて
戦後になってからでした――。

ランボオの詩は、どういう理由か、在来、翻訳家としての私のにがてであつた。この少
年詩人のダイヤモンドのやうな作品には、どうしても、歯が立たなかつたのである。
(略)それが先年、戦争に追はれ、東海の温暖郷から、深雪の越の山里へ移り住んだ
頃から、ぽつぽつとランボオの訳が成り、今日まで3年ほどの間に30余篇を得た。
(略)私が54歳から57歳の頃の仕事である。

――と、昭和24年発行の「ランボオ詩集」(新潮社)のあとがきで述べています。

この昭和24年版詩集が
昭和26年には文庫になり
88刷を数える増刷や
時には改版を経て
現代表記化されて今の形になりました。

ここでは
あえて昭和26年版「ランボオ詩集」収載の
訳出を見ておきますのは
第一に
戦後にはじめられた翻訳でありながら
中原中也の同時代訳として扱ってもおかしくはない
歴史的表記が読めるからです。
タイトルは「感覚」で
長田秀雄、藤林みさを、大木篤夫と同じです。

 ◇
 感覚
 堀口大学訳

夏の夕ぐれ青き頃、行くが楽しさ小径ぞへ、
穂麦に刺され、草を踏み
夢心地、あなうら爽(さや)に
吹く風に髪なぶらせて!

もの言はね、もの思はね、
愛のみの心に湧きて、
さすらひの子のごと遠くわれ行かめ
天地(あめつち)の果(はてし)かけ――女なぞ伴へるごと満ち足りて。
                                    Sensation
※原作の旧漢字は新漢字に改めてあります。編者。

 *
 感動
 中原中也訳

私はゆかう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(をぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたふを覚え、
吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!

私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※一部、新漢字を使用しました。編者。

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2011年10月17日 (月)

中原中也が訳したランボー「感動」Sensation・その2

「感動」Sensationには
同時代訳がいくつか存在します。
それを少し読んで
中原中也訳との違いを見てみます。

いま手元にある
永井荷風の「珊瑚集」(新潮文庫、昭和28年)には
「そぞろあるき」というタイトルで
ランボー作品が一つだけ訳出されていますが
これが「Sensation」の荷風訳です。
(「珊瑚集」の初版発行は大正2年)。

「Sensation=センサシオン」は
中原中也の場合「感動」
荷風の場合「そぞろあるき」となり
ほかにも
金子光晴は「Sensation」をそのままにしますし
同時代ではなく最近のものでは
粟津則雄、宇佐美斉は「感覚」と訳します。

永井荷風の「珊瑚集」は
サブタイトルに「仏蘭西近代抒情詩選」とあるように
フランス詩の翻訳アンソロジーです。
シャルル・ボオドレエル(ボードレール)
ポオル・ヴェルレエン(ベルレーヌ)
アンリイ・ド・レニエエ(レニエ)らに混じって
アルチュウル・ランボオの名があり
「そぞろあるき」だけが収載されています。

これを読んでみますと――

 ◇

 そぞろあるき
 
蒼(あを)き夏の夜や
麦の香(か)に酔(ゑ)ひ野草をふみて
小みちを行(ゆ)かば
心はゆめみ、我(わが)足さはやかに
わがあらはなる額(ひたひ)、
吹く風に浴(ゆあ)みすべし。
われ語らず、われ思はず、
われただ限りなき愛
魂(たましひ)の底に湧出(わきいづ)るを覚ゆべし。
宿(やど)なき人の如(ごと)く
いよ遠くわれは歩まん。
恋人と行(ゆ)く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。

――というふうに訳されています。

古書店で手に入れた
金子光晴の訳をみますと――

 ◇

「三、Sensationサンサシオン」

夏の爽(さわ)やかな夕、ほそ草をふみしだき、
ちくちくと麦穂の先で手をつつかれ、小路をゆこう。
夢みがちに踏む足の、一あしごとの新鮮さ。
帽子はなし。ふく風に髪をなぶらせて。

 話もしない。ものも考えない。だが、
僕のこのこころの底から、汲めどもつきないものが湧きあがる。
さあ。ゆこう。どこまでも。ボヘミアンのように。
自然とつれ立って、――恋人づれのように胸をはずませ……
(「ランボー全集 全一巻」、雪華社、1984)
※作品タイトルの前に通し番号をつけたのは、金子光晴自身か、編集者か、不明。

――とあります。

金子光晴の訳は
「近代仏蘭西詩集」(紅玉堂、大正14年)に
「サンサシオン」として初出しましたが
両者に大きな異同はないものと推測されます(未確認)。

中原中也の訳出は
昭和9年9月から10年3月の間に行われた(推定)ものとされていますが
永井荷風、金子光晴のほかに
同時代の訳として
長田秀雄「感覚」(明治41年)
藤林みさを「感覚」(大正12年)
三富朽葉「SENSATION」(大正15年)
大木篤夫「感覚」(昭和3年)
――を「新全集」はあげています。

(大木篤夫がランボーを訳していたなんて!)

中原中也訳は
歴史的仮名遣いで表記、
文語混じりの口語を基調にしているのは
創作詩と変わりませんが
ランボーが16歳で作ったこの詩を
「われ」でも「僕」でもなく
「私」としたところに
ランボーの「実直さ」を失うまいとした
訳者の眼差しが感じられるようです。

 *
 感動
 中原中也訳

私はゆかう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(をぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたふを覚え、
吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!

私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※一部、新漢字を使用しました。編者。

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2011年10月16日 (日)

中原中也が訳したランボー「感動」Sensation

「感動」Sensationは
中原中也訳「ランボオ詩集」の冒頭詩篇です。

「ランボー詩集」は数多くの翻訳があり
それぞれの翻訳の原典によって
冒頭に置かれている詩篇は異なります。

ランボーは
「ランボー詩集」を残したわけではなく
後世の研究者らがテキストを考証・校訂してまとめたものですから
それぞれの考証・校訂に異同が生じるのは
止むを得ないことなのです。

結果、長い間にはいくつかの
「ランボー詩集」が
いくつかの出版社によって発行され
それらが世界各国で翻訳されれば
さまざまな「ランボー詩集」が生まれて当然です。

中原中也が使った第2次ペリション版(1924年発行メルキュル版)では
冒頭にある詩篇は
「感動」です。

私は行こう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(おぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたうを覚え、
吹く風に思うさま、私の頭をなぶらすだろう!

私は語りも、考えもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往こう、遠く遠くボヘミヤンのよう
天地の間を、女と伴れだつように幸福に。

現代表記にしてみると
このようになりますが
常用漢字を使用し
「てにをは」を整え
より現代口語に近づけると――

私は行こう、夏の青い宵は
麦穂が脛を刺す小道の上に、小さな草を踏みに
夢想家の私は、私の足に、すがすがしさが伝わるのを覚え
吹く風が思いのままに私の頭をなぶらせるだろう!

私は語ることも、考えることもするまい、だが
果てのない愛は心の中に、浮んでも来るだろう
私は行こう、遠く遠くボヘミヤンのように
天地の間を、女と連れ立つように幸福に。

この詩の作者ランボーは
夏の夜の草原を行く自分をイメージし
麦の穂が脛を刺す野の道を行く爽快感は
やがて風の吹くにまかせて
頭の中をすっからかんにしてしまう陶酔状態を思い描くのです。

語ることも、考えることもしないが
愛だけは心のうちに浮かんでくるだろう
私は行くんだ、遠くへボヘミヤンのように自在に
天と地の間を、女を連れて歩き回っている
そんな幸福に向かって。

青春の希望は
まだランボーの中にあります
世界は未知で
麦の穂先がチクリチクリと脛をさすであろう小道が
幾重にも開けているに違いないけれど
ぼくはその道を行き、草々を踏み分けて進む
夢想家の足取りで
なにも考えずに歩こう
遠く遠くへボヘミアンのように
女を連れて歩き回ろう……

歩行者ランボーの出発です。

中原中也が
ランボーの歩行にシンパシーを感じなかったわけがありません。

語勢、語義、語呂……と
逐語訳でありながら
中原中也が重要視した翻訳の姿勢が
手に取るように見える題材といえます。

「爽々しさ」を「すがすがしさ」と読ませたり
「夢想家」「ボヘミアン」と思い切った語彙を使ったり
「遠く遠く」という繰り返しなど
(ほかにも色々な試みが行われていますが)
「中原中也のランボー」がくっきりしています。

 *
 感動
 中原中也訳

私はゆかう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(をぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたふを覚え、
吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!

