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2011年12月

2011年12月31日 (土)

大晦日に読んでおきたい中原中也の詩「除夜の鐘」

 除夜の鐘

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜(よる)の空気を顫(ふる)はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

それは寺院の森の霧つた空……
そのあたりで鳴つて、そしてそこから響いて来る。
それは寺院の森の霧つた空……

その時子供は父母の膝下(ひざもと)で蕎麦(そば)を食うべ、
その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出、
その時子供は父母の膝下で蕎麦を食うべ。

その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。
その時囚人は、どんな心持だらう、どんな心持だらう、
その時銀座はいつぱいの人出、浅草もいつぱいの人出。

除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。
千万年も、古びた夜(よる)の空気を顫(ふる)はし、
除夜の鐘は暗い遠いい空で鳴る。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 
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2011年12月27日 (火)

中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ansその2

ランボー少年の母ヴィタリーの厳しいしつけは
軍人だった父との疎遠な関係とともに語られがちですが
ランボーの父フレデリックは母ヴィタリーと
ランボーが6歳のときに離婚していますし
離婚以前も軍務の関係で帰郷することがほとんどなく
したがってランボーは父と会った記憶をほとんど持たなかったのですが
だからといっていいのでしょう
数少ない「父体験」に精神的な影響を強く受けていることが知られています。

ランボーが自宅の屋根裏部屋で
父のものである書物
――アルジェリアに関する資料や
アラビア語に関する参考書や
「コーラン」の仏語訳文書や
新聞記事のスクラップなどを発見したのは
12歳の時のことでした。

これらを読んだランボー少年が受けたインパクトは
想像してみるだけで心躍るものがありますが
父フレデリックの「教養」が
やがてランボー少年の「夢」となって膨れあがっていったことをも
想像することは容易なことです。

「七才の詩人」Les Poètes de sept ans
第5連に現われる「砂漠」が
父フレデリックによって開かれた
ランボー少年の「夢」をそのまま歌ったものと断定することはできませんが
屋根裏部屋で見たアラビアやアフリカのイメージが

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!

――と、詩になったとしてもいっこうに不思議なことではありません。

7歳の詩人の詩は
しかし、意外な世界に踏み込んでいき
息を飲まずにいられない展開をみせます。

彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。

――と、続くのは「本」の世界、ロマンの世界の発見の物語ですが、

その本の中の世界から
一人の少女が現われて
「片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にする」というドラマが飛び出します

すると、彼は
(少女の)「股(もゝ)に噛み付いた」のです。
その少女は、ズロース(下着)をはいていなかったのです
彼は、少女に拳固を食わされ、ヒールで蹴られ
(ほうほうのていで)自分の部屋に退散しますが
彼の全身に、
少女の柔らかな肌の感触が残っていた、
……というように歌われるのです。

(つづく)

 *

 七才の詩人

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

 
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2011年12月26日 (月)

中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ans

「私は一つの他者である」というのなら
「あそこにいるあの人は私である」ということですし
「あなたは私である」ということもできれば
「私はあなたである」といえるし
「他者は私である」ということができるのでしょうか――。

「七才の詩人」Les Poètes de sept ansに現われる
「息子」や「彼」、つまり「七才の詩人」が
ランボー自身であることに
七面倒くさい説明は不要でしょう。

「彼」は「私」であり
「私」は「彼」であるという交換可能な自由は
詩を書く7歳の少年が
早くもロマンの中で獲得したものであるという伝記的事実を
この詩が語っていますし
この自由によって
ランボーはここで「7歳の詩人」ですが
ほかの詩では「船」(「酔ひどれ船」)であり
ほかの詩では「半獣神」(「フォーヌの頭」)でもあります。

「七才の詩人」もまた
「ランボオ詩抄」に収録されず
「ランボオ詩集」にいきなり初めて収録された詩篇の一つです。

ということは、つまり
制作日時に関して
「教会に来る貧乏人」と同様のことがいえる作品であるということになり
「晩年」の制作が推定されますが、
この詩の
昭和5年に発表された小林秀雄の訳があることも
非常に興味の引かれるところです。

中原中也は「晩年」に鎌倉に住んでいたのですが
鎌倉は小林秀雄が住んでいた土地でもありまして
この地で二人は頻繁に行き来しましたし
中原中也が小林秀雄訳の「七才の詩人」を読んでいる可能性は高いのです。

小林秀雄も「七才の詩人」と訳しており
中原中也と同じタイトルですが
散文詩の形にしているところが
いかにも小林秀雄流です。

小林秀雄訳の
第1連だけを読んでみれば

 やがて、「母親」は、宿題の本をふせ、満足して、如何にも得意げに出て行つた。碧
い眼のうちで、でこぼこの一杯ある額の下で、息子の心が、糞でも喰へ、と構えてゐる
のも知らないで。

――となります。(「角川新全集」より)

ランボー少年の母の
厳しいしつけは
軍人だった父との疎遠な関係とともに語り草のひとつですが
冒頭に出てくる「宿題帖」には
「聖書」の意味が込められていると読むことができるそうです。
(「角川新全集」)

 *

 七才の詩人

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

 
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2011年12月25日 (日)

中原中也が訳したランボー「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’égliseその3

二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。
――第1連の末行の、賛美歌を怒鳴る、という言い回し

可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。
――第2連の末行の、なんとも頑固な祈祷(おいのり)、という言い回し

死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。
――第3連の末行の、死なんばかりに泣き叫ぶ、という言い回し

……末行ばかりではなく、
第4連第2行の
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
第7連第2行の
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
などなどの口調に滲(にじ)み出る「一歩引いた地点からの」物言い。
……まだまだありますが

これらは
ランボーの詩の諧謔的声調を
中原中也が汲み取って翻訳したものと言えるでしょう。

日常化した宗教儀式を
高笑いして、皮肉に眺める眼差し。
そこに参列するのは
貧しき人々の群れ。
彼らの生態の一つ一つは
幾分かランボー自身の身に覚えのある感覚が無きにしも非ず。
幼き日の我が身への
自己批判を通じた「外部の眼」であるかもしれない。
ヴォワイヤン(=見者)の眼差しが
ここにあるとも考えられます。

「ランボオ詩抄」に載らず
「ランボオ詩集」に初めて収録された詩篇の一つである
「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église は
最大幅をとって
昭和9年9月の建設社版の「ランボオ全集」のための翻訳開始から
「ランボオ詩集」の原稿が発行元の野田書房に持ち込まれる
同12年8月までの間の制作という推定であったとしても
この期間には
数々の「事件」が中原中也を襲っていました。

昭和11年11月10日の長男・文也の死
それが原因の神経衰弱の徴候
昭和12年1月9日から2月15日までの中村古峡療養所への入退院
2月17日の鎌倉転居
……

このため
鎌倉への転居後に
建設社版「ランボオ全集」のために翻訳した原稿を推敲、清書し
新たに幾つかの翻訳を完成させたのも加えて
昭和12年8月に野田書房へ原稿を持ち込んだ、と推察するのが自然のようです。

この時の詩人の様子を、
野田書房の社主・野田誠三は

8月、突然、僕のところへ来られて、「ランボオ全集」を本にして呉れ、もう随分、長いこと原稿を持つて居たんだけれど、――と大変、本にすることを急いで居られた

――と、「手帖」中原中也追悼号(昭和12年12月)中の
「中原中也の死」の中で回想しています。
(角川新全集・第3巻「翻訳・解題篇」より)

中原中也は
昭和12年10月22日に永眠するのです。

野田書房に「ランボオ詩集」の原稿を持ち込んだのが
昭和12年8月頃で
同全集の発行は9月15日、
この直後の9月中には
第2詩集「在りし日の歌」の清書原稿を
小林秀雄に託し
その約1か月後の永眠です。

「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’égliseの制作(翻訳)日時は
特定できないにせよ
これらの期間、つまり「晩年」であることに間違いはなさそうです。

さらば東京!
おゝわが青春!

――と、「在りし日の歌」の後記に記した(1937、9、23)という日付けと
遠くはない日に
訳稿は完成しました。

瑞々(みずみず)しくさえある
言葉遣いの秘密が
ここら辺にあるような気がしてなりません。

 *

 教会に来る貧乏人

臭い息(いき)にてむツとする教会の隅ツこの、
樫材(かし)の床几にちよこなんと、眼(め)は一斉に
てんでに丸い脣(くち)してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

蝋の臭気(にほひ)を吸ひ込める麺麭の匂ひの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻(あと)では名もない病気!
――それなのにそのまはりでは、干柿色の婆々連(ばばあれん)、
或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

其処にはびツくりした奴もゐる、昨日巷で人々が
避(よ)けて通つた癲癇病者(てんかん)もゐる、
古いお弥撒(みさ)の祈祷集(おいのりぼん)に、面(つら)つツ込んでる盲者(めくら)等は
犬に連れられ来たのです。

どれもこれもが間の抜けた物欲しさうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
エス様は、焼絵玻璃(やきゑがらす)で黄色くなつて、高い所で夢みてござる、
痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

肉の臭気や織物の、黴(か)びた臭(にほ)ひも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまひもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

日影も知らぬ脇間(わきま)では、ごくありふれた絹の襞、
峻厳さうなる微笑(ほゝゑみ)の、お屋敷町の奥さん連(れん)、
あの肝臓の病人ばらが、――おゝ神よ!――
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月23日 (金)

中原中也が訳したランボー「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’égliseその2

中原中也訳「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église は
昭和11年(1936年)6月から同12年8月27日の間の制作
または、昭和9年(1934年)9月から同10年3月末の間の制作と推定されています。

前者は、「ランボオ詩抄」刊行から「ランボオ詩集」の原稿が
発行元の野田書房に持ち込まれるまでの間。
後者は、建設社版の「ランボオ全集」のために
ランボーの翻訳に集中していた期間。
両期間の最大幅をとれば
昭和9年9月から同12年8月の間の制作という推定になります。

中原中也のランボー翻訳詩には
「ランボー詩抄」(昭和11年、山本書店)に収録されず
「ランボオ詩集」(昭和12年、野田書房)に初めて収録された作品のグループがあり
これらの作品の制作時期は特定されていません。
そのため、「角川新全集編集」が考証・推定したのが
以上の制作時期です。

