中原中也が訳したランボー「孤児等のお年玉」その3
「孤児等のお年玉」を
現代表記にし
少し意訳して読んでいますが
前半部を読んで分かるのは
少なくともこの詩の中原中也の翻訳は
文語体ではなく口語体です。
歴史的表記になっていて見えにくいのですが
昭和初期に一般的だった歴史的表記法以外に
日本語の表記法はなかったのですから
中原中也が
歴史的な表記に拠っていたのは
当たり前のことでした。
4
ああ! 楽しかったこと! 何度も思い出されてくることか……
――それにひきかえ、変わり果てたこの家のありさま!
太い薪(たきぎ)は暖炉の中で、カッカカッカと燃えていたっけ。
家中が明るい灯でくまなく照らされ
それは洩れ出て家の外まで明るくし、
机や椅子につやつやと光り、
鍵をかけていない大きな戸棚、鍵をかけていない黒い戸棚を
子どもは度々眺めたことです。
鍵がないとは、ほんとに不思議! そこで子どもは夢みるのでした、
戸棚の中の神秘な色々なもの、
聞こえるようです、鍵穴からは、
遠ーい、かすかな嬉しい囁き声……
――両親の部屋は今日ひっそり!
ドアの下から光の一つ洩れてこない。
キスもおやすみの言葉もくれないまま、行ってしまった!
なんとつまらない今年の正月!
じっと不安に思っているうちに涙が
青い大きな目に浮びます、
二人は呟きます、「いつママは帰って来るんだい?」
5
今、二人は悲しげに、眠っています。
それを見たなら、眠ったまま泣いていると皆さんはおっしゃることでしょう、
そんなにも彼らの目はふくれて、息遣いは苦しげです。
ほんとうに子どもというものは感じやすいものなのです!……
だけど、ゆりかごを見舞う天使が彼らの涙を拭いに来ます。
その夢が面白いので、半ば開けた彼らの口は
やがて微笑み、何かを呟くように見えます。
彼らは、バラ色の楽園にいるように思います……
パッと明るい竃(かまど)には薪がカッカと燃えています、
窓からは、青い空さえ見えています。
大地は輝き、光はくるめいています。
半枯れの野原のよみがえりが嬉しくて
陽射しに身を任せています、
そうしていると彼らのあの家が、今ではまったく心地よく、
古い着物類ももうそこいらに散らばっていないし
北風も扉の隙間からもう吹き込んではいませんでした。
仙女でも見舞ってくれたことでしょう!
――ママンのベッドのそばで明るい明るい陽射しを浴びて、
ほら、そこに、毛布の上に、何かキラキラ光っている。
それらみんな大きいメタル、銀や黒や白いのや、
チラチラ輝く黒い玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、水晶の王冠、
見れば金の字が彫り刻まれている、「僕らのママンに!」と。
<1869年末>
*
孤児等のお年玉
中原中也訳
Ⅰ
薄暗い部屋。
ぼんやり聞こえるのは
二人の子供の悲しいやさしい私話(ささやき)。
互ひに額を寄せ合つて、おまけに夢想(ゆめ)で重苦しげで、
慄へたり揺らいだりする長い白いカーテンの前。
戸外(そと)では、小鳥たちが寄り合つて、寒がつてゐる。
灰色の空の下で彼等の羽はかじかんでゐる。
さて、霧の季節の後(あと)に来た新年は、
ところどころに雪のある彼女の衣裳を引摺りながら、
涙をうかべて微笑をしたり寒さに慄へて歌つたりする。
Ⅱ
二人の子供は揺れ動くカーテンの前、
低声で話をしてゐます、恰度暗夜に人々がさうするやうに。
遠くの囁でも聴くやう、彼等は耳を澄ましてゐます。
彼等屡々、目覚時計の、けざやかな鈴(りん)の音には
びつくりするのでありました、それはりんりん鳴ります 鳴ります、
硝子の覆ひのその中で、金属的なその響き。
部屋は凍てつく寒さです。寝床の周囲(まはり)に散らばつた
喪服は床(ゆか)まで垂れてます。
酷(きび)しい冬の北風は、戸口や窓に泣いてゐて、
陰気な息吹を此の部屋の中までどんどん吹き込みます。
彼等は感じてゐるのです、何かゞ不足してゐると……
それは母親なのではないか、此のいたいけな子達にとつて、
それは得意な眼眸(まなざし)ににこにこ微笑を湛へてる母親なのではないでせう
か?
母親は、夕方独りで様子ぶり、忘れてゐたのでありませうか、
灰を落としてストーブをよく燃えるやうにすることも、
彼等の上に羊毛や毬毛(わたげ)をどつさり掛けることも?
彼等の部屋を出てゆく時に、お休みなさいを云ひながら、
その晨方(あさがた)が寒いだらうと、気の付かなかつたことでせうか、
戸締(とじ)めをしつかりすることさへも、うつかりしてゐたのでせうか?