私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは( )の中に入れ、一部、新漢字を使用しました。編者。

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2011年10月15日 (土)

中原中也が訳したランボー・その3

文庫版「中原中也全訳詩集」の目次は
わずか9行で

ランボオ詩集<学校時代の詩>
ランボオ詩集
 初期詩篇
 飾画篇
 追加篇
 附録
未定稿
 ランボオ
 詩

――という内容ですが
「新全集」の目次から作品タイトルを省略すると

ランボオ詩集<学校時代の詩>
ランボオ詩集
初期詩篇
飾画篇
追加篇
附録

生前発表翻訳詩篇

未発表翻訳詩篇
ノート翻訳詩(1929年―1933年)
翻訳詩ファイル(1929年―1933年)
翻訳草稿詩篇(1928年―1937年)

散文

生前発表翻訳散文
未発表翻訳散文

――となり、文庫版が「未定稿」とした項目が整理され
5項目に細分化されたほか
中原中也の翻訳の仕事を
「詩」と「散文」に大別したことが分かります。

詩か、散文か
生前発表作品か、生前未発表かに
分類・整理されたということになります。

文庫版が発行されたのは1990年
新全集「翻訳」が発行されたのは2000年
日進月歩の研究の跡を
想像することができます。

中原中也は
生存中に
ランボーの詩集を3冊刊行しました。

第1訳詩集「ランボオ詩集<学校時代の詩>」
第2訳詩集「ランボオ詩抄」
第3訳詩集「ランボオ詩集」の3冊ですが
「ランボー詩抄」(山本文庫)は
収録された作品の全てが
「ランボオ詩集」と重複するため
両詩集の作品に若干の異同があるものの
目次にも本文中にも掲載されないことになっています。

「新全集」では、代わりに
「解題篇」で「詩集解題」の項目を立て
その間の経緯や作品の異同を解説しています。

「飾画篇」とあるのは
はじめ小林秀雄が訳したものにならったもので
最近では
「イリュミナシオン」「イリュミナシヨン」と
フランス語そのままにする訳が普及しています。

「新全集」の目次を少し加工し
階層構造をやや分かりやすくしたものを
ここにふたたび載せておきます――

【詩】

ランボオ詩集<学校時代の詩>

 1 Ver erat
 2 天使と子供
 3 エルキュルとアケロュス河の戦ひ
 4 ジュギュルタ王
 5 Tempus erat

ランボオ詩集

 初期詩篇
  感動
  フォーヌの顔
  びつくりした奴等
  谷間の睡眠者
  食器戸棚
  わが放浪
  蹲踞
  座つた奴等
  夕べの辞
  教会に来る貧乏人
  七才の詩人
  盗まれた心
  ジャンヌ・マリイの手
  やさしい姉妹 
  最初の聖体拝受
  酔ひどれ船
  虱捜す女
  母音
  四行詩
  烏

 飾画篇
  静寂
  涙
  カシスの川
  朝の思ひ
  ミシシェルとクリスチイヌ
  渇の喜劇
  恥
  若夫婦
  忍耐
  永遠
  最も高い塔の歌
  彼女は埃及舞妓か?
  幸福
  飢餓の祭り
  海景

 追加篇
  孤児等のお年玉
  太陽と肉体
  オフェリア
  首吊人等の踊り
  タルチュッフの懲罰
  海の泡から生れたヴィナス
  ニイナを抑制するものは
  音楽堂にて
  喜劇・三度の接唇
  物語
  冬の思ひ
  災難 
  シーザーの激怒
  キャバレ・ヹ―ルにて
  花々しきサアル・ブルックの捷利
  いたづら好きな女

 附録
  失はれた毒薬

 後記

生前発表翻訳詩篇
 アルテミス ネルヴァル
 レ・シダリーズ ネルヴァル
 セレナード ネルヴァル
 未来の現象 マラルメ
 プチ・テスタマン抄 ヴィヨン
 デルフィカ ネルヴァル
 黒点 ネルヴァル
 饒舌 ボードレール
 暦 ジッド
 死人の踊 ジッド
 神は、私の生れる時…… リード
 誠意の女 デボルド=ヴァルモール
 サアディの薔薇 デボルド=ヴァルモール
 娘と山鳩 デボルド=ヴァルモール

未発表翻訳詩篇

ノート翻訳詩(1929年―1933年)
 失はれた毒薬 ランボー
 ソネット ランボー
 谷の睡眠者 ランボー
 プロローグ レッテ
 Never More ヴェルレーヌ
 美しき娘の碑銘 ルセギエ
 Ⅳ(われ等物事に寛大でありませう) ヴェルレーヌ
 Ⅴ(たをやけき手の接唇くるそのピアノ) ヴェルレーヌ
 木馬 ヴェルレーヌ
 デルフィカ ネルヴァル
 黒点 ネルヴァル
 セレナード ネルヴァル
 レ・シダリーズ ネルヴァル
 去にし代の婦人等の唄 ヴィヨン

翻訳詩ファイル(1929年―1933年)
 (彼の女は帰つた) ランボー
 ブリュッセル ランボー 
 彼女は舞妓か? ランボー
 幸福 ランボー
 Intermède Ⅱ カーン
 黄金期 ランボー
 航海 ランボー

翻訳草稿詩篇(1928年―1937年)
 眩惑 ランボー
 序曲 ヴェルレーヌ
 自然への供物 ノアイユ
 墓碑銘 ヴィヨン
 巴里 コルビエール
 えゝ? コルビエール
 詩人の刻限 カルコ
 仲間 カルコ
 謝肉祭の夜 ラフォルグ
 でぶつちよの子供の歌へる ラフォルグ
 はかない茶番 ラフォルグ
 夜曲 クロ
 子供の水車 グランムージャン
 鐘と涙 デボルド=ヴァルモール
 矜持よ、恕せ! デボルド=ヴァルモール
 序詩 ボードレール
 祝詞 ボードレール

【散文】

生前発表翻訳散文
 トリスタン・コルビエール ヴェルレーヌ
 マックス・ヂャコブとの一時間 ルフェーブル
 ヴェルレーヌ訪問記 レッテ
 オノリーヌ婆さん ルナール
 ヂュル・ルナアル日記抄 ルナール
 ボオドレエル リヴィエール
 ポーヴル・レリアン ヴェルレーヌ
 ランボー書簡1 ドラエー宛
 ランボー書簡2 ヴェルレーヌ宛
 ランボー書簡3 ヴェルレーヌ宛
 ランボー書簡4 パンヴィル宛

未発表翻訳散文
 オーレリア ネルヴァル
 アルチュル・ランボオ ヴェルレーヌ
 ルイーズ・ルクレルク ヴェルレーヌ
 ボオドレエルの天才 モークレール

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2011年10月12日 (水)

中原中也が訳したランボー・その2

中原中也が訳したランボーは
手近かには
講談社文芸文庫の「中原中也全訳詩集」で読むことができますが
より完成度が高いのは
なんといっても
「新編中原中也全集(略して「新全集」)」中の
「第3巻翻訳 本文篇」です。

「新全集 本文篇」の目次は
詩作品一つ一つのタイトルが掲載されていますが
「中原中也全訳詩集」にはそれがなく
インデックスとしての役割を目次が十分に果たしていません。
作品を見つけ出すのに
ページをめくらなければならず
使い勝手がよくありません。

しかし持ち歩くのには
文庫版に限りますから
結局、「新全集」の目次をコピーして
文庫本の頭に差し込んで使うことになります。

文庫版の目次を見ると
わずか9行――

ランボオ詩集<学校時代の詩>
ランボオ詩集
 初期詩篇
 飾画篇
 追加篇
 附録
未定稿
 ランボオ
 詩

――というそっけない内容です。

「新全集」の目次は詳細で
これらの中に
作品タイトルがすべて案内されていますから
それを見ておきます――

ランボオ詩集<学校時代の詩>

 1 Ver erat
 2 天使と子供
 3 エルキュルとアケロュス河の戦ひ
 4 ジュギュルタ王
 5 Tempus erat

ランボオ詩集

初期詩篇
 感動
 フォーヌの顔
 びつくりした奴等
 谷間の睡眠者
 食器戸棚
 わが放浪
 蹲踞
 座つた奴等
 夕べの辞
 教会に来る貧乏人
 七才の詩人
 盗まれた心
 ジャンヌ・マリイの手
 やさしい姉妹 
 最初の聖体拝受
 酔ひどれ船
 虱捜す女
 母音
 四行詩
 烏

飾画篇
 静寂
 涙
 カシスの川
 朝の思ひ
 ミシシェルとクリスチイヌ
 渇の喜劇
 恥
 若夫婦
 忍耐
 永遠
 最も高い塔の歌
 彼女は埃及舞妓か?
 幸福
 飢餓の祭り
 海景

追加篇
 孤児等のお年玉
 太陽と肉体
 オフェリア
 首吊人等の踊り
 タルチュッフの懲罰
 海の泡から生れたヴィナス
 ニイナを抑制するものは
 音楽堂にて
 喜劇・三度の接唇
 物語
 冬の思ひ
 災難 
 シーザーの激怒
 キャバレ・ヹ―ルにて
 花々しきサアル・ブルックの捷利
 いたづら好きな女

附録
 失はれた毒薬
  後記

生前発表翻訳詩篇
 アルテミス ネルヴァル
 レ・シダリーズ ネルヴァル
 セレナード ネルヴァル
 未来の現象 マラルメ
 プチ・テスタマン抄 ヴィヨン
 デルフィカ ネルヴァル
 黒点 ネルヴァル
 饒舌 ボードレール
 暦 ジッド
 死人の踊 ジッド
 神は、私の生れる時…… リード
 誠意の女 デボルド=ヴァルモール
 サアディの薔薇 デボルド=ヴァルモール
 娘と山鳩 デボルド=ヴァルモール

未発表翻訳詩篇

ノート翻訳詩(1929年―1933年)
 失はれた毒薬 ランボー
 ソネット ランボー
 谷の睡眠者 ランボー
 プロローグ レッテ
 Never More ヴェルレーヌ
 美しき娘の碑銘 ルセギエ
 Ⅳ(われ等物事に寛大でありませう) ヴェルレーヌ
 Ⅴ(たをやけき手の接唇くるそのピアノ) ヴェルレーヌ
 木馬 ヴェルレーヌ
 デルフィカ ネルヴァル
 黒点 ネルヴァル
 セレナード ネルヴァル
 レ・シダリーズ ネルヴァル
 去にし代の婦人等の唄 ヴィヨン