「教会に来る貧乏人」は
このグループの作品の一つですから
中原中也「晩年」の仕事といってよいものでした。
翻訳に「爛熟」の味わいがあるのは
ここらあたりに理由があることに違いありません。

中原中也が上京して小林秀雄らと知り合った
昭和初期からはじめたフランス象徴詩の翻訳は
すでにほぼ10年の月日を積み上げています。
この間、アテネフランセ、中央大学予科、東京外国語学校などでフランス語を学び
学ぶと同時に(と言ってよいほどに)翻訳を手がけていますから
学習と実作(翻訳の)が絶えず同じ地平にあるという
「理想的な翻訳の方法」を実践していた、ということになります。

フランス語の学習と翻訳とを、
同じ地平で行いながら、さらに
詩作も同じ地平で行っていたのですし
それを10年積み重ねるという生活がどのように大変なものであったか――。
その成果が「ランボオ詩集」に結実していることを
忘れてはなりません。

昭和9年末、
インクの匂いで生々しい
第一詩集「山羊の歌」の刷り上りを手にしたその足で
そのまま故郷山口に帰り、
生まれたばかりの長男・文也と初対面、
翌年3月まで山口に滞在したのは
建設社版「ランボオ全集」の翻訳の仕事に集中するという目的のためでした。

この仕事は
「ランボオ全集」発行が頓挫したために
日の目を見なかったのですが
やがては山本書店発行の「ランボオ詩抄」や
野田書房発行の「ランボオ詩集」の中に生き延びることになりました。

 ◇

「教会に来る貧乏人」が
「ランボー詩抄」に収録されず
「ランボオ全集」に初めて収録された作品の一つでありながら
昭和9年末の、この帰省で制作されたものであるのか、ないのか、
決定的な資料がないため
二つの制作日が推定されているということです。
(角川新全集 第3巻 翻訳 解題篇)

 *

 教会に来る貧乏人

臭い息(いき)にてむツとする教会の隅ツこの、
樫材(かし)の床几にちよこなんと、眼(め)は一斉に
てんでに丸い脣(くち)してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

蝋の臭気(にほひ)を吸ひ込める麺麭の匂ひの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻(あと)では名もない病気!
――それなのにそのまはりでは、干柿色の婆々連(ばばあれん)、
或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

其処にはびツくりした奴もゐる、昨日巷で人々が
避(よ)けて通つた癲癇病者(てんかん)もゐる、
古いお弥撒(みさ)の祈祷集(おいのりぼん)に、面(つら)つツ込んでる盲者(めくら)等は
犬に連れられ来たのです。

どれもこれもが間の抜けた物欲しさうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
エス様は、焼絵玻璃(やきゑがらす)で黄色くなつて、高い所で夢みてござる、
痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

肉の臭気や織物の、黴(か)びた臭(にほ)ひも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまひもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

日影も知らぬ脇間(わきま)では、ごくありふれた絹の襞、
峻厳さうなる微笑(ほゝゑみ)の、お屋敷町の奥さん連(れん)、
あの肝臓の病人ばらが、――おゝ神よ!――
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
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2011年12月22日 (木)

中原中也が訳したランボー「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église

中原中也訳「ランボオ詩集」の「初期詩篇」の
10番目にあるのは「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église です。

「感動」
「フォーヌの頭」
「びつくりした奴等」
「谷間の睡眠者」
「食器戸棚」
「わが放浪」
「蹲踞」
「坐った奴等」
「夕べの辞」
――と読んできて10番目で、
「ランボオ詩集<学校時代の詩>」から数えると15番目になりますが
それがただちに15番目の制作というわけでないことはいうまでもありません。

しかし、この詩には
中原中也がランボーの翻訳の呼吸を掴んで
「乗っている」感じがあって
ランボーその人が詩人に乗り移って歌っている、と
そう思える瞬間があるほど秀逸で
もはや「爛熟」の域に入っていますから
まずは、詩そのものを読んでみましょう。

 ◇

 教会に来る貧乏人

臭い息(いき)にてむツとする教会の隅ツこの、
樫材(かし)の床几にちよこなんと、眼(め)は一斉に
てんでに丸い脣(くち)してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

蝋の臭気(にほひ)を吸ひ込める麺麭の匂ひの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻(あと)では名もない病気!
――それなのにそのまはりでは、干柿色の婆々連(ばばあれん)、
或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

其処にはびツくりした奴もゐる、昨日巷で人々が
避(よ)けて通つた癲癇病者(てんかん)もゐる、
古いお弥撒(みさ)の祈祷集(おいのりぼん)に、面(つら)つツ込んでる盲者(めくら)等は
犬に連れられ来たのです。

どれもこれもが間の抜けた物欲しさうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
エス様は、焼絵玻璃(やきゑがらす)で黄色くなつて、高い所で夢みてござる、
痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

肉の臭気や織物の、黴(か)びた臭(にほ)ひも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまひもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

日影も知らぬ脇間(わきま)では、ごくありふれた絹の襞、
峻厳さうなる微笑(ほゝゑみ)の、お屋敷町の奥さん連(れん)、
あの肝臓の病人ばらが、――おゝ神よ!――
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

 ◇

どこそこと指摘するならば
例えば、各連の終行は、

二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

犬に連れられ来たのです。

痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

――となっていますが
全部が全部といっていいほど
7―5のリズムで決めていますし

怒鳴ります。
ございます。
をりまする。
話します。
来たのです。
浸します。
――の話者の口調には
サーカスか何かの案内役の「冷静さ」があるではないですか

 ◇

樫材(かし)の床几にちよこなんと
讃美歌を怒鳴(どな)ります。
死なんばかりに泣き叫ぶ、
祈りなんざあしませんで、
干柿色の婆々連(ばばあれん)、
高い所で夢みてござる、
便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や
真言秘密の傾向が、
お屋敷町の奥さん連(れん)、

――などの、絞り出され、ひねり出されて、選ばれたと見える語句にも
「勢い」と「強度」があり
オリジナリティーがあります。
「けれん」を感じさせるものでもありません。
スラスラと歌われている印象です。

中原中也の自作詩の中で
読んだ覚えのあるような言葉が現われるようですが
それは錯覚で
初めてこの詩の中で使われている言葉であるところが
さすが! です。

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2011年12月21日 (水)

中原中也が訳したランボー「夕べの辞」Oraison du soirその4

中原中也が「夕べの辞」と訳した「Oraison du soir」の
鈴木信太郎訳が手元にありますから
読んでおきます。

詩の翻訳は
翻訳の専門家みたいな印象のある
上田敏、堀口大学らも
自作詩を創作した詩人でしたし、
詩人としての活動のかたわらで
翻訳も手がけた金子光晴や中原中也、
詩人というよりは作詞家としての活動が広く知られる
大木淳夫(篤夫)や西条八十、
評論など散文を書くことが主軸の小林秀雄や
詩も散文(小説)も書く清岡卓行
……

そして
学問のプロであり専門の研究家であり
教壇に立ち学生の教育にも携わる教官でもある
辰野隆、鈴木信太郎
……と、ざっと見ても
ランボーを早い時期に翻訳した文学者それぞれのテリトリーは多彩です。

鈴木信太郎は
辰野隆、山田珠樹らとともに
大正から昭和初期にかけて
東京帝大のフランス文学科(トウダイ・フツブンカ)を
隆盛に導いた教官として有名ですが
とりわけ、「近代佛蘭西象徴詩抄」(春陽堂、1924年)は
ベルレーヌ、ランボー、ボードレールら
フランス象徴詩派と呼ばれる詩人たちの詩を紹介して
当時の学生たちに貪るように読まれたことが伝わっています。

その学生の中に小林秀雄がいて
小林秀雄は富永太郎、正岡忠三郎(子規の義理の甥)と
府立一中の先輩・後輩の関係だったために
富永太郎を京都で知った中原中也は
上京して小林秀雄を知り
ランボーにより深く傾注することになります。

こうして、長谷川泰子をめぐる
小林秀雄と中原中也の運命の事件は
「ランボーという事件」の渦中で同時進行しますが
今は、ランボーという事件の流れの中にあり
この流れを「発信するプロフェショナル」が
鈴木信太郎や辰野隆という大学者であったということになります。

小林秀雄、中原中也は
学生でありながら(在野にあって)
プロとしての道を選択し、
一方は、散文(評論)、一方は、韻文(詩)へと進み
その道中でランボーを世の中に広める役割を果たしました。
富永太郎は急逝してしまいましたが
小林秀雄、中原中也を結びました。

 ◇

鈴木信太郎の訳の
端正な声調と風格は
歴史的かな遣いを現代語にしてみれば
ますます際立ってくることに気づくことでしょう。

 ◇

 夕の祈祷
 鈴木信太郎訳

理髪師の手に身をまかせた天使のやうに、坐りこみ、
丸溝のついたビールのジョッキを手に摑み、
太鼓腹(たいこばら)、頸を反らせて、陶器製パイプを 俺は咥へてゐる、
空々漠々 真帆片帆 空一面に飛んでゐる。

古ぼけた鳩小屋にたまつた熱い糞のやうに、
俺の胸には 簇(むら)がる夢が 甘い火傷の痕をつける。
それから一寸 しんみりとして、鋳型から溶(とろ)けて流れる
くすんだ黄金が 型木を赤く焼け焦す といふやうな心持。

さらにそれから、念入りに自分の夢を呑み干してから、
三四十杯飲んだ揚句に、くるりと後に振り向いて、
どうにもたまらぬ要求を ぶつ放そうと 冥想する。

大木(セエドル)にして雑草(イゾオブ)の偉大で卑小な基督のやうに気持も
晴々と、褐色の空に向かつて 高々と遙かに俺は放尿する、
――憚りながら 背の高い木立瑠璃草(ヘリオトロオプ)の御同意を得て。――

※「ランボオ全集Ⅰ」(昭和27年、創元社)より引用。
※原作は「天使」「夢」に傍点があります。漢字は新漢字に改め、また、一部のルビを( )で示したほかを省略しました。

 *

 夕べの辞

私は坐りつきりだつた、理髪師の手をせる天使そのままに、
丸溝のくつきり付いたビールのコップを手に持ちて、
下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、
まるで平(たひら)とさへみえる、荒模様なる空の下。

古き鳩舎に煮えかへる鳥糞(うんこ)の如く、
数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。
やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々(なまなま)し
溶(とろ)けた金のまみれつく液汁木質さながらだつた。

