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2011年11月 1日 (火)

中原中也が訳したランボー「エルキュルとアケロユス河の戦ひ」

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」には
5篇の詩が収録されています。
ランボー没後40余年を経た1932年に
メルキュール・ド・フランス社から
「Vers de Collège」のタイトルで発行されました。

昭和8年12月に
これを中原中也の日本語訳として発行したのは
三笠書房という出版社で
中原中也が創刊同人であった雑誌「紀元」に
ランボーの訳詩を発表した関係からの出版でした。

昭和8年は、1933年ですから
原典の発行から1年後ということになり
当時の日本の翻訳出版事情を垣間見ることができます。
戦争へ向かう時代ながら
活発な文化交流が行われていたことが想像されます。

3作目の
「エルキュルとアケロユス河の戦ひ」を読みます。

「エルキュル」は聞きなれませんが
ヘラクレスのことで
ご存知の、ギリシア神話の英雄で
怪力としてよく知られています。
そのヘラクレスが戦った
アケロス河の戦いを歌ったラテン語詩です。
河の名になった神アケロスを
ヘラクレスが散々に征伐する神話が歌われています。

ここでも、
中原中也訳の原作を
歴史的表記を現代表記に改変した上に
難漢字を書き換えたり
漢字をひらがなにしたり
文語を口語に変えたり
語句・句読点の追加削除や改行なども加えたりして
「意訳」を試みます。

かつて豊かな水をたたえたアケロス河は氾濫し
谷間に入ってほとばしり
その騒擾はいいようがなく
その波に家畜の群れとよく実った植物をなぎ倒し
人家はことごとく壊滅し
田畑をみはるかすまでに砂漠と化してしまった。

こうしてニンフたちはその谷を去り
フォーヌの合唱隊もまた鳴りをひそめ
人々はただ手をこまねいて
河が怒るのを眺めているばかりだった。

このありさまを見たヘラクレスは
憐憫の情に駆られ
河の怒りを静めようとして巨大な身体を躍らせて
たくましい両腕に泡立つ波を追い込んで
それが元の河に治まるように奮闘したのだ。

制御された河の波は、怒涛となって呟きながらも
やがては蜿蜒とした元の姿に戻ったが
河は息切れし、歯軋りし、その青く黒ずんだ背をのたうち
その剣呑な尾で荒れた岸にぶつかっていた。

ヘラクレスは再び身を投げ入れて、その腕で河の首根っこ絞めつけた
その抵抗もなんとも思わず
河は懲らしめられ、ヘラクレスは、その上に大木の幹を振りかざして
引っ叩く引っ叩く、
河は瀕死の状態となり砂原の上に打ちのめされてしまった。

そうしてヘラクレスは立ち直り
「この腕前を知らんのか、たわけ!
我はゆりかごに揺られていた頃、2頭のドラゴンを討ち取ったのだ
その時、すでに鍛えたこの我が腕を知らんのか!」

(結構、面白い痛快劇の描写を
中原中也は楽しんで訳しているのが伝わってきます。
お楽しみは、また続きで。)

 *
 3 エルキュルとアケロユス河の戦ひ

嘗て水に膨らむだアケロユスの河は氾濫し、
谷間に入つて迸り、その騒擾いはんかたなく、
そが浪に畜群と稔りよき収穫を薙ぎ倒し、
人家悉く潰滅し、みはるかす田畠(でんぱた)は砂漠と化した。
かくてニムフはその谷を去り、
フォーヌ合唱隊亦鳴りを静め、
人々は唯手を拱(こまぬ)いて河の怒りを眺めてゐた。
此の有様をみたエルキュルは、憐憫の思ひに駆られ、
河の怒りを鎮めむものと巨大な躯(み)をば跳(をど)らせて、
逞しい双腕に泡立つ浪を逐ひまくし、
そがもとの河床に治まるやうに努めたのだ。
制(おさ)へられたる河浪は、怒濤をなして呟きながらも、
やがて蜿蜒たるもとの姿にかへつたが、
河は息切(いきぎ)れ、歯軋(はぎし)りし、そが蒼曇る背をのたくらし、
そが険呑(けんのん)な尾で以て荒(すが)れた岸を打つてゐた。
エルキュルは再び身をば投入れて、腕をもて河の頸をば締めつけた、その抵抗も物
の数かは
河は懲され、エルキュルは、その上に、大木の幹を振り翳(かざ)し、
ひつぱたきひつぱたく、河は瀕死の態(てい)となり砂原の上にのめされた。
扨エルキュルは立直り、《此の腕前を知らんかい、たはけ奴(め)が!
我猶揺籃にありし頃、二頭の竜(ドラゴン)打つて取つたる
かの時既に鍛へたる此の我が腕を知らんかい!……》

河は慚愧に顛動し、覆へされたる栄誉をば、
思へば胸は悲痛に滾(たぎ)ち、跳ねて狂へば
獰猛の眼(まなこ)は炎と燃え熾(さか)り、角は突つ立ち風を切り、
咆ゆれば天も顫へたり。
エルキュルこれを見ていたく笑ひて
ひつ捉へ、振り廻し、痙攣《ひきつけ》はじめしその五体
鞺(たう)とばかりに投げ出だし、膝にて頸をば圧へ付け、
腰に咽喉(のど)をば敷き据ゑて、打ち叩き打ち叩き
力の限りに懲しめば、やがては河も悶絶す。
息を絶えたる怪物に、勇ましきかなエルキュルは、
打跨つて血濡れたる、額の角を引抜いて、茲に捷利を完うす。
かくてフォーヌやドリアード、ニムフ姉妹の合唱隊(コーラス)は、
減水と富源のために働いた、彼等が勇士の愉しげに
今は木蔭に憩ひつつ、
古き捷利を思ひ合はする勇士に近づき、
かろやかに彼のめぐりをとりかこみ、
花の冠・葉飾りを、それの額に冠(かづ)けたり。
さて皆の者、彼の近くにころがりゐたりし
かの角をばその手にとらせ、血に濡れたその戦利品をば
美味な果実と薫り佳き花々をもて飾つたのだ。

       千八百六十九年九月一日
         シャルルヴィル公立中学通学生
           ランボオ・アルチュル

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、二重パーレンは《 》に代えました。
編者。

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