中原中也が訳したランボー「天使と子供」その2
「天使と子供」を
現代表記+意訳して読んでおきます。
原作の詩を現代表記化するだけにとどめようとしながら
適宜、改行を入れたり
時には、ボキャブラリーを捕捉したりもします。
ざーっと目を通してみるのです。
◇
長く待たれ、速やかに、忘れさられる新年の
子どもらが喜ぶ元日の日も、ここに終わりを告げていた!
熟睡したベッドに埋もれて、子どもは眠る
羽毛をセットしたゆりかごに
音が出るおしゃぶりは置き忘れられ、
子どもはそれを幸福な夢の中で思い出す
その母のお年玉をもらった後で、天国のおじさんたちからまたもらう。
嬉しそうに口をそっと開けて、唇を半ば動かして
神様を呼ぶ心持。枕元には天使が立ち、
子どもの上に体を倒して、罪のない心の呟きに耳を傾け、
ほがらかなその額の喜びや
その魂の喜びや。南の風がまだ当たっていない
この花を褒めたたえたのだ。
(この子は私にそっくりだ、
空へ一緒に行かないか! その天上の王国に
お前が夢に見たというその宮殿はあるんだよ、
お前はほんとに立派だね! 地球住まいは沢山だ!
地球では、真の勝利なんてないのだし、真の幸福を大事にしない。
花の香りもいっそう苦く、騒がしい人の心は
哀れな喜びしか知りはしない。
曇りのない歓びはなく、
不確かな笑いの中に涙は光る。
お前の純粋な額だって、浮世の風には縮むだろう、
憂鬱な苦しみは青い目を、涙で濡らすだろう、
お前の顔のバラ色は、死の影が来て追うだろう。
いやいやお前を連れ立って、私は空の国へ行こう、
そうすればお前のその声は、天の御国の住民の佳い音楽よりも美しいだろう。
お前は浮世の人々との騒ぎを避けるとよい。
お前をこの世につなぐ糸を、今こそ神はお断ちになる。
ただただお前の母さんが、喪の悲しみをしないよう!
そのゆりかごを見るように、お前の棺も見るように!
流れる涙をうち払い、葬式の時にもほがらかに
手にいっぱいの百合の花、捧げてくれればよいと思う
本当に汚れのない人の子の、最期の日こそは飾ってあげてほしいもの!)
いちはやくも天使は翼をバラ色の、子どもの唇に近づけて、
ためらいなく空色の翼に乗せて
魂を、摘まれた子どもの魂を、至上の国へと運び去る
ゆるやかなその羽ばたきよ……ゆりかごに、残るはもう五体だけ、
みな美しさが漂っているけれど
呼吸する気配はいっこうになく、命のなくなった亡骸よ、
それは死んだ! ……ところがキスした唇の上に、今も香っている、
笑い声こそ今は止んで、母の名はなお口のあたりに波立っている、
死に臨んでもお年玉を思い出していたのだ。
なごやかな眠りにその目は閉じられて
なんと言おうか、死の誉れとでも?
とても清冽な輝きが、額の回りにまつわっている。
地上の子とは思われない、天上の子と思われた。
どんな涙をその上に母は注いだことだろう!
親しいわが子の墓に、流す涙は終わりがない!
ところで夜が更けて眠る時、
バラ色の、天の御国の領域から
小さな天使が現れて、
母さん、と静かに呼んで喜んだ!
母もまた微笑み返せば……その小さな天使は、やがて空へとすべり出て、
雪の翼で舞いながら、母のそばまでやって来て
その唇に、天使の唇をつけました……。
1869年9月1日
アルチュール・ランボー
シャルルビルで、1854年10月20日生まれ
*
天使と子供
ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の
子供等喜ぶ元日の日も、茲に終りを告げてゐた!
熟睡(うまい)の床(とこ)に埋もれて、子供は眠る
羽毛(はね)しつらへし揺籠(ゆりかご)に
音の出るそのお舐子(しやぶり)は置き去られ、
子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す
その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。
笑ましげの脣(くち)そと開けて、唇を半ば動かし
神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、
子供の上に身をかしげ、無辜な心の呟きに耳を傾け、
ほがらかなそれの額の喜びや
その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ
此の花を褒め讃へたのだ。
《此の子は私にそつくりだ、
空へ一緒に行かないか! その天上の王国に
おまへが夢に見たといふその宮殿はあるのだよ、
おまへはほんとに立派だね! 地球住(ずま)ひは沢山だ!
地球では、真(しん)の勝利はないのだし、まことの幸(さち)を崇めない。
花の薫りもなほにがく、騒がしい人の心は
哀れなる喜びをしか知りはせぬ。
曇りなき怡びはなく、
不慥かな笑ひのうちに涙は光る。
おまへの純な額とて、浮世の風には萎むだらう、
憂き苦しみは蒼い眼を、涙で以て濡らすだらう、
おまへの顔の薔薇色は、死の影が来て逐ふだらう。
いやいやおまへを伴れだつて、私は空の国へ行かう、
すればおまへのその声は天の御国(みくに)の住民の佳い音楽にまさるだらう。
おまへは浮世の人々とその騒擾(どよもし)を避けるがよい。
おまへを此の世に繋ぐ糸、今こそ神は断ち給ふ。
ただただおまへの母さんが、喪の悲しみをしないやう!
その揺籃を見るやうにおまへの柩も見るやうに!
流る涙を打払ひ、葬儀の時にもほがらかに
手に一杯の百合の花、捧げてくれればよいと思ふ
げに汚れなき人の子の、最期の日こそは飾らるべきだ!》
いちはやく天使は翼を薔薇色の、子供の脣に近づけて、
ためらひもせず空色の翼に載せて
魂を、摘まれた子供の魂を、至上の国へと運び去る
ゆるやかなその羽搏きよ……揺籃に、残れるははや五体のみ、なほ美しさ漂へど
息づくけはひさらになく、生命(いのち)絶えたる亡骸(なきがら)よ。
そは死せり!……さはれ接唇(くちづけ)脣の上(へ)に、今も薫れり、
笑ひこそ今はやみたれ、母の名はなほ脣の辺(へ)に波立てる、
臨終(いまは)の時にもお年玉、思ひ出したりしてゐたのだ。
なごやかな眠りにその眼は閉ぢられて
なんといはうか死の誉れ?
いと清冽な輝きが、額のまはりにまつはつた。
地上の子とは思はれぬ、天上の子とおもはれた。
如何なる涙をその上に母はそそいだことだらう!
親しい我が子の奥津城に、流す涙ははてもない!
さはれ夜闌(た)けて眠る時、
薔薇色の、天の御国(みくに)の閾(しきみ)から
小さな天使は顕れて、
母(かあ)さんと、しづかに呼んで喜んだ!……
母も亦微笑(ほゝゑ)みかへせば……小天使、やがて空へと辷り出で、
雪の翼で舞ひながら、母のそばまでやつて来て
その脣(くち)に、天使の脣(くち)をつけました……
千八百六十九年九月一日
ランボオ・アルチュル
シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の二重パーレンは《 》に代えました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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