さて、夢を、細心もつて嚥のみ下し、
身を転じ、――ビール三四十杯を飲んだので
尿意遂げんとこゝろをあつめる。

しとやかに、排香草(ヒソフ)や杉にかこまれし天主の如く、
いよ高くいよ遐とほく、褐色の空には向けて放尿す、
――大いなる、ヘリオトロープにうべなはれ。

 *

 夕の弁

我は理髪師の手もてる天使の如く坐してありき、
深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、
小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、
ふくよかに風孕む帆が下に。

古き鳩舎の火照りある糞のごと
千の夢は、我をやさしく焦がしたり。
と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる
暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

軈て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、
惑乱す、数十杯のビール傾け、
扨入念す、辛き心を浚はむと。

やさしさ、杉とヒソプの主の如く、
いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、
大いなるヘリオトロープにあやかりて。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月20日 (火)

中原中也が訳したランボー「夕べの辞」Oraison du soirその3

中原中也訳の「夕べの辞」Oraison du soirの
Oraisonは、「祈り」「祈祷」の意味です。

放尿のことを祈祷としたことが
この詩の「肝」なのですが
これをどう読むか――。

となると
素人の個性的な読みでは
なかなかたどりつけない
「シンボル解析」とか
「メタファー分析」とか

ランボーを詳細に研究し
これまで世に現われた鑑賞のすべてに目を通し
読みの歴史の流れに立った
プロフェショナルな眼差しが要求されることになります。

ランボー学というようなプロの研究が
こうして100年以上も続けられて
なおも研究し尽されることはないという
これは例えば
ミツバチの生態を観察する眼差しに
終わりが訪れることがないのに似た
永久運動――。

プロは言います。
タイトルは、明らかに宗教的行為(聖性)を指示し
内容は、その聖性をからかい、嘲笑し、汚す=「贖聖」を歌っている、と。
プロの研究の成果
学問が達した定説
ここに、素人の異論(個性)の立ち入るスキはありません。

そういえば、西条八十は
「醜悪なるもの、汚穢なるものへの特別な関心」が見られる詩群の中に
この「夕べの祈り」を入れて

古ぼけた鳩小屋の熱い糞のように、
おれの中には幾千もの夢が甘い火傷をつくる

――と、第2連第1、2行を訳出してから
最終連の「放尿の楽しさの描写」に注目しています。

では、金子光晴はどうか、というと
放尿シーンを

 かわみどり、せいよう杉よりもすんなりとしたおん主の寛大をわがこころとして、
遠い夜空へ、たかだかと僕は放尿する。
 ――すばらしいぞ。ヘリオトロープも、大音で助勢しようとは。

と、訳しているのを見れば
これも「楽しい放尿」という響きで
愚弄嘲弄の響きは後退している様子です。

 ◇

鈴木信太郎は?
堀口大学は?

戦後の訳で

平井啓之は?
粟津則雄は?
篠沢秀夫は?
飯島耕一は?
清岡卓行は?
鈴木創士は?
入沢康雄は?
宇佐美斉は?
鈴村和成は?
……

 ◇

まだまだ10本の指が
いや20本か、
読めないでいる「ランボー党」は犇いています。

 ◇

とりとめもなく
横すべりしていくのも
また楽しきかな、です。

 *

 夕べの辞

私は坐りつきりだつた、理髪師の手をせる天使そのままに、
丸溝のくつきり付いたビールのコップを手に持ちて、
下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、
まるで平(たひら)とさへみえる、荒模様なる空の下。

古き鳩舎に煮えかへる鳥糞(うんこ)の如く、
数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。
やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々(なまなま)し
溶(とろ)けた金のまみれつく液汁木質さながらだつた。

さて、夢を、細心もつて嚥のみ下し、
身を転じ、――ビール三四十杯を飲んだので
尿意遂げんとこゝろをあつめる。

しとやかに、排香草(ヒソフ)や杉にかこまれし天主の如く、
いよ高くいよ遐とほく、褐色の空には向けて放尿す、
――大いなる、ヘリオトロープにうべなはれ。

 *

 夕の弁

我は理髪師の手もてる天使の如く坐してありき、
深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、
小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、
ふくよかに風孕む帆が下に。

古き鳩舎の火照りある糞のごと
千の夢は、我をやさしく焦がしたり。
と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる
暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

軈て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、
惑乱す、数十杯のビール傾け、
扨入念す、辛き心を浚はむと。

やさしさ、杉とヒソプの主の如く、
いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、
大いなるヘリオトロープにあやかりて。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月19日 (月)

中原中也が訳したランボー「夕べの辞」Oraison du soirその2

中原中也訳の「夕べの辞」Oraison du soirは
湿った嘲(あざけ)りの声調というよりも
乾いた笑いが漂うと感じられるのは
それも個性のうちなのかも知れないと思える一方、
陰鬱な黒いドロドロの情念を感じる個性もあるかも知れないので
どっちとは言うことはしない方がよいかな――。

中原中也は
第2連を訳しながら
「鳥糞」を「うんこ」と読ませるアイデアを得た時
腹を抱えて笑っただろうか
それとも
こんなところでも笑っている場合ではない、と神妙だったのか
想像がたくましくなるばかりです。

 ◇

わたしは、ずっと座りっぱなしだった、理髪師の手をした天使そのままの格好で、
丸溝が刻まれたビールのコップを持ち、
お腹を出し首を反らし陶製のパイプをくわえ、
まるでまっ平に見える、荒れ模様の空の下で。

古い鳩舎に放たれた真新しい糞(うんこ)のような
数々の夢は私の胸の中に燃え盛り、静かに焦げている。
やがて私のやさしい心は、沈鬱が襲い、生々しい
とろけた金にまみれ、スープみたいになっていた。

さて、夢を、細やかな心で呑み下し、
身をよじり、ビールを3、40杯を飲んだところで
尿意がみなぎり無念無想のポーズ。

しとやかに、ヒソップやシダーに囲まれた天主のようにして、
高く遠く、褐色に染まった空に向けて思いっきり放尿する、
うれしいことに、ヘリオトロープまでもが花を添えてくれて。

 ◇

ベルレーヌのいう「愚弄嘲弄」を
「哄笑破笑」と置き換えてみたくなるのは
「鳥糞」に遭うばかりからではなく
「いよ高くいよ遐く、褐色の空には向けて放尿す」に至っての爽快感が
小便小僧の像をイメージさせるからでもありまして
豪快も豪快な
こんなションベンが言語になるというのは
またしてもガルカンチュアの底知れない笑いの流れを想起するからでもあります。

 ◇

もちろんこの詩の放つパワーは
そればかりではありませんが。

 *

 夕べの辞

私は坐りつきりだつた、理髪師の手をせる天使そのままに、
丸溝のくつきり付いたビールのコップを手に持ちて、
下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、
まるで平(たひら)とさへみえる、荒模様なる空の下。

古き鳩舎に煮えかへる鳥糞(うんこ)の如く、
数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。
やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々(なまなま)し
溶(とろ)けた金のまみれつく液汁木質さながらだつた。

さて、夢を、細心もつて嚥のみ下し、
身を転じ、――ビール三四十杯を飲んだので
尿意遂げんとこゝろをあつめる。

しとやかに、排香草(ヒソフ)や杉にかこまれし天主の如く、
いよ高くいよ遐とほく、褐色の空には向けて放尿す、
――大いなる、ヘリオトロープにうべなはれ。

 *

 夕の弁

我は理髪師の手もてる天使の如く坐してありき、
深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、
小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、
ふくよかに風孕む帆が下に。

古き鳩舎の火照りある糞のごと
千の夢は、我をやさしく焦がしたり。
と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる
暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

軈て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、
惑乱す、数十杯のビール傾け、
扨入念す、辛き心を浚はむと。

やさしさ、杉とヒソプの主の如く、
いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、
大いなるヘリオトロープにあやかりて。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
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2011年12月18日 (日)

中原中也が訳したランボー「夕べの辞」Oraison du soir

中原中也訳の「ランボオ詩集」の「初期詩篇」を読み進んでいくと
8番目に「坐った奴等」があり
9番目に「夕べの辞」Oraison du soirがあります。

これは丁度
ベルレーヌが「呪われた詩人たち」収録の「アルテュル・ランボオ」の中で

 アルテュル・ランボオの美神は、すべての調子をとつて用ゐた。竪琴の全和絃、ギタアの全和絃をかなで、胡弓の弓は宛ら自分自身であるやう敏捷に奏せられた。
 ランボオが愚弄家、嘲弄家と見えるのはその時である。彼が愚弄家嘲弄家の親玉たる時こそ、彼が神の手になる大詩人たる時である。
 見よ、「夕(ゆふべ)の弁」と「坐せる奴等」を、その前に跪くべく!

