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2011年10月26日 (水)

中原中也が訳したランボー「天使と子供」

「ラシイヌ、ふふんだ、ヴィクトル・ユウゴオ……堪らない」。
――と、小林秀雄が案内したランボーの
駄々っ子振りの真偽のほどにここでこだわりませんが
ランボーが若き日に
ビクトル・ユーゴーに影響を受けたこと示す事実があります。
それが
ランボー作のラテン語詩「天使と子供」です。

ランボーは
「孤児等のお年玉」を書く数カ月前の
シャルルヴィル高等中学校在学中(14歳から16歳)に
多くのラテン語詩を制作したのですが
ほとんどが散逸してしまったもののうち幾つかが残り
「高等中学校時代の韻文詩」としてまとめられ
1932年にメルキュール・ド・フランス社から発行されました。

この本は主に
ラテン語詩に対してフランス語訳を付したもので構成されていて
中原中也は
ランボーが書いたラテン語詩の
フランス語訳の部分を翻訳しました。

昭和8年12月に三笠書房から刊行された
「ランボオ詩集《学校時代の詩》」がそれで
5作品が収録されています。
(角川新全集・解題篇)

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の中の
「天使と子供」という詩は
やがて書かれる「孤児等のお年玉」の予告篇のような作品で
死ぬ間際にも
お年玉をもらった楽しげな元日の思い出を
夢にみて眠る子どもの枕元に
天使が現れて天上の王国へ連れ去る、という内容を歌っています。

小林秀雄が
「人生斫断家アルチュル・ランボオ」の中で案内する
「地獄の季節」を書く詩人とは
想像もできない少年詩人が
ここにいます。

 *
 天使と子供

ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の
子供等喜ぶ元日の日も、茲に終りを告げてゐた!
熟睡(うまい)の床(とこ)に埋もれて、子供は眠る
羽毛(はね)しつらへし揺籠(ゆりかご)に
音の出るそのお舐子(しやぶり)は置き去られ、
子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す
その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。
笑ましげの脣(くち)そと開けて、唇を半ば動かし
神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、
子供の上に身をかしげ、無辜な心の呟きに耳を傾け、
ほがらかなそれの額の喜びや
その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ
此の花を褒め讃へたのだ。

《此の子は私にそつくりだ、
空へ一緒に行かないか! その天上の王国に
おまへが夢に見たといふその宮殿はあるのだよ、
おまへはほんとに立派だね! 地球住(ずま)ひは沢山だ!
地球では、真(しん)の勝利はないのだし、まことの幸(さち)を崇めない。
花の薫りもなほにがく、騒がしい人の心は
哀れなる喜びをしか知りはせぬ。
曇りなき怡びはなく、
不慥かな笑ひのうちに涙は光る。
おまへの純な額とて、浮世の風には萎むだらう、
憂き苦しみは蒼い眼を、涙で以て濡らすだらう、
おまへの顔の薔薇色は、死の影が来て逐ふだらう。
いやいやおまへを伴れだつて、私は空の国へ行かう、
すればおまへのその声は天の御国(みくに)の住民の佳い音楽にまさるだらう。
おまへは浮世の人々とその騒擾(どよもし)を避けるがよい。
おまへを此の世に繋ぐ糸、今こそ神は断ち給ふ。
ただただおまへの母さんが、喪の悲しみをしないやう!
その揺籃を見るやうにおまへの柩も見るやうに!
流る涙を打払ひ、葬儀の時にもほがらかに
手に一杯の百合の花、捧げてくれればよいと思ふ
げに汚れなき人の子の、最期の日こそは飾らるべきだ!》

いちはやく天使は翼を薔薇色の、子供の脣に近づけて、
ためらひもせず空色の翼に載せて
魂を、摘まれた子供の魂を、至上の国へと運び去る
ゆるやかなその羽搏きよ……揺籃に、残れるははや五体のみ、なほ美しさ漂へど
息づくけはひさらになく、生命(いのち)絶えたる亡骸(なきがら)よ。
そは死せり!……さはれ接唇(くちづけ)脣の上(へ)に、今も薫れり、
笑ひこそ今はやみたれ、母の名はなほ脣の辺(へ)に波立てる、
臨終(いまは)の時にもお年玉、思ひ出したりしてゐたのだ。
なごやかな眠りにその眼は閉ぢられて
なんといはうか死の誉れ?
いと清冽な輝きが、額のまはりにまつはつた。
地上の子とは思はれぬ、天上の子とおもはれた。
如何なる涙をその上に母はそそいだことだらう!
親しい我が子の奥津城に、流す涙ははてもない!
さはれ夜闌(た)けて眠る時、
薔薇色の、天の御国(みくに)の閾(しきみ)から
小さな天使は顕れて、
母(かあ)さんと、しづかに呼んで喜んだ!……
母も亦微笑(ほゝゑ)みかへせば……小天使、やがて空へと辷り出で、
雪の翼で舞ひながら、母のそばまでやつて来て
その脣(くち)に、天使の脣(くち)をつけました……

        千八百六十九年九月一日
          ランボオ・アルチュル
       シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の二重パーレンは《 》に代えました。ルビは原作にあるもののみを( )の中に
入れました。編者。

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