翻訳詩ファイル(1929年―1933年)
 (彼の女は帰つた) ランボー
 ブリュッセル ランボー 
 彼女は舞妓か? ランボー
 幸福 ランボー
 Intermède Ⅱ カーン
 黄金期 ランボー
 航海 ランボー

翻訳草稿詩篇(1928年―1937年)
 眩惑 ランボー
 序曲 ヴェルレーヌ
 自然への供物 ノアイユ
 墓碑銘 ヴィヨン
 巴里 コルビエール
 えゝ? コルビエール
 詩人の刻限 カルコ
 仲間 カルコ
 謝肉祭の夜 ラフォルグ
 でぶつちよの子供の歌へる ラフォルグ
 はかない茶番 ラフォルグ
 夜曲 クロ
 子供の水車 グランムージャン
 鐘と涙 デボルド=ヴァルモール
 矜持よ、恕せ! デボルド=ヴァルモール
 序詩 ボードレール
 祝詞 ボードレール

散文
生前発表翻訳散文
 トリスタン・コルビエール ヴェルレーヌ
 マックス・ヂャコブとの一時間 ルフェーブル
 ヴェルレーヌ訪問記 レッテ
 オノリーヌ婆さん ルナール
 ヂュル・ルナアル日記抄 ルナール
 ボオドレエル リヴィエール
 ポーヴル・レリアン ヴェルレーヌ
 ランボー書簡1 ドラエー宛
 ランボー書簡2 ヴェルレーヌ宛
 ランボー書簡3 ヴェルレーヌ宛
 ランボー書簡4 パンヴィル宛

未発表翻訳散文
 オーレリア ネルヴァル
 アルチュル・ランボオ ヴェルレーヌ
 ルイーズ・ルクレルク ヴェルレーヌ
 ボオドレエルの天才 モークレール

以上となります。

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2011年10月11日 (火)

中原中也が訳したランボー・序

中原中也が訳した「ランボオ詩集」の「後記」には
末尾に昭和12年8月21日の日付けがあります。

「ランボオ詩集」が野田書房から刊行されたのは
同年9月15日付けで、
この直後に「在りし日の歌」の編集が完成し
小林秀雄に清書原稿が手渡されました。

そして
10月はじめに結核性脳膜炎を発病、
同22日にあっけなく永眠します。

「後記」のランボー論は
中原中也がランボーの存在を富永太郎を通じて知ってから10年余り
翻訳に取り組んでおよそ10年
格闘の末の最終的なランボー観でした。

このランボー観には彼の長い詩生活、またランボーを一辞一句翻訳した人の実感が
こもっているのである。

――と、大岡昇平は「一辞一句翻訳した」というところに
力点をおいて述べていますが(「中原中也」角川文庫)
この点は
「後記」冒頭で詩人自身が

 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが
分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は
思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。
 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気を付け
た。
 語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうなことはしな
かつた。

――と、翻訳の姿勢について述べているくだりに
響きあいます。

逐字訳の一線を守り
「語勢」
「語義」
「語呂」を大事にする

中原中也の翻訳の姿勢は
この4点に集約されるようですが
辞書を傍に置きながら
一字一句を刻んだ訳業の実際は
ここに
「名辞以前」との格闘の痕(あと)を見ないでは
味わうことのできない光沢(と言ってよいようなもの)が
やはり漂うようで
ここにユニークさはあります。

ようやく
一つ一つの作品を
読む時になりました。

 *
 ランボオ詩集
 後記


 私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アルチュル・
ランボオ作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数篇を割愛した
が、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。

 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが
分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は
思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。

 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気を付け
た。
 語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうなことはしな
かつた。

     ★

 附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、
或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。
とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たラ
ンボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。
――テキストを御存知の方があつたら、何卒御一報下さる様お願します。

     ★

 いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼
はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌としての価値を有つてゐ
た。

 さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかつた
筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなかつたらう。その陶酔
は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つてゐることも、要するにその陶
酔の全一性といふことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如
何にそのとるに足りぬことにかかづらつてゐることだらう、といふことに他ならぬ。

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、

 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れ
られてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発し
た。

 所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想
は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふものは、容れられ
ないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れら
れ難いものだらう!

 云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば
凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられ
もしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らな
くなつた宝島の如きものである。

 もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつと ルレーヌ風の楽天主義があるくら
ゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと無頓着に夢みる道な
のだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯 ルレーヌには、謂はば夢
みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個
のことでしかなかつた。
 ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ所からで
ある。

     ★

 終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、
厚く御礼を申述べておく。
                                 〔昭和十二年八月二十一日〕

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)
※ルビは( )内に示しました。改行を加えてあります。編者。

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2011年10月10日 (月)

【新刊情報】ランボー全集 個人新訳

ランボー全集 個人新訳 Book ランボー全集 個人新訳

著者:アルチュール・ランボー
販売元:みすず書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

内容紹介
「また見つかったよ。
何がさ?――《永遠》。
太陽といっしょに
行ってしまった海さ」

 邦訳としては五番目、そして個人訳としては初めてのランボー全集である。
 数種類もある批評校訂版をそれぞれ参考にしつつも、
注釈などは最小限にとどめ、なによりもまず
通読しやすく、座右に置いてくり返し読むことのできる全集となった。
 四〇年にもわたってランボーの読解に心血を注ぎ、
とりわけ詩作放棄後アフリカでのランボーの足跡をくまなく追うことで、
これまでほとんど顧みられなかったアフリカ書簡に
斬新な解釈を施した鈴村氏による個人完訳。
 生き生きとした“今”の日本語による、清新な詩篇と散文。
実際に現地へ何度も足を運んできた訳者ならではの、
正確で喚起力のある、ドキュメンタリーとしても一級の書簡集。
“永遠に来たるべき詩人”ランボーのアクチュアリティを、未来へつなげる。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
ランボー,アルチュール
1854‐1891。フランスの詩人。北フランスのシャルルヴィル市に生まれる。陸軍大尉の父が早くから家を捨てたため、厳格で敬神家の母の強い影響下で育った。早熟で模範的な優等生だったが、1870年の普仏戦争を境に生活が一変、学業を放棄して詩作に没頭する。71年秋、ヴェルレーヌの招きでパリに出、次いで二人でベルギー、ロンドンなどで同棲生活を送るが、73年7月に決裂。同年4~8月に散文詩集『地獄の季節』を、そしてその前後3~4年にわたって『イリュミナシオン』の諸作を書いた

鈴村 和成
1944年生まれ。東京大学フランス文学科修了。元横浜市立大学教授。長年ランボーの読解に心血を注ぎ、とりわけ詩作放棄後アラビア、アフリカでのランボーの足跡を実地にくまなく追うことで、これまでほとんど顧みられなかったアフリカ書簡に斬新な解釈を施してきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

ランボー・ランボー<37>中原中也の「生の原型」・その2

中原中也が
ランボーが洞見したと捉えた「生の原型」とは
そのまま
中原中也が詩を作るという行為の根源を支えたものでもあり
詩作の原動力みたいなものでした。

ですから実際、
中原中也の詩の中に
場所を変え、形を変えて
現れます。

「言葉なき歌」
「いのちの声」
「ゆきてかへらぬ」
「幻影」
「曇天」
「除夜の鐘」
……と、思いつくままを例示しましたが
いま、「山羊の歌」をはじめから終わりまで読み通してみると
「名辞以前」に感じ取られた
「あれ」や「それ」や「なにか」が
それらは、言葉になりえないはずの
言葉以前のもののはずなのですが
詩の言葉になっているのを読むことができます。

これを
錬金術とでも言うのでしょうか
手品とでも言うのでしょうか

「盲目の秋」は

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

とはじまり、

その間、小さな紅の花が見えはするが、
それもやがては潰れてしまふ。

とつづくのですが
この「紅の花」は
「言葉なき歌」の「あれ」、
「曇天」の「それ」、
「除夜の鐘」の「それ」と
相似する「生の原型」のように見えはじめます。

「夕照」の
「小児に踏まれし貝の肉」は
ほかの言葉で言い換えることのできない
名辞以前の
「いのち」そのものを指示する言葉のようですし

「少年時」の
「昔の巨人」は
ギロギロする目で諦めていた少年
生きていた私の
「いのちの不安」を示しているようです。

「山羊の歌」の他の詩から
このような意味での
「いのちの言葉=キーワード」を拾ってみると――

「春の日の夕暮」の「静脈管」
「都会の夏の夜」の「ラアラア唱ってゆく男どち」
「黄昏」の「草の根の匂い」
「深夜の思ひ」の「頑ぜない女の児の泣き声」、「鞄屋の女房の夕の鼻汁」
「冬の雨の夜」の「乳白の脬囊(ひょうのうたち)」、「母上の帯締め」
「帰郷」の「年増婦の低い声」、「吹き来る風」
「逝く夏の歌」の「日の照る砂地に落ちていた硝子」
「悲しき朝」の「知れざる炎」
「夏の日の歌」の「焦げて図太い向日葵」
「港市の秋」の「蝸牛の角」
「ためいき」の「ためいき」
「秋の夜空」の「昔の影祭」、「上天界の夜の宴」
「宿酔」の「千の天使がバスケットボールする」
「わが喫煙」の「白い二本の脛(あし)」
「木蔭」の「夏の昼の青々した木蔭」
「みちこ」の「牡牛」
「汚れつちまつた悲しみに……」の「狐の皮裘」
「更くる夜」の「湯屋の水汲む音」、「犬の遠吠」
「秋」の「黄色い蝶々」
「修羅街挽歌」の「風船玉」、「明け方の鶏鳴」
「雪の宵」の「ふかふか煙突」、「赤い火の粉」
「生ひ立ちの記」の「雪」
「時こそ今は……」の「花は香炉」、「泰子」
「憔悴」の「船頭」
……

いくらでも見つかります。

 *
 ランボオ詩集
 後記


 私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アルチュル・ランボオ作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数篇を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。

 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。

 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気を付けた。
 語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうなことはしなかつた。

     ★

 附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。――テキストを御存知の方があつたら、何卒御一報下さる様お願します。

     ★

 いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌としての価値を有つてゐた。

 さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかつた筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなかつたらう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つてゐることも、要するにその陶酔の全一性といふことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如
何にそのとるに足りぬことにかかづらつてゐることだらう、といふことに他ならぬ。

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、

 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。

 所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れられ難いものだらう!