――と言及したのと偶然にも符合し
「坐った奴等」(「坐せる奴等」)を読んだ後でもあり
「夕べの辞」(「夕の弁」)を読む絶好の機会です。

「坐った奴等」と「夕べの辞」を
ベルレーヌは
原典のレベルで(当然のことですが)
同じ傾向の詩として論じ
ランボーの作り出す詩が
全ての楽器の奏でる調子を持つような「多重奏」であることを指摘し
そのような「演奏」が行われるのは決まって
ランボーが愚弄家であり嘲弄家である時だ、と喝破します。

愚弄家であり嘲弄家である
その親玉であるような
愚弄や嘲弄が頂点に達するように全開した時に
ランボーの生み出す詩は
神の手から生まれたような
大詩人の詩となる
――とズバリ、ランボー詩の一群についての読みを披瀝してくれるのです。

ベルレーヌのこの読みを肝に銘じながら
中原中也訳の「夕の弁」や「夕べの辞」を読んでみると
詩がグンと近づいて来るのが感じられます。

詩は
しこたまビールを飲んだ「私」が
「褐色の空」=夕空に向けて放尿するシーンを歌っただけの
レアリズムであるだけかも知れないのに
そんな単旋律を微塵も感じさせない言葉の機関銃。

どんな風に詩を読むのは自由ですし
読みは個性をあぶり出しますから
こんな風に読めてしまったのなら
そう読めたという個性が明るみになるだけ。

ベルレーヌのいう「愚弄嘲弄」は
「哄笑破笑」と置き換えていいのかもしれません。

 *

 夕の弁

我は理髪師の手もてる天使の如く坐してありき、
深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、
小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、
ふくよかに風孕む帆が下に。

古き鳩舎の火照りある糞のごと
千の夢は、我をやさしく焦がしたり。
と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる
暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

軈て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、
惑乱す、数十杯のビール傾け、
扨入念す、辛き心を浚はむと。

やさしさ、杉とヒソプの主の如く、
いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、
大いなるヘリオトロープにあやかりて。

 *

 夕べの辞

私は坐りつきりだつた、理髪師の手をせる天使そのままに、
丸溝のくつきり付いたビールのコップを手に持ちて、
下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、
まるで平(たひら)とさへみえる、荒模様なる空の下。

古き鳩舎に煮えかへる鳥糞(うんこ)の如く、
数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。
やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々(なまなま)し
溶(とろ)けた金のまみれつく液汁木質さながらだつた。

さて、夢を、細心もつて嚥み下し、
身を転じ、――ビール三四十杯を飲んだので
尿意遂げんとこゝろをあつめる。

しとやかに、排香草(ヒソフ)や杉にかこまれし天主の如く、
いよ高くいよ遐く、褐色の空には向けて放尿す、
――大いなる、ヘリオトロープにうべなはれ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月17日 (土)

中原中也が訳したランボー「坐つた奴等」とベルレーヌ「呪われた詩人たち」その4

中原中也訳の「アルテュル・ランボオ」には
訳稿Aと訳稿Bが残されています。

訳稿Aは
ランボーという詩人の案内文と「母音」「夕の弁」の2つの詩篇、
訳稿Bは
「坐せる奴等」の詩篇と解説
――という構成で、両者に重複はないということですから
ベルレーヌの原作の半分に満たないほどの翻訳ということになります。

訳稿Aの後半部分
「母音」とベルレーヌの解説
「夕の弁」を見ておきます。
(※ここでは、訳稿Aを全文通しで掲出します。)

 ◇

 *

 アルテュル・ランボオ

        ポール・ヴェルレーヌ

(訳稿A)

 私はアルテュル・ランボオを知るの喜びを持ってゐる。今日、様々の瑣事は、私を彼から遠ざけてゐる。尤も、彼が天才及び性格に対する私の嘆賞は、一日として欠けたことはないのだが。

 私達の親交の少し前、アルテュル・ランボオが十六七才であった頃、既に彼は、公衆が知り、私などが出来得る限り引証し解説してやるべき詩籠を所持してゐた。

 大きい、骨組のしつかりした、殆んど運動家のやうで、完全に楕円形のその顔は追放の天使のやうであつた。竝びのわるい明褐色の髪をもち、蒼ざめた碧眼は気遣わしげに見えた。

 アルデンヌ生れの彼は、その綺麗な訛を忽ちに失くしたばかりか、アルデンヌ人らしい速かな同化力を以て巴里語を使駆した。

 私はまづ、アルテュル・ランボオの初期の作品、いとも早熟な彼が青年期の作品に就いて考へてみよう、――気高い腺疫、奇蹟的発情の彼が青春時!――その後で彼のその烈しい精神が、文学的終焉をみる迄の様々な発展を調べることとしよう。

 偖、前言すべき一事がある。といふは、若し此の一文が偶然にも彼の目に止るとするならば、アルテュル・ランボオは、私が人間行為の批議する者でなく、又私が彼に
対する全き是認(私達の悲劇に就いても同様)は、彼が詩を放棄したといふことに対しても可及するものと諒察するであらう。お疑ひならないとなら云ふが、この放棄は、彼にあつては論理的で正直で必要なことであつたのです。

 ランボオの作品は、その極度の青春時、1869、70、71年を終るに当つては、もはや沢山であつて、敬すべき一巻の書を成してゐた。それは概して短い詩を含む書である、十四行詩、八行詩、四、五乃至六行を一節とする詩。彼は決して平板な韻は踏まなかつた。しつかりした構へ、時には疑つてさへゐる詩。気儘な句読は稀であり、句の跨り一層稀である。語の選択は何時も粋で、趣向に於ては偶々学者ぶる。語法は判然してゐて、観念が濃くなり、感覚が深まる時にも猶明快である。加之讃ふべきその韻律。

 次の十四行詩こそそれらのことを証明しよう。

     母音
 
  A黒、E白、I赤、U緑、O青、母音達よ、
  私は語るだらう、何時の日か汝等が隠密の由来を。
  A、黒、光る縄で毛むくじやらの胸部
  むごたらしい悪臭のめぐりに跳び廻る、
  
  暗き入海。E、気鬱と陣営の稚淳、
  投げられし誇りかの氷塊、真白の王、繖形花の顫へ。
  I、緋色、咯かれし血、美しき脣々の笑ひ――
  怒りの裡、悔悛の熱意の裡になされたる。

  U、天の循環、蒼寒い海のはしけやし神々しさ、
  獣ら散在せる牧場の平和、錬金道士が
  真摯なる大きい額に刻んだ皺の平和。

  O、擘(つんざ)く音の至上の軍用喇叭、
  人界と天界を横ぎる沈黙(しじま)
  ――おゝ、いやはてよ、菫と閃く天使の眸よ!

 アルテュル・ランボオの美神は、すべての調子をとつて用ゐた。竪琴の全和絃、ギタアの全和絃をかなで、胡弓の弓は宛ら自分自身であるやう敏捷に奏せられた。
 ランボオが愚弄家、嘲弄家と見えるのはその時である。彼が愚弄家嘲弄家の親玉たる時こそ、彼が神の手になる大詩人たる時である。

 見よ、「夕(ゆふべ)の弁」と「坐せる奴等」を、その前に跪くべく!

     夕の弁

  我は理髪師の手もてる天使の如く坐してありき、
  深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、
  小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、
  ふくよかに風孕む帆が下に。

  古き鳩舎の火照りある糞のごと
  千の夢は、我をやさしく焦がしたり。
  と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる
  暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。

  軈て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、
  惑乱す、数十杯のビール傾け、
  扨入念す、辛き心を浚はむと。

  やさしさ、杉とヒソプの主の如く、
  いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、
  大いなるヘリオトロープにあやかりて。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月16日 (金)

中原中也が訳したランボー「坐つた奴等」とベルレーヌ「呪われた詩人たち」その3

ポール・ベルレーヌの「呪われた詩人たち」は
アルチュール・ランボーを
世界で初めて紹介したと言ってよいほどに
ランボーの存在をメディアに乗せたのですから
その功績は言葉に尽くせないものです。

「坐った奴等」Les Assisは
その中でランボーの作品として引用された詩篇の一つですから
ベルレーヌがどのように紹介したのかを知るだけでも
ワクワクする経験です。

「呪われた詩人たち」は
ベルレーヌ全集の原典にあたらなければ読めないほど
たやすくは読めないこの国、日本の状況は
文化がエリートに独占されていることを象徴していますが
意外にも、中原中也の翻訳で、半分ほどが読めるのですから
それだけでも
中原中也の翻訳の意義の大きさを推し量ることができると言えるものです。

そう言い得るほど
昭和初期に中原中也が
詩心を砕くようにして紡ぎだした
ランボー詩の翻訳(という営為)は光彩を放つものですし
翻訳(の内容)そのものも輝いています。

特に措辞の一つ一つ、
語彙の選択の一つ一つに
詩人の魂が乗り移っているようなところがあるのは
詩の実作に命がけの詩人が
実作に懸けるのと同じ姿勢で
「一辞一句翻訳した」(大岡昇平)からであることに違いありません。

詩人自ら「後記」に記したように
一字一句に「語勢」があります。

というわけで
中原中也訳の「アルテュル・ランボオ」は
未発表で未完成であり
その上、散文であるにもかかわらず
読んでおくに値しますし
この機会をおいては読む機会が訪れることもないでしょうから
訳稿Aにも目を通しておくことにします。

訳稿Bは、
「坐せる奴等」を引用し
解説を加えたベルレーヌの文の翻訳ですが
訳稿Aは
ランボーという詩人の存在を
世の中の人々に初めて知らせようとするベルレーヌの
どこかしら誇りと威厳とに満ちた案内文(と中原中也訳は感じられる)とともに
「母音」
「夕の弁」の2つの詩篇を訳出しています。

ベルレーヌの原作には
「びっくり仰天している子ら」
「虱をとる女たち」
「酔っ払った船」
「初聖体拝領」(一部)
「パリは再び大賑わい」(一部)があるのですが
中原中也は完訳していません。

 *

 アルテュル・ランボオ

        ポール・ヴェルレーヌ

(訳稿A)

 私はアルテュル・ランボオを知るの喜びを持ってゐる。今日、様々の瑣事は、私を彼
から遠ざけてゐる。尤も、彼が天才及び性格に対する私の嘆賞は、一日として欠けた
ことはないのだが。

 私達の親交の少し前、アルテュル・ランボオが十六七才であった頃、既に彼は、公
衆が知り、私などが出来得る限り引証し解説してやるべき詩籠を所持してゐた。

 大きい、骨組のしつかりした、殆んど運動家のやうで、完全に楕円形のその顔は追
放の天使のやうであつた。竝びのわるい明褐色の髪をもち、蒼ざめた碧眼は気遣わ
しげに見えた。

 アルデンヌ生れの彼は、その綺麗な訛を忽ちに失くしたばかりか、アルデンヌ人らし
い速かな同化力を以て巴里語を使駆した。

 私はまづ、アルテュル・ランボオの初期の作品、いとも早熟な彼が青年期の作品に
就いて考へてみよう、――気高い腺疫、奇蹟的発情の彼が青春時!――その後で彼
のその烈しい精神が、文学的終焉をみる迄の様々な発展を調べることとしよう。

 偖、前言すべき一事がある。といふは、若し此の一文が偶然にも彼の目に止るとす
るならば、アルテュル・ランボオは、私が人間行為の批議する者でなく、又私が彼に
対する全き是認(私達の悲劇に就いても同様)は、彼が詩を放棄したといふことに対
しても可及するものと諒察するであらう。お疑ひならないとなら云ふが、この放棄は、
彼にあつては論理的で正直で必要なことであつたのです。

