中原中也が訳したランボー「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’égliseその3
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。
――第1連の末行の、賛美歌を怒鳴る、という言い回し
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。
――第2連の末行の、なんとも頑固な祈祷(おいのり)、という言い回し
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。
――第3連の末行の、死なんばかりに泣き叫ぶ、という言い回し
……末行ばかりではなく、
第4連第2行の
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
第7連第2行の
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
などなどの口調に滲(にじ)み出る「一歩引いた地点からの」物言い。
……まだまだありますが
これらは
ランボーの詩の諧謔的声調を
中原中也が汲み取って翻訳したものと言えるでしょう。
日常化した宗教儀式を
高笑いして、皮肉に眺める眼差し。
そこに参列するのは
貧しき人々の群れ。
彼らの生態の一つ一つは
幾分かランボー自身の身に覚えのある感覚が無きにしも非ず。
幼き日の我が身への
自己批判を通じた「外部の眼」であるかもしれない。
ヴォワイヤン(=見者)の眼差しが
ここにあるとも考えられます。
「ランボオ詩抄」に載らず
「ランボオ詩集」に初めて収録された詩篇の一つである
「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église は
最大幅をとって
昭和9年9月の建設社版の「ランボオ全集」のための翻訳開始から
「ランボオ詩集」の原稿が発行元の野田書房に持ち込まれる
同12年8月までの間の制作という推定であったとしても
この期間には
数々の「事件」が中原中也を襲っていました。
昭和11年11月10日の長男・文也の死
それが原因の神経衰弱の徴候
昭和12年1月9日から2月15日までの中村古峡療養所への入退院
2月17日の鎌倉転居
……
このため
鎌倉への転居後に
建設社版「ランボオ全集」のために翻訳した原稿を推敲、清書し
新たに幾つかの翻訳を完成させたのも加えて
昭和12年8月に野田書房へ原稿を持ち込んだ、と推察するのが自然のようです。
この時の詩人の様子を、
野田書房の社主・野田誠三は
8月、突然、僕のところへ来られて、「ランボオ全集」を本にして呉れ、もう随分、長いこと原稿を持つて居たんだけれど、――と大変、本にすることを急いで居られた
――と、「手帖」中原中也追悼号(昭和12年12月)中の
「中原中也の死」の中で回想しています。
(角川新全集・第3巻「翻訳・解題篇」より)
中原中也は
昭和12年10月22日に永眠するのです。
野田書房に「ランボオ詩集」の原稿を持ち込んだのが
昭和12年8月頃で
同全集の発行は9月15日、
この直後の9月中には
第2詩集「在りし日の歌」の清書原稿を
小林秀雄に託し
その約1か月後の永眠です。
「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’égliseの制作(翻訳)日時は
特定できないにせよ
これらの期間、つまり「晩年」であることに間違いはなさそうです。
さらば東京!
おゝわが青春!
――と、「在りし日の歌」の後記に記した(1937、9、23)という日付けと
遠くはない日に
訳稿は完成しました。
瑞々(みずみず)しくさえある
言葉遣いの秘密が
ここら辺にあるような気がしてなりません。
*
教会に来る貧乏人
臭い息(いき)にてむツとする教会の隅ツこの、
樫材(かし)の床几にちよこなんと、眼(め)は一斉に
てんでに丸い脣(くち)してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。
蝋の臭気(にほひ)を吸ひ込める麺麭の匂ひの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。
女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。
胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。
戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻(あと)では名もない病気!
――それなのにそのまはりでは、干柿色の婆々連(ばばあれん)、
或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。
其処にはびツくりした奴もゐる、昨日巷で人々が
避(よ)けて通つた癲癇病者(てんかん)もゐる、
古いお弥撒(みさ)の祈祷集(おいのりぼん)に、面(つら)つツ込んでる盲者(めくら)等は
犬に連れられ来たのです。
どれもこれもが間の抜けた物欲しさうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
エス様は、焼絵玻璃(やきゑがらす)で黄色くなつて、高い所で夢みてござる、
痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や
肉の臭気や織物の、黴(か)びた臭(にほ)ひも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまひもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、
日影も知らぬ脇間(わきま)では、ごくありふれた絹の襞、
峻厳さうなる微笑(ほゝゑみ)の、お屋敷町の奥さん連(れん)、
あの肝臓の病人ばらが、――おゝ神よ!――
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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