中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ansその3
「七才の詩人」Les Poètes de sept ansの第5連に現われる
更紗模様の着物を着た、お転婆でお茶目な
娘は8歳で、隣りの職人の子で
野放しで、おさげ髪を背中に揺らしている女の子が
実際に存在した人物か
それとも砂漠の生活のロマンの中に生きているのか
突如、登場しますから
読者はその正体を知ろうとしてこのシーンに釘付けにされるのですが
じっくりと読み込んでいるうちに
それがリアルな生活の中のエピソードであろうとなかろうとどうでもよく
どちらであってもいいのではないか、と思えてくれば
ランボーの詩世界に入り込んでいることになるでしょうか――。
往々にして
8歳の娘とのこの格闘シーンの結末を
フロイト流に分析したがる誘惑を抑えがたいのですが
ここではそんな分析にかまけるよりも
このシーンの鮮烈なイメージを味わうことだけに集中していたほうがよさそうです。
19世紀末の北フランスの豊かではない片田舎の
年頃8歳の娘が
隣りの職人の子であっても
農民の子どもであっても
ノーズロースで放課後を過ごしているのを想像することは
それほど難しいことではありませんし
フランスでなく
日本という国でも
下着をつけていなかった娘たちの話題はいくらでも転がっています。
そんなことよりも何よりも
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。
――と、中原中也が訳した詩句を噛みしめていれば
詩の言葉が詩の言葉以外に置き換えられることがないという
詩の原理のことが思い出されてきて
そのことを考えることのほうが
有益であるはずです。
続く第6連は
髪を油で整えて行かせられた日曜礼拝で
キャベツ色の聖書を無理矢理読ませられた苦痛、
その夜の夢に現れる神の物語の息苦しさが歌われ、
その帰り道か、
田舎の町の場末の通りには労働者が繰り出し
時には、東西屋が太鼓叩いて小さなショーを演じ
群がる通行人がドーッと笑う活気あふれる光景に出会っては
窮屈な神の世界と引き換えに
希望のようなものを得たような気分になる7歳の詩人が描かれます。
そして最終第7連では
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む
詩人誕生の時が刻まれるのです。
*
七才の詩人
母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。
ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを
通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。
様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!
七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。
どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。
彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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