中原中也が訳したランボー「わが放浪」Ma Bohème
「わが放浪」Ma Bohèmeは
ランボー初期に多い
放浪詩篇と呼ばれる一群の詩の中で
放浪そのものを歌った
最もポピュラーと言ってよい作品です。
中原中也の訳でなくとも
どこかで聞いたことのあるフレーズが
これがランボーの作品だったのかと
あらためて知った人はきっと多くいることでしょう。
ポケットに手を突っ込んで
ぼくは歩いた
冬の夜の街を
空にはオリオン
突っ込んだポケットは底抜けだい
中学だったか、もう高校に入っていたか
語呂がいいからか
リズムがあるからか
「詩」っていうものがあることを
うっすらと知らされただけで
すぐに忘れてしまったのを
その後も何かのときに
読んだことが何度かありました。
足を胸の高さまでピョーンとあげて歩く
異様で滑稽感のある姿態を思い浮かべては
チャプリンやジャック・タチの
孤独な道化者の
自己に向ける眼差しの怜悧さを連想したこともありました。
中原中也に
「秋の一日」があり
これは
季節も情景もまったく違いますが
「詩のきれくずを探しに出かけよう」などと思い出し
ランボーと重なってしまうのが
いっこうにおかしくはないことも
いま、知ります。
いま
「秋の一日」を
読んでみれば
ぽけつとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。
――と、最終連はありました。
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。
この最終行は、詩の言葉を紡ぎ出す営みのことで
ランボーの詩で
第2連、
小さな夢想家・わたくしは、道中韻をば捻つてた。
第4連、
中で韻をば踏んでゐた、
と、歌われているのと同じことです。
*
わが放浪
私は出掛けた、手をポケットに突つ込んで。
半外套は申し分なし。
私は歩いた、夜天の下を、ミューズよ、私は忠僕でした。
さても私の夢みた愛の、なんと壮観だつたこと!
独特の、わがズボンには穴が開(あ)いてた。
小さな夢想家・わたくしは、道中韻をば捻つてた。
わが宿は、大熊星座。大熊星座の星々は、
やさしくささやきささめいてゐた。
そのささやきを路傍(みちばた)に、腰を下ろして聴いてゐた
あゝかの九月の宵々よ、酒かとばかり
額(ひたひ)には、露の滴(しづく)を感じてた。
幻想的な物影の、中で韻をば踏んでゐた、
擦り剥けた、私の靴のゴム紐を、足を胸まで突き上げて、
竪琴みたいに弾きながら。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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