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2012年2月

2012年2月29日 (水)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその6

ランボーが友人ポール・ドメニー宛に
1871年5月15日付けに出した書簡を
「ランボーの手紙」(祖川孝訳、角川文庫)から引用して読んでいますが
2、3キーワードとなるところを
ピックアップしますと

○ かく申し上げるについては「わたし」と云うのは一人の「他人」だからです。銅が喇
叭(らっぱ)になり変ったところで、銅になんの落度もございますまい。

○ 詩人ならんと願うものの第一に究むべきことは、自分自身を完全に知ることです。
自己の魂を探求し、それを検討し、それを試み、それを把握することです、それを
知ってしまったら、それを培わねばなりません、こうしてみるとなんの訳もなさそう
です。

○ ところで、魂をば怪物のように作り上げるのが肝心なのです。コンプラキコスの手
口でもって、ね! 自分の面へ疣(いぼ)を植えつけて置いて、そいつを育てあげ
る人間を御想像下さい。

○ 「見者」たるべし、「見者」となるべし、と私は云うのです。口舌に尽し難い苦悩、そ
の時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、その時こそあらゆ
る人々の中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪(のろ)われ人とな
り、――果ては至上の「学者」となる! なにしろ彼は未知のものに達しているか
らである! それも既にいかなる魂にも増して豊穣(ほうじょう)だった自分の魂を
自ら耕したからである。彼は未知のものに達したのである。

○ そして気も錯乱して遂には自分の幻像が理解出来なくなった時、彼は正しくその
幻像を見たわけです!

○ だから、詩人は正に火を盗み出す者です。

――これまでのところ、これくらいでしょうか。
これくらいというのは、
これだけは押さえておきたい最低限ということで
ほかはどうでもよい、ということではありません。

印象に残る名言というべきか
あまりにも有名になったランボーの珠玉というべきか
これを頭に入れておいて
ランボーの詩を読むと
少しは謎が解けるようなことが起こるかもしれないし
いつか役に立つことがあるかもしれないという意味で
覚えておいたほうがよい言葉です。

というわけで
あと3分の1ほどを読みます。

(前回からつづく)

 彼は人類を背負っています。「動物」までも背負っています。自分で発明したものを人に感じさせ手に触れさせ傾聴させねばなりません。「彼方」から持ち返って来るものに形があればそれに形を与え、形なきものならば形なさを与える。詞(ことば)を発見することです。のみならず、詞(ことば)はなにによらず思想であるからには、必ずや世界語の時代が到来するでしょう! どんな言葉で書かれるものであろうと、辞典を完成するためにはアカデミシャン――化石よりも死物であるところの――でなければならぬ。弱小な連中がアルファベットの最初の文字について「思索に」とりかかったりしたら、忽(たちま)ち狂乱の中へ迷い込んでしまうかも知れない。

 このような長談義は、香も、音も、色も、すべてを一つにつづめた、魂のための魂から迸(ほとばし)り出るものであり、思索を鉤(かぎ)にかけて引き寄せる思索から発するものです。詩人は、世界魂の裡にその時々に眼覚める未知なるものの量を決定するのです。自己の思想の方式以上のものを、彼の「進歩への歩み」の注釈以上のものを与えるのです。法外さも万人に吸収されて規範となるが故に、彼こそが正しく「進歩の乗数」であると云ってよい!

 こうした未来は唯物的なものとなることは、あなたにも明らかでしょう。――常に数と調和に溢(あふ)れ、詩は永く残るべきものとして作られるでしょう。実はこれもまだ幾分ギリシア詩かもしれません。

 詩人もまた市民であるように、永遠不朽の芸術にも、それ自体の職能があろう。詩はもはや行動を韻律化することを止めて、みずから前進し始めるだろう。

 こうした詩人は必ず出て来るのだ! 男性が――これまでは言語道断であったが――性を放免した結果、女性の永久的奴隷制度が打ち破られ女性が女性のために、また女性の力で生活するようになる時が来れば、女も亦詩人となるでしょう! 女も未知のものを発見するでしょう! 女性の思想の世界は、われわれのものとはまた違ったものであろうが、見慣れぬものや、測り知れぬものや、不愉快なものや、甘美なものを、彼女は見出すことだろう。わたしたちはそれを取りあげ、それを理解するだろう。

 それまでのところは、「新奇なもの」の詩人たちに要求することとしよう――思想と形式とを。巧者な連中はみんな程なくこの要求に満足を与えたものと思い込むかも知れない。ところが、そんなことではないのだ。