 云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。

 もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつと ルレーヌ風の楽天主義があるくらゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯 ルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個
のことでしかなかつた。
 ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ所からである。

     ★

 終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。
                                    〔昭和十二年八月二十一日〕

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)
※ルビは( )内に示しました。改行を加えてあります。編者。

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2011年10月 9日 (日)

ランボー・ランボー<36>中原中也の「生の原型」

「ランボオ詩集」の「後記」に

 言い換えれば、ランボーの洞見したものは、結局「生の原型」というべきもので、いわばあらゆる風俗あらゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないがまた表現することも出来ない、あたかも在るには在るが行き道の分からなくなった宝島のごときものである。

――とある「生の原型」を説明して
「あらゆる風俗あらゆる習慣以前」と言っていますが
これが「芸術論覚え書」の「名辞以前」と
オーバーラップしていることは明らかです。

あらゆる風俗以前。
あらゆる習慣以前。

名辞以前。

それを一度洞見した以上、
忘れられもしないが
また表現することも出来ない、
あたかも在るには在るが行き道の分からなくなった
宝島のごときものである。

表現することが出来ない
あることが分っていながら
どうやってそこへ行ったらよいのか
メモを残したわけでもなく
マニュアルを作ったわけでもなく
地図を描こうにも描けない
行き道の分からなくなった

宝島――。

この宝島は
中原中也の詩に
「あれ」を
なんとか捕らえよう
決して急いではならない
たしかにここで待っていなければならない
(言葉なき歌)

しかし、「それ」が何かは分らない、
ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、
ただ一つではあるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、
ついぞ分ったためしはない。
それに行き着く一か八かの方途さえ、
悉皆分ったためしはない。
(いのちの声)

「名状しがたい何物か」が、
たえず僕をば促進し、
目的もない僕ながら、
希望は胸に高鳴っていた。
(ゆきてかへらぬ)

……などと
所を変え、品を変え
度々、現れることになります。

あれ
それ
何物か
……

「幻影」の「それ」も
「曇天」の「それ=黒旗」も
「除夜の鐘」の「それ」なども
もしかすると
「宝島」の別の表現かもしれません。

「芸術論覚え書」は
昭和9年に制作(推定)された
未発表の散文です。

この頃
「宮沢賢治全集」(文圃堂)が出版開始になり
中原中也は
宮沢賢治の紹介文を書く機会(必要)がありました。

ここでまた
中原中也訳「ランボオ詩集」巻末の
後記を原文のまま読んでおきます。

 *
 ランボオ詩集
 後記


 私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アルチュル・ランボオ作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数篇を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。

 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。

 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気を付けた。
 語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうなことはしなかつた。

     ★

 附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。――テキストを御存知の方があつたら、何卒御一報下さる様お願します。

     ★

 いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌としての価値を有つてゐた。

 さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかつた筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなかつたらう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つてゐることも、要するにその陶酔の全一性といふことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如
何にそのとるに足りぬことにかかづらつてゐることだらう、といふことに他ならぬ。

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、

 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。

 所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れられ難いものだらう!

 云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。

 もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつと ルレーヌ風の楽天主義があるくらゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯 ルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個
のことでしかなかつた。
 ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ所からである。

     ★

 終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。
                                    〔昭和十二年八月二十一日〕

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)
※ルビは( )内に示しました。改行を加えてあります。編者。

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2011年10月 6日 (木)

ランボー・ランボー<35>中原中也「芸術論覚え書」を読む・その6

 <承前5>

 *芸術論覚え書(現代新聞表記)

一、精神というものは、その根拠を自然の暗黒の中心部に持っている。
 近代人の中の極めてまったく愚劣な、屁理屈屋どもが完全に人為的なものを作りたいと企図したりする。彼は彼を生んだものが自分でないことも忘れているようなものだ。

 ところで精神が客観性をもつわけは、精神がその根拠を自然の中に持つからである。
 だから思考上の紛糾というものは精神自体の中にその原因があるのではない。精神の表現過程の中に、偶然的雑物が飛び込むことにその原因はあるのだ。

 色々な解釈があるのではない。数々の解釈が、多少ともそれぞれの偶然性に支配されるというだけのことだ。

一、芸術というものが、生まれるものであって、こしらえようというものではないということは、いかにも芸術の説明にはなっていないようであるけれど、芸術家である人にはこう聞けば安心のいくことである点に留意してもらいたい。

 こうして、芸術論がしばしば余りに空言に終わることが多いわけは、芸術家でない人に芸術的創作を可能にさせてしまう意向を、知ってか知らないでか、隠してしまっていることによるのである。

 芸術というものは、幾度も言う通り、名辞以前の現識領域の、豊富性に依拠する。すなわち、それは人為的に増減できるものではない。

 このようにして芸術家は宿命的悲劇に晒されている。彼は、面白くないことにはいくらせっせと働こうとも徒労である。これは辛いことと言える。
 しかも、この辛さの由来する所にこそ、精神の客観性は依拠するのである。

一、 一切は、不定だ。不定で在り方は、一定だ。

一、芸術家よ、君が君の興味以外のことには煩わされないように。
 こういうことが、芸術家以外の人に、虫のいいことと聞こえるならば、言わなければなるまい、「自分の興味以外に煩わされないで生きることは、それに煩わされて生きることよりもよっぽど困難なのが一般である。虫のいいのは君のほうだ」。

 名辞以前、つまりこれから名辞を造り出さねばならないことは、すでに在る名辞によって生きることよりは、少なくとも2倍の苦しみを要するのである。

一、しかし名辞以前とはいえ、私は印象派の信条と混同されたくはない。すなわち、あの瞬間的描写という意向と。――名辞以前だといって、光と影だけがあるのではない。むしろ名辞以前にこそ、全体性はあるのである。

一、芸術家にとって、先生はいないといっていい。あればそれは伝統である。先生はいうまでもなく、目指す方向ではない。それは介添えしてくれるものだ。このことを混同するために、しばしば混乱が生じる。例えば、かつて私が人々が伝統から学ぶことをあまりに等閑(なおざり)にしていることを訴えるとすぐに、ある人たちは私を伝統主義者のように思った。が、私は、伝統主義者であるのでも、また、ないのでもない。私は、伝統から学べるかぎり学びたいに過ぎない。
(もっとも、このような誤解は、近頃珍しいことではない。熟読ということがどういうことかに思い至らない連中がいかに多いものかと思う。)

※「現代新聞表記」とは、原作の歴史的仮名遣い、歴史的表記を現代の新聞や雑誌の表記基準に拠って書き改めたもので、現代仮名遣い、現代送り仮名、常用漢字の使用、非常用漢字の書き換え、文語の口語化、接続詞や副詞のひらがな化、句読点の適宜追加・削除――などを行い、中学校2年生くらいの言語力で読めるように、平易で分かりやすい文章に整理し直したものです。

 *
 芸術論覚え書(原作)

一、精神といふものは、その根拠を自然の暗黒心域の中に持つてゐる。
 近代人中の極(ご)くもう愚劣な、へ理屈屋共が全然人造的なものを作りたいと企図したりする。彼は彼を生んだものが自分でないことも忘れてゐるやうなものだ。
 ところで精神が客観性を有するわけは、精神がその根拠を自然の中に有するからのことだ。
 而して思考上の紛糾といふものは精神自体の中にその原因を有するのではない。精神の表現過程の中に偶然的雑物が飛込むことにその原因はあるのだ。
 色々の解釈があるのではない。数々の解釈が多少とも夫々(それぞれ)の偶然性に支配されるといふだけのことだ。

一、芸術といふものが、生れるものであつて、拵(こしら)へようといふがものではないといふことは、如何にも芸術の説明にはなつてゐないやうであるけれど、芸術家であるひとにはかう聞けば安心のつくことである点に留意されたい。
 而して、芸術論が屢々余りに空言に終ること多い理由は、芸術家でない人に芸術的制作を可能ならしめんとする意向を知つてか知らないでか秘(ひそ)めてゐることそれである。
 芸術といふものは、幾度もいふ通り名辞以前の現識領域の、豊富性に依拠する。乃(すなわ)ちそれは人為的に増減出来るものではない。
 かくて芸術家は宿命的悲劇に晒(さら)されてゐる。彼は、面白くないことにはいくらせつせと働かうとも徒労である。これは辛いことと云へる。
 而も、この辛さの由来する所にこそ精神の客観性は依拠するのである。

