中原中也が訳したランボー「坐つた奴等」とベルレーヌ「呪われた詩人たち」その4
中原中也訳の「アルテュル・ランボオ」には
訳稿Aと訳稿Bが残されています。
訳稿Aは
ランボーという詩人の案内文と「母音」「夕の弁」の2つの詩篇、
訳稿Bは
「坐せる奴等」の詩篇と解説
――という構成で、両者に重複はないということですから
ベルレーヌの原作の半分に満たないほどの翻訳ということになります。
訳稿Aの後半部分
「母音」とベルレーヌの解説
「夕の弁」を見ておきます。
(※ここでは、訳稿Aを全文通しで掲出します。)
◇
*
アルテュル・ランボオ
ポール・ヴェルレーヌ
(訳稿A)
私はアルテュル・ランボオを知るの喜びを持ってゐる。今日、様々の瑣事は、私を彼から遠ざけてゐる。尤も、彼が天才及び性格に対する私の嘆賞は、一日として欠けたことはないのだが。
私達の親交の少し前、アルテュル・ランボオが十六七才であった頃、既に彼は、公衆が知り、私などが出来得る限り引証し解説してやるべき詩籠を所持してゐた。
大きい、骨組のしつかりした、殆んど運動家のやうで、完全に楕円形のその顔は追放の天使のやうであつた。竝びのわるい明褐色の髪をもち、蒼ざめた碧眼は気遣わしげに見えた。
アルデンヌ生れの彼は、その綺麗な訛を忽ちに失くしたばかりか、アルデンヌ人らしい速かな同化力を以て巴里語を使駆した。
私はまづ、アルテュル・ランボオの初期の作品、いとも早熟な彼が青年期の作品に就いて考へてみよう、――気高い腺疫、奇蹟的発情の彼が青春時!――その後で彼のその烈しい精神が、文学的終焉をみる迄の様々な発展を調べることとしよう。
偖、前言すべき一事がある。といふは、若し此の一文が偶然にも彼の目に止るとするならば、アルテュル・ランボオは、私が人間行為の批議する者でなく、又私が彼に
対する全き是認(私達の悲劇に就いても同様)は、彼が詩を放棄したといふことに対しても可及するものと諒察するであらう。お疑ひならないとなら云ふが、この放棄は、彼にあつては論理的で正直で必要なことであつたのです。
ランボオの作品は、その極度の青春時、1869、70、71年を終るに当つては、もはや沢山であつて、敬すべき一巻の書を成してゐた。それは概して短い詩を含む書である、十四行詩、八行詩、四、五乃至六行を一節とする詩。彼は決して平板な韻は踏まなかつた。しつかりした構へ、時には疑つてさへゐる詩。気儘な句読は稀であり、句の跨り一層稀である。語の選択は何時も粋で、趣向に於ては偶々学者ぶる。語法は判然してゐて、観念が濃くなり、感覚が深まる時にも猶明快である。加之讃ふべきその韻律。
次の十四行詩こそそれらのことを証明しよう。
母音
A黒、E白、I赤、U緑、O青、母音達よ、
私は語るだらう、何時の日か汝等が隠密の由来を。
A、黒、光る縄で毛むくじやらの胸部
むごたらしい悪臭のめぐりに跳び廻る、
暗き入海。E、気鬱と陣営の稚淳、
投げられし誇りかの氷塊、真白の王、繖形花の顫へ。
I、緋色、咯かれし血、美しき脣々の笑ひ――
怒りの裡、悔悛の熱意の裡になされたる。
U、天の循環、蒼寒い海のはしけやし神々しさ、
獣ら散在せる牧場の平和、錬金道士が
真摯なる大きい額に刻んだ皺の平和。
O、擘(つんざ)く音の至上の軍用喇叭、
人界と天界を横ぎる沈黙(しじま)
――おゝ、いやはてよ、菫と閃く天使の眸よ!
アルテュル・ランボオの美神は、すべての調子をとつて用ゐた。竪琴の全和絃、ギタアの全和絃をかなで、胡弓の弓は宛ら自分自身であるやう敏捷に奏せられた。
ランボオが愚弄家、嘲弄家と見えるのはその時である。彼が愚弄家嘲弄家の親玉たる時こそ、彼が神の手になる大詩人たる時である。
見よ、「夕(ゆふべ)の弁」と「坐せる奴等」を、その前に跪くべく!
夕の弁
我は理髪師の手もてる天使の如く坐してありき、
深き丸溝あるビールのコップを手に持ちて、
小腹と首をつん反(ぞ)らせ、ギャムビエを歯に、
ふくよかに風孕む帆が下に。
古き鳩舎の火照りある糞のごと
千の夢は、我をやさしく焦がしたり。
と忽ちに、我が哀しき心、熔けたる
暗き黄金の血を流す 白木質となれりけり。
軈て我、細心をもて我が夢を呑み下せしに、
惑乱す、数十杯のビール傾け、
扨入念す、辛き心を浚はむと。
やさしさ、杉とヒソプの主の如く、
いや高くいや遠き褐の空向け放尿す、
大いなるヘリオトロープにあやかりて。
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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