 ランボオの作品は、その極度の青春時、1869、70、71年を終るに当つては、もは
や沢山であつて、敬すべき一巻の書を成してゐた。それは概して短い詩を含む書で
ある、十四行詩、八行詩、四、五乃至六行を一節とする詩。彼は決して平板な韻は踏
まなかつた。しつかりした構へ、時には疑つてさへゐる詩。気儘な句読は稀であり、句
の跨り一層稀である。語の選択は何時も粋で、趣向に於ては偶々学者ぶる。語法は
判然してゐて、観念が濃くなり、感覚が深まる時にも猶明快である。加之請ふべきそ
の韻律。

 次の十四行詩こそそれらのことを証明しよう。(以下、次回につづく。)

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)

 ◇

以上に続き
「母音」の訳と、若干の解説
「夕の弁」を訳したところで
中原中也の訳は終りますが
その部分は次回のおたのしみにします。

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2011年12月14日 (水)

中原中也が訳したランボー「坐つた奴等」とベルレーヌ「呪われた詩人たち」その2

「坐った奴等」Les Assisは
ポール・ベルレーヌが「呪われた詩人たち」の中の
「アルチュール・ランボー」で
ランボーの作品として引用した詩篇の一つです。

それを中原中也が訳した未発表原稿があり
訳稿A、訳稿Bと分類整理されていますが
訳稿Bには「坐せる奴等」はあります。
解説部分に引き続き
詩の部分を読んでおきます。

 ◇

昭和4年(1929年)から同5年(1930年)にかけて
中原中也は
「呪われた詩人たち」の「トリスタン・コルビエール」、
「ポーヴル・レリアン」を続いて翻訳し発表しましたが
この「アルテュル・ランボオ」は
同じ頃に翻訳に取りかかり
昭和7年前後にも再度試みましたが
いずれも決定稿にいたらず、未発表に終りました。

この未完成原稿は
第1次形態になります。

大岡昇平は
未完訳の理由を
「アルテュル・ランボオ」に引用されている「酔ひどれ船」の翻訳に手間がかかったため、と推察しています。
(「角川新全集・第3巻・翻訳・解題篇」)

 ◇

第1次形態は
第2次形態、第3次形態との間に大幅な異同がありますが
初の翻訳であることの瑞々しさのようなものが漂い
異なった味わいがあるところを見逃せません。

 *

 アルテュル・ランボオ

        ポール・ヴェルレーヌ

(訳稿B)

  坐せる奴等

狼の暗愁、雹害、緑の指環を留めた眼、
腰に当てられ縮(ちぢ)かみ膨れた奴等の指、
古壁の癩を病む開花の如く
乱れた旋毛(つむじ)の奴等の頭、

奴等は癲癇に罹つた情愛の中に奴等の椅子の
大きい骨組のやうに奇妙な骨骼を接木した。
奴等はその佝僂な木柵のやうな脚を
朝でも夕方でも組むでゐる。

これ等老ぼれ達は何時も椅子で編物をしてゐる、
活潑なお日様が彼等の皮膚に沁みいるのを感じながら、
或は、その上で雪の溶けつつある硝子のやうな奴等の眼を、
蟇蛙(ひきがえる)の傷ましき戦慄もて震撼されながら。

椅子は奴等に親切なもんだ、茶つぽくなつて、
藁芯は奴等の腰の角度どほりに曲つてゐる。
過ぎし日の太陽の霊は、穀粒がウヅウヅする
穂積の中にくるまれて明るむでゐる。

して奴等は、膝を歯に、ピアニストさながら、
太鼓のやうにガサツク椅子の下に十の指をやり、
わびしげな舟唄をしんねりむつつり聴いてゐる、
そして頭は愛のたゆたひにゆれだす。

おゝ! 奴等を呼ぶな! 呼びでもすれあ大変だ……
彼等は昂然として擲られた猫のやうに唸りだす、
徐ろに肩をいからせながら、おお桑原々々!
ズボンまでが腰のまはりに膨らむだらう。

そして君は聞くだらう、奴等が禿げ頭を
暗い壁に打ちつけるのを、曲がつた足をヂタバタしながら、
奴等の服のボタンは鹿ノ子色の瞳のやうで
廊下のどんづまりみたいな視線を君は投げかけられる!

いつたい奴等は人を刺す目に見えない手を持つてゐる……
ひつ返す時に、奴等の濾過器のやうな視線・黒い悪意は
打たれた牝犬の嘆かはしげな眼をしてゐる、
君は狂暴な漏斗の中に吸込まれたやうでがつかりする。

再び着席して、汚れたカフスの中に拳をひつこめて、
奴等は奴等を呼び起した者のことを考へてゐる
そして、夕焼のやうな奴等の咽喉豆(のどまめ)が
か弱い顎の下で刳られるやうに動くのを覚える。

はげしい睡気がきざす時、
奴等は結構な椅子の上で夢みる、
ほんに可愛いい布縁の椅子のことを
立派な事務室にその椅子が竝べられたところを。

インクの花は花粉の点々と跳ねつかし
蹲つた臍に沿つて水仙菖の繊維のやうに
蜻蛉の飛行のやうに奴等をこそぐる、
――そして奴等の手は頬鬚に突かれていぢもぢする。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月13日 (火)

中原中也が訳したランボー「坐つた奴等」とベルレーヌ「呪われた詩人たち」

「坐った奴等」Les Assisは
ベルレーヌが「呪われた詩人たち」の中で
アルチュール・ランボーを紹介した時
ランボーの作品として引用した詩篇の一つです。

ベルレーヌは
「呪われた詩人たち」中の「アルテュル・ランボオ」に
「母音」
「夕べの祈祷」
「坐った奴等」
「びっくり仰天している子ら」
「虱をとる女たち」
「酔っぱらった船」の全文、
「初聖体拝領」
「パリは再び大賑わい」
「永遠」の一部を引用しました。
(※以上のタイトルは、中原中也訳のものと必ずしも一致するものではありません。)

これらの詩は
ベルレーヌとランボーの親密な交流の中で
ランボーがベルレーヌに預けたり
ベルレーヌがランボーの口から聞き取り
筆写しておいたりした詩篇群から選んだものでした。

ベルレーヌは
1884年、ヴァニエ書店から「呪われた詩人たち」を出版、
コルビエール
ランボー
マラルメの3人の詩人論を著しましたが
1888年に、同書の増補改訂版を刊行、
新たに、ヴァルモール
リラダン
ポーヴル・レリアンを追加しました。

ポーヴル・レリアンは
ポール・ヴェルレーヌPaul Verlaineの綴りを入れ替えたアナグラムによる偽名で
ベルレーヌ自身のことです。

ベルレーヌが
パリで「呪われた詩人たち」を発表した頃
ランボーは詩活動から遠ざかり
アフリカ(現エチオピア)で
武器などを商うビジネスに従事していました。

中原中也が訳した「アルテュル・ランボオ」は
この「呪われた詩人たち」の中にありますが
テキストとして用いたのは
この増補改訂版を使用して編集された
メッサン版「ヴェルレーヌ全集・第4巻」にあるものです。

ここで中原中也が訳した
この「呪われた詩人たち」の中の「アルテュル・ランボオ」を読んでおきましょう。

中原中也訳の「アルテュル・ランボオ」は
未発表で未完の散文ですが
この中に「坐った奴等」の第1次形態が
「坐せる奴等」のタイトルで訳されてあり
1次形態ながらビビッドな訳出になっています。

中原中也の訳稿は2種類あり
訳稿A、訳稿Bと称されていますが
「坐せる奴等」は、訳稿Bにあります。

訳稿Bは、
「坐せる奴等」を引用し
解説を加えたベルレーヌの文の翻訳です。
まずは、その訳稿Bの解説部分を見ます。

 *

 アルテュル・ランボオ

        ポール・ヴェルレーヌ

(訳稿B)

  坐せる奴等
  (省略)
  
 私は今此の詩を、学者ぶつて冷然と誇張して全部掲げた、そのいともロジックな終りの章、かくも嬉々として果断な章をまで掲げるを得た。読者は、今やイロニイの力、此の詩人が恐るべき言葉の力を感得せられたことと思ふ。それよ、此の詩人が我々に考慮すべく残したものは、かのいと高き賜物、至上の賜物、智識の壮大な立証、誇りかな仏国的経験である。最近の卑怯なる国際主義流行に際して、力説すべきは、民族生来の宗教的崇高、即ちランボオが人間的心と魂と精神との不滅の高貴性の不羈の確言である。即ち千八百八十三年の自然主義者等が狭き趣味、絵画的関心によつて否みし優しさ、強さ、また大いなる修辞をである!

 強さは、上記の詩篇には殊によく顕はれてゐる。その強さたるや逆説や、或る種の形に紛れてのみ現はされ得る所の恐しく美しい気雰の其処に潜められてゐる。その強みは、美しく純粋な彼が総体の中に、この一文が終る時分にはいよいよ明瞭となるであらう。差当り、それは「慈悲」だと云つておかう、従来は知られてゐなかつた特殊な慈悲、其処に珍奇は、かの思想と文体との純潔さ、極度の優しさに、塩や胡椒の役をする。

 少しくは野生的で、非常に軟かく、戯画風に綺麗で、親しみ易く、善良で、なげやりで、朗らかで、また先生ぶつてゐる、次の作品の如きを我等嘗ての文学に覓めることは出来ない。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作では「なげやり」に傍点があります。また、読みやすくするために、原作にはない行空きを加えてあります。編者。

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2011年12月12日 (月)

中原中也が訳したランボー「坐つた奴等」Les Assis・その3

「老爺=ぢぢい」が一体化した椅子は
「老爺=ぢぢい」にすこぶる親切で
褐色に燻されたような年季ものの藁は
「老爺=ぢぢい」が座った跡をとどめ
お尻の形にへこんでいるのです。
それをかつて照らした陽光は
とんがった穀物、麦の粒をぎっしり詰め込んだ藁の中に
くるまりこんで、今でも、ぬくもりを保っているのでございます。

さて奴等、「老爺=ぢぢい」たち、膝を立てて、
今度は元気盛んなピアニスト?
10本の指で、椅子の下を、パタリパタリと弾いてみれば
悲しい舟歌ひたひたと、聞えてくるような思いがします
それにつれ奴等のおつむは、右に揺れ左に揺れて恋々とする

