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2012年1月

2012年1月31日 (火)

中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ansその4

中原中也が「七才の詩人」Les Poètes de sept ansを訳したのは
昭和11年(1936)から同12年の間のことと推定されていますから
2012年の今から、およそ75年前のことになります。

昭和5年(1930)には
小林秀雄の翻訳が発表されていますから
中原中也が、この小林訳を読んだことが想像されますが
確証されてはいません。

ただ、第6連に
「桃花心木(アカジュ)」とあるのは、
最近の訳では
「マホガニー」とされる場合が多く、
また「東西屋」とあるのも
小林、中原訳に限られていて
ほかに例がないので
中原中也が小林訳を参照し踏襲した可能性が高いということは言えそうですが
これも断言できるものではありません。

小林秀雄と中原中也が
タイトルを「七才の詩人」として
「七歳の詩人達」と複数形に訳さなかったのも同じ、
「歳」とせず「才」としたのも同じですが、
似通っているのはこの程度で
ほかは、まったくと言ってよいほどに
別個の個性で捉えられた表現になっていることは
当たり前のことながら
注目しておきたいところです。

小林秀雄は「七才の詩人」を
散文詩として訳出する無理を侵しているということもありますが
詩の言葉が「寝ている」ようで
中原中也の言葉が
逆に「立っている」のが際立ちます。

いちいち例を挙げるまでもありませんが
一つだけ
中原中也の「七才の詩人」が傑出しているところを指摘しておけば
最終連の最終行です。
ここが小林秀雄訳と異なるのは必然ですが
戦後・最近の多くの訳とも異なって
詩の末尾にふさわしい「立ち方」で
詩を終えています。

うまい料理が
具材の一つひとつの味が立っているように!

 *

 七才の詩人

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年1月30日 (月)

中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ansその3

「七才の詩人」Les Poètes de sept ansの第5連に現われる
更紗模様の着物を着た、お転婆でお茶目な
娘は8歳で、隣りの職人の子で
野放しで、おさげ髪を背中に揺らしている女の子が
実際に存在した人物か
それとも砂漠の生活のロマンの中に生きているのか
突如、登場しますから
読者はその正体を知ろうとしてこのシーンに釘付けにされるのですが
じっくりと読み込んでいるうちに
それがリアルな生活の中のエピソードであろうとなかろうとどうでもよく
どちらであってもいいのではないか、と思えてくれば
ランボーの詩世界に入り込んでいることになるでしょうか――。

往々にして
8歳の娘とのこの格闘シーンの結末を
フロイト流に分析したがる誘惑を抑えがたいのですが
ここではそんな分析にかまけるよりも
このシーンの鮮烈なイメージを味わうことだけに集中していたほうがよさそうです。

19世紀末の北フランスの豊かではない片田舎の
年頃8歳の娘が
隣りの職人の子であっても
農民の子どもであっても
ノーズロースで放課後を過ごしているのを想像することは
それほど難しいことではありませんし
フランスでなく
日本という国でも
下着をつけていなかった娘たちの話題はいくらでも転がっています。

そんなことよりも何よりも

此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

――と、中原中也が訳した詩句を噛みしめていれば
詩の言葉が詩の言葉以外に置き換えられることがないという
詩の原理のことが思い出されてきて
そのことを考えることのほうが
有益であるはずです。

続く第6連は
髪を油で整えて行かせられた日曜礼拝で
キャベツ色の聖書を無理矢理読ませられた苦痛、
その夜の夢に現れる神の物語の息苦しさが歌われ、
その帰り道か、
田舎の町の場末の通りには労働者が繰り出し
時には、東西屋が太鼓叩いて小さなショーを演じ
群がる通行人がドーッと笑う活気あふれる光景に出会っては
窮屈な神の世界と引き換えに
希望のようなものを得たような気分になる7歳の詩人が描かれます。

そして最終第7連では

鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む

詩人誕生の時が刻まれるのです。

 *

 七才の詩人

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
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2012年1月29日 (日)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その25「渓流」

 渓流

渓流(たにがわ)で冷やされたビールは、
青春のやうに悲しかつた。
峰を仰いで僕は、
泣き入るやうに飲んだ。

ビショビショに濡れて、とれさうになつてゐるレッテルも、
青春のやうに悲しかつた。
しかしみんなは、「実にいい」とばかり云つた。
僕も実は、さう云つたのだが。

湿つた苔も泡立つ水も、
日蔭も岩も悲しかつた。
やがてみんなは飲む手をやめた。
ビールはまだ、渓流(たにがわ)の中で冷やされてゐた。

水を透かして瓶の肌へをみてゐると、
僕はもう、この上歩きたいなぞとは思はなかつた。
独り失敬して、宿に行つて、
女中(ねえさん)と話をした。
            (1937.7.15)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月28日 (土)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その24「ひからびた心」

