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2011年11月 6日 (日)

中原中也が訳したランボー「Tempus erat」と金子光晴の訳

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」5篇を読み終えました。
ここで少しエア抜きの意味もこめて
同時代訳を
金子光晴の例で見ておきましょう。

金子光晴は詩人で
1895年(明治28年)生まれですから
1907年(明治40年)生まれの中原中也より
10歳以上も年上で
没年も1975年(昭和50年)ですから
15年戦争を生き抜き
戦後史30年間をも経験した人です。
明治、大正、昭和を生きた詩人で
大正のはじめ頃から西欧の詩に傾倒し
1925年には訳詩集『近代仏蘭西詩集』(紅玉堂書店)を刊行するなど、
早くもランボーの翻訳に取り組んでいます。

中原中也が「Tempus erat」とした詩を
金子光晴は「ナザレトのイエズス」と題しました。

 *

 ナザレトのイエズス
 金子光晴訳
 
そのころイエズスはナザレトに住みゐたりき。
幼きかれは、年齢を増すとともに、徳をも増してゆきたりき。
ある朝、村の家々の、屋根が薔薇色に仄見(ほのみ)えてくる時刻、
誰も彼もいまだ睡魔に悩まされゐたるに、かれは寝床を離れて行きぬ。
父のヨセフが目ざむる以前に、仕事を終らせおくためなりき。
はや既に、やり掛けの仕事に身をかたむけ、その面差しも晴れやかに、
大いなる鋸(のこぎり)を押しあるひは引き、
その幼き腕もて、多くの板を挽き畢(をは)んぬ。
遐(とほ)く、高き山の上に、やがて、輝かしき太陽ぞ現(あ)れいで、
その銀色の光は、貧相なる窓をとほして射し入りぬ。
つづきて、牛飼ひどち、牛の群れを牧場の方へと牽き連れ行けり。
牛飼ひどち、通りすがりに、口を揃へて、この幼き職人を、
その朝の仕事の物音を、賞めそやしけるなり。
「何者なるか、かの子供は?」と、かれら云ふなる。
「かの子供の顔は、
謹厳さ混へし美しさを現はしゐるぞ。その腕からは、力ぞ迸(ほとばし)り出づるぞ。
この若き職人は、手だれの職人にゆめ劣るなく、見事に杉材を仕上げゐるぞ。
むかし、ヒラムが、ソロモン王の眼前にて、
練達にして堅剛なる両手をふるひ、巨大なる杉や神殿の梁材を挽きしときにも、
斯程(かほど)には熱心に仕事をせしにあらざりけるぞ。
しかのみならず、かの子供のからだは、弱々しき葦よりもなほしなやかに曲がるなる
ぞ。その鉞(まさかり)は、真直ぐにのばせしならば、肩にまでも届くならんぞ」

そのとき、かれの母親は、鋸の歯の軋みを聞きて、
床ゆ起き出で、静かにイエズスの傍に来て、うち黙(もだ)しながら、
大いなる板を扱ひ兼ねて苦しみつつ仕上げに精出しをれる
子供の姿を、さも不安げに、眺めをりたり。……唇きっと噛みしめて、
彼女は、子供に眼(ま)を凝(こ)らし、その静かなる眼差し以(も)て抱擁しゐたりしが、
やがて、彼女の口もとには、声には出でざる言葉ぞ揺れたれ。
微笑み涙の裡(うち)に輝きいづれ。……しかるに、突然、鋸(のこぎり)が折れ、
不意を突かれし子供の指を傷つけたり。
イエズスの服は、流れいづる赤き血に染み、
かすかなる叫び声、口ゆ洩れたり。とみるや、かれは、
母のゐることに気づき、赤きその指を服の下に匿しながら、
強ひて笑顔をつくろひて、「お早(は)やう、お母さま」と言ひかけぬ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
されど、母親は、息子の指をなでさすり、そのうら若き手に接唇(くちづけ)したりき。
烈しくぞ喘(あえ)ぎながらに、大粒の涙もて顔を濡らして。
されど、子供は、さして心動かすけしきもなくて、
「何故に泣くや、お母さま?
お母さまは何も知らざるを。……ただ、切れ味よき鋸の歯の、わが指に触れしのみなるを?
お母さまの泣くべき時、いまだなほ来れるにあらぬを!」
茲において、イエズスは、やりかけの仕事を再開せりき。母親は、うち黙しながら、
色蒼ざめて、その白き顔を俯向(うつむ)きがちに足許に向け、
深き思ひに沈みゐたりしが、ふたたび、その子に悲しき眼を遣り、
「偉大なる神よ、聖なるみこころの成就せられむことを!」

     (1870年)
     A・ランボオ

(「ランボー全集」より。1984年、雪華社)
※ルビは( )の中に入れました。編者。

 *

 5 Tempus erat
   中原中也訳

その頃イエスはナザレに棲んでゐた。
成長に従つて徳も亦漸く成長した。
或る朝、村の家々の、屋根が薔薇色になり初(そ)める頃、
父ジョゼフが目覚める迄に、父の仕事を仕上げやらうと思ひ立ち、
まだ誰も、起きる者とてなかつたが、彼は寝床を抜け出した。
早くも彼は仕事に向ひ、その面容(おもざし)もほがらかに、
大きな鋸を押したり引いたり、
その幼い手で、多くの板を挽いたのだつた。
遐(とほ)く、高い山の上に、やがて太陽は現れて、
その眩(まぶ)しい光は、貧相な窓に射し込んでゐた。
牛飼達は牛を牽(ひ)き、牧場の方に歩みながら、
その幼い働き手を、その朝の仕事の物音を、てんでに褒めそやしてゐた。
《あの子はなんだらう、と彼等は云つた。
綺麗にも綺麗だが、由々しい顔をしてゐるよ。力は腕から迸つてゐる。
若いのに、杉の木を、上手にこなしてゐるところなぞ、まるでもう一人前だ。
昔イラムがソロモンの前で、
大きな杉やお寺の梁(はり)を、
上手に挽いたといふ時も、此の子程熱心はなかつただらう。
それに此の子のからだときたら、葦よりまつたくよくまがる。
鉞(まさかり)使ふ手許(もと)ときたら、狂ひつこなし。》

此の時イエスの母親は、鋸切の音に目を覚まし、
起き出でて、静かにイエスの傍に来て、黙つて、
大きな板を扱ひ兼ねた様子をば、さも不安げに目に留めた。
唇をキツト結んで、その眼眸(まなざし)で庇(かば)ふやうに、暫くその子を眺めてゐたが。
やがて何かをその唇は呟いた。
涙の裡に笑ひを浮かべ……
するとその時鋸が折れ、子供の指は怪我をした。
彼女は自分のま白い着物で、真ツ紅な血をば拭きながら、
軽い叫びを上げた、とみるや、
彼は自分の指を引つ込め、着物の下に匿しながら、
強ひて笑顔をつくろつて、一言(ひとこと)母に何かを云つた。
母は子供にすり寄つて、その指を揉んでやりながら、
ひどく溜息つきながら、その柔い手に接唇(くちづ)けた。
顔は涙に濡れてゐた。
イエスはさして、驚きもせず、《どうして、母さん泣くのでせう!
ただ鋸の歯が、一寸擦(かす)つただけですよ!
泣く程のことはありません!》
彼は再び仕事を始め、母は黙つて
蒼ざめて、俯き顔(かほ)に案じてゐたが、
再びその子に眼を遣つて、
《神様、聖なる御心(みこころ)の、成就致されますやうに!》

     千八百七十年
     ア・ランボオ

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、二重パーレンは《 》に代えました。編者。

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