一、一切は、不定だ。不定で在り方は、一定だ。

一、芸術家よ、君が君の興味以外のことに煩(わづら)はされざらんことを。
 かくいふことが、芸術家以外の人に、虫のいいことと聞えるならば云はねばなるまい、「自分の興味以外に煩はされずして生きることは、それに煩はされて生きることよりもよつぽど困難なのが一般である。虫のいいのは君の方だ」。
 名辞以前、つまりこれから名辞を造り出さねばならぬことは、既(すで)に在る名辞によつて生きることよりは、少くとも二倍の苦しみを要するのである。

一、然し名辞以前とは云へ、私は印象派の信条と混同されたくない。即ちかの瞬間的描写といふ意向と。――名辞以前だとて、光と影だけがあるのではない。寧ろ名辞以前にこそ全体性はあるのである。

一、芸術家にとつて先生はゐないといつていい。あればそれは伝統である。先生は云ふまでもなく、目指す方(かた)ではない。それは介添(かいぞへ)してくれるものだ。このことを混同するために屢々混乱が生ずる。例へば、嘗(かつ)て私が人々が伝統から学ぶことを余りに等閑にしてゐることを唱へるや、或る人達は私を伝統主義者の如くに思つた。が、私は伝統から学べる限り学びたいのに過ぎない。
(尤も、右の如き誤解は、当今では珍しいことではない。蓋(けだ)し熟読といふことはどういふこと
かも思ひ到らぬ連中といふものは多いものである)

(角川書店「新編中原中也全集 第4巻 評論・小説 本文篇」より)
※ 傍点は省略、一部表記出来ない記号があります。編者。

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2011年10月 5日 (水)

ランボー・ランボー<34>中原中也「芸術論覚え書」を読む・その5

 <承前4>

 *芸術論覚え書(現代新聞表記)

一、なぜ、わが国の現在は芸術が発展しないか。――何事も最初にプランがあって次にその実施がある。プランは精神的作業で、実施は肉体的作業である。このことは時代としてみても、(比較的の話だが)プランの時代と実施の時代がある。今はいずれかといえば、実施の時代である。実施の時代には、低級な事が跋扈しやすい。つまり、名辞以前の世界が見過ごされがちである。こんな時には、芸術的素質のある者は必要以上に辛いのである。そんな時には芸術が発展しにくい。――今やようやく実施ははばを利かしてきつつある。すなわち前の時代のプランはようやく陳腐なものに感じられつつある。そんな時、人はいわゆる指導原理を欲するようになる。しかし、芸術に指導原理などというものはない! それどころか、芸術は指導原理を気にしないでいられる域に住んでいれば住んでいるほど始められる生命能力である。指導原理だとか何だとかと声を涸らしていることが、みんな空言であったと分かる日がいずれ来るのである。だが振り返って考えてみれば、そういうことが流行している今でも、そういうことを口にしている人は、現実感をもって言っているはずはない。もともと木に竹をつなげるとでも思っていられるほどの馬鹿でなければ、芸術に指導原理だなんてことを言えるものではない。しかも彼らを黙らせるには、たぶん良い作品の誕生が盛んになってくること以外に方法はない。面白いものが現前しはじめれば、ようやく実感は立ち返ってくるものだ。それから彼らだって、まったくの空言は吐かないようなものだ。

一、なぜ、わが国に批評精神は発達しないか。――名辞以後の世界が、名辞以前の世界よりもはなはだしく多いからである。万葉以後、わが国は平面的である。名辞以後、名辞と名辞の交渉の範囲にだけ大部分の生活があり、名辞の内包、すなわちやがて新しい名辞となるものが著しく貧弱である。したがって実質よりも名義がいつものさばる。その上、批評精神というものは名義についてではなく、実質について活動するものだから、批評精神というものが発達しようがない。(たまたま批評が盛んなようでも、言ってみればそれは評定根性である)。

 つまり、物質的傾向のあるところには批評精神はない。東洋が神秘的だなどというのはあまりに無邪気な言い分に過ぎない。「物質的」に「精神的」は抑えられているので、精神は隙間からちょっぴり呟くから神秘的に見えたりするけれど、もともと東洋で精神は未だ優遇されたことはない。

一、生命が豊富であるとは、物事の実現が豊富であるということとむしろ反対であると解釈したほうがよい。なぜなら、実現された事物はもはや物であって生命ではない。生命の豊富とは、これから新規に実現する可能の豊富であり、それはいわば現識のことである。現識の豊富ということがとかく見過ごされがちなところに、日本の世間の希薄性が存在する。いずれにしても現識の豊富なことは、世間ことに日本の世間では鈍重とだけ見られやすい。

 安っぽくてピカピカした物の方が通りがよいということは、このようにして、人生が幸福であることではない。価値意識の乏しい所は、混雑が支配することになる。混雑は結局、価値に乏しい人々をも幸福にはしない。
 
一、幸福は事物の中にはない。事物を見たり扱ったりする人の精神の中にある。精神が尊重されないということは、やがて事物も尊重されないことになる。精神の尊重をロマンチックだといって笑う心ほどロマンチックなものはない。これを心理的に見ても、物だけで結構などと言っている時、人は言葉に響きを持っているようなことはない。それは自然法則とともに事実である。

一、芸術作品というものは、断じて人と合議の上で出来るものではない。社会と合議の上で出来るものでもない。

一、精神的不感症が、歴史だけが面白いのではないか、などと思ってみることがあるものだ。だが歴史とは、個人精神の成果の連続的雰囲気である。個人の精神が面白ければそれは歴史も面白いだろう。しかし、歴史は面白いが個人は面白くないなどということはあり得ない。

※「現代新聞表記版」とは、原作の歴史的仮名遣い、歴史的表記を現代の新聞や雑誌の表記基準に拠って書き改めたもので、現代仮名遣い、現代送り仮名、常用漢字の使用、非常用漢字の書き換え、文語の口語化、接続詞や副詞のひらがな化、句読点の適宜追加・削除――などを行い、中学校2年生くらいの言語力で読めるように、平易で分かりやすい文章に整理し直したものです。

 *
 芸術論覚え書(原作)

一、何故我が国現在は芸術が発展しないか。――何事にまれ最初プランがあつて次にその実施がある。プランは精神的作業で、実施は肉体的作業である。このことは時代としてみても(比較的の話だが)プランの時代と実施の時代がある。今は何(いづ)れかと云へば実施の時代である。実施の時代にはえて低級の事が跋扈(ばっこ)する。つまり名辞以前の世界が閑却されがちである。こんな時には芸術的素質の所有者は必要以上に辛(つら)いのである。そんな時には芸術が発展しにくい。――今や漸(やうや)く実施はウダつて来つつある。即ち前代プランが漸く陳腐に感じられつつある。そんな時人は謂ふ所の指導原理もがなといふことになる。然し芸術に指導原理などといふものはない! それどころか芸術に指導原理を気にならない堺(さかひ)に住すれば住する程開始される一つの生命能力である。指導原理だの、何だのと声を涸(か)らしてゐることが、みんな空言であつたと分る日が来るのである。だが振返つて考へてみれば、さういふことを口にしてゐる人は、現実感を以て云つてゐる筈はない。もともと木に竹を接(つ)げると思つてゐられる程の馬鹿でなければ、芸術に指導原理だのといふことを云へるものではない。而も彼等を黙させるに到るものは、多分良い作品の誕生が盛んになつて来ることのほかにはない。面白い物が現前しはじめると、漸く実感は立ち返るものだ。それから彼等だとて全然の空言は吐かぬやうなものだ。

一、何故我が国に批評精神は発達しないか。――名辞以後の世界が名辞以前の世界より甚だしく多いからである。万葉以後、我が国は平面的である。名辞以後、名辞と名辞の交渉の範囲にだけ大部分の生活があり、名辞の内包、即ちやがて新しき名辞とならんものが著(いちじる)しく貧弱である。従つて実質よりも名義が何時ものさばる。而(しか)して批評精神というふものは名義に就いてではなく実質に就いて活動するものだから、批評精神といふものが発達しようはない。(偶々批評が盛んなやうでも、少し意地悪く云つてみるならばそれは評定根性である)。

 つまり、物質的傾向のある所には批評精神はない。東洋が神秘的だなぞといふのはあまりに無邪気な言辞に過ぎぬ。「物質的」に「精神的」は圧(おさ)へられてゐるので、精神はスキマからチョッピリ呟(つぶや)くから神秘的に見えたりするけれど、もともと東洋で精神は未だ優遇されたことはない。

一、生命が豊富であるとは、物事の実現が豊富であるといふことと寧ろ反対であると解する方がよい。何故なら実現された事物はもはや物であつて生命ではない。生命の豊富とはこれから新規に実現する可能の豊富でありそれは謂(い)はば現識の豊富のことである。現識の豊富よいふことがとかく閑却され勝な所に日本の世間の希薄性が存する。とまれ現識の豊富なことは世間では、殊に日本の世間では鈍重とのみ見られ易い。

 安ピカ物の方が通りがよいといふことはかにかくに人生が幸福であることではない。価値意識の乏しい所は混雑が支配することとなる。混雑は結局価値乏しい人々をも幸福にはしない。

一、幸福は事物の中にはない。事物を観(み)たり扱つたりする人の精神の中にある。精神が尊重されないといふことはやがて事物も尊重されないことになる。精神尊重をロマンチックだとて嗤(わら)う心ほどロマンチックなものはない。之を心理的に見ても、物だけで結構なぞといつてる時人は言葉に響きを持つてゐようことはない。それは自然法則と共に事実である。

