ランボー・ランボー<37>中原中也の「生の原型」・その2
中原中也が
ランボーが洞見したと捉えた「生の原型」とは
そのまま
中原中也が詩を作るという行為の根源を支えたものでもあり
詩作の原動力みたいなものでした。
ですから実際、
中原中也の詩の中に
場所を変え、形を変えて
現れます。
「言葉なき歌」
「いのちの声」
「ゆきてかへらぬ」
「幻影」
「曇天」
「除夜の鐘」
……と、思いつくままを例示しましたが
いま、「山羊の歌」をはじめから終わりまで読み通してみると
「名辞以前」に感じ取られた
「あれ」や「それ」や「なにか」が
それらは、言葉になりえないはずの
言葉以前のもののはずなのですが
詩の言葉になっているのを読むことができます。
これを
錬金術とでも言うのでしょうか
手品とでも言うのでしょうか
「盲目の秋」は
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
とはじまり、
その間、小さな紅の花が見えはするが、
それもやがては潰れてしまふ。
とつづくのですが
この「紅の花」は
「言葉なき歌」の「あれ」、
「曇天」の「それ」、
「除夜の鐘」の「それ」と
相似する「生の原型」のように見えはじめます。
「夕照」の
「小児に踏まれし貝の肉」は
ほかの言葉で言い換えることのできない
名辞以前の
「いのち」そのものを指示する言葉のようですし
「少年時」の
「昔の巨人」は
ギロギロする目で諦めていた少年
生きていた私の
「いのちの不安」を示しているようです。
「山羊の歌」の他の詩から
このような意味での
「いのちの言葉=キーワード」を拾ってみると――
「春の日の夕暮」の「静脈管」
「都会の夏の夜」の「ラアラア唱ってゆく男どち」
「黄昏」の「草の根の匂い」
「深夜の思ひ」の「頑ぜない女の児の泣き声」、「鞄屋の女房の夕の鼻汁」
「冬の雨の夜」の「乳白の脬囊(ひょうのうたち)」、「母上の帯締め」
「帰郷」の「年増婦の低い声」、「吹き来る風」
「逝く夏の歌」の「日の照る砂地に落ちていた硝子」
「悲しき朝」の「知れざる炎」
「夏の日の歌」の「焦げて図太い向日葵」
「港市の秋」の「蝸牛の角」
「ためいき」の「ためいき」
「秋の夜空」の「昔の影祭」、「上天界の夜の宴」
「宿酔」の「千の天使がバスケットボールする」
「わが喫煙」の「白い二本の脛(あし)」
「木蔭」の「夏の昼の青々した木蔭」
「みちこ」の「牡牛」
「汚れつちまつた悲しみに……」の「狐の皮裘」
「更くる夜」の「湯屋の水汲む音」、「犬の遠吠」
「秋」の「黄色い蝶々」
「修羅街挽歌」の「風船玉」、「明け方の鶏鳴」
「雪の宵」の「ふかふか煙突」、「赤い火の粉」
「生ひ立ちの記」の「雪」
「時こそ今は……」の「花は香炉」、「泰子」
「憔悴」の「船頭」
……
いくらでも見つかります。
*
ランボオ詩集
後記
私が茲(ここ)に訳出したのは、メルキュル版千九百二十四年刊行の「アルチュル・ランボオ作品集」中、韻文で書かれたものの殆んど全部である。たゞ数篇を割愛したが、そのためにランボオの特質が失はれるといふやうなことはない。
私は随分と苦心はしたつもりだ。世の多くの訳詩にして、正確には訳されてゐるが分りにくいといふ場合が少くないのは、語勢といふものに無頓着過ぎるからだと私は思ふ。私はだからその点でも出来るだけ注意した。
出来る限り逐字訳をしながら、その逐字訳が日本語となつてゐるやうに気を付けた。
語呂といふことも大いに尊重したが、語呂のために語義を無視するやうなことはしなかつた。
★
附録とした「失はれた毒薬」は、今はそのテキストが分らない。これは大正も末の頃、或る日小林秀雄が大学の図書館か何処かから、写して来たものを私が訳したものだ。とにかく未発表詩として、その頃出たフランスの雑誌か、それともやはりその頃出たランボオに関する研究書の中から、小林が書抜いて来たのであつた、ことは覚えてゐる。――テキストを御存知の方があつたら、何卒御一報下さる様お願します。
★
いつたいランボオの思想とは?――簡単に云はう。パイヤン(異教徒)の思想だ。彼はそれを確信してゐた。彼にとつて基督教とは、多分一牧歌としての価値を有つてゐた。
さういふ彼にはもはや信憑すべきものとして、感性的陶酔以外には何にもなかつた筈だ。その陶酔を発想するといふこともはや殆んど問題ではなかつたらう。その陶酔は全一で、「地獄の季節」の中であんなにガンガン云つてゐることも、要するにその陶酔の全一性といふことが全ての全てで、他のことはもうとるに足りぬ、而も人類とは如
何にそのとるに足りぬことにかかづらつてゐることだらう、といふことに他ならぬ。
繻子の色した深紅の燠よ、
それそのおまへと燃えてゐれあ
義務(つとめ)はすむといふものだ、
つまり彼には感性的陶酔が、全然新しい人類史を生むべきであると見える程、忘れられてはゐるが貴重なものであると思はれた。彼の悲劇も喜劇も、恐らくは茲に発した。
所で、人類は「食ふため」には感性上のことなんか犠牲にしてゐる。ランボオの思想は、だから嫌はれはしないまでも容れられはしまい。勿論夢といふものは、容れられないからといつて意義を減ずるものでもない。然しランボオの夢たるや、なんと容れられ難いものだらう!
云換れば、ランボオの洞見したものは、結局「生の原型」といふべきもので、謂はば凡ゆる風俗凡ゆる習慣以前の生の原理であり、それを一度洞見した以上、忘れられもしないが又表現することも出来ない、恰(あたか)も在るには在るが行き道の分らなくなつた宝島の如きものである。
もし曲りなりにも行き道があるとすれば、やつと ルレーヌ風の楽天主義があるくらゐのもので、つまりランボオの夢を、謂はばランボオよりもうんと無頓着に夢みる道なのだが、勿論、それにしてもその夢は容れられはしない。唯 ルレーヌには、謂はば夢みる生活が始まるのだが、ランボオでは、夢は夢であつて遂に生活とは甚だ別個
のことでしかなかつた。
ランボオの一生が、恐ろしく急テムポな悲劇であつたのも、恐らくかういふ所からである。
★
終りに、訳出のその折々に、教示を乞うた小林秀雄、中島健蔵、今日出海の諸兄に、厚く御礼を申述べておく。
〔昭和十二年八月二十一日〕
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳 本文篇」より)
※ルビは( )内に示しました。改行を加えてあります。編者。
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