 初期の浪漫主義者たちは、みずから見者たるかをあまり弁えずに見者だったのでした。――つまり、彼らの魂の耕作というものは偶発事から始ったのでした。打ちすてられてものの、しかし燃えさかっているので、しばらくの間はレールの上をともかくも走る機関車のようなものです。ラマルティーヌはたまたま見者であることもありますが、古臭い形式で、首を絞めつけられています。ユゴーは大へん“きかぬ屋”ですが、晩年の著作のうちには、“見られたもの”が相当みうけられます。「レ・ミゼラブル」こそは正真正銘の詩です。「懲罰」が手許にございますが、「ステラ」はユゴーの“視界”の及ぶところをほぼ示しています。ベルモンテとラムネエ、エホバと四柱など、古びすたれたとんでもないものが多すぎます。
(※“きかぬ屋” “見られたもの” “視界”――とある部分は、原作では傍点になっています。編者。)

 ミュッセはわたしたちにとって、幻像に憑(つ)かれた苦悶(くもん)の世代のひとびとにとって、十四回憎んでもまだあきたらぬ男です。彼の天使のような怠慢ぶりには、そうしたわたしたちはどんなに侮辱されたことか! ああ! 味気ないコントと俚諺(りげん)喜劇! ああ「夜」! ああ「ロオラ」! ああ「ナムゥナ」! ああ「酒盃」! どれを見てもフランス的なものばかり、すなわち極度に唾棄(だき)すべきものです。フランス的であるが、巴里的ではない。またしても一つ、ラブレーに、ヴォルテールに、ジャン・ラ・フォンテーヌに霊感を与え、テエヌによって注釈された、あの胸糞(むなくそ)の悪い精神の作品だ。表向きのものです、ミュッセの精神は! 惚れ惚れとするやつです、彼の恋ってやつは! これこそ正にエナメル画、なが持ちのする詩というやつです。人々はいつまでも「フランス的な」詩を賞翫(しょうがん)することでしょう。但しフランスではです。どんな乾物屋の小僧も、ロオラ的一くさりぐらい繰り出すことができ、どの神学生にしろ手帖(てちょう)の裏に五百の韻詩は忍ばせています。十五歳ともなれば、ああした情熱の衝動が若いものにさかりをつけるのです。十六歳にもなれば、すでにああ云うものを心を籠(こ)めて暗誦(あんしょう)しては自分を満足させるのです。十八歳ともなれば、いや十七歳でさえも、その能力のある学生なら、誰でも「ロオラ」のようなものを作り、「ロオラ」の一つ位は書いてみるものです。恐らく今でもまだそのために死ぬものだっていることでしょう。ミュッセは何ひとつ作るすべを知りませんでした。しかしカアテンの向うに幻像がありました。彼は眼を閉じてしまったのです。フランス的で、煮えきらぬ人間として、そして安カフェから学校の机へと引き廻(まわ)されて、死せる美男は死んでしまったのです。で、もうこれからは、わたしたちは私たちの憎悪で彼の眠りを覚す労さえとらないのです!

(つづく)

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2012年2月28日 (火)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその5

ランボーが「見者(ボワイヤン)の美学」を披瀝した
友人ポール・ドメニー宛1871年5月15日付けの書簡を
「ランボーの手紙」(祖川孝訳、角川文庫)から引用して
読み進めます。

(前回からつづく)

 老いぼれの愚物どもが自我について誤った意味しか発見していなかったというようなことさえなければ、果しない無限の昔から、めっかちの理智(りち)の産物を積み重ねて、われこそはその作者なりと喚きたてている数百万の髑髏(どくろ)など、われわれはこれを一掃したりする必要はなかったのです。

 ギリシアでは、既に申しあげましたが、詩と竪琴(たてごと)と呂律(ろれつ)です。つまり行動です。その後は、音楽も韻も戯れごとと娯楽です。こうした過去の研究に物好きな連中はうつつを抜かしています。大勢の面々はこうした古代を復活させては悦に入っています――正に彼等にお誂(あつら)え向きの仕事です、もともと、宇宙論的知はいつも自然にその理想を投げ出して来たものです。人々は脳漿(のうしょう)より生ずるこうした成果の一部を取り入れたものでした。人は労することもなければ、今尚めざめることもなく、でなければ大いなる夢の横溢(おういつ)の中にもまだ入っていなかったがために、かかる経路を辿(たど)って来たものでした。お役人、文筆の徒でした。作者、創造者、詩人、こういった人間は曾てまだ存在しなかったのです!