 ひからびた心

ひからびたおれの心は
そこに小鳥がきて啼き
其処(そこ)に小鳥が巣を作り
卵を生むに適してゐた

ひからびたおれの心は
小さなものの心の動きと
握ればつぶれてしまひさうなものの動きを
掌(てのひら)に感じてゐる必要があつた

ひからびたおれの心は
贅沢(ぜいたく)にもそのやうなものを要求し
贅沢にもそのやうなものを所持したために
小さきものにはまことすまないと思ふのであつた

ひからびたおれの心は
それゆゑに何はさて謙譲であり
小さきものをいとほしみいとほしみ
むしろその暴戻(ぼうれい)を快いこととするのであつた

そして私はえたいの知れない悲しみの日を味つたのだが
小さきものはやがて大きくなり
自分の幼時を忘れてしまひ
大きなものは次第に老いて

やがて死にゆくものであるから
季節は移りかはりゆくから
ひからびたおれの心は
ひからびた上にもひからびていつて

ひからびてひからびてひからびてひからびて
――いつそ干割(ひわ)れてしまへたら
無の中へ飛び行つて
そこで案外安楽に暮せらるのかも知れぬと思つた

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月27日 (金)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その23「寒い!」

 寒い!

毎日寒くてやりきれぬ。
瓦もしらけて物云はぬ。
小鳥も啼かないくせにして
犬なぞ啼きます風の中。

飛礫(つぶて)とびます往還は、
地面は乾いて艶もない。
自動車の、タイヤの色も寒々と
僕を追ひ越し走りゆく。

山もいたつて殺風景、
鈍色(にびいろ)の空にあつけらかん。
部屋に籠れば僕なぞは
愚痴つぽくなるばかりです。

かう寒くてはやりきれぬ。
お行儀のよい人々が、
笑はうとなんとかまはない
わめいて春を呼びませう………
               (一九三五・二)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月26日 (木)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その22「落日」

 落日

この街(まち)は、見知らぬ街ぞ、
この郷(くに)は、見知らぬ郷ぞ

落日は、目に沁(し)み人はけふもまた
褐(かち)のかひなをふりまはし、ふりまはし、
はたらきて、ゐるよなアー。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月25日 (水)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その21「米子」

 米子

二十八歳のその処女(むすめ)は、
肺病やみで、腓(ひ)は細かつた。
ポプラのやうに、人も通らぬ
歩道に沿つて、立つてゐた。

処女(むすめ)の名前は、米子と云つた。
夏には、顔が、汚れてみえたが、
冬だの秋には、きれいであつた。
——かぼそい声をしてをつた。

二十八歳のその処女(むすめ)は、
お嫁に行けば、その病気は
癒(なほ)るかに思はれた。と、さう思ひながら
私はたびたび処女(むすめ)をみた……

しかし一度も、さうと口には出さなかつた。
別に、云ひ出しにくいからといふのでもない
云つて却(かへ)つて、落胆させてはと思つたからでもない、
なぜかしら、云はずじまひであつたのだ。

二十八歳のその処女(むすめ)は、
歩道に沿つて立つてゐた、
雨あがりの午後、ポプラのやうに。
——かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思ふのだ……

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月24日 (火)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その20「雪の宵 」

 雪の宵

      青いソフトに降る雪は
      過ぎしその手か囁(ささや)きか  白秋

ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁きか
  
  ふかふか煙突煙(けむ)吐いて、
  赤い火の粉も刎(は)ね上る。

今夜み空はまつ暗で、
暗い空から降る雪は……

  ほんに別れたあのをんな、
  いまごろどうしてゐるのやら。

ほんにわかれたあのをんな、
いまに帰つてくるのやら

  徐(しづ)かに私は酒のんで
  悔と悔とに身もそぞろ。

しづかにしづかに酒のんで
いとしおもひにそそらるる……

  ホテルの屋根に降る雪は
  過ぎしその手か、囁きか

ふかふか煙突煙吐いて
赤い火の粉も刎ね上る。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月23日 (月)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その19「雪が降ってゐる……」