一、芸術作品といふものは、断じて人と合議の上で出来るものではない。社会と合議の上で出来るものでもない。

一、精神的不感症が、歴史だけが面白いのではないかなぞと思つてみることがあるものだ。だが歴史とは個人精神の成果の連続的雰囲気(ふんゐき)である。個人の精神が面白ければそれは歴史も面白かろう。然し、歴史は面白いが個人は恩白くないなぞといふことはあり得ない。

(角川書店「新編中原中也全集 第4巻 評論・小説 本文篇」より)
※ 傍点は省略、一部表記出来ない記号があります。
※ 「堺」と「境」は同義ですが、原作は両方が使用されています。編者。

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2011年10月 4日 (火)

ランボー・ランボー<33>中原中也「芸術論覚え書」を読む・その4

 <承前3>  *芸術論覚え書(現代新聞表記) 一、1作品中でのデータ(細部)とデータは、理想的に言えば絶対に類推的に結合されていてはならない。何故ならば、類推というものは、先に言うように「面白いから面白い領域」にもともとあるものではないから、例えば詩では語が語を生み、行が行を生まなければならない。すなわち、類推はそれが十分に行われない場合の補助手段である。繰り返せば、類推とは、名辞と名辞との間にとり行われる一つの作用の名前である。すなわち生活側に属する作用である。 一、作品の客観性は、人為的に獲得出来るものではない。それは、名辞以前の世界、すなわち「面白いから面白い領域」でその面白さが明確であることと同時に存在するところのものである。こうして作品の客観性は作品の動機の中に必然として約束されてあるものであるから、科学知識の有無などに直接関連のあるものではない。 一、根本的にはただ一つの態度しかない。すなわち作者が「面白いから面白い」ことをそのまま現したいという態度である。そのために、外観的に言って様々な手法というものがあるが、それであってもそれは近頃、一般に考えられているほど数多くあるのは邪道である。それらの多くは欧州大戦の疲弊が一時的に案出したものに過ぎず、芸術本来の要求に発したよりも芸術的スランプの救済要求に発したものと考えるべき理由がある、もっともこれは手短に言って理想論的見解でありすぎるかも知れない。 一、ロマンチシスムとレアリスムとは対立するわけはない。概観すると、批評精神のなおざりにされた時代はとかくロマンチックと言われる傾向が比較的顕著であった。こんな具合だから、ロマンチシスムといいレアリスムというのは作品の色合い、傾向などの主要な属性の指示に過ぎない。 一、しばしば言われる意味で、芸術には「思想が必要」などというのは意義がない。「面白いから面白い」ことはすでに意向的なことである。その上、思想を持ち込むなどとは野蛮人がありったけの首飾りを着けるようなものだ。イリュージョンと共にない何事も、芸術には無用である。 一、問題が紛糾するのはいつも、ちょうど芸術の格好をした芸術というものが存在するからである。例えば、語呂がよいだけの韻文などというものがある。早く言えば語呂合わせだ。ところで、語呂合わせの大家が語呂のちょっと拙い芸術の大家に言うのだ、「君は語感をおろそかにしている」などと。 さて、語感は非常に大切だ。言ってみれば、ポンプにバルブは非常に大切だ。ところで、その柄が折れていたら、ポンプは汲めない。それは、作品観賞に際して、抽象的視点(例えば「語感」のような)を与えて、その点よりみるということは意義がない。――彼女の鼻は美しい。口は醜い。睫毛は美しい。額は醜い。それから頬は……耳は何々。さてそれで彼女はいったい美人なのかどんなのか分かりはしないと同様に、「この時の脚韻駆使は何々。頭韻駆使は何々。」措辞法は何々などと言っても批評とはならない。そんな批評もたまにはあってもいいがそんな批評しか出来ない詩人や批評家がいるからご注意。 一、一つの作品が生まれたということは、今まで箒(ほうき)しか存在しなかった所に手拭いが出来たというように、新たに一物象が存在するようになったということであり、従来あったものの改良品が出たというようなこと以上のことである。こう言うのは、世人がいよいよ芸術作品を、箒なら箒、手拭いなら手拭いというテーマがあって、それのさまざまな解説(インタープリテーション)があれこれの作品は、テーマの発展であっても、テーマの解説ではない。これは、小説でも詩でもその他絵画、音楽などでも同様である。厳密に言えば、テーマとその発展も同時的存在である。 ※「現代新聞表記」とは、原作の歴史的仮名遣い、歴史的表記を現代の新聞や雑誌の表記基準に拠って書き改めたもので、現代仮名遣い、現代送り仮名、常用漢字の使用、非常用漢字の書き換え、文語の口語化、接続詞や副詞のひらがな化、句読点の適宜追加・削除――などを行い、中学校2年生くらいの言語力で読めるように、平易で分かりやすい文章に整理し直したものです。  *  芸術論覚え書(原作) 一、 一作品中に於けるデータ(細部)とデータは、理想的に云へば、絶対に類推的に結合されてゐてはならぬ。何故なれば類推なるものは、先に云ふ「面白いから面白い境」にもともとあるものではないから、例へば詩に於ては語が語を生み、行が行を生まなければならぬ。乃(すなは)ち類推はそれが十分に行はれない場合の補助手段である。繰返せば類推とは名辞と名辞との間に取り行はれる一つの作用の名前である。即ち生活側に属する作用である。 一、作品の客観性は、人為的に獲得出来るものではない。それは名辞以前の世界、即ち「面白いから面白い境」でその面白さが明確であることと同時に存在する所のものである。かくて作品の客観性は作品の動機の中に必然約束されてあるものであるから、科学知識の有無などに直接関連のあるものではない。 一、根本的には唯一つの態度しかない。即ち作者が「面白いから面白い」ことを如実に現したいといふ態度である。そのために、外観的に云つて様々な手法といふものがあるが、それとてもそれは近時一般に考へられてゐる程多くあるのは邪道である。それらの多くは欧州大戦の疲弊が一時的に案出したものに過ぎず、芸術本来の要求に発したよりも芸術的スランプの救済要求に発したものと考ふべき理由がある。尤もこれは手短かに云つて理想論的見解でありすぎるかも知れない。 一、ロマンチシスムとレアリスムと対立するわけはない。概観するに批評精神の等閑された時代はえてロマンチックと謂はれる傾向が比較的顕著であつた。こんな具合だから、ロマンチシスムといひレアリスムといふは作品の色合、傾向等の主要属性の指示に過ぎぬ。 一、屢々謂はれる意味で芸術には「思想が必要」などとは意義をなさぬ。「面白いから面白い」ことは既に意向的なことである。その上思想を持込むなぞは野蛮人がありつたけの頸飾りを着けるがやうなものだ。イリューージョンと共にない所の何事も芸術には無用である。 一、問題が紛糾するのは何時も、宛然(ゑんぜん)芸術の恰好せる非芸術といふものが存在するからである。例へば語呂がよいだけの韻文なぞといふものがある。早く云へば語呂合せだ。所で語呂合せの大家が語呂の一寸拙(まづ)い芸術の大家に云ふのだ、「君は語感をおろそかにする」なぞ。  扨(さて)語感は、非常に大切だ。云つてみれば、ポンプに於てバルブは非常に大切だ。所でその柄(え)が折れてゐたら、ポンプは汲(く)めぬ。それは、作品観賞に際して抽象的視点(例へば「語感」の如き)を与へて、その点よりみるといふことは意義がない。――彼女の鼻は美しい。口は醜い。睫毛(まつげ)は美しい。額は醜い。それから頬(ほほ)は……生え際(ぎは)は……耳は云々。されそれで彼女はいつたい美人なのかどんなのか分りはしないと同様に、「此の詩の脚韻駆使は云々。頭韻駆使は云々。」措辞(そじ)法は云々なぞといふとも批評とはならぬ。そんな批評も偶(たま)にはあれだがそんな批評しか出来ない詩人や批評家がゐるから御注意。 一、一つの作品が生れたといふことは、今迄箒(はうき)しか存在しなかつた所に手拭が出来たといふやうに、新たに一物象が存在したことであり、従来あつたものの改良品が出たといふやうなこと以上である。斯(か)くいふは世人屢々芸術作品を以て、箒なら箒、手拭なら手拭といふ一定のテーマがあつて、それの種々なる解説(インタプリテイション)が彼是(かれこれ)の作品は、テーマの発展であるとも、テーマの解説ではない。これは、小説に於ても詩に於てもその他絵画、音楽等に於ても同様である。厳密に云へば、テーマとその発展も同時的存在である。 (角川書店「新編中原中也全集 第4巻 評論・小説 本文篇」より) ※傍点は省略、一部表記出来ない記号があります。編者。 にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ (↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)

2011年10月 3日 (月)

ランボー・ランボー<32>中原中也「芸術論覚え書」を読む・その3

 <承前2>

 *芸術論覚え書(現代新聞表記)

一、 芸術は、認識ではない。認識とは、元来、現識過剰に耐えられなくなって発生したとも考えられるもので、その認識を整理するのが、学問である。故に、芸術は学問ではなおさらない。

 芸術家が、学問に行くことは、むしろ利益ではない。
 しかし学問を厭(いと)うことが、何も芸術家の誉(ほま)れでもない。学問などは、人が芸術家であれば、耳学問で十分間に合うようになっている。認識対象が、実質的に掴めていれば、それに名辞や整頓を与えた学問などは、たとえば本で言えば目次を見たりインデックスを見たりするだけで分かる。たまには学びたくなるのも人情だから学ぶのもよろしいが、本の表題だけで、大体その本が分からないくらいなら、芸術などやらないほうがましである。(もっとも、表題の付け方の拙(まづ)い本は別の話だ。)