 詩人ならんと願うものの第一に究むべきことは、自分自身を完全に知ることです。自己の魂を探求し、それを検討し、それを試み、それを把握することです、それを知ってしまったら、それを培わねばなりません、こうしてみるとなんの訳もなさそうです。一切脳漿の中で自然的発展が行われるからです。多くの「エゴイスト」は自分を作家だと自任している。その他にも自分の知的進歩をわがもの顔にする手合いがどんなに沢山いることか!――ところで、魂をば怪物のように作り上げるのが肝心なのです。コンプラキコスの手口でもって、ね! 自分の面へ疣(いぼ)を植えつけて置いて、そいつを育てあげる人間を御想像下さい。

 「見者」たるべし、「見者」となるべし、と私は云うのです。
 「詩人」はあらゆる感覚の、久しい、宏大(こうだい)な、熟考された不羈(ふき)奔放化によって「見者」となるのです。恋愛の、苦悩の、狂気のありとあらゆる形式です。己(おの)れ自身を探し求め、己れの裡(うち)にある一切の毒物を汲(く)み尽し、その精髄のみを保存するのです。口舌に尽し難い苦悩、その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、その時こそあらゆる人々の中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪(のろ)われ人となり、――果ては至上の「学者」となる! なにしろ彼は未知のものに達しているからである! それも既にいかなる魂にも増して豊穣(ほうじょう)だった自分の魂を自ら耕したからである。彼は未知のものに達したのである。そして気も錯乱して遂には自分の幻像が理解出来なくなった時、彼は正しくその幻像を見たわけです! 数限りない前代未聞の事物による跳躍のなかで、くたばるならくたばるがよい。他の恐るべき労働者たちがその代わりにやって来るだろう。他方が倒れた地平線から彼等は仕事をやり始めることだろう。

 ――後(あと)六分間の御辛抱――

 ここへ「本文以外の」第二の聖歌を挿入します。耳をよくすませてお聞き願い度い。そうすれば誰でも惚(ほ)れ惚(ぼ)れとなるでしょう。手は楽弓(ゆみ)をもちました。さあ、始めよう。

   わが小さき恋人たち

涙の香水は洗う
 緑のキャベツの空を。
 汝(なれ)のゴムに涎(よだれ)をたらす。
嫩芽(どんが)ふく樹の下影で

なみならぬ月の白き
 円きかさつけて
膝覆(ひざおお)い衝き合せよ
 わが醜女(しこめ)ら。

あの時は互に好きつ好かれつ
 青き醜女よ
たがいに食ったことが! 半熟卵と
 それに はこべ!

ある夜、汝はわれ詩人と崇めぬ
 ブロンドの醜女よ
 降り立ち来よ 笞(むち)うたん
膝の上で!

われは汝(いまし)髪油(あぶら)を口より吐きぬ
 黒き醜女よ
汝のおでこで断ち切るやも知れじ
 わがマンドリンの糸を。

ああ鼻持ちならぬ! 乾ききった互いの唾(つば)
 赤茶毛の醜女よ
今もなお 臭気を放つ
 まろき 汝の乳房の壕(くぼみ)

ああ わがいとしき女(もの)よ
 憎しも憎し!
苦しみの吐息もて覆いかぶせよ
 なれの穢(けが)れたる乳房を!

わが感情(こころ)の古ぼけた鉢をば
 足にて踏みつけよ
いざ飛べよ――わが舞姫となれ
 ひと時の間を!……

汝の肩甲骨(けんこうこつ) はずれて
 ああ 恋しきものよ!
びっこひく汝の腰に星はかがやき
 まわれやまわれ!

その肩肉に捧げんためか
 わが詩にて詠みしは
汝の腰 われ砕かばや
 愛せしものの!

射損ねた色褪せし無数の星々よ
 隈(くま)なく空にちりばめろ!
――愚劣なる配慮を背負い込み
 くたばり果てて神となれ!

円きかさつける
 なみならぬ月の下に
膝覆い衝き合せよ
 わが醜女ら

この通りです。ところで、郵税六十セント以上を貴方に支払わせてよければ――なにしろ哀れにも茫然(ぼうぜん)たる僕は、七ヶ月来銅貨一枚手にしたこともない始末です!――更に「巴里の愛人たち」十二音綴(つづ)詩百節と「巴里の死」の十二音綴詩二百節をお目にかけられるのですが!――ふたたび講釈にかかりましょう。

だから、詩人は正に火を盗み出す者です。

思いつくままを
ランボーはしゃべりまくっている感じですが
これが、単なるおしゃべりではないことは明らかでしょう。

ランボーは
一つの「仕事」といってよいほどの力作を
友人に書き送っているのです。

これは
詩人の仕事です。
パリ彷徨の中で
ランボーは
詩から離れたことはなかったのですから。

ドメニー宛の書簡は
ここまでで3分の2ほどです。

(つづく)

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2012年2月27日 (月)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその4

ランボーが「Bateau ivre」を作ったのは
パリ・コンミューンが労働者側の敗北に終わって後の
ポール・ヴェルレーヌに初めて会うまでの間、
1871年9月と推定されています。

