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2012年2月28日 (火)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその5

ランボーが「見者(ボワイヤン)の美学」を披瀝した
友人ポール・ドメニー宛1871年5月15日付けの書簡を
「ランボーの手紙」(祖川孝訳、角川文庫)から引用して
読み進めます。

(前回からつづく)

 老いぼれの愚物どもが自我について誤った意味しか発見していなかったというようなことさえなければ、果しない無限の昔から、めっかちの理智(りち)の産物を積み重ねて、われこそはその作者なりと喚きたてている数百万の髑髏(どくろ)など、われわれはこれを一掃したりする必要はなかったのです。

 ギリシアでは、既に申しあげましたが、詩と竪琴(たてごと)と呂律(ろれつ)です。つまり行動です。その後は、音楽も韻も戯れごとと娯楽です。こうした過去の研究に物好きな連中はうつつを抜かしています。大勢の面々はこうした古代を復活させては悦に入っています――正に彼等にお誂(あつら)え向きの仕事です、もともと、宇宙論的知はいつも自然にその理想を投げ出して来たものです。人々は脳漿(のうしょう)より生ずるこうした成果の一部を取り入れたものでした。人は労することもなければ、今尚めざめることもなく、でなければ大いなる夢の横溢(おういつ)の中にもまだ入っていなかったがために、かかる経路を辿(たど)って来たものでした。お役人、文筆の徒でした。作者、創造者、詩人、こういった人間は曾てまだ存在しなかったのです!

 詩人ならんと願うものの第一に究むべきことは、自分自身を完全に知ることです。自己の魂を探求し、それを検討し、それを試み、それを把握することです、それを知ってしまったら、それを培わねばなりません、こうしてみるとなんの訳もなさそうです。一切脳漿の中で自然的発展が行われるからです。多くの「エゴイスト」は自分を作家だと自任している。その他にも自分の知的進歩をわがもの顔にする手合いがどんなに沢山いることか!――ところで、魂をば怪物のように作り上げるのが肝心なのです。コンプラキコスの手口でもって、ね! 自分の面へ疣(いぼ)を植えつけて置いて、そいつを育てあげる人間を御想像下さい。

 「見者」たるべし、「見者」となるべし、と私は云うのです。
 「詩人」はあらゆる感覚の、久しい、宏大(こうだい)な、熟考された不羈(ふき)奔放化によって「見者」となるのです。恋愛の、苦悩の、狂気のありとあらゆる形式です。己(おの)れ自身を探し求め、己れの裡(うち)にある一切の毒物を汲(く)み尽し、その精髄のみを保存するのです。口舌に尽し難い苦悩、その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、その時こそあらゆる人々の中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪(のろ)われ人となり、――果ては至上の「学者」となる! なにしろ彼は未知のものに達しているからである! それも既にいかなる魂にも増して豊穣(ほうじょう)だった自分の魂を自ら耕したからである。彼は未知のものに達したのである。そして気も錯乱して遂には自分の幻像が理解出来なくなった時、彼は正しくその幻像を見たわけです! 数限りない前代未聞の事物による跳躍のなかで、くたばるならくたばるがよい。他の恐るべき労働者たちがその代わりにやって来るだろう。他方が倒れた地平線から彼等は仕事をやり始めることだろう。

 ――後(あと)六分間の御辛抱――

 ここへ「本文以外の」第二の聖歌を挿入します。耳をよくすませてお聞き願い度い。そうすれば誰でも惚(ほ)れ惚(ぼ)れとなるでしょう。手は楽弓(ゆみ)をもちました。さあ、始めよう。

   わが小さき恋人たち

涙の香水は洗う
 緑のキャベツの空を。
 汝(なれ)のゴムに涎(よだれ)をたらす。
嫩芽(どんが)ふく樹の下影で

なみならぬ月の白き
 円きかさつけて
膝覆(ひざおお)い衝き合せよ
 わが醜女(しこめ)ら。

あの時は互に好きつ好かれつ
 青き醜女よ
たがいに食ったことが! 半熟卵と
 それに はこべ!

ある夜、汝はわれ詩人と崇めぬ
 ブロンドの醜女よ
 降り立ち来よ 笞(むち)うたん
膝の上で!

われは汝(いまし)髪油(あぶら)を口より吐きぬ
 黒き醜女よ
汝のおでこで断ち切るやも知れじ
 わがマンドリンの糸を。

ああ鼻持ちならぬ! 乾ききった互いの唾(つば)
 赤茶毛の醜女よ
今もなお 臭気を放つ
 まろき 汝の乳房の壕(くぼみ)

ああ わがいとしき女(もの)よ
 憎しも憎し!
苦しみの吐息もて覆いかぶせよ
 なれの穢(けが)れたる乳房を!

わが感情(こころ)の古ぼけた鉢をば
 足にて踏みつけよ
いざ飛べよ――わが舞姫となれ
 ひと時の間を!……

汝の肩甲骨(けんこうこつ) はずれて
 ああ 恋しきものよ!
びっこひく汝の腰に星はかがやき
 まわれやまわれ!

その肩肉に捧げんためか
 わが詩にて詠みしは
汝の腰 われ砕かばや
 愛せしものの!

射損ねた色褪せし無数の星々よ
 隈(くま)なく空にちりばめろ!
――愚劣なる配慮を背負い込み
 くたばり果てて神となれ!

円きかさつける
 なみならぬ月の下に
膝覆い衝き合せよ
 わが醜女ら

この通りです。ところで、郵税六十セント以上を貴方に支払わせてよければ――なにしろ哀れにも茫然(ぼうぜん)たる僕は、七ヶ月来銅貨一枚手にしたこともない始末です!――更に「巴里の愛人たち」十二音綴(つづ)詩百節と「巴里の死」の十二音綴詩二百節をお目にかけられるのですが!――ふたたび講釈にかかりましょう。

だから、詩人は正に火を盗み出す者です。

思いつくままを
ランボーはしゃべりまくっている感じですが
これが、単なるおしゃべりではないことは明らかでしょう。

ランボーは
一つの「仕事」といってよいほどの力作を
友人に書き送っているのです。

これは
詩人の仕事です。
パリ彷徨の中で
ランボーは
詩から離れたことはなかったのですから。

ドメニー宛の書簡は
ここまでで3分の2ほどです。

(つづく)

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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