一、比喩的に言えば、太初には「消費」と「供給」は同時的存在だったが、人類はおそらく「食わねばならない」とか「身を防がねばならない」という消極方面のことに先ず走ったので「消費」の方は取り残された。もともと人類史は「背に腹は換えられない」歴史で、取り残された「消費」を回想(リメイン)させるのは芸術である。それで芸術と生活とは、絶対に互いに平行的関係にあるもので、何かのための芸術というようなものはない。

 芸術というのは名辞以前の世界の作業で、生活とは諸名辞間の交渉である。そこで、生活で敏活な人が芸術で敏活とはいかないし、芸術で敏活な人が生活では頓馬(とんま)であることもあり得る。いわば芸術とは「樵夫(きこり)山を見ず」のその樵夫であって、しかも山のことを語れば何かと面白く語れることであり、「あれが『山(名辞)』であの山はこの山よりどうだ」などということが、いわば生活である。まして「この山は防風上はあの山より一層重大な役目を果たす」などというのは明きらかに生活のことである。そこでたとえば、いわゆる問題劇を書いたイプセンだって、自身も言った通り、たしかに「人生(ライフ)のために書いたのではない」のであって、たまたま人生で問題になりがちな素材を用いたに過ぎない。すなわちその素材の上で夢みるという純粋消費作用を営んだに過ぎない。

一、生命の豊かさ熾烈(しれつ)さだけが芸術にとって重要なので、感情の豊かさ熾烈さが重要なのではない。むしろ感情の熾烈は、作品を小主観的にするに過ぎない。詩について言えば、幻影(イメージ)も語義も、感情を発生させる性質のものではないのに、感情はそれらを無益に引きずり回し、イメージをも語義をも結局、不分明にしてしまう。生命の豊かさそのものとは、つまるところ小児が手と知らないまま自分の手を見て興じているようなものであり、つまり物が物それだけで面白いから面白い状態に見られるといったもので、芸術とは、面白いから面白いという領域のことで、こうして一般生活の上で人々が触れない世界のことで、いわば実質内部の興趣の発展によって生じるものであり、そうして生活だけをして芸術をしないことはまずまず全然可能だが、芸術をして生活をしないわけには行かないから、芸術はいよいよ忙しい立場にあり、芸術が一人の芸術家の内で衰退していくのは常にその忙しさの形式をとることからである。

さて、芸術家は名辞以前の世界に呼吸していればよいとして、「生活」は絶えず彼に向かって「怠(なま)け者」よという声を放つと考えることができるが、その声が耳に入らないほど名辞以前の世界で彼独特の心的作業が営まれつつあるその濃度に比例して、やがて生じる作品は客観的存在物となるのである。しかも名辞以前の「面白いから面白い」領域のことは、その面白さを人は人為的に増減することは困難だからここに宿命性があると言える。もっともそのノートの論旨を心得ていれば心得ていないよりは幾分宿命をいい方に転向させることができるというものであろう。

一、技巧論というものはほとんど不可能である。何故なら、技巧とは一々の場合に当たって作者自身の関心内にあることで、ことに芸術の場合には名辞以前の世界での作業であり、技巧論、すなわち論となったときから名辞以後の世界に属するところから、技巧論というものはせいぜい制作意向の抽象表情を捉えてそれの属性を述べること以上には本来出ることは出来ないからだ。つまり、便宜的にしか述べることが出来ない。しかも述べられたことから利益を得るのは、述べた人自身がそれと非常に相似的芸術家に役立つだけである。

※「現代新聞表記」とは、原作の歴史的仮名遣い、歴史的表記を現代の新聞や雑誌の表記基準に拠って書き改めたもので、現代仮名遣い、現代送り仮名、常用漢字の使用、非常用漢字の書き換え、文語の口語化、接続詞や副詞のひらがな化、句読点の適宜追加・削除――などを行い、中学校2年生くらいの言語力で読めるように、平易で分かりやすい文章に整理し直したものです。

 *
 芸術論覚え書(原作)

一、芸術は、認識ではない。認識とは、元来、現識過剰に堪へられなくなつて発生したとも考へられるもので、その認識を整理するのが、学問である。故に、芸術は、学問では猶更(なほさら)ない。
 芸術家が、学問にゆくことは、寧(むし)ろ利益ではない。
 然し学問を厭(いと)ふことが、何も芸術家の誉れでもない。学問なぞは、人が芸術家であれば、耳学問で十分間に合ふやうになつてゐる。認識対象が、実質的に摑(つか)めてゐれば、それに名辞や整頓(せいとん)を与へた学問なぞは、例へば本で云へば目次をみたりインデックスを見たりするだけで分る。偶(たま)には学びたくなるのも人情だから学ぶもよろしいが、本の表題だけで、大体その本が分らない位なら、芸術なぞやらぬがまあよい。(尤も、表題の付け方の拙い本は別の話だ。)

一、比喩(ひゆ)的に云へば、太初には「消費」と「供給」は同時的存在だつたが、人類は恐らく「食はねばならぬ」とか「身を防がねばならぬ」といふ消極方面のことに先ず走つたので「消費」の方は取り残された。由来人類史は「背に腹は換へられぬ」歴史で、取残された「消費」を回想(リメイン)させるのは芸術である。それで芸術と生活とは、絶対に互ひに平行的関係にあるもので、何かのための芸術といふやうなものはない。

 芸術といふのは名辞以前の世界の作業で、生活とは諸名辞間の交渉である。そこで生活で敏活な人が芸術で敏活とはいかないし、芸術で敏活な人が生活では頓馬(とんま)であることもあり得る。謂(い)はば芸術とは「樵夫(きこり)山を見ず」のその樵夫にして、而も山のことを語れば何かと面白く語れることにて、「あれが『山(名)』であの山はこの山よりどうだ」なぞといふことが謂はば生活である。ましては「この山は防風上はかの山より一層重大な役目をなす」なぞといふのはいよいよ以て生活である。そこで例へば謂ふ所の問題劇を書いたイプセンだつて、自身も云つた通り慥(たし)かに「人生(ライフ)のために書いたのではない」のであつて、偶々人生で問題になり勝な素材を用ゐたに過ぎぬ。即ちその素材の上で夢みるといふ純粋消費作用を営んだに過ぎぬ。

一、生命の豊かさ熾烈(しれつ)さだけが芸術にとつて重要なので感情の豊かさ熾烈さが重要なのではない。寧ろ感情の熾烈は作品を小主観的にするに過ぎない。詩に就いて云へば幻影(イメッジ)も語義も感情を生発せしめる性質のものではないところにもつてきて感情はそれらを無益に引き摺(ず)り廻し、イメッジをも語義をも結局不分明にしてしまふ。生命の豊かさそのものとは、畢竟(ひつきやう)小児が手と知らずして己が手を見て興ずるが如きものであり、つまり物が物それだけで面白いから面白い状態に見られる所のもので、芸術とは、面白いから面白い境(さかひ)のことで、かくて一般生活の上で人々が触れぬ世界のことで、謂はば実質内部の興趣の発展によつて生ずるものであり、而して生活だけをして芸術をしないことはまづまづ全然可能だが、芸術をして生活をしないわけには行かぬから、芸術は屡々忙しい立場に在り、芸術が一人の芸術家の裡(うち)で衰褪してゆくのは常にその忙しさ形式を採つてのことである。

 扨(さて)、芸術家は名辞以前の世界に呼吸してゐればよいとして、「生活」は絶えず彼に向つて「怠(なま)け者」よといふ声を放つと考へることが出来るが、その声が耳に入らない程名辞以前の世界で彼独特の心的作業が営まれつゝあるその濃度に比例してやがて生ずる作品は客観的存在物たるを得る。而も名辞以前の「面白いから面白い」境(さかひ)のことは、その面白さを人は人為的に増減することは困難だから茲(ここ)に宿命性が在ると云へる。尤も該(がい)ノートの論旨を心得てゐれば心得てゐないよりは幾分宿命をいい方に転向させることが出来るといふものであらう。

一、技巧論といふものは殆ど不可能である。何故なら技巧とは一々の場合に当つて作者自身の関心内にあることで、殊に芸術の場合には名辞以前の世界での作業であり、技巧論即ち論となるや名辞以前の世界に属する所から、技巧論といふものはせいぜい制作意向の抽象表情を捉(とら)へてそれの属性を述べること以上には本来出ることが出来ない。つまり便宜的にしか述べることが出来ない。而も述べられたことから益するのは述べた人自身がそれと非常に相似的芸術家に役立つだけである。

(角川書店「新編中原中也全集 第4巻 評論・小説 本文篇」より)
※傍点は省略、一部表記出来ない記号があります。編者。

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2011年10月 2日 (日)

ランボー・ランボー<31>中原中也「芸術論覚え書」を読む・その2

 <承前>

 *芸術論覚え書(現代新聞表記)

一、芸術を衰退させるものは、固定観念である。いってみれば、人が皆、芸術家にならなかったということは、たいがいの人は何等かの固定観念を生の当初に持ったからである。固定観念が、条件反射的にあるうちはまだよいが、無条件反射とまでなると芸術は枯渇する。

 芸術家にとって世界は、すなわち彼の世界意識は、善いものでも悪いものでも、その他いかなるモディフィケーションをも許容できるものではない。彼にとって、「手」とは「手」であり、「顔」とは「顔」であり、A=Aであるだけの世界の中に、彼の想像力は活動しているのである。したがって、「面白い故に面白い」ことだけが芸術家に芸術の素材を提供する。あたかも、「これは為になる、故に大切である」ことが、生活家に生活の素材を提供するように。