この期間にランボーは
後に「見者(ボワイヤン)の美学」として広く知られることになる
独特の詩論を固めて
知人・友人宛の書簡の中で展開しますから
「Bateau ivre」と「見者の詩学」は
同じ時期に書かれたことになります。

書簡の一つが
1871年5月13日付けで
旧師ジョルジュ・イザンバールへ
もう一つが5月15日付けで
文学上の友人ポール・ドメニーへ宛てられました。
ここでドメニー宛の書簡を読んで
ボワイヤンについて少しだけ知っておくことにしましょう。

二つの書簡は
同一のことを相手の違いを配慮して展開しているようで
イザンバール宛で概念的に短く提示した見者論を
ドメニー宛で詳しく説明的に提示したものという解釈が普及しています。
(西条八十など。)

いま、比較的に手に入りやすいものとして
「ランボー全詩集」(鈴木創士訳、河出文庫)、
「ランボーの手紙」(祖川孝訳、角川文庫)や
「ランボー詩集」(鈴村和成訳編、思潮社)などがありますが
初版発行日が最も古い祖川孝訳で読みます。

以下、引用になりますが、長いので何度かに分割します。

ポール・ドメニー宛(在ドゥエ)
                            シャルルヴィル 1871年5月15日

 新しい文学について一時間ばかし油を売ることにしました。ひきつづき際物の聖詩から始めます。

 巴里の軍歌

春の胸のすく清らかさ、そは
緑したたる所有物(すべてのもの)の心から飛び立ち
ティエールとピキヤアルの飛翼が
覆なき耀(ひかり)を放っているからだ。

おお 五月! 露(あらわ)な臀部(でんぶ)の なんたる狂おしさよ!
シェヴル、ムゥドン、バニュウ、アスニエール
いざ 耳傾けよ 客人(まろうど)たちの
春のもの蒔(ま)く音に!

彼らの持ちものといえば軍帽、サーベル、銅鑼(どら)
古ぼけた蝋燭(ろうそく)箱こそないけれど。
快走船は 手ぶらで 走る……
くれないの水たたえる湖をかきわけ

あなたにえし 未明(あけがた)に
黄なる荒玉
わが茅屋(ぼうおく)に降りそそげば
われらは ためしなき程に 浮れ騒ぐ。

ティエールとピキヤアルはエロス
向日葵(ひまわり)の掠奪者。
石油(あぶら)でもって コロオを画く
彼らが流儀の出来損ね……

彼らは大山師の眷者一族……
しかも、花菖蒲の中に伏してファブルは
水しぶきのように眼をばまばたき
胡椒(こしょう)で鼻をびくつかせる。

石油(あぶら)のシャワーをそそげども、
都大路の舗道(ほどう)はなおも熱し、
そこで、われらは思い切って
役目にあるおん身を授けねばなるまい……

長い間、うずくまって
のうのうとしている田舎者めら、
赤い潰滅(かいめつ)の中で
小枝の折れるのを聞くだろう。

 次に、詩の将来についての散文はこうです。

 古代詩はすべてギリシア詩、すなわち調和ある生活に帰着します。
 ギリシアから浪漫主義運動まで――つまり中世には――幾多の文学者なり作詩家なりが輩出しています。エニイウスからテロデュス、テロデュスからジィミイル・ドゥラヴィーニュに至る間、どれをあげても韻文化された散文であり、戯れごとであり、数かぎりない馬鹿者の世代の無気力と光栄とです。――ラシーヌは純粋で、力強くまた大きい――万一、彼の韻律が吹き消され、半句が乱されでもしていたら、今日では「聖なる愚者」も起原時代の最初に現れた作者と同じく、まったく知られずにいたことだろう。ラシーヌ以後はその戯れごとも黴(かび)が生えて来ます、こいつは正に二千年つづいたのです!

 冗談でも逆説でもございません。理性の力によって、私はこの問題について、「若きフランス」が嘗てそれほどの忿懣を感じたことはなかったほどの確信を懐かされたのです。それに、先人を嫌悪するのは新人たちの自由です。なにをしようと気随気儘(きまま)で、こっちには時間がある。

 浪漫主義は、曾て正しく批判されたことがありません。誰がそれを批判したでしょう。批判家がです! では、浪漫主義者はどうだろう! これは歌が作品――即ち、歌い手によって歌われ理解された思想――である場合が実に稀(ま)れであることを充分証明している連中です。

 かく申し上げるについては「わたし」と云うのは一人の「他人」だからです。銅が喇叭(らっぱ)になり変ったところで、銅になんの落度もございますまい。話は至極簡単明瞭(めいりょう)です。わたしは今や思想の開化の席に臨んでいます。それを眼に凝し、それに耳をすましています、そして楽弓(ゆみ)を一ゆみひけばシンフォニーはあの深淵(しんえん)の中で律動を始め、或(あるい)はいきなり舞台の上に躍り出るのです。

