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2011年11月18日 (金)

中原中也が訳したランボー「谷間の睡眠者」付録篇・大木篤夫の翻訳論

中原中也訳の「谷間の睡眠者」Le Dormeur du valは
同時代に
「眠れる人」
「眠」
「谷に眠れる者」
「谷間に眠る人」
「谷間の睡眠者」
「谷間に眠る男」
「渓谷の睡眠」
――と、めいめいにタイトルを変えて訳されました。

そのすべてを読めないのは残念ですが
珍しくも大木篤夫訳の「谷間に眠る人」を読めたついでに
もう少し寄り道をして
大木篤夫の翻訳に関しての考えをみておきましょう。

といっても
論文みたいなものではなく
「近代仏蘭西詩集」(ARS、昭和3年)の「あとがき(書後)」に
翻訳に関しての詩人・大木篤夫の思いが記されてあるのを
この機会ですから読んでおくだけのことです。

千九百二十二年の夏から最近に至るまでに訳した仏蘭西の詩を、やっとここに纏める気にな
った

――とはじまる同書の「書後」がいう最近とは
この本が刊行された1928年(昭和3年)頃のこととすれば
1922年(大正11年)から
およそ7年間の訳業ということになります。

目次の詩の項だけを見ても
シャルル・ボオドレエル
ポオル・ヹルレエヌ
アルチュゥル・ラムボオ
フレデリック・バタイユ
ルイ・ティエルスラン
ステファヌ・マラルメ
ジョルヂュ・ロオデンバッハ
ジャック・マドレイヌ
エミイル・ヹルハアラン
ジャン・モレアス
ジュル・ラフォルグ
アンリ・ド・レニエ
フランシス・ヹレ・グリッファン
ピエール・ゴオチエ
ピエール・キラアル
ギュスタヴ・カアン
スチュアール・メリル
アンドレ・フェルヂナン・エロオル
アンドレ・フォンテエナス
モオリス・メエテルリンク
フランシス・ジャンム
レミ・ド・グウルモン
ピエール・ルイ
オーギュスト・ゴオ
ポオル・ジェラルディ
シャルル・ゲラン
アルベエル・サマン
アンリ・バタイユ
ポオル・フォール
カミイユ・モオクレエル
アンリ・バルビュッス
モオリス・マグル
シャルル・アドルフ・キャンタキュゼエヌ
フェルナン・グレエグ
シャルル・ワン・レルベルグ
ジャック・リシュペン
ポオル・スウション
アンリ・スピエス
レオ・ラルギィエ
シャルル・ヴィルドラック
ジョルヂュ・デュアメル
エミイル・デスパ

――と、ビッグネームからマイナーまで
手当たり次第、訳している印象です。

あとがきの中から
一部を拾っておきます。
適宜、改行、行空きを入れ
現代表記にしてあります。

 ◇

 わたしは思っている、文学作品の翻訳は、殊に詩の場合は、単に原詩の意味を正確に伝えるというばかりが能ではないと。凡そ忠実な翻訳者である以上、それはあまりにも当然すぎることで、問題とするに足りない。

その上に更に、原詩のもつ音律とか、情調とか、陰影とか、気韻とか、色合いとか匂いとかいふものの翻訳をしなければ、結局は、最も重要な、その詩のエスプリを生かすことは出来ぬのだ。

単なる意味の散文的伝達では、エスプリを、概念としてのみ知らしめることは出来ても、決して感覚的な生き物として感ぜしむることは出来ない。詩はあくまで直接感に訴える全的表現であるのだから。

もとより、語法も律格も全く異なった日本語で、そうした微妙なものまでの翻訳は、厳密な意味においては不可能事に属するけれども、どの道こうした難しい仕事にとりかかるからは、不可能事を可能ならしめようとするほどの愚かしい熱意があってもいいではないか。

わたしは、こうした見地から、翻訳の学的良心を必要とすることは無論ながら、より多く芸術的良心を尊重した。原詩の意味の伝達は言うまでもないが、むしろ、その陰影を気分を情調を伝えることに、つまりは前に言った愚かしい不可能事を可能ならしめることに憂身をやつした。

そのためには、音調上の必要から、一二の言葉の取捨添加はやむを得なかった。殊に、七五調、五七調、五五調等、日本在来の定型律によったものの場合にそれがある。

こうはいっても、注意深い読者なら、ほんの二三の例外を除いて、一見、大胆すぎる自由訳と思われそうなものがあっても、実は、わたしが存外に細心な逐次訳を基調とし、出来る限り周到緻密に一字一句の末に至るまで一応は吟味している事実、あるいは文字通りに訳しあげている事実を首肯し立証してくれるはずである。原詩と対照して。

これだけの事を言ったうえで、一字一句に拘泥することは、必ずしも翻訳良心を尊重する所以でないことを告げたいのである。

そうだ。翻訳は、拘束されなければならぬ、自由でなければならぬ、このディレンマに、われわれの至難とするところが(同時に、根気のいい訳者の興味とし喜びとするところも――)ある。

 *

 谷間に眠る人
 大木篤夫訳

緑なす落窪あり、あたりに川は高鳴り歌ひ
物狂はしく、襤褸(つづれ)の草に白銀の繁吹(しぶき)を撒けば
天つ陽も尊大の山のうへより耀(かがよ)ひわたる。
光沸きたつ小さき谷あり。

うら若き兵卒ひとり、口ひらき(かうべ)もあらはに、
青砕米萕(あをたがらし)の露けきなかに頸(うなじ)ぬらして眠りたり、
雲の下、草のさなかに身を伸(の)して
陽の明かる緑の床(とこ)に蒼ざめつ。

兵卒は眠りたり、双足(もろあし)を菖蒲(あやめ)のなかにつき入れて、
昏々と眠りたり、熱を病む幼児(をさなご)のごとほゝゑみて。
ああ、天然よ、暖く、守(も)りをせよ、彼いたく凍えたり。

その鼻は、はや、物の薫りを嗅ぐよしもなく、
静かにも手を胸に、日のなかに兵卒は眠りたり。
窺へば、右脇に二つ、赤き傷孔。

(「近代仏蘭西詩集」より。ARS、昭和3年)

 *

 谷間の睡眠者
 中原中也訳

これは緑の窪、其処に小川は
銀のつづれを小草(をぐさ)にひつかけ、
其処に陽は、矜りかな山の上から
顔を出す、泡立つ光の小さな谷間。

若い兵卒、口を開(あ)き、頭は露(む)き出し
頸は露けき草に埋まり、
眠つてる、草ン中に倒れてゐるんだ雲(そら)の下(もと)、
蒼ざめて。陽光(ひかり)はそそぐ緑の寝床に。

両足を、水仙菖に突つ込んで、眠つてる、微笑むで、
病児の如く微笑んで、夢に入つてる。
自然よ、彼をあつためろ、彼は寒い!

いかな香気も彼の鼻腔にひびきなく、
陽光(ひかり)の中にて彼眠る、片手を静かな胸に置き、
見れば二つの血の孔(あな)が、右脇腹に開(あ)いてゐる。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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