 雪が降ってゐる……

雪が降ってゐる、
  とほくを。
雪が降ってゐる、
  とほくを。
捨てられた羊かなんぞのように
  とほくを、
雪が降ってゐる、
  とほくを。
たかい空から、
  とほくを、
とほくを
  とほくを、
お寺の屋根にも、
  それから、
お寺の森にも、
  それから、
たえまもなしに。
  空から、
雪が降ってゐる
  それから、
兵営にゆく道にも、
  それから、
日が暮れかゝる、
  それから、
喇叭(らつぱ)がきこえる。
  それから、
雪が降ってゐる、
  なほも。
  (一九二九・二・一八)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月22日 (日)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その18「雪の賦」

 雪の賦

雪が降るとこのわたくしには、人生が、
かなしくもうつくしいものに——
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、
大高源吾(おほたかげんご)の頃にも降つた……

幾多(あまた)々々の孤児の手は、
そのためにかじかんで、
都会の夕べはそのために十分悲しくあつたのだ。

ロシアの田舎の別荘の、
矢来の彼方(かなた)に見る雪は、
うんざりする程(ほど)永遠で、

雪の降る日は高貴の夫人も、
ちつとは愚痴でもあらうと思はれ……

雪が降るとこのわたくしには、人生が
かなしくもうつくしいものに——
憂愁にみちたものに、思へるのであつた。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月20日 (金)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その17「春宵感懐」

 春宵感懐

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よひ)。
 なまあつたかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧くけど、それは、掴(つか)めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだらうぢやないですか、
 けれども、それは、示(あ)かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合せれば
につこり笑ふといふほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがつて、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月19日 (木)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その16(南無ダダ)

 (南無 ダダ)

南無 ダダ
足駄なく、傘なく
  青春は、降りこめられて、

水溜り、泡(あぶく)は
  のがれ、のがれゆく。

人よ、人生は、騒然たる沛雨に似てゐる
  線香を、焚いて
      部屋にはゐるべきこと。

色町の女は愛嬌、
 この雨の、中でも挨拶をしてゐる
青い傘
  植木鉢も流れ、
    水盤も浮み、
 池の鯉はみな、逃げてゆく

永遠に、雨の中、町外れ、出前持ちは猪突(ちょとつ)し、
      私は、足駄なく傘なく、
    茲(ここ)、部屋の中に香を焚いて、
 チウインガムも噛みたくはない。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月18日 (水)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その15「春日狂想」

 春日狂想

   1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業(ごふ)(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

   2

奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。

テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばくかんさなだ)を敬虔(けいけん)に編み——

まるでこれでは、玩具(おもちや)の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇(あ)へば、につこり致し、

飴売爺々(あめうりぢぢい)と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入(はひ)り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    ((まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。))

空に昇つて、光つて、消えて——
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処(どこ)かで、お茶でも飲みましよ。

勇んで茶店に這入(はひ)りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、——

戸外(そと)はまことに賑やかなこと!
——ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国(あつち)に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美(は)しく、はた俯(うつむ)いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に——
テムポ正しく、握手をしませう。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月17日 (火)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その14「屠殺所」

 屠殺所

屠殺所に、
死んでゆく牛はモーと啼いた。
六月の野の土赫(あか)く、
地平に雲が浮いてゐた。

  道は躓(つまず)きさうにわるく、
  私はその頃胃を病んでゐた。

屠殺所に、
死んでゆく牛はモーと啼いた。
六月の野の土赫く、
地平に雲が浮いてゐた。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月16日 (月)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その13「別離」

 別離

 1

さよなら、さよなら!
  いろいろお世話になりました
  いろいろお世話になりましたねえ
  いろいろお世話になりました

さよなら、さよなら!
  こんなに良いお天気の日に
  お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に

さよなら、さよなら!
  僕、午睡(ひるね)の夢から覚めてみると
  みなさん家を空(あ)けておいでだつた
  あの時を妙に思ひ出します

さよなら、さよなら!
  そして明日(あした)の今頃は
  長の年月見馴れてる
  故郷の土をば見てゐるのです

さよなら、さよなら!
  あなたはそんなにパラソルを振る
  僕にはあんまり眩(まぶ)しいのです
  あなたはそんなにパラソルを振る

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!