まずは、
コミューン体験を歌った自作詩が披瀝されます。

もうすでに
ランボーのコンミューンへの熱情は冷めているようです。

そして、詩の未来について述べるのですが
それを述べるために
詩の歴史についてひとくさりをやるのです。
相手が、文学志向の強い友人ドメニーのことですから
ランボーの思う存分が展開されていきます。

「私は一つの他人」――。
有名な一節が現れました。

(つづく)

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2012年2月26日 (日)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその3

中原中也が「ダダイスト新吉の詩」を
京都丸太町の古書店で見つけ
「中の数篇に感激」したのは
大正12年(1923年)の秋で
富永太郎が京都に遊びに来たのが
翌大正13年の夏のことでした。

富永の口からランボーの名前が出たとき
中原中也が目を輝かせたことは
想像に難くはありません。

小林秀雄が
東京・神田の街の本屋の店頭で
メルキュウル版「地獄の季節」を手にしたのは
小林が23歳の時と本人が書いていますから
1925年(大正14年)のことでしたが
ランボーの名前を知ったのは
それ以前のことであった可能性があります。

「ランボオⅢ」の中で
小林秀雄は「地獄の季節」との邂逅を
「どんなに烈しい爆薬が仕掛けられていたか、僕は夢にも考えてはいなかった。而も、
この爆弾の発火装置は、僕の覚束ない語学の力なぞ殆ど問題ではないくらいに敏感
に出来ていた。(略)僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。」と
記しています。

「ランボオという事件」のはじまりですが
中原中也の場合も小林秀雄の場合も
ここに富永太郎の存在が大きな影を引いています。

この頃
中原中也のフランス語の力は
小林秀雄とさほど差はなかったように見えますが
帝大仏文科に在学している小林と
東京に出て来たばかりの中原中也との間に
文学関係から一般的な生活に関してまで
入ってくる「情報」は歴然とした差があってもおかしくはありません。

「酔ひどれ船」を
中原中也が初めて読んだのは
富永が京都に来て直後のこととですが
フランス語の学習を始めてもいない頃で
翻訳でランボーの詩を読むほかにありませんでした。

柳沢健訳の「酔ひどれの舟」が
大正3年に刊行された詩集「果樹園」の中に訳出されているほかに
上田敏の未定稿が
大正12年発行の「上田敏詩集」にあり
中原中也はこれを
3回筆写したことが分かっています。

この筆写は
大正13年秋から同15年の間に行われてことが推定されています。

同時代訳としてこのほかに
金子光晴訳の「よいどれの舟」が大正14年(1925年)に
小林秀雄訳の「酩酊船」が昭和6年(1931年)に
堀口大学訳の「酔ひどれ船」が昭和9年(1934年)に発表されるのですが
中原中也は
ヴェルレーヌの「アルチュール・ランボー」を訳しながらも
「酔ひどれ船」の翻訳を完成することはありませんでした。
(※翻訳に取り組んだことは確実です。)

このような経過をとり
「酔つた船」として
前川佐美雄が主宰する「日本歌人」に発表されたのは
昭和10年3月号上になります。

この間、建設社版「ランボオ全集」のために
昭和9年9月から翌10年3月末の間を
ランボーの詩篇の翻訳に専念しましたから
この時に、「酔つた船」の翻訳を進めたことが推測されます。

前川佐美雄を中原中也に紹介したのは
「ダダイストの新吉の詩」の作者、あの高橋新吉でした。

中原中也と高橋新吉は
ダダイズムを通じたのと同じ程度に
ランボーを通じての交感(交流)が
ずっと継続していたということになります。

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2012年2月25日 (土)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその2

中原中也訳の「酔ひどれ船」Bateau ivreには
いくつかの逐次形が存在し
題名も1度変わりました。

逐次形(ちくじけい)というのは
草稿や発表形が複数ある場合のうち
それぞれに異同や異文があれば
それぞれを示す形態のことです。

現存する草稿や、
新聞・雑誌・詩集へ発表した
その時々の作品の形は
その時々に加筆され、訂正されることが普通にありますが
このような推敲によって出来た時系列の形が
逐次形です。

「酔ひどれ船」は、第3次形態までが存在し
第2次形態は、草稿と発表形が存在しますし、
題名も、第1次形態では、
「酔つた船」でした。

このことを
制作年、発表誌などを整理して
もう少し詳しく見ると

第1次形態 「日本歌人」昭和10年(1935)1月13日制作(推定)
第2次形態 ①草稿 昭和10年11~12年(推定)
        ②「ランボオ詩抄」昭和10年12月~同11年(1936)6月制作(推定)
第3次形態 「ランボオ詩集」昭和11年6月~同12年8月28日(推定)
(「新編中原中也全集 第3巻 翻訳解題篇」より)

