中原中也が訳したランボー「感動」その3・堀口大学の「感覚」
三富朽葉(みとみ・きゅうよう)とか
長田秀雄だとか
大木篤夫(別名で大木惇夫)だとか
歴史の彼方に埋もれ
少なくとも一般人の目からは遠い存在になってしまっているのですが
ネットでWikipediaに書かれるからまだよいにしても
藤林みさをは検索にひっかかる情報も微量です。
とはいうものの
明治末から大正・昭和にかけての
ランボーの翻訳という仕事に
永井荷風や金子光晴とともに
そして中原中也とともに
これらの文学者、研究者、翻訳家、詩人らが動き、
活況を呈していたことに驚きを覚えないわけにはいきません。
「ランボーという事件」の
裾野(すその)の広がりを思えば
ワクワクしてくるものがありますね。
「Sensation」のすべての翻訳を読んでみたいものですが
容易にそうはいかないことがわかると
同時代の翻訳で
自然に目がいくのは
上田敏は大正5年に亡くなりますし
鈴木信太郎訳は見当たらず
小林秀雄は「Sensation」を訳していないようなので
行き当たるのが堀口大学訳です。
堀口訳は
新潮文庫「ランボー詩集」(昭和26年初版、平成23年88刷)があり
今でこそ最もポピュラーといえるほどですが
ランボーを訳したのは
昭和9年の「酔ひどれ舟」を除いて
戦後になってからでした――。
ランボオの詩は、どういう理由か、在来、翻訳家としての私のにがてであつた。この少
年詩人のダイヤモンドのやうな作品には、どうしても、歯が立たなかつたのである。
(略)それが先年、戦争に追はれ、東海の温暖郷から、深雪の越の山里へ移り住んだ
頃から、ぽつぽつとランボオの訳が成り、今日まで3年ほどの間に30余篇を得た。
(略)私が54歳から57歳の頃の仕事である。
――と、昭和24年発行の「ランボオ詩集」(新潮社)のあとがきで述べています。
この昭和24年版詩集が
昭和26年には文庫になり
88刷を数える増刷や
時には改版を経て
現代表記化されて今の形になりました。
ここでは
あえて昭和26年版「ランボオ詩集」収載の
訳出を見ておきますのは
第一に
戦後にはじめられた翻訳でありながら
中原中也の同時代訳として扱ってもおかしくはない
歴史的表記が読めるからです。
タイトルは「感覚」で
長田秀雄、藤林みさを、大木篤夫と同じです。
◇
感覚
堀口大学訳
夏の夕ぐれ青き頃、行くが楽しさ小径ぞへ、
穂麦に刺され、草を踏み
夢心地、あなうら爽(さや)に
吹く風に髪なぶらせて!
もの言はね、もの思はね、
愛のみの心に湧きて、
さすらひの子のごと遠くわれ行かめ
天地(あめつち)の果(はてし)かけ――女なぞ伴へるごと満ち足りて。
Sensation
※原作の旧漢字は新漢字に改めてあります。編者。
*
感動
中原中也訳
私はゆかう、夏の青き宵は
麦穂臑(すね)刺す小径の上に、小草(をぐさ)を踏みに
夢想家・私は私の足に、爽々(すがすが)しさのつたふを覚え、
吹く風に思ふさま、私の頭をなぶらすだらう!
私は語りも、考へもしまい、だが
果てなき愛は心の裡(うち)に、浮びも来よう
私は往かう、遠く遠くボヘミヤンのやう
天地の間を、女と伴れだつやうに幸福に。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※一部、新漢字を使用しました。編者。
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