一、しかも、生活だけするということはできるが、芸術だけするということは芸術家も人間である限りできない。こうして、そこに、紛糾は、およそかつて誰も思ってみなかったほど発生しているのであるが、そのことを文献はほとんど語っていないというのも過言ではない。こうしてここでは「多勢に無勢」という法則だけが支配し、芸術はいつもたしなめられるが、しかも生活側が芸術をたしなめようとすることこそ、人類が芸術的要求を持っているということであり、芸術的要求の生活側での変態的現象である、と言える。何故ならば、無勢であるために多勢にとって覗き見ることがむずかしいものをたしなめることは、また、芸術側が面白い故に面白いものだけを関心するのに相似し平行している。

 こうして古来、真摯な芸術家が、いわば伝説的怪物のような印象を残して逝ったことは示唆的である。

一、芸術家には、認識は不要だなどとよく言われる。しかし、認識しようと観察しようと結構だ。ただ応用科学が何かの目的の下に認識したり観察したりするように、認識したり観察したりするのは無駄だ。認識が面白い限りで認識され、観察が面白い限りで観察されるのは結構なことだ。

 それというのも、芸術とはいってみれば人類の倦怠を治療する役を持っているといえばいえる。それは自然の面白さを拡張する一つの能力で、だとすれば断じて興味以外のものを目的とすることが許されない。何を目的としようと勝手ではある。しかも興味以外の目的がある限りで、芸術能力は減殺されることは自然法則である。何故ならば、芸術の存在理由は芸術自身の内にあること、ちょうど塩っ辛いものが塩っ辛く、砂糖が甘いというようなものであり、恍惚は恍惚であっても、恍惚は直接、他に伝達できるものではなく、恍惚の内部がよく感取され、すなわち他の恍惚内部との相関関係でわずかに暗示、表現することができるに過ぎないから。

一、美とは、宿命である。しかも、宿命であると分かれば、人力で幾分、美を人為的に保存し、増大させることができる。すなわち、芸術家が、生活家の義務を強いられないような環境を作ることによって。
 故に、芸術家は、芸術家同士で遊ぶがよい。それ以外の対座は、こちらからは希望してかからないこと。
 君の挨拶が滑稽だといって笑われたらよい。そんな時はただ赤面していればよい。その赤面を回避しようとした途端に、君は君の芸術を絞めにかかっているのだ。

 生活がまづいということではない。
 社交性と芸術とは、何の関係もない。芸術家がとかく淋しがりやであるので関係があるように見えるだけのものだ。しかも、芸術家は、もし社交が面白ければ社交すればよい。

一、芸術とは、物と物との比較以前の世界のことだ。笑いが生じる以前の興味だ。笑いは、興味の自然的作品だ。生活は、その作品を読むとか読まないとか、聞くとか聞かないとかの世界だ。故に、芸術とは興味が、笑いという自然的作品よりも、作品という人力の息吹きのかかったものを作り出すためには、興味そのものの内部に、生活人よりも格段と広い世界を持たねばならない。故に、生活を、ことに虚栄を、顧慮する限りで衰退する形の、呆然と見とれている世界のことである。

 故に、芸術家である芸術家が、芸術作用を営みつつある時間内に、芸術家は他の人に敵対的ではなく、天使に近い。

 生活人はしばしばこの天使状態を、何かと訝る。訝っても自分にほとんどない要素であるためについに推察できず、疑心暗鬼を生じ、芸術家を憎むに至る。これは無理もないことであるから仕方がない。

 しかもこれを生活人に十分解らせることは困難である。自分に持っていないものは分かりはしない。もし分かったとしても、それが生活人自身にとって何にもならないことから、分からないよりももっと悪い結果を起こすだけのものである。だから、そういう時には、よく言われるように「芸術家は子供っぽいものですよ」と言っておけばよい。もっとも、このことは、芸術家が、非常に顕著に芸術的である場合にのみ起こる。

※「現代新聞表記」とは、原作の歴史的仮名遣い、歴史的表記を現代の新聞や雑誌の表記基準に拠って書き改めたもので、現代仮名遣い、現代送り仮名、常用漢字の使用、非常用漢字の書き換え、文語の口語化、接続詞や副詞のひらがな化、句読点の適宜追加・削除――などを行い、中学校2年生くらいの言語力で読めるように、平易で分かりやすい文章に整理し直したものです。

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 芸術論覚え書(原作)

一、芸術を衰褪(すいたい)させるものは固定観念である。云つて見れば人が皆芸術家にならなかつたといふことは大概のひとは何等かの固定観念を生の当初に持つたからである。固定観念が条件反射的にあるうちはまだよいが無条件反射とまでなるや芸術は涸渇(こかつ)する。
 芸術家にとつて世界は、即(すなは)ち彼の世界意識は、善いものでも悪いものであも、其の他如何なるモディフィケーションをも許容出来るものではない。彼にとつて「手」とは「手」であり、「顔」とは「顔」であり、A=Aであるだけの世界の中に彼の想像力は活動してゐるのである。従つて「面白い故に面白い」ことだけが芸術家に芸術の
素材を提供する。恰(あたか)も「これは為になる、故に大切である」ことが生活家に生活の素材を提供する如く。

一、而も生活だけするといふことは出来るが、芸術だけするといふことは芸術家も人間である限り出来ぬ。かくて、其処(そこ)に、紛糾は、凡そ未だ嘗(かつ)て誰も思ってもみなかった程発生してゐるのであるが、そのことを文献は殆ど語つてゐないといふも過言ではない。かくて此処では「多勢に無勢」なる法則だけが支配し、芸術は何時も窘(たしな)められるが、而も生活側が芸術を窘めようとすることこそ人類が芸術的要求を有する所以のものであり、芸術的要求の生活側に於ける変態的現象であると云へる。何故ならば、無勢であるために多勢にとつて覗(のぞ)き見ること難きものを窘めることはまた、芸術側が面白い故に面白いものだけを関心するのに相似し平行してゐる。
 かくて古来真摯(しんし)な芸術家が、謂(い)はゞ伝説的怪物の如き印象を遺して逝(い)つたことは示唆(しさ)的である。

一、芸術家には、認識は不要だなぞとよく云はれる。然し認識しようと観察しようと結構だ。たゞ応用科学が何かの目的の下に認識したり観察したりする様に、認識したり観察したりするのは無駄だ。認識が面白い限りに於て認識され、観察が面白い限りに於て観察されるのは結構なことだ。

それよ、芸術とは云つてみれば人類の倦怠(けんたい)を医する役を持つてゐるといへばいへる。それは自然の面白さを拡張する一つの能力で、されば断じて興味以外のものを目的とすることが許されぬ。何を目的としようと勝手ではある。而も興味以外の目的がある限りに於て、芸術能力は減殺されることは自然法則である。何故ならば、芸術の存在理由は芸術自身の裡(うち)にあること、恰(あたか)も塩ッからいものが塩ッからく、砂糖が、甘いが如きものであり、恍惚は恍惚であれ、恍惚は直接他(ひと)に伝達出来るものではなく、恍惚の内部がよく感取され、即ち他の恍惚内部との相関関係に於て僅かに暗示、表現することが出来るに過ぎないから。

一、美とは、宿命である。而も、宿命であると分れば、人力で幾分美を人為的に保存し、増大せしめることが出来る。即ち、芸術家が、生活家の義務を強(し)ひられざるやうな環境を作ることによつて。
 故に、芸術家は、芸術家同士遊ぶがよい。それ以外の対座は、こちらからは希望してかからないこと。

君の挨拶(あいさつ)が滑稽(こっけい)だといつて笑はれるがよい。そんな時は唯赤面してればよい。その赤面を廻避しようとするや、君は君の芸術を絞めにかかつてゐるのだ。

生活が拙(まづ)いといふことではない。
 社交性と芸術とは、何の関係もない。芸術家がえて淋しがりやであるので関係があるやうに見えたりするだけのものだ。而も、芸術家はもし社交が面白ければ社交するがよい。

一、芸術とは、物と物との比較以前の世界内のことだ。笑ひが生ずる以前の興味だ。笑ひは、興味の自然的作品だ。生活は、その作品を読むとか読まぬとか、聞くとか聞かぬとかの世界だ。故に、芸術とは興味が、笑ひといふ自然的作品よりも、作品といふ人力の息吹きのかかつたものを作り出すためには、興味そのものの内部に、生活人よりも格段と広い世界を有さねばならぬ。故に、生活を、殊には虚栄を、顧慮する限りに於て衰褪する底の、呆然見とれてゐる世界のことである。
 故に、芸術家たる芸術家が、芸術作用を営みつつある時間内にある限りに於て、芸術家は他(ひと)に敵対的えでゃなく、天使に近い。
 生活人は屡々(しばしば)芸術家の此の天使状態を、何かと訝る。訝かつても自分に殆どない要素である故遂に推察出来ず、疑心暗鬼を生じ、芸術家を憎むに到る。これは無理からぬことでありから仕方がない。
 而もこれを生活人に十分解らせることは困難である。自分に持つてゐないものは分りはせぬ。もし分つたとしても、それが生活人自身にとつて何にもならぬことから、分らないよりもつと悪い結果を起すだけのものである。だからさういふ時には、よく云はれるやうに「芸術家は子供つぽいものですよ」と云つておけばよい。尤も、このことは、芸術家が、非常に顕著に芸術的である場合にのみ起る。

(角川書店「新編中原中也全集 第4巻 評論・小説 本文篇」より)

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