――などとなっています。

中原中也と「酔いどれ船」との出会いについては
このブログでもざっと触れていますが
(※2011年7月23日「ランボー・ランボー<1>上田敏訳の「酔ひどれ船」など)
「大正13年夏富永太郎京都に来て、彼より仏国詩人等の存在を学ぶ」と
中原中也本人の書いた小自伝「詩的履歴書」の1節が
引き合いに出されて説明されるのが一般的です。

そのことはそれで結構なのですが
ここでは、
中原中也がランボーの名を初めて知ったのは
これより前の「ダダイスト高橋新吉の詩」の中でのことだったことに
触れておきましょう。
案外、知られていないようですから。

「ダダイスト高橋新吉の詩」は
1923年(大正12年)に中央美術社という出版社から発行されるのですが
その巻頭に「跋」として
やはりダダイストとして知られる辻潤の寄稿があり
その中に
「新吉はたしかに和製ランボーの資格があるが、あいにく己がヴェルレイヌでないことは甚だ遺憾だ」などと
新吉を案内しています。
これを、中原中也が読んだことは間違いのないことなのです。

大岡昇平の中原中也伝が
富永太郎からの影響を強く訴えたために
このことは影をひそめた印象ですが
富永太郎から教わる前に
中原中也がランボーを
名前だけでも知っていたという事実は
記憶に留めておかなくてはなりません。

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2012年2月24日 (金)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivre

ようやく「酔ひどれ船」Bateau ivreにたどり着きました。
中原中也訳「ランボオ詩集」では
16番目にある詩で
1度、2011年8月22日から4回に分けてこのブログで連載した
「ランボー・ランボー 中原中也の「酔ひどれ船」を読む」で読んでいますが
ここでそれを、もう一度、一挙に読んでおくことにします。
以下再録のものです。

ランボーの詩ってどんなものだろうと
はじめて関心をいだいた読者が
早い時期に「酔いどれ船」を手に取ることは間違いありません。

「酔いどれ船は
冒頭の1連で
赤い肌をした無頼漢どもが
船を操る水夫たちに代わって
舵を取ることになった航海のはじまりが告げられるのですが
そのはじまりを告げる「私」が
この「船」であることに気づくまでに
しばらくの時間がかかるような晦渋な詩です。

赤肌人とは海賊かなにかで
これまで船を操っていた曳船人を捕まえては裸にして
色鮮やかな棒杭に縛りつけてしまいます。
縛りつけるというより
釘付けにしてしまうというのですから
かなり荒っぽい残虐なイメージで
船に革命が起きたことを表現するのです。

これが
4行構成の第1連で
この、酔っ払ったような航海を
「酔いどれ船」というタイトルで
全部で25連にわたって記述していきます。

はじめは
大河を下る船ですが
いつしか
大洋をあてどなく漂流する船になり
フラマンの小麦やイギリスの棉花を運ぶ任務もなくなり
舵も錨もない
解放された航海が続くことになります。

第2連

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

ここの「私」は
「船」です。
フラマンの小麦や
イギリスの綿花を運ぶ仕事なんて
どうでもよかった
曳船人たちの騒動がおさまってから
(曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは)
河は思うがまま航行させてくれたのだ、と読みます。

波が荒れ狂う中を、過ぎ去った冬のこと
子どもの頭よりもきかんぼうに漂ったことがあったっけ!
(「聾乎(ぼつ)として」は「聞き分けのない」の意味の中也的翻訳です。)
滅茶苦茶に漂流しまくった、って感じ。
怒涛の波に洗われる半島の周辺といえども
その時ほど荒れ狂ったことはない、凄まじい動乱だったさ。

嵐は私=船の警戒ぶりを褒めたたえたよ。
浮きよりも軽々と波間におどったもんだ
それまで犠牲になった者たちを永遠にもてあそんでいる波の間に放り出されて
幾夜も幾夜も艫(とも)の灯に目が疲れるなんてことも気にならなかった

子どもが食べるすっぱいリンゴよりしんみりした
(「しんみり」は「熟す」で「甘酸っぱい」の意味か、ここも中也らしい。)
緑の海水は樅(もみ)の木でできた船体に染み込むことだろう
安酒アブサンやゲロの痕が、舵も錨もなくなった私=船にやたらと刻まれることになった。
(船がアルコール臭のするゲロの臭気で満ちていた)

その時からだ、(真に)海の歌を浴びたのは。
星をちりばめたミルクのような夜の海に
生々しくも船の吃水線が青ずんで、緑の空に溶け込みそうなところを
丁度、一人の水死人が、何か考え込むように落ちて行く。

そこにたちまちにして蒼―い(あおーい)色が浮かび、おどろおどろしく
また太陽のかぎろいがゆるゆるしはじめる、その下を
アルコールよりもずっと強く、オルゴールよりも渺茫として
愛執の、苦い茶色が混ざって、漂ったのだ!
(青、緑のグラデーションに、黄色、赤、茶色……の眩暈!)