そうであるからには、奴等を起こそうとは思いなさるな
そんなことしたら、横面引っ叩かれたネコのように、ギャーと唸り
湧き上がり、肩怒らせて、おそろしや
彼等のはいてるズボンまでもが、ムクムクムリムリ膨らんじゃいます

さて彼等、禿げ頭を壁に向け
ゴツンゴツンぶつけているのが聞えます、曲がった足を踏ん張って
彼等の服のボタンが、鹿の子色の瞳になって
それが廊下のどんづまりみたいな眼つきで、眺めます

 ◇

意味が通り難いものと思いきや
中原中也の訳は
若干の想像力で補えば
逐語訳を大幅に逸脱することなく
独自の詩的言語によって選び抜かれているのが分かります

 ◇

彼等にはまた人を殺す、見えないお手手がありまして
引っ込めがてに彼等の眼、打たれた犬は痛々しい眼つきを
思わせるドス黒い、悪意を滲み出させるのです
諸君はゾーッとするでしょう、恐ろしい漏斗(ジョーゴ)の穴に吸い込まれたかと。

ふたたび坐るかと見るや、汚いカフスに半ば隠した拳固を握り
起たそうとした人のことを、とっくりと思いめぐらします。
すると、貧しげに細った顎の下が、夕映え色、扁桃腺の色をみせて
グルリグルリと、今にもはち切れそうに動くのです。

 ◇

描写は、限りなく続きます。
エンドレス・テープのようです。
始まりが始まりですから
終わりが終わらない
物語なき物語。
これは
物語というよりは詩なのですから
もはや物語を期待する眼差しは打っちゃられます。

 ◇

しばらくして、強烈な眠気がやってきて、「老爺=ぢぢい」たちをこっくりこっくりさせる時
腕を枕に、彼等は夢みます、結構な椅子のことを。
本当に可愛いと愛情を抱いて、お役所の立派な部屋に
ズラリと並んだ房飾りの垂れ下がる椅子のことを思うのです。

インキの泡の跳ね返しの跡、コンマの形の花粉などは
水仙アヤメのラインに似た、トンボの飛行のようであり
彼等のヘソの周りにいて、彼等をあやしては眠らせます
――さて彼等、腕をモジモジさせるんです。髪の毛がチクチクするんです。

 ◇

日本的起承転結を思い描けば
それは丸ごと飲み込まれる
ディアレクチケーの渦流 ――。

「老爺=ぢぢい」に肉体化された身体が
彼らが坐っている椅子に
接木(せつぼく)してしまうというメタファーの謎だけが
鮮烈に刻まれます。

 ◇

敢えて言えば
丁度、朝日新聞12月11日付けの読書面「読みたい古典」欄で紹介されているような
ガルガンチュアとパンタグリュエル第1巻第13章の「壮絶な糞尿譚」――
「もっとも素敵な尻の拭き方」に近い流れにある
「譚詩」のつもりであるかもしれません。

 *

 坐つた奴等

肉瘤(こぶ)で黒くて痘瘡(あばた)あり、緑(あを)い指環を嵌めたよなその眼(まなこ)、
すくむだ指は腰骨のあたりにしよむぼりちぢかむで、
古壁に、漲る瘡蓋(かさぶた)模様のやうに、前頭部には、
ぼんやりとした、気六ヶ敷さを貼り付けて。

恐ろしく夢中な恋のその時に、彼等は可笑しな体躯(からだ)をば、
彼等の椅子の、黒い大きい骨組に接木(つぎき)したのでありました。
枉がつた木杭さながらの彼等の足は、夜(よる)となく
昼となく組み合はされてはをりまする!

これら老爺(ぢぢい)は何時もかも、椅子に腰掛け編物し、
強い日射しがチクチクと皮膚を刺すのを感じます、
そんな時、雪が硝子にしぼむよな、彼等のお眼(めめ)は
蟇(ひきがへる)の、いたはし顫動(ふるへ)にふるひます。

さてその椅子は、彼等に甚だ親切で、褐(かち)に燻(いぶ)され、
詰藁は、彼等のお尻の形(かた)なりになつてゐるのでございます。
甞て照らせし日輪は、甞ての日、その尖に穀粒さやぎし詰藁の
中にくるまり今も猶、燃(とも)つてゐるのでございます。

さて奴等、膝を立て、元気盛んなピアニスト?
十(じふ)の指(および)は椅子の下、ぱたりぱたりと弾(たた)きますれば、
かなし船唄ひたひたと、聞こえ来るよな思ひにて、
さてこそ奴等の頭(おつむり)は、恋々として横に揺れ。

さればこそ、奴等をば、起(た)たさうなぞとは思ひめさるな……
それこそは、横面(よこづら)はられた猫のやう、唸りを発し、湧き上り、
おもむろに、肩をばいからせ、おそろしや、
彼等の穿けるズボンさへ、むツくむツくとふくれます。

さて彼等、禿げた頭を壁に向け、
打衝(ぶちあ)てるのが聞こえます、枉がつた足をふんばつて
彼等の服の釦こそ、鹿ノ子の色の瞳にて
それは廊下のどんづまり、みたいな眼付で睨めます。

彼等にはまた人殺す、見えないお手(てて)がありまして、
引つ込めがてには彼等の眼(め)、打たれた犬のいたいたし
眼付を想はすどす黒い、悪意を滲(にじ)み出させます。
諸君はゾツとするでせう、恐ろし漏斗に吸込まれたかと。

再び坐れば、汚ないカフスに半ば隠れた拳固(げんこ)して、
起(た)たさうとした人のこと、とつくり思ひめぐらします。
と、貧しげな顎の下、夕映(ゆふばえ)や、扁桃腺の色をして、
ぐるりぐるりと、ハチきれさうにうごきます。

やがてして、ひどい睡気が、彼等をこつくりさせる時、
腕敷いて、彼等は夢みる、結構な椅子のこと。
ほんに可愛いい愛情もつて、お役所の立派な室(へや)に、
ずらり並んだ房の下がつた椅子のこと。

インキの泡がはねツかす、句点(コンマ)の形の花粉等は、
水仙菖の線真似る、蜻蛉(とんぼ)の飛行の如くにも
彼等のお臍のまはりにて、彼等をあやし眠らする。
――さて彼等、腕をもじもじさせまする。髭がチクチクするのです。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※「むツくむツく」「もじもじ」は、原作では繰り返し記号「/\」が使われています。
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月11日 (日)

中原中也が訳したランボー「坐つた奴等」Les Assis・その2

「坐つた奴等」Les Assisの主人公は
はじめ、その様態の描写で登場しますから
いったい何者であるのか分からないのですが
やがて、「彼等」として姿を現し
「老爺=ぢぢい」であることが明るみに出ます。

「老爺」の姿・形の
醜悪で不様で滑稽ですらある様態を描写するのに
韻を踏み
対句を交え
4行11連の中に
音律を整えた上に
絢爛豪華に言語を駆使し
色彩、陰影、匂い、音……
しかもこれは詩の実験ではない
詩の実践である以外にない、といえるような。

世の中の評論家が
ことごとく言語学者になるか
哲学者になるか
または音楽家になるかして
いつしか詩の解明・解読・鑑賞のために
言葉の上に言葉を重ね
ウーンと唸らされるような読みを見せてくれていますが。

 ◇

この「ぢぢい」は
きっかいもきっかい
(奇怪も奇怪)
その可笑しな身体を
彼らが坐っている椅子に接木(つぎき)してしまうのです!

接木――とは?

瓢箪(ヒョウタン)の台木に西瓜(スイカ)の苗を接ぐような
枳殻(カラタチ)の台木に蜜柑(ミカン)の苗を接ぐような
農業や園芸で行われる、あの「技」のことです。
椅子を台木にして老爺(ぢぢい)という苗を自ら接木するのです!

――というメタファーです。
――シンボライゼーションといってもいいかもしれません。

恐ろしく夢中な恋のその時に、と
中原中也が訳した「恋」とは
我が身を忘れて何かに没頭している状態のことでしょうか
文字通り、恋と解しても構いませんが
毎日毎日ワンパタンの営み
何時見ても同じ繰り返しは
端(外部)から見ていると
奇怪(きっかい)! 滑稽! 爆笑!

これら老爺(ぢぢい)は
何時も、椅子に腰掛け
椅子になってしまって
編み物しているのです。
日向ぼっこして
陽の光を浴びているとき
彼らの眼は
ひきがえるの眼になって
ピクピク震えます。

 ◇

「坐った奴等」は
昭和9年(1934年)7月発行の「苑」に発表されました。
ベルレーヌの「呪われた詩人たち」中の「アルテュル・ランボオ」を
初めて訳した昭和4年から5年が経過していることもあって
中原中也は
この第2次形態に自信を持っていた様子です。

この「苑」という詩誌の「寄稿家の会」が
昭和9年4月に2回あり
中原中也も出席者名簿の中に見えます。

最初は銀座の長谷川で、2回目は新宿のセノオで
行われたというこの集まりの出席者を見ておきますと

室生犀星、萩原朔太郎、津村信夫、中原中也、丸山薫、北川冬彦、堀辰雄、阿比留信、堀口大学、青柳瑞穂、辻野久憲、阿部知二、阪本越郎、佐藤朔、田中冬二、西脇順三郎、春山行夫、吉村鉄太郎、高祖保、村野四郎、滝口修造、中村喜久夫、乾直恵、百田宗治

――という、錚々(そうそう)たる顔ぶれです。
(角川新全集・翻訳・解題篇より)

中原中也訳「ランボオ詩集」を大岡昇平の指摘するように
ランボー=シュルレアリスト観の立場で批判した春山行夫がいたり
同じくシュルレアリズムの流れからのランボー論を展開する滝口修造がいたり
ランボーの苦手な堀口大学がいたり……
こんな面々が一堂に会することがあった、ということを知るだけで
驚きの会合です。

 *

 坐つた奴等

肉瘤(こぶ)で黒くて痘瘡(あばた)あり、緑(あを)い指環を嵌めたよなその眼(まなこ)、
すくむだ指は腰骨のあたりにしよむぼりちぢかむで、
古壁に、漲る瘡蓋(かさぶた)模様のやうに、前頭部には、
ぼんやりとした、気六ヶ敷さを貼り付けて。

恐ろしく夢中な恋のその時に、彼等は可笑しな体躯(からだ)をば、
彼等の椅子の、黒い大きい骨組に接木(つぎき)したのでありました。
枉がつた木杭さながらの彼等の足は、夜(よる)となく
昼となく組み合はされてはをりまする!