        (一九三四・一一・一三)

  2

 僕、午睡から覚めてみると、
みなさん、家を空けてをられた
 あの時を、妙に、思ひ出します

 日向ぼつこをしながらに、
爪摘(つめつ)んだ時のことも思ひ出します、
 みんな、みんな、思ひ出します

芝庭のことも、思ひ出します
 薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思ひ出します

干された飯櫃(おひつ)がよく乾き
裏山に、烏が呑気に啼いてゐた
あゝ、あのときのこと、あのときのこと……

 僕はなんでも思ひ出します
僕はなんでも思ひ出します
 でも、わけても思ひ出すことは

わけても思ひ出すことは……
――いいえ、もうもう云へません
決して、それは、云はないでせう

  3

忘れがたない、虹と花
  忘れがたない、虹と花
  虹と花、虹と花

どこにまぎれてゆくのやら
  どこにまぎれてゆくのやら
  (そんなこと、考へるの馬鹿)

その手、その脣(くち)、その唇(くちびる)の、
  いつかは、消えて、ゆくでせう
  (霙(みぞれ)とおんなじことですよ)

あなたは下を、向いてゐる
  向いてゐる、向いてゐる
  さも殊勝らしく向いてゐる

いいえ、かういつたからといつて
  なにも、怒(おこ)つてゐるわけではないのです、
  怒つてゐるわけではないのです

忘れがたない虹と花、
  虹と花、虹と花、
  (霙とおんなじことですよ)

  4

 何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
 きんとんでもよい、何でもよい、
 何か、僕に、食べさして下さい!

いいえ、これは、僕の無理だ、
  こんなに、野道を歩いてゐながら
  野道に、食物(たべもの)、ありはしない。
  ありません、ありはしません!

  5

向ふに、水車が、見えてゐます、
  苔むした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
  僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云つてるのでせう
  いいえ、僕とて文明人らしく
もつと、他(ほか)の話も、すれば出来た
  いいえ、やつぱり、出来ません出来ません

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月15日 (日)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その12「はるかぜ」

 はるかぜ

あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
   空は曇つてはなぐもり、
   風のすこしく荒い日に。

あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
   部屋にゐるのは憂鬱で、
   出掛けるあてもみつからぬ。

あゝ、家が建つ家が建つ。
僕の家ではないけれど。
   鉋(かんな)の音は春風に、
   散つて名残はとめませぬ。
   
   風吹く今日の春の日に、
   あゝ、家が建つ家が建つ。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月14日 (土)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その11「北の海」

 北の海

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

曇つた北海の空の下、
浪はところどころ歯をむいて、
空を呪(のろ)つてゐるのです。
いつはてるとも知れない呪。

海にゐるのは、
あれは人魚ではないのです。
海にゐるのは、
あれは、浪ばかり。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月13日 (金)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その10「砂漠」

 砂漠

砂漠の中に、
 火が見えた!
砂漠の中に、
 火が見えた!
        あれは、なんでがな
         あつたらうか?
        あれは、なんでがな
         あつたらうか?
陽炎(かげろう)は、襞(ひだ)なす砂に
 ゆらゆれる。
陽炎は、襞なす砂に
 ゆらゆれる。
        砂漠の空に、
         火が見えた!
        砂漠の空に、
         火が見えた!
あれは、なんでがな
 あつたらうか?
あれは、なんでがな
 あつたらうか?
        疲れた駱駝(らくだ)よ、
         無口な土耳古人(ダツチ)よ、
あれは、なんでがな
 あつたらうか?
        疲れた駱駝は、
         己が影みる。
          無口な土耳古人(ダツチ)は
         そねまし目をする。

砂漠の彼方(かなた)に、
 火が見えた!
砂漠の彼方に、
 火が見えた!

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月12日 (木)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その9「(お天気の日の海の沖では)」

 (お天気の日の海の沖では)

お天気の日の海の沖では
子供が大勢遊んでゐるやうです
お天気の日の海をみてると
女が恋しくなつて来ます

女が恋しくなるともう浜辺には立つてはゐられません
女が恋しくなると人は日蔭に帰つて来ます
日蔭に帰つて来ると案外又つまらないものです
それで人はまた浜辺に出て行きます

それなのに人は大部分日蔭に暮らします
何かしようと毎日々々
人は希望や企画に燃えます

さうして働いた幾年かの後に、
人は死んでゆくんですけれど、
死ぬ時思い出すことは、多分はお天気の日の海のことです。
                (一九三四・一一・二九)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月11日 (水)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その8「幻想」