私=船は知っている。稲妻に裂かれる空、竜巻を
打ち返す波、潮を。夕べを知っている、
群れ立つ鳩に、上気したようなピンクの朝日を、
また、人々がおぼろげに見たような(幻を)この目で見た。

落日は、不可思議なるものの畏怖に染まり
紫色の長い長い塊(かたまり)を照らし出すのは
古代ギリシアの劇の俳優たちか
巨大な波が遠くの方で逆巻いている。

ここまでで
全詩の3分の1を少し行ったところです。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

これは「酔ひどれ船」の第10連で
大洋に出た船が
猛(たけ)り狂う現実の海のさ中にあって
目も眩(くら)むばかりの雪が降り積もった緑の夜を
夢に見る、という展開を見せるくだりです。

雪の白が夜の中で緑を帯びる眩(まばゆ)い光景に
接吻(くちづけ)が海の上にゆらりゆらりと立ち昇ってくる
(というのは、太陽が昇ってくる朝の景色でしょうか)
かつて聞いたこともない生気がぐるぐると循環し
歌うような(赤い)燐光は青や黄色に映えていっそう鮮烈さを増した

大海原に雪が降り積もり緑色を帯びている夜の夢が
太陽の昇るシーンへ場面転換し
めくるめく色彩の乱舞するサンライジングのあざやぎ!

(「あざやぐ」は、中原中也がよく使う造語です。「あゝ! 過ぎし日の 仄燃えあざやぐ
をりをりは」の例が「含羞」にあるほかにも、いくつかが使われています。)

私=船は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小屋に似た大波が暗礁にぶつかっていくのに
もしもあの光り輝くマリアの御足が
お望みとあらば大洋に猿轡(さるぐつわ)をかませ給うたままであったのにも気付かずに。

船は衝突した、世にも不思議なフロリダ州
人の肌の色をした豹の目は、群れなして咲く花々にまじって
手綱のように張り詰めた虹は遙か彼方の沖合いで
海の緑の色をした畜獣の群れに、混ざり合っている。

私=船は見た、沼かと見間違えそうな巨大な魚簗(やな)が沸き返り
そこにリバイアサンの仲間が草にからまり腐ってゆき
凪の中心に海水は流れ込み
遠くの方の深みをめがけて滝となって落ちているのを。

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠(オキ)のような空
褐色の入江の底にはぞっとする破船の残骸
そこに大蛇(おろち)が虫の餌食になって
くねくねと曲がった木々の枝よりもどす黒い臭気を放って死んでいた。

子どもらに見せてやりたかった、碧い波に浮いている鯛や
そのほか、金色の魚、歌う魚
(漚=オウの花とは「泡沫」がかなり近い言葉でしょうか)
泡沫=うたかたは、私=船の漂流を祝福し
なんともいえない風が吹いて時々は航行を進めてくれるのだった。

ここで第15連までです。
あと残り10連あります。

論理的にだけ捉えようとすると
ランボーの詩は
するりと指の間から滑り落ちていってしまうかもしれませんから
説明を省いて
読者個人個人の想像力にまったほうがよいことが多々あるようです。

時には地極と地帯にあき果てた殉教者さながら海は
すすり泣いて私=船をあやしなだめ
黄色い吸い口がある仄暗い花をかざして見せた
その時私=船は立て膝をつく女のようであった。

半島が近づいて揺らぎ金褐色の目をした
怪鳥の糞を撒き散らす
こうしてまた漂流してゆけば、船のロープを横切って
水死体が幾つも後方に流れて行ったこともあった……

私=船でさえ浦という浦で乱れた髪に踏み迷う有様で
鳥も棲まない大気までもハリケーンによって投げられたら
モニター艦もハンザの船も
水に酔っ払ってしまった私=船の死体を救出してくれることもないだろう、

思うままに、煙を吹き出し、紫色の霧を吐き上げて
黒い海馬に守られて、狂った小舟は走っていた
7月が、丸太棒を打つかのように
燃える漏斗形の紺青の空を揺るがせた時、
(夏の海の紺青の空が「ロート」の形に捉えられたのです。)

私=船は震えていた、50里の彼方で
ベヘモと渦潮(メールストローム)が発情する気配がすると
ああ永遠に、青く不動の海よ
昔ながらの欄干にもたれるヨーロッパが恋しい!
(「欄干」も中原中也に詩に出てきます。)

私=船は見た! 天を飛ぶ群鳥を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流者たちに開放されていた
底知れぬこんな夜に眠ってはいられない、もういないのか
おお、百万の金の鳥、未来よ! 精力よ!

