中原中也が訳したランボー「夕べの辞」Oraison du soirその2
中原中也訳の「夕べの辞」Oraison du soirは
湿った嘲(あざけ)りの声調というよりも
乾いた笑いが漂うと感じられるのは
それも個性のうちなのかも知れないと思える一方、
陰鬱な黒いドロドロの情念を感じる個性もあるかも知れないので
どっちとは言うことはしない方がよいかな――。
中原中也は
第2連を訳しながら
「鳥糞」を「うんこ」と読ませるアイデアを得た時
腹を抱えて笑っただろうか
それとも
こんなところでも笑っている場合ではない、と神妙だったのか
想像がたくましくなるばかりです。
◇
わたしは、ずっと座りっぱなしだった、理髪師の手をした天使そのままの格好で、
丸溝が刻まれたビールのコップを持ち、
お腹を出し首を反らし陶製のパイプをくわえ、
まるでまっ平に見える、荒れ模様の空の下で。
古い鳩舎に放たれた真新しい糞(うんこ)のような
数々の夢は私の胸の中に燃え盛り、静かに焦げている。
やがて私のやさしい心は、沈鬱が襲い、生々しい
とろけた金にまみれ、スープみたいになっていた。
さて、夢を、細やかな心で呑み下し、
身をよじり、ビールを3、40杯を飲んだところで
尿意がみなぎり無念無想のポーズ。
しとやかに、ヒソップやシダーに囲まれた天主のようにして、
高く遠く、褐色に染まった空に向けて思いっきり放尿する、
うれしいことに、ヘリオトロープまでもが花を添えてくれて。
◇
ベルレーヌのいう「愚弄嘲弄」を
「哄笑破笑」と置き換えてみたくなるのは
「鳥糞」に遭うばかりからではなく
「いよ高くいよ遐く、褐色の空には向けて放尿す」に至っての爽快感が
小便小僧の像をイメージさせるからでもありまして
豪快も豪快な
こんなションベンが言語になるというのは
またしてもガルカンチュアの底知れない笑いの流れを想起するからでもあります。
◇
もちろんこの詩の放つパワーは
そればかりではありませんが。
*
夕べの辞
私は坐りつきりだつた、理髪師の手をせる天使そのままに、
丸溝のくつきり付いたビールのコップを手に持ちて、
下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、
まるで平(たひら)とさへみえる、荒模様なる空の下。
古き鳩舎に煮えかへる鳥糞(うんこ)の如く、
数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。
やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々(なまなま)し
溶(とろ)けた金のまみれつく液汁木質さながらだつた。
さて、夢を、細心もつて嚥のみ下し、
身を転じ、――ビール三四十杯を飲んだので
尿意遂げんとこゝろをあつめる。
しとやかに、排香草(ヒソフ)や杉にかこまれし天主の如く、
いよ高くいよ遐とほく、褐色の空には向けて放尿す、
――大いなる、ヘリオトロープにうべなはれ。
*
夕の弁
我は理髪師の手もてる天使の如く坐してありき、
深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、
小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、
ふくよかに風孕む帆が下に。
古き鳩舎の火照りある糞のごと
千の夢は、我をやさしく焦がしたり。
と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる
暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。
軈て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、
惑乱す、数十杯のビール傾け、
扨入念す、辛き心を浚はむと。
やさしさ、杉とヒソプの主の如く、
いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、
大いなるヘリオトロープにあやかりて。
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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