これら老爺(ぢぢい)は何時もかも、椅子に腰掛け編物し、
強い日射しがチクチクと皮膚を刺すのを感じます、
そんな時、雪が硝子にしぼむよな、彼等のお眼(めめ)は
蟇(ひきがへる)の、いたはし顫動(ふるへ)にふるひます。

さてその椅子は、彼等に甚だ親切で、褐(かち)に燻(いぶ)され、
詰藁は、彼等のお尻の形(かた)なりになつてゐるのでございます。
甞て照らせし日輪は、甞ての日、その尖に穀粒さやぎし詰藁の
中にくるまり今も猶、燃(とも)つてゐるのでございます。

さて奴等、膝を立て、元気盛んなピアニスト?
十(じふ)の指(および)は椅子の下、ぱたりぱたりと弾(たた)きますれば、
かなし船唄ひたひたと、聞こえ来るよな思ひにて、
さてこそ奴等の頭(おつむり)は、恋々として横に揺れ。

さればこそ、奴等をば、起(た)たさうなぞとは思ひめさるな……
それこそは、横面(よこづら)はられた猫のやう、唸りを発し、湧き上り、
おもむろに、肩をばいからせ、おそろしや、
彼等の穿けるズボンさへ、むツくむツくとふくれます。

さて彼等、禿げた頭を壁に向け、
打衝(ぶちあ)てるのが聞こえます、枉がつた足をふんばつて
彼等の服の釦こそ、鹿ノ子の色の瞳にて
それは廊下のどんづまり、みたいな眼付で睨めます。

彼等にはまた人殺す、見えないお手(てて)がありまして、
引つ込めがてには彼等の眼(め)、打たれた犬のいたいたし
眼付を想はすどす黒い、悪意を滲(にじ)み出させます。
諸君はゾツとするでせう、恐ろし漏斗に吸込まれたかと。

再び坐れば、汚ないカフスに半ば隠れた拳固(げんこ)して、
起(た)たさうとした人のこと、とつくり思ひめぐらします。
と、貧しげな顎の下、夕映(ゆふばえ)や、扁桃腺の色をして、
ぐるりぐるりと、ハチきれさうにうごきます。

やがてして、ひどい睡気が、彼等をこつくりさせる時、
腕敷いて、彼等は夢みる、結構な椅子のこと。
ほんに可愛いい愛情もつて、お役所の立派な室(へや)に、
ずらり並んだ房の下がつた椅子のこと。

インキの泡がはねツかす、句点(コンマ)の形の花粉等は、
水仙菖の線真似る、蜻蛉(とんぼ)の飛行の如くにも
彼等のお臍のまはりにて、彼等をあやし眠らする。
――さて彼等、腕をもじもじさせまする。髭がチクチクするのです。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※「むツくむツく」「もじもじ」は、原作では繰り返し記号「/\」が使われています。
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月10日 (土)

中原中也が訳したランボー「坐つた奴等」Les Assis

「蹲踞」Accroupissementsの次にあるのは
「坐つた奴等」Les Assisです。

「うずくまる」「しゃがむ」の次に
「坐る」とあり
それがどうした、と思いたくなる人の動作・仕草への観察ですが
なかなかどうして
ここにランボーの「言葉」の乱射・乱舞は
極限の時空を行くかのようです。

この詩の原典となった原稿は
二つが存在します。

一つは
ランボーが1871年9月に
ポール・ベルレーヌに宛てた
最初の書簡に添付した詩篇の中にあります。
もう一つは
ポール・ベルレーヌが
世界に先駆けて
アルチュール・ランボーの存在を知らしめた「呪われた詩人たち」の中に
ランボーの詩として引用したものです。
この両者には幾つかの異同があります。

中原中也は
「呪われた詩人たち」にある「アルテュル・ランボオ」を
2度にわたって翻訳していますが
この中でベルレーヌが引用した「Les Assis」を
1度目は昭和4年末から5年初めに
「坐せる奴等」のタイトルで訳しました。
この時に使用したテキストは
「ヴェルレエヌ全集」第4巻でしたが
第2次ペリション版の「ランボオ著作集」をも参照していた形跡があるそうです。
(角川新全集・翻訳・解題篇)

1度目の翻訳「坐せる奴等」のあと
昭和9年(1934年)には
文芸誌「苑」に2度目の訳で「坐った奴等」を発表しました。
2度目の翻訳は
「呪われた詩人たち」収録の「アルテュル・ランボオ」からの引用詩としてではなく
独立した詩として行いました。
この時には
第2次ペリション版を使い
新たな翻訳に作り直しました。

1度目は第1次形態、
2度目は第2次形態とされ
昭和12年の「ランボオ詩集」に発表した
3度目の訳は第3次形態とされ
これは第2次形態を踏襲し
「坐った奴等」のタイトルです。

 ◇

肉瘤こぶ
痘瘡あばた
腰骨こしぼね
古壁ふるかべ
瘡蓋かさぶた
可笑しな体躯
枉がつた木杭さながらの彼等の足
蟇ひきがえる
禿げた頭
人殺す、見えないお手
打たれた犬
恐ろし漏斗じょうご
夕映(ゆふばえ)や、扁桃腺の色
結構な椅子
ずらり並んだ房の下がつた椅子
……

次々に登場する
奇怪(きっかい)で
グロテスクで
醜悪な
壮絶なほど滑稽ですらある
「坐った奴ら」
すなわち
木っ端役人
プチ・ブル小役人
小心翼々の小官僚
……

 ◇

シャルルビル市立図書館で
若きランボーがむさぼり読んだのは
ユーゴー、コペ、バンヴィルばかりでなく
ドニ・ディドロやジャン・ジャック・ルソーばかりでもなく
フランソワ・ラブレーの「ガルカンチュア」あたりまで遡ったらしい――

 *

 坐つた奴等

肉瘤(こぶ)で黒くて痘瘡(あばた)あり、緑(あを)い指環を嵌めたよなその眼(まなこ)、
すくむだ指は腰骨のあたりにしよむぼりちぢかむで、
古壁に、漲る瘡蓋(かさぶた)模様のやうに、前頭部には、
ぼんやりとした、気六ヶ敷さを貼り付けて。

恐ろしく夢中な恋のその時に、彼等は可笑しな体躯(からだ)をば、
彼等の椅子の、黒い大きい骨組に接木(つぎき)したのでありました。
枉がつた木杭さながらの彼等の足は、夜(よる)となく
昼となく組み合はされてはをりまする!

これら老爺(ぢぢい)は何時もかも、椅子に腰掛け編物し、
強い日射しがチクチクと皮膚を刺すのを感じます、
そんな時、雪が硝子にしぼむよな、彼等のお眼(めめ)は
蟇(ひきがへる)の、いたはし顫動(ふるへ)にふるひます。

さてその椅子は、彼等に甚だ親切で、褐(かち)に燻(いぶ)され、
詰藁は、彼等のお尻の形(かた)なりになつてゐるのでございます。
甞て照らせし日輪は、甞ての日、その尖に穀粒さやぎし詰藁の
中にくるまり今も猶、燃(とも)つてゐるのでございます。

さて奴等、膝を立て、元気盛んなピアニスト?
十(じふ)の指(および)は椅子の下、ぱたりぱたりと弾(たた)きますれば、
かなし船唄ひたひたと、聞こえ来るよな思ひにて、
さてこそ奴等の頭(おつむり)は、恋々として横に揺れ。

さればこそ、奴等をば、起(た)たさうなぞとは思ひめさるな……
それこそは、横面(よこづら)はられた猫のやう、唸りを発し、湧き上り、
おもむろに、肩をばいからせ、おそろしや、
彼等の穿けるズボンさへ、むツくむツくとふくれます。

さて彼等、禿げた頭を壁に向け、
打衝(ぶちあ)てるのが聞こえます、枉がつた足をふんばつて
彼等の服の釦こそ、鹿ノ子の色の瞳にて
それは廊下のどんづまり、みたいな眼付で睨めます。

彼等にはまた人殺す、見えないお手(てて)がありまして、
引つ込めがてには彼等の眼(め)、打たれた犬のいたいたし
眼付を想はすどす黒い、悪意を滲(にじ)み出させます。
諸君はゾツとするでせう、恐ろし漏斗に吸込まれたかと。

再び坐れば、汚ないカフスに半ば隠れた拳固(げんこ)して、
起(た)たさうとした人のこと、とつくり思ひめぐらします。
と、貧しげな顎の下、夕映(ゆふばえ)や、扁桃腺の色をして、
ぐるりぐるりと、ハチきれさうにうごきます。

やがてして、ひどい睡気が、彼等をこつくりさせる時、
腕敷いて、彼等は夢みる、結構な椅子のこと。
ほんに可愛いい愛情もつて、お役所の立派な室(へや)に、
ずらり並んだ房の下がつた椅子のこと。

インキの泡がはねツかす、句点(コンマ)の形の花粉等は、
水仙菖の線真似る、蜻蛉(とんぼ)の飛行の如くにも
彼等のお臍のまはりにて、彼等をあやし眠らする。
――さて彼等、腕をもじもじさせまする。髭がチクチクするのです。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※「むツくむツく」「もじもじ」は、原作では繰り返し記号「/\」が使われています。
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2011年12月 6日 (火)

中原中也が訳したランボー「蹲踞」Accroupissementsその2

中原中也訳の「蹲踞」Accroupissementsを
ひきつづき読みます。

 ◇
でぶっちょの聖職者カロチュスが
しゃがんで
なんとも不様な姿をさらしているのがみえてきますが
ランボーの「描写」は容赦がありません――。

 ◇

お人よしの彼氏はトロトロ燃える暖炉にあたる。腕を組み合わせ、下唇を
だらりと垂らし。彼氏、今にも火の中に滑り込みそうになるほど火に近づき
ズボンを焦がしてしまうので、パイプの火が消えそうになるのに気づくのだ。
何か小鳥のようなものが、少し動く
そのうららかな太鼓腹の上で、ちょいと臓物のよう。

