中原中也が訳したランボー「谷間の睡眠者」Le Dormeur du valの現代訳
一つの詩作品は多くの人によって翻訳されます。
同時代訳は
その中に含まれますが
優れた作品は繰り返し繰り返し翻訳され
幾つもの名訳が生まれます。
戦後も
現在も
新しい翻訳が行われ
発表されていますが
比較的最近の翻訳で
「Le Dormeur du val」を
1960年代の粟津則雄訳と
1990年代の宇佐美斉訳で読んでおきましょう。
大正の大木篤夫、
昭和初期の中原中也、小林秀雄、
戦後の堀口大学、金子光晴、
50年前の現在の粟津則雄、
ほぼ現在の宇佐美斉――と読んでみると
幾分かは、
訳された時代による差異が感じられるかもしれません。
*
谷間に眠る男
粟津則雄訳
青葉の穴だ、銀のつづれを、狂おしく
草の葉にひっかけながら、流れは歌い、
誇らかに聳え立つ山のうえから、陽は
かがやく。光に泡立つ、小さな谷間だ。
若い兵士が、口をあけ、帽子もなく、
みずみずしい青いたがらしに項(うなじ)を浸して
眠っている。草のなか、雲のした、雨のように
光が注ぐ緑のベッドに、蒼ざめて横になってる。
足をあやめの茂みに入れて、眠っている。
病気の子供がほほえむようにほほえみながら一眠りだ、
自然よ、あたたかくゆすってやれ、寒そうだ。
香わしい薫りも彼の鼻の穴をふるえさせぬ、
陽の光を浴びたまま、動かぬ胸に手をのせて、
眠っている。その右の脇腹には赤い二つの穴。
(「ランボオ全作品集」粟津則雄訳、思潮社)
*
谷間に眠る男
宇佐美斉訳
ここはみどりの穴ぼこ 川の流れが歌をうたい
銀のぼろを狂おしく岸辺の草にからませる
傲然と立つ山の峰からは太陽が輝き
光によって泡立っている小さな谷間だ
若い兵士がひとり 口をあけて 帽子も被らず
青くみずみずしいクレソンにうなじを浸して
眠っている 草むらに横たわり 雲のした
光の降り注ぐみどりのベッドに 色あおざめて
グラジオラスに足を突っ込んで ひと眠りしている
病んだ子供のようにほほ笑みながら
自然よ あたたかく揺すってやれ 寒いのだから
かぐわしいにおいに鼻をふるわせることもなく
かれは眠る 光をあび 静かな胸に手をのせて
右の脇腹に赤い穴がふたつのぞいている
(「ランボー全詩集」宇佐美斉訳、ちくま文庫)
*
谷間の睡眠者
中原中也訳
これは緑の窪、其処に小川は
銀のつづれを小草(をぐさ)にひつかけ、
其処に陽は、矜りかな山の上から
顔を出す、泡立つ光の小さな谷間。
若い兵卒、口を開(あ)き、頭は露(む)き出し
頸は露けき草に埋まり、
眠つてる、草ン中に倒れてゐるんだ雲(そら)の下(もと)、
蒼ざめて。陽光(ひかり)はそそぐ緑の寝床に。
両足を、水仙菖に突つ込んで、眠つてる、微笑むで、
病児の如く微笑んで、夢に入つてる。
自然よ、彼をあつためろ、彼は寒い!
いかな香気も彼の鼻腔にひびきなく、
陽光(ひかり)の中にて彼眠る、片手を静かな胸に置き、
見れば二つの血の孔(あな)が、右脇腹に開(あ)いてゐる。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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