――母の夢、それは微温の毛氈です、
柔らかい塒(ねぐら)です、其処に子供等小さくなつて、
枝に揺られる小鳥のやうに、
ほのかなねむりを眠ります!
今此の部屋は、羽なく熱なき塒です。
二人の子供は寒さに慄へ、眠りもしないで怖れにわななき、
これではまるで北風が吹き込むための塒です……
Ⅲ
諸君は既にお分りでせう、此の子等には母親はありません。
養母(そだておや)さへない上に、父は他国にゐるのです!……
そこで婆やがこの子等の、面倒はみてゐるのです。
つまり凍つた此の家に住んでゐるのは彼等だけ……
今やこれらの幼い孤児が、嬉しい記憶を彼等の胸に
徐々に徐々にと繰り展(ひろ)げます、
恰度お祈りする時に、念珠を爪繰るやうにして。
あゝ! お年玉、貰へる朝の、なんと嬉しいことでせう。
明日(あした)は何を貰へることかと、眠れるどころの騒ぎでない。
わくわくしながら玩具(おもちや)を想ひ、
金紙包(きんがみづつ)みのボンボン想ひ、キラキラきらめく宝石類は、
しやなりしやなりと渦巻き踊り、
やがて見えなくなるかとみれば、またもやそれは現れてくる。
さて朝が来て目が覚める、直ぐさま元気で跳(は)ね起きる。
目を擦(こす)つてゐる暇もなく、口には唾(つばき)が湧くのです、
さて走つてゆく、頭はもぢやもぢや、
目玉はキヨロキヨロ、嬉しいのだもの、
小さな跣足(はだし)で床板踏んで、
両親の部屋の戸口に来ると、そをつとそをつと扉に触れる、
さて這入ります、それからそこで、御辞儀……寝巻のまんま、
接唇(ベーゼ)は頻(しき)つて繰返される、もう当然の躁ぎ方です!
Ⅳ
あゝ! 楽しかつたことであつた、何べん思ひ出されることか……
――変り果てたる此の家(や)の有様(さま)よ!
太い薪は炉格(シユミネ)の中で、かつかかつかと燃えてゐたつけ。
家中明るい灯火は明(あか)り、
それは洩れ出て外(そと)まで明るく、
机や椅子につやつやひかり、
鍵のしてない大きな戸棚、鍵のしてない黒い戸棚を
子供はたびたび眺めたことです、
鍵がないとはほんとに不思議! そこで子供は夢みるのでした、
戸棚の中の神秘の数々、
聞こえるやうです、鍵穴からは、
遠いい幽かな嬉しい囁き……
――両親の部屋は今日ではひつそり!
ドアの下から光も漏れぬ。
両親はゐぬ、家よ、鍵よ、
接唇(ベーゼ)も言葉も呉れないまゝで、去(い)つてしまつた!
なんとつまらぬ今年の正月!
ジツと案じてゐるうち涙は、
青い大きい目に浮かみます、
彼等呟く、『何時母さんは帰つて来ンだい?』
Ⅴ
今、二人は悲しげに、眠つてをります。
それを見たらば、眠りながらも泣いてると諸君は云はれることでせう、
そんなに彼等の目は腫れてその息遣ひは苦しげです。
ほんに子供といふものは感じやすいものなのです!……
だが揺籃を見舞ふ天使は彼等の涙を拭ひに来ます。
そして彼等の苦しい眠に嬉しい夢を授けます。
その夢は面白いので半ば開いた彼等の唇(くち)は
やがて微笑み、何か呟くやうに見えます。
彼等はぽちやぽちやした腕に体重(おもみ)を凭(もた)せ、
やさしい目覚めの身振りして、頭を擡(もた)げる夢をばみます。
そして、ぼんやりした目してあたりをずつと眺めます。
彼等は薔薇の色をした楽園にゐると思ひます……
パツと明るい竃には薪がかつかと燃えてます、
窓からは、青い空さへ見えてます。
大地は輝き、光は夢中になつてます、
半枯(はんかれ)の野面(のも)は蘇生の嬉しさに、
陽射しに身をばまかせてゐます、
さても彼等のあの家が、今では総体(いつたい)に心地よく、
古い着物ももはやそこらに散らばつてゐず、
北風も扉の隙からもう吹込みはしませんでした。
仙女でも見舞つてくれたことでせう!……
――二人の子供は、夢中になつて、叫んだものです……おや其処に、
母さんの寝床の傍に明るい明るい陽を浴びて、
ほら其処に、毛氈(タピー)の上に、何かキラキラ光つてゐる。
それらみんな大きいメタル、銀や黒のや白いのや、
チラチラ耀く黒玉や、真珠母や、
小さな黒い額縁や、玻璃の王冠、
みれば金字が彫り付けてある、『我等が母に!』と。
〔千八百六十九年末つ方〕
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、新漢字を使用しました。編者。
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