あたりでは、使い古した家具などが静かに息をひそめている。
垢にまみれたボロの中に、汚れた壁の前に
壁掛けや奇妙な格好した寝椅子などが、暗い四隅に
蹲っている。食器戸棚は強欲に
満ちた眠気をのぞかせる歌手たちの口つきだ。

いやな熱気が狭苦しい部屋に立ち込めている。
お人よしの彼氏の頭の中は、ボロ布で一杯
剛毛は湿った皮膚の中に、突っ張っていて
しばらくすれば、猛然と馬鹿みたいなくしゃみするので
ガタガタの彼氏の寝椅子は揺れるのです……

 ◇

時おり、得体の知れないモノが登場しますが
それは読み手の想像力に任せておくほうが
この詩にかぎらずよい結果になることでしょう

あいまいなモノではありません
合理的で必然的なモノばかりです
ランボーはリアリストであり
シュールレアリストです

 ◇

その宵のこと、彼氏のお尻のまわりには、月光が
光でできた鋳物の継ぎ目をつくる時、よく見れば
入り組んだ影こそしゃがんだ彼氏で、バラ色の
雪を借景にして、タチアオイかと……
なんとも面白いことに、空の奥まで、ビーナスを追っかける表情してる。

 ◇

「それでは、敬虔な歌を一つお目にかけて、しめくくることにしましょう」と
ランボーがドメニーへの書簡の中に記した
「敬虔な歌」が以上です。

聖職者カロチュスのある冬の夜のプライバシーを暴き出し
同情の一抹も見せずに描く手元に迷いはなく
一枚の製図を仕上げる確かさがあります。

中原中也の訳も
そのあたりを上手にすくっていて
淡々としています。

(「新編中原中也全集・第3巻 翻訳・解題篇」より)

 *

 蹲踞

やがてして、兄貴カロチュス、胃に不愉快を覚ゆるに、
軒窗に一眼(いちがん)ありて其れよりぞ
磨かれし大鍋ごとき陽の光
偏頭痛さへ惹起(ひきおこ)し、眼(まなこ)どろんとさせるにぞ、
そのでぶでぶのお腹(なか)をば布団の中にと運びます。

ごそごそと、灰色の布団の中で大騒ぎ、
獲物(えもの)啖つたる年寄さながら驚いて、
ぼてぼての腹に膝をば当てまする。
なぜかなら、拳(こぶし)を壺の柄と枉げて、
肌着をばたつぷり腰までまくるため!

ところで彼氏蹲(しやが)みます、寒がつて、足の指をば
ちぢかめて、麺麭の黄を薄い硝子に被(き)せかける
明るい日向にかぢかむで。
扨お人好し氏の鼻こそは仮漆(ラツク)と光り、
肉出来の珊瑚樹かとも、射し入る陽光(ひかり)を厭ひます。

     ★

お人好し氏は漫火(とろび)にあたる。腕拱み合せ、下唇を
だらりと垂らし。彼氏今にも火中に滑り、
ズボンを焦し、パイプは消ゆると感ずなり。
何か小鳥のやうなるものは、少しく動く
そのうららかなお腹(なか)でもつて、ちよいと臓物みたいなふうに!

四辺(あたり)では、使ひ古るした家具等の睡り。
垢じみた襤褸(ぼろ)の中にて、穢(けが)らはし壁の前にて、
腰掛や奇妙な寝椅子等、暗い四隅(よすみ)に
蹲まる。食器戸棚はあくどい慾に
満ちた睡気をのぞかせる歌手(うたひて)達の口を有つ

いやな熱気は手狭(てぜま)な部屋を立ち罩(こ)める。
お人好し氏の頭の中は、襤褸布(ぼろきれ)で一杯で、
硬毛(こはげ)は湿つた皮膚の中にて、突つ張るやうで、
時あつて、猛烈可笑しい嚏も出れば、
がたがたの彼氏の寝椅子はゆれまする……

     ★

その宵、彼氏のお臀(しり)のまはりに、月光が
光で出来た鋳物の接合線(つぎめ)を作る時、よく見れば
入り組んだ影こそ蹲(しやが)んだ彼氏にて、薔薇色の
雪の配景のその前に、たち葵かと……
面白や、空の奥まで、面(つら)はヴィーナス追つかける。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2011年12月 5日 (月)

中原中也が訳したランボー「蹲踞」Accroupissements

中原中也が「蹲踞」と訳したAccroupissementsは
ランボーが1871年5月15日付けで
ポール・デメニーに宛てた書簡に添付した詩篇の一つです。

デメニーは
ランボーが通うシャルルビル高等中学校の
修辞学級担当教師であったジョルジュ・イザンバールの
知人であり詩人でした。
美しく清書された22の詩篇をデメニーに送ったのは
ランボーの頭の中にそれらが1巻の詩集の形になってほしい、という
淡い望みがあったかららしいのですが
その望みは叶えられることはありませんでした。

自作の詩を自筆で清書したこの年は1870年
ランボー16歳のときのことでした。
後に、この詩篇群が書かれた原稿を
校訂・整理したノートが「ドゥエ詩帖」と呼ばれ
ランボーの前期韻文詩篇の半数を占めます。
15歳から17歳までに作られた44篇の詩は
前期韻文詩篇として分類されますから
「ドゥエ詩帖」にはピタリその半分の詩が収められていることになります。

「蹲踞」を「そんきょ」と読むのは
日本の古典武道の剣道や相撲などで
「蹲踞の姿勢(そんきょのしせい)」と紹介されてポピュラーですが
あの「蹲踞」と同じことで
動物が後ろ足を折って身構える意味の「うずくまる」は
漢字「蹲る=うずくまる」「踞る=うずくまる」を合せて熟語としたものが
日本に輸入されました。
平たくいえば「しゃがむ」という仕草の名詞形です。

フランス語で
accroupirは動詞形
accroupissementsは名詞形で
名詞形であることによって
この詩の「諧謔性」とか「反語性」が強調されているもので
中原中也もそこを汲んで名詞形のタイトルに訳したようです。

ちなみに
金子光晴は「しゃがむ」
西条八十は「しゃがみこんで」
粟津則雄は「しゃがみこんで」
宇佐美斉は「うずくまって」です。

さて、「うづくまる」という動作は
いったいなんなのか――という疑問を持ったところで
この詩を読んでいくことになりますが
冒頭行に出てくる「兄貴カロチュス」がその主語であるようです。

 ◇

やがて、兄者カロチュス、胃の調子が悪くなり
窓から外に一目やったその時だった
磨かれた大鍋のような陽の光に
偏頭痛さえ起こして、眼をドロンとさせては
そのでぶでぶのお腹をかかえて布団の中に運んだのでした。

ゴソゴソと、灰色の布団の中で大騒ぎ(大苦戦!)
獲物に喰らいついた年寄りさながら驚いて
ボテボテの腹に膝を当てました。
なぜなら、拳固を壷の柄のようにして曲げて
肌着をたっぷり腰までまくり上げるためでした!

としたところで、彼氏、しゃがみます、寒がって、足の指を
縮かめて、パンの黄色を薄いガラスにかぶせます
明るい日向に縮かんだまま。
さてお人よしの彼氏の鼻はテカテカに光って
肉でできた珊瑚樹かと間違えるほど、差し込む光を嫌います。

 ◇

「兄貴カロチュス」は
原典の第二次ペリション版が
修道士ミロチュスであるべきところを誤記したため
幾分か、聖職者風刺のニュアンスをそいでしまったようですが
この詩が
ランボーの聖職者への痛烈な批判・罵倒であることが
少しは読めたことでしょうか。

でぶっちょの聖職者カロチュスが
しゃがんで
どんなことをしているのか
どんな不様な姿をさらしているのか――。

 ◇
「それでは、敬虔な歌を一つお目にかけて、しめくくることにしましょう」と
ランボーはデメニーへの書簡の中に記して
自作のこの詩を案内しているそうです。
(「新編中原中也全集・第3巻 翻訳・解題篇」より)

 *

 蹲踞

やがてして、兄貴カロチュス、胃に不愉快を覚ゆるに、
軒窗に一眼(いちがん)ありて其れよりぞ
磨かれし大鍋ごとき陽の光
偏頭痛さへ惹起(ひきおこ)し、眼(まなこ)どろんとさせるにぞ、
そのでぶでぶのお腹(なか)をば布団の中にと運びます。

ごそごそと、灰色の布団の中で大騒ぎ、
獲物(えもの)啖つたる年寄さながら驚いて、
ぼてぼての腹に膝をば当てまする。
なぜかなら、拳(こぶし)を壺の柄と枉げて、
肌着をばたつぷり腰までまくるため!

ところで彼氏蹲(しやが)みます、寒がつて、足の指をば
ちぢかめて、麺麭の黄を薄い硝子に被(き)せかける
明るい日向にかぢかむで。
扨お人好し氏の鼻こそは仮漆(ラツク)と光り、
肉出来の珊瑚樹かとも、射し入る陽光(ひかり)を厭ひます。

     ★

お人好し氏は漫火(とろび)にあたる。腕拱み合せ、下唇を
だらりと垂らし。彼氏今にも火中に滑り、
ズボンを焦し、パイプは消ゆると感ずなり。
何か小鳥のやうなるものは、少しく動く
そのうららかなお腹(なか)でもつて、ちよいと臓物みたいなふうに!

四辺(あたり)では、使ひ古るした家具等の睡り。
垢じみた襤褸(ぼろ)の中にて、穢(けが)らはし壁の前にて、
腰掛や奇妙な寝椅子等、暗い四隅(よすみ)に
蹲まる。食器戸棚はあくどい慾に
満ちた睡気をのぞかせる歌手(うたひて)達の口を有つ

いやな熱気は手狭(てぜま)な部屋を立ち罩(こ)める。
お人好し氏の頭の中は、襤褸布(ぼろきれ)で一杯で、
硬毛(こはげ)は湿つた皮膚の中にて、突つ張るやうで、
時あつて、猛烈可笑しい嚏も出れば、
がたがたの彼氏の寝椅子はゆれまする……

     ★

その宵、彼氏のお臀(しり)のまはりに、月光が
光で出来た鋳物の接合線(つぎめ)を作る時、よく見れば
入り組んだ影こそ蹲(しやが)んだ彼氏にて、薔薇色の
雪の配景のその前に、たち葵かと……
面白や、空の奥まで、面(つら)はヴィーナス追つかける。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
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