  幻 想

 草には風が吹いてゐた。
 出来たてのその郊外の駅の前には、地均機械(ローラー・エンジン)が放り出されてあつた。そのそばにはアブラハム・リンカン氏が一人立つてゐて、手帳を出して何か書き付けてゐる。
(夕陽に背を向けて野の道を散歩することは淋しいことだ。)
「リンカンさん」、私は彼に話しかけに近づいた。
「リンカンさん」
「なんですか」
 私は彼のチョッキやチョッキの釦(ボタン)や胸のあたりを見た。
「リンカンさん」
「なんですか」
 やがてリンカン氏は、私がひとなつつこさのほか、何にも持合はぬのであることをみてとつた。
 リンカン氏は駅から一寸行つた処の、畑の中の一瓢亭に私を伴つた。
 我々はそこでビールを飲んだ。
 夜が来ると窓から一つの星がみえた。
 女給が去り、コックが寝、さて此の家には私達二人だけが残されたやうであつた。
 すつかり夜が更けると、大地は、此の瓢亭(ひようてい)が載つかつてゐる地所だけを残して、すつかり陥没してしまつてゐた。
 帰る術(すべ)もないので私達二人は、今夜一夜を此処に過ごさうといふことになつた。
 私は心配であつた。
 しかしリンカン氏は、私の顔を見て微笑(ほほえ)むでゐた、「大丈夫(ダイジヨブ)ですよ」
 毛布も何もないので、私は先刻から消えてゐたストーブを焚付けておいてから寝ようと思つたのだが、十能も火箸もあるのに焚付(たきつけ)がない。万事諦めて私とリンカン氏とは、卓子(テーブル)を中に向き合つて、頬肘(ほおひじ)をついたまゝで眠らうとしてゐた。電燈は全く明るく、残されたビール瓶の上に光つてゐた。

 目が覚めたのは八時であつた。空は晴れ、大地はすつかり旧に復し、野はレモンの色に明(あか)つてゐた。
 コックは、バケツを提げたまま裏口に立つて誰かと何か話してゐた。女給は我々から三米(メートル)ばかりの所に、片足浮かして我々を見守つてゐた。
「リンカンさん」
「なんですか」
「エヤアメールが揚つてゐます」
「ほんとに」

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

*原作品は、「ひとなつつこさ」に傍点が付されています。

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2012年1月10日 (火)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その7「春と赤ン坊」

 春と赤ン坊

菜の花畑で眠つてゐるのは……
菜の花畑で吹かれてゐるのは……
赤ン坊ではないでせうか?

いいえ、空で鳴るのは、電線です電線です
ひねもす、空で鳴るのは、あれは電線です
菜の花畑に眠つてゐるのは、赤ン坊ですけど

走つてゆくのは、自転車々々々 向ふの道を、
走つてゆくのは
薄桃色の、風を切つて……

薄桃色の、風を切つて 走つてゆくのは
菜の花畑や空の白雲(しろくも)
————赤ン坊を畑に置いて  

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月 9日 (月)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その6「初恋集」

 初恋集

 すずえ

それは実際あつたことでせうか
 それは実際あつたことでせうか
僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?
 あゝそんなことが、あつたでせうか。

あなたはその時十四でした
 僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会つて
 ほんの一週間、一緒に暮した

あゝそんなことがあつたでせうか
 あつたには、ちがひないけど
どうもほんとと、今は思へぬ
 あなたの顔はおぼえてゐるが

あなたはその後遠い国に
 お嫁に行つたと僕は聞いた
それを話した男といふのは
 至極(しごく)普通の顔付してゐた

それを話した男といふのは
 至極普通の顔してゐたやう
子供も二人あるといつた
 亭主は会社に出てるといつた
          (一九三五・一・一一)

 むつよ

あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしつかりしてると
僕は思つてゐたのでした

ほんに、思へば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だつた。
その後、あなたは、僕を去つたが
僕は何時まで、あなたを思つてゐた……

それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあつたのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでゐました

僕は背戸(せど)から、見てゐたのでした。
僕がどんなに泣き笑ひしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたつて
それはそれは涙のやうな、きれいな夕方でそれはあつた。
          (一九三五・一・一一)

終歌

噛んでやれ、叩いてやれ。
吐(ほ)き出してやれ。
吐(ほ)き出してやれ!

噛んでやれ。(マシマロやい。)
噛んでやれ。
吐(ほ)き出してやれ!

(懐かしや。恨めしや。)
今度会つたら、
どうしよか?

