中原中也が訳したランボー「夕べの辞」Oraison du soirその3
中原中也訳の「夕べの辞」Oraison du soirの
Oraisonは、「祈り」「祈祷」の意味です。
放尿のことを祈祷としたことが
この詩の「肝」なのですが
これをどう読むか――。
となると
素人の個性的な読みでは
なかなかたどりつけない
「シンボル解析」とか
「メタファー分析」とか
ランボーを詳細に研究し
これまで世に現われた鑑賞のすべてに目を通し
読みの歴史の流れに立った
プロフェショナルな眼差しが要求されることになります。
ランボー学というようなプロの研究が
こうして100年以上も続けられて
なおも研究し尽されることはないという
これは例えば
ミツバチの生態を観察する眼差しに
終わりが訪れることがないのに似た
永久運動――。
プロは言います。
タイトルは、明らかに宗教的行為(聖性)を指示し
内容は、その聖性をからかい、嘲笑し、汚す=「贖聖」を歌っている、と。
プロの研究の成果
学問が達した定説
ここに、素人の異論(個性)の立ち入るスキはありません。
そういえば、西条八十は
「醜悪なるもの、汚穢なるものへの特別な関心」が見られる詩群の中に
この「夕べの祈り」を入れて
古ぼけた鳩小屋の熱い糞のように、
おれの中には幾千もの夢が甘い火傷をつくる
――と、第2連第1、2行を訳出してから
最終連の「放尿の楽しさの描写」に注目しています。
では、金子光晴はどうか、というと
放尿シーンを
かわみどり、せいよう杉よりもすんなりとしたおん主の寛大をわがこころとして、
遠い夜空へ、たかだかと僕は放尿する。
――すばらしいぞ。ヘリオトロープも、大音で助勢しようとは。
と、訳しているのを見れば
これも「楽しい放尿」という響きで
愚弄嘲弄の響きは後退している様子です。
◇
鈴木信太郎は?
堀口大学は?
戦後の訳で
平井啓之は?
粟津則雄は?
篠沢秀夫は?
飯島耕一は?
清岡卓行は?
鈴木創士は?
入沢康雄は?
宇佐美斉は?
鈴村和成は?
……
◇
まだまだ10本の指が
いや20本か、
読めないでいる「ランボー党」は犇いています。
◇
とりとめもなく
横すべりしていくのも
また楽しきかな、です。
*
夕べの辞
私は坐りつきりだつた、理髪師の手をせる天使そのままに、
丸溝のくつきり付いたビールのコップを手に持ちて、
下腹突き出し頸反らし陶土のパイプを口にして、
まるで平(たひら)とさへみえる、荒模様なる空の下。
古き鳩舎に煮えかへる鳥糞(うんこ)の如く、
数々の夢は私の胸に燃え、徐かに焦げて。
やがて私のやさしい心は、沈欝にして生々(なまなま)し
溶(とろ)けた金のまみれつく液汁木質さながらだつた。
さて、夢を、細心もつて嚥のみ下し、
身を転じ、――ビール三四十杯を飲んだので
尿意遂げんとこゝろをあつめる。
しとやかに、排香草(ヒソフ)や杉にかこまれし天主の如く、
いよ高くいよ遐とほく、褐色の空には向けて放尿す、
――大いなる、ヘリオトロープにうべなはれ。
*
夕の弁
我は理髪師の手もてる天使の如く坐してありき、
深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、
小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、
ふくよかに風孕む帆が下に。
古き鳩舎の火照りある糞のごと
千の夢は、我をやさしく焦がしたり。
と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる
暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。
軈て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、
惑乱す、数十杯のビール傾け、
扨入念す、辛き心を浚はむと。
やさしさ、杉とヒソプの主の如く、
いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、
大いなるヘリオトロープにあやかりて。
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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