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2011年11月 5日 (土)

中原中也が訳したランボー「Tempus erat」

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の5番目の作品は
「Tempus erat」です。
この詩集はこれで全てとなります。

「Tempus erat」は
ラテン語の原詩のはじまりの語を
そのままタイトルにしたもので
「Tempus」は「時」の意味
「erat」は「存在する」「―である」などの意味の過去形。
「遠い昔――」というような意訳が可能でしょうか。

「ランボオ詩集《学校時代の詩》」の全ての詩が
「ドゥエ学区公報」に掲載されたものを集めたものですが
この「Tempus erat」も
1870年4月15日号に発表されたものです。

シャルルビル高等中学校で
ランボーはラテン語の授業を半年間受けますが
その水準はかなり高度であったことが知られています。
ランボーはその中でもずば抜けて優秀で
最終学年の修辞学級でトップの成績を残し
学校区で行われるラテン語韻文詩のコンクールでも
ドゥエ学区で何度か一等賞を獲得する実力を誇っていました。

このドゥエ学区の公報誌に掲載された詩がまとめられて
「ランボオ詩集《学校時代の詩》」として
公刊されたのは1932年でした。
発行元はメルキュール・ド・フランス社です。

「Tempus erat」は
ナザレのイエスと両親との交流を描いた
作者不詳のフランス語詩ですが
ランボーはこの原作に手を加えることなく
そのままの形でラテン語に訳しました。
(「新編中原中也全集 第3巻・翻訳」参照)

中原中也は
原典の出自や創作経緯などを
詳しくは知り得なかったはずですが
この訳出でも
余計な装飾を排して実直に
少年詩人ランボーの純真さを
損ねないように努めていることが伝わってきます。

その頃イエスはナザレに住んでいた。
成長するにつれて徳もまたゆっくり成長した。

ある朝、村の家々の屋根がバラ色に染まりはじめる頃
父ヨセフが目覚めるまでに、
父の仕事を仕上げてあげようと思い立ち
まだ誰も起きている者もいなかったが
彼は寝床から抜け出した。

すぐさま仕事に向かい
面差しも朗らかに
大きな鋸(のこぎり)を押したり引いたり
その幼い手で、多くの板に仕上げたのだった。

遠くの高い山の上に、やがて太陽は現れて
その眩しい光は、貧しそうな家の窓に射し込んでいた。

牛飼いたちは牛を引き、牧場の方に歩みながら
その幼い仕事の手を
その朝の仕事の物音を
思い思いに愛しんでいるようだった。

「あの子は何だろう、と彼らは言った。
奇麗なのは奇麗だが、深刻そうな顔しているよ。
力が腕から溢れるばかりだ。
若いのに杉の木をうまく操っているところなど、まるでもう一人前だ。

むかし、イラムがソロモンの前で
大きな杉やお寺の梁を
上手に仕立てたことがあったけど
この子ほど熱がこもってはいなかっただろう。
それにこの子の身体ときたら
葦よりもしなやかに曲がれる。
まさかりを使う手元ときたら、寸分も狂わない。」

この時イエスの母親は
のこぎりの音に目を覚まし
起き出してきて静かにイエスのそばに来て、黙って、
大きな板を扱いかねているイエスを
とても不安そうな目で見た。
唇をキッと結んで、そのまなざしで庇うかのように
しばらくその子を眺めていたが。

やがて何かをその唇は呟いた。
涙の中に笑みを浮べ……
するとその時のこぎりが折れ、子どもの指は怪我を負った。
彼女は自分の真っ白な衣服で
真っ赤な血を拭きながら
軽い叫び声をあげた、と思うと
子どもは自分の指を引っ込め、
衣服の下に隠しながら
健気に笑顔をつくって、一言母親に言った。

母親は子どもにすり寄って
その指を揉んであげながら
大きな溜め息をついて、その柔らかな手に口づけした。
顔は涙で濡れていた。

イエスは大して驚きもしないで
「どうして、母さん、泣くのでしょう!
ただのこぎりの歯が、ちょっと掠っただけですよ!
泣くことのほどではありません!」

彼はふたたび仕事を始め
母は黙って、
蒼ざめて、うつむき顔で心配していたが
ふたたびその子に目をやって
「神さま、聖なる御心が、成就されますように!」
 
     1870年
     ア・ランボオ


驚くべき
分かりやすさです!
難解な語句はほとんどありません。

ランボーに課題作として与えられたフランス語原詩が
分かりやすく平明であり
ランボーはこれを忠実にラテン語詩に訳したからでもありましょうが
中原中也の日本語訳も
さらにさらに
分かりやすさを増し
平明簡易です。

 *

 5 Tempus erat

その頃イエスはナザレに棲んでゐた。
成長に従つて徳も亦漸く成長した。
或る朝、村の家々の、屋根が薔薇色になり初(そ)める頃、
父ジョゼフが目覚める迄に、父の仕事を仕上げやらうと思ひ立ち、
まだ誰も、起きる者とてなかつたが、彼は寝床を抜け出した。
早くも彼は仕事に向ひ、その面容(おもざし)もほがらかに、
大きな鋸を押したり引いたり、
その幼い手で、多くの板を挽いたのだつた。
遐(とほ)く、高い山の上に、やがて太陽は現れて、
その眩(まぶ)しい光は、貧相な窓に射し込んでゐた。
牛飼達は牛を牽(ひ)き、牧場の方に歩みながら、
その幼い働き手を、その朝の仕事の物音を、てんでに褒めそやしてゐた。
《あの子はなんだらう、と彼等は云つた。
綺麗にも綺麗だが、由々しい顔をしてゐるよ。力は腕から迸つてゐる。
若いのに、杉の木を、上手にこなしてゐるところなぞ、まるでもう一人前だ。
昔イラムがソロモンの前で、
大きな杉やお寺の梁(はり)を、
上手に挽いたといふ時も、此の子程熱心はなかつただらう。
それに此の子のからだときたら、葦よりまつたくよくまがる。
鉞(まさかり)使ふ手許(もと)ときたら、狂ひつこなし。》

此の時イエスの母親は、鋸切の音に目を覚まし、
起き出でて、静かにイエスの傍に来て、黙つて、
大きな板を扱ひ兼ねた様子をば、さも不安げに目に留めた。
唇をキツト結んで、その眼眸(まなざし)で庇(かば)ふやうに、暫くその子を眺めてゐたが。
やがて何かをその唇は呟いた。
涙の裡に笑ひを浮かべ……
するとその時鋸が折れ、子供の指は怪我をした。
彼女は自分のま白い着物で、真ツ紅な血をば拭きながら、
軽い叫びを上げた、とみるや、
彼は自分の指を引つ込め、着物の下に匿しながら、
強ひて笑顔をつくろつて、一言(ひとこと)母に何かを云つた。
母は子供にすり寄つて、その指を揉んでやりながら、
ひどく溜息つきながら、その柔い手に接唇(くちづ)けた。
顔は涙に濡れてゐた。
イエスはさして、驚きもせず、《どうして、母さん泣くのでせう!
ただ鋸の歯が、一寸擦(かす)つただけですよ!
泣く程のことはありません!》
彼は再び仕事を始め、母は黙つて
蒼ざめて、俯き顔(かほ)に案じてゐたが、
再びその子に眼を遣つて、
《神様、聖なる御心(みこころ)の、成就致されますやうに!》

     千八百七十年
     ア・ランボオ

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れ、二重パーレンは《 》に代えました。編者。

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