中原中也が訳したランボー「わが放浪」Ma Bohèmeのこだわり
中原中也訳の「わが放浪」Ma Bohèmeは
「ランボオ詩抄」(昭和11年6月発行)の印刷用原稿が残っており
これが第1次形態①とされ
「ランボオ詩抄」として印刷発行された詩篇が
第1次形態②とされ
「ランボオ詩集」(昭和12年9月発行)掲載の詩篇が
第2次形態とされ
それぞれ若干の異同があります。
(新編中原中也全集 第3巻 翻訳)
目立った異同は
第8行で
第1次形態①は
やさしくさゝやきさゝめいてゐた。
第1次形態②は
やさしくささやきささめいてゐた。
第2次形態は
やさしくささやきささやいてゐた。
――と改変されたところですが
この改変は、いずれも微妙な変更でしたが
この微妙な変更に精力を注いだところが
いかにも中原中也と言えましょうか。
やさしくさゝやきさゝめいてゐた。
を
やさしくささやきささめいてゐた。
としたのは、
繰り返し符号「ゝ」2箇所を排して
「ささやき」「ささめく」という動詞のイメージを明確にしようとしたものでしょうか
それでも飽き足らず
「ささめく」という動詞を排して
ささやきささやいていた
と、「ささやく」という動詞一本に絞りました。
結局は、リフレインを選んだところに
中原中也のこだわりが感じられます。
リフレインばかりでなく
「や」「さ」という音感
ヤ行とサ行の共鳴感
「ささめく」ではなく「ささやく」という語の響きを取った
詩人の音へのこだわりがここにあるということもできましょう。
さらに言えば
原詩
Mes étoiles au ciel avaient un doux frou-frou.に
忠実であろうとした翻訳へのこだわりを
ここに見ることもできることでしょう。
frou-frouとあるルフランとオノマトペを訳してみせてくれたのです!
参考のために
第7、8行を他の訳で見ておきます。
三富朽葉訳
私の宿は大熊星に在つた。
わが空の星むらは優しいそよぎを渡らせた、
大木篤夫訳
俺の宿は大熊星座のなかにある、
俺の星々は高い空から珊々(さんさん)と鳴る、
西条八十訳
ぼくの宿は大熊星座に在った。
――大空の星の中に優しい衣(きぬ)ずれの音がきこえた。
金子光晴訳
僕の旅籠(はたご)は、大熊星座。
空では星どもが、さらさらとやさしい衣(きぬ)ずれの音をさせた。
*
わが放浪
私は出掛けた、手をポケットに突つ込んで。
半外套は申し分なし。
私は歩いた、夜天の下を、ミューズよ、私は忠僕でした。
さても私の夢みた愛の、なんと壮観だつたこと!
独特の、わがズボンには穴が開(あ)いてた。
小さな夢想家・わたくしは、道中韻をば捻つてた。
わが宿は、大熊星座。大熊星座の星々は、
やさしくささやきささやいてゐた。
そのささやきを路傍(みちばた)に、腰を下ろして聴いてゐた
あゝかの九月の宵々よ、酒かとばかり
額(ひたひ)には、露の滴(しづく)を感じてた。
幻想的な物影の、中で韻をば踏んでゐた、
擦り剥けた、私の靴のゴム紐を、足を胸まで突き上げて、
竪琴みたいに弾きながら。
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
※講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」では、第8行を「やさしくささやきささめいてゐた。」としてあります。編者。
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