噛んでやれ。噛んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!
        (一九三五・一・一一)

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

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2012年1月 8日 (日)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その5「むなしさ 」

 むなしさ

臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
 よすがなき われは戯女(たはれめ)

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず

明けき日の 乙女の集(つど)ひ
 それらみな ふるのわが友

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
 胡弓(こきゆう)の音 つづきてきこゆ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 
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2012年1月 6日 (金)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その4「春と恋人 」

 春と恋人

美しい扉の親しさに
私が室(へや)で遊んでゐる時、
私にかまはず実つてた
新しい桃があつたのだ……

街の中から見える丘、
丘に建つてたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建つてたオベリスク……

蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商ふ路次の
びしょ濡れの土が歌つてゐる時、
かの女は何処(どこ)かで笑つてゐたのだ

港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺つたら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらひ)のやうであつたのだ……

以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 
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2012年1月 5日 (木)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その3「思ひ出」

 思ひ出

お天気の日の、海の沖は
なんと、あんなに綺麗なんだ!
お天気の灯の、海の沖は、
まるで、金や、銀ではないか

金や銀の沖の波に、
ひかれひかれて、岬の端に
やつて来たれど金や銀は
なほもとほのき、沖で光つた。

岬の端には煉瓦工場が、
工場の庭には煉瓦干されて、
煉瓦干されて赫々してゐた
しかも工場は、音とてなかつた

煉瓦工場に、煙をば据えて、
私は暫く煙草を吹かした。
煙草吹かしてぼんやりしてると、
沖の方では波が鳴つてた。

沖の方では波が鳴らうと、
私はかまはずぼんやりしてゐた。
ぼんやりしてると頭も胸も
ポカポカポカポカ暖かだつた

ポカポカポカポカ暖かだつたよ
岬の工場は春の陽をうけ、
煉瓦工場は音とてもなく
裏の木立で鳥が啼いてた

鳥が啼いても煉瓦工場は、
ビクともしないでジツとしてゐた
鳥が啼いても煉瓦工場の、
窓の硝子は陽をうけてゐた

窓の硝子は陽をうけてても
ちつとも暖かさうではなかつた
春のはじめのお天氣の日の
岬の端の煉瓦工場よ!

  * *
   * *

煉瓦工場は、その後廃(すた)れて、
煉瓦工場は、死んでしまつた
煉瓦工場の、窓も硝子も、
今は毀れてゐようといふもの

煉瓦工場は、廃(すた)れて枯れて、
木立の前に、今もぼんやり
木立に鳥は、今も啼くけど
煉瓦工場は、朽ちてゆくだけ

沖の波は、今も鳴るけど
庭の土には、陽が照るけど
煉瓦工場に、人夫は來ない
煉瓦工場に、僕も行かない

嘗て煙を、吐いてた煙突も、
今はぶきみに、たゞ立つてゐる
雨の降る日は、殊にもぶきみ
晴れた日だとて、相当ぶきみ

相当ぶきみな、煙突でさへ
今ぢやどうさへ、手出しも出来ず
この尨大な、古強者が
時々恨む、その眼は怖い

その眼怖くて、今日も僕は
濱へ出て来て、石に腰掛け
ぼんやり俯き、案じてゐれば
僕の胸さへ、波を打つのだ

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 
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2012年1月 4日 (水)

新春に読んでおきたい中原中也の詩・その2「春の日の歌」

 春の日の歌

流(ながれ)よ、淡(あは)き 嬌羞(けうしう)よ、
ながれて ゆくか 空の国?
心も とほく 散らかりて、
ヱヂプト煙草 たちまよふ。

流よ、冷たき 憂ひ秘め、
ながれて ゆくか 麓までも?
まだみぬ 顔の 不可思議の
咽喉(のんど)の みえる あたりまで……

午睡の 夢の ふくよかに、
野原の 空の 空のうへ?
うわあ うわあと 涕(な)くなるか

黄色い 納屋や、白の倉、
水車の みえる 彼方(かなた)まで、
ながれ ながれて ゆくなるか?

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 
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2012年1月 2日 (月)

新春に読んでおきたい中原中也の詩「春」

 春

春は土と草とに新しい汗をかゝせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空に隲(あが)る。
瓦屋根今朝不平がない、
長い校舎から合唱は空にあがる。

あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)つた希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあを)となつて空から私に降りかゝる。

そして私は呆気(ほうけ)てしまふ、バカになつてしまふ
——薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮かげの小川か銀か小波か?

大きい猫が頸ふりむけてぶきつちよに
一つの鈴をころばしてゐる、
一つの鈴を、ころばして見てゐる。

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

 
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