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2011年10月 9日 (日)

ランボー・ランボー<36>中原中也の「生の原型」

「ランボオ詩集」の「後記」に

 言い換えれば、ランボーの洞見したものは、結局「生の原型」というべきもので、いわばあらゆる風俗あらゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないがまた表現することも出来ない、あたかも在るには在るが行き道の分からなくなった宝島のごときものである。

――とある「生の原型」を説明して
「あらゆる風俗あらゆる習慣以前」と言っていますが
これが「芸術論覚え書」の「名辞以前」と
オーバーラップしていることは明らかです。

あらゆる風俗以前。
あらゆる習慣以前。

名辞以前。

それを一度洞見した以上、
忘れられもしないが
また表現することも出来ない、
あたかも在るには在るが行き道の分からなくなった
宝島のごときものである。

表現することが出来ない
あることが分っていながら
どうやってそこへ行ったらよいのか
メモを残したわけでもなく
マニュアルを作ったわけでもなく
地図を描こうにも描けない
行き道の分からなくなった

宝島――。

この宝島は
中原中也の詩に
「あれ」を
なんとか捕らえよう
決して急いではならない
たしかにここで待っていなければならない
(言葉なき歌)

しかし、「それ」が何かは分らない、
ついぞ分ったためしはない。
それが二つあるとは思えない、
ただ一つではあるとは思う。
しかしそれが何かは分らない、
ついぞ分ったためしはない。
それに行き着く一か八かの方途さえ、
悉皆分ったためしはない。
(いのちの声)

「名状しがたい何物か」が、
たえず僕をば促進し、
目的もない僕ながら、
希望は胸に高鳴っていた。
(ゆきてかへらぬ)

……などと
所を変え、品を変え
度々、現れることになります。

あれ
それ
何物か
……

「幻影」の「それ」も
「曇天」の「それ=黒旗」も
「除夜の鐘」の「それ」なども
もしかすると
「宝島」の別の表現かもしれません。

「芸術論覚え書」は
昭和9年に制作(推定)された
未発表の散文です。

この頃
「宮沢賢治全集」(文圃堂)が出版開始になり
中原中也は
宮沢賢治の紹介文を書く機会(必要)がありました。

ここでまた
中原中也訳「ランボオ詩集」巻末の
後記を原文のまま読んでおきます。

 *
 ランボオ詩集
 後記


 私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アルチュル・ランボオ作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数篇を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。

 私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。

 出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気を付けた。
 語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうなことはしなかつた。

     ★

 附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。――テキストを御存知の方があつたら、何卒御一報下さる様お願します。

     ★

 いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌としての価値を有つてゐた。

 さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかつた筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなかつたらう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つてゐることも、要するにその陶酔の全一性といふことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如
何にそのとるに足りぬことにかかづらつてゐることだらう、といふことに他ならぬ。

繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、

 つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。

 所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れられ難いものだらう!

 云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。

 もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつと ルレーヌ風の楽天主義があるくらゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯 ルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個
のことでしかなかつた。
 ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ所からである。

     ★

 終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。
                                    〔昭和十二年八月二十一日〕

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)
※ルビは( )内に示しました。改行を加えてあります。編者。

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