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2011年12月22日 (木)

中原中也が訳したランボー「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église

中原中也訳「ランボオ詩集」の「初期詩篇」の
10番目にあるのは「教会に来る貧乏人」Les Pauvres à l’église です。

「感動」
「フォーヌの頭」
「びつくりした奴等」
「谷間の睡眠者」
「食器戸棚」
「わが放浪」
「蹲踞」
「坐った奴等」
「夕べの辞」
――と読んできて10番目で、
「ランボオ詩集<学校時代の詩>」から数えると15番目になりますが
それがただちに15番目の制作というわけでないことはいうまでもありません。

しかし、この詩には
中原中也がランボーの翻訳の呼吸を掴んで
「乗っている」感じがあって
ランボーその人が詩人に乗り移って歌っている、と
そう思える瞬間があるほど秀逸で
もはや「爛熟」の域に入っていますから
まずは、詩そのものを読んでみましょう。

 ◇

 教会に来る貧乏人

臭い息(いき)にてむツとする教会の隅ツこの、
樫材(かし)の床几にちよこなんと、眼(め)は一斉に
てんでに丸い脣(くち)してる唱歌隊へと注がれて。さて
二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

蝋の臭気(にほひ)を吸ひ込める麺麭の匂ひの如くにも、
なんとはや、打たれた犬と気の弱い貧乏人等が、
旦那たり我君様たる神様に、
可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

女連(をんなれん)、滑らかな床几に坐つてまあよいことだ、
神様が、苦しめ給ふた暗い六日(むいか)のそのあとで!
彼女等あやしてをりまする、めうな綿入(わたいれ)にくるまれて
死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

胸のあたりを汚してる、肉汁食(スープぐら)ひの彼女等は、
祈りするよな眼付して、祈りなんざあしませんで、
お転婆娘の一団が、いぢくりまはした帽子をかぶり、
これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

戸外には、寒気と飢餓と、而も男はぐでんぐでん。
それもよい、しかし後刻(あと)では名もない病気!
――それなのにそのまはりでは、干柿色の婆々連(ばばあれん)、
或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

其処にはびツくりした奴もゐる、昨日巷で人々が
避(よ)けて通つた癲癇病者(てんかん)もゐる、
古いお弥撒(みさ)の祈祷集(おいのりぼん)に、面(つら)つツ込んでる盲者(めくら)等は
犬に連れられ来たのです。

どれもこれもが間の抜けた物欲しさうな呟きで
無限の嘆きをだらだらとエス様に訴へる
エス様は、焼絵玻璃(やきゑがらす)で黄色くなつて、高い所で夢みてござる、
痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

肉の臭気や織物の、黴(か)びた臭(にほ)ひも知らぬげに、
いやな身振で一杯のこの年来の狂言におかまひもなく。
さてお祈りが、美辞や麗句に花咲かせ、
真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

日影も知らぬ脇間(わきま)では、ごくありふれた絹の襞、
峻厳さうなる微笑(ほゝゑみ)の、お屋敷町の奥さん連(れん)、
あの肝臓の病人ばらが、――おゝ神よ!――
黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

 ◇

どこそこと指摘するならば
例えば、各連の終行は、

二十人なる唱歌隊、大声で、敬虔な讃美歌を怒鳴(どな)ります。

可笑しげな、なんとも頑固な祈祷(おいのり)を捧げるのではございます。

死なんばかりに泣き叫ぶ、まだいたいけな子供をば。

これみよがしに振舞ふを、ジツとみつめてをりまする。

或ひは呟き、鼻声を出し、或ひはこそこそ話します。

犬に連れられ来たのです。

痩せつぽちなる悪者や、便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や

真言秘密の傾向が、まことしやかな調子をとる時、

黄色い細いその指を、聖水盤にと浸します。

――となっていますが
全部が全部といっていいほど
7―5のリズムで決めていますし

怒鳴ります。
ございます。
をりまする。
話します。
来たのです。
浸します。
――の話者の口調には
サーカスか何かの案内役の「冷静さ」があるではないですか

 ◇

樫材(かし)の床几にちよこなんと
讃美歌を怒鳴(どな)ります。
死なんばかりに泣き叫ぶ、
祈りなんざあしませんで、
干柿色の婆々連(ばばあれん)、
高い所で夢みてござる、
便々腹(べんべんばら)の意地悪者(いぢわる)や
真言秘密の傾向が、
お屋敷町の奥さん連(れん)、

――などの、絞り出され、ひねり出されて、選ばれたと見える語句にも
「勢い」と「強度」があり
オリジナリティーがあります。
「けれん」を感じさせるものでもありません。
スラスラと歌われている印象です。

中原中也の自作詩の中で
読んだ覚えのあるような言葉が現われるようですが
それは錯覚で
初めてこの詩の中で使われている言葉であるところが
さすが! です。

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