だが、思えば私=船は慟哭し過ぎた。曙光は胸を抉(えぐ)り
月はおどろしく太陽は苦かったから。
どぎつい愛は心をとろかして私=船をいかせてしまい縛りつけてしまった。
おお! 竜骨も砕けてしまえ、私=船も海に沈んでしまおう!

もし私=船がヨーロッパの水を欲しているとしても、それはもはや
黒い冷たい林の中の池水で、そこに風薫る夕まぐれに
子どもは蹲(しゃが)んで悲しみでいっぱいになって、放つのだ
5月の蝶とかいたいけない笹小舟。

おお波よ、ひとたびお前の倦怠(けだい)にたゆたっては
棉船の水脈をひく航跡を奪ってしまうわけにもいかず
旗と炎の驕慢を横切りもできず
船橋の、恐ろしい眼の下を潜り抜けることも出来ないってことなのさ。
(「倦怠」も、ここでは「けだい」と読みました。多少なりとも、「倦怠」でランボーと中原中也がクロスします。)

無理やりに整合性を取ろうとして
語句と語句、詩句と詩句を結びつけようとしては
ランボーを壊しかねない、というスタンスを
求められるような読みになります。

飛躍、省略、矛盾……は
四角四面の石頭に心地よく響くはずです。

めくるめく万華鏡……。
色彩の天国地獄……。
想像の変幻無限……。

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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2012年2月22日 (水)

中原中也が訳したランボー「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsその4

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsの
第6節(=Ⅵ)へ読み進みます。

この詩は、
ランボーの韻文の中では
1、2を争う長いものですから
休み休み読まないと息が切れそうですが、
時折り、目の覚めるような場面や詩句にぶつかり、
凄まじくテンション(緊張)の高い言語空間が
延々と持続していることに
あらためて気づかされることになります。

第6節は2連で
聖なる日=聖体拝受の前夜に
少女が厠(かわや・トイレ)で過ごしたことを歌います。

なぜ厠なのでしょうか?

ここに(だけではないのですが)
この詩が歌おうとしているものが凝縮し
シンボライズされているものが存在します――

それが分かれば
ランボーの詩をより深く
そして、初めてランボーの詩を味わうというレベルに到達できそうですが
まだまだ、そこへ行き着くためには
時間を費やさねばならない所にいます。

彼女は、彼女の聖なる夜をトイレの中で過ごしました。
ロウソクの火がともる所、屋根の穴ともいうべき所に向けて
白い気体は流れていました、青銅色の実をつけた野葡萄の木は
隣家の中庭のこっちをこっそりと抜けられるように通じているのでした。

天窓は、ほのぼの明るい火影の核心
窓窓の、ガラスに空がひっそりとメッキしている中庭の中
敷石は、アルカリ水の匂いがして
黒い眠気でいっぱいの壁の影を甘んじて受けているのでした……

第7節(=Ⅶ)は1連だけの節です。
ここでは詩の「地」が現われ
詩人が直接に歌っているように受け取れます。

誰か恋のやつれや浅ましい恨みを口にするものがいますかってんだ
また、潔い人をも汚すというあの憎しみが
もたらす行為を言うものですかってんだ、おお、汚らわしい狂人ら、
折りも折り、あの癩が、こんなやさしい肉体を食らおうとするその時に……

第8節(=Ⅷ)になって
また、一歩引いた感じの描写に戻るようですが
《 》に少女の生の言葉が入り、
この詩が遠まわしにしか歌ってこなかったキリストへの反感を
少女の悲痛な叫びとして直(ぢか)に表出し
最大のヤマとなります。

さて彼女に、ヒステリックな錯乱がまたも起きますというと
彼女は目の当たりにするのです、幸福な悲愁の思いに浸りつつ、
恋人が真っ白な無数のマリアを夢見ているのを、
愛の一夜の明け方に、とても悲痛な面持ちで。

《ご存知? あたいがあなたを亡くさせたのです。あたいはあなたの口と心を、
人の持っているすべてのもの、ええ、あなたのお持ちのすべてのものを
奪ったのでした。そのあたいは病気です、あたいは寝かせてほしいのです
夜の水で水飼われるという、死者たちの間に、あたいは寝かせて欲しいのです

《あたいはわかったのです、キリスト様はあたいの息吹きをお汚しになった、
その時あたいは憎しみが、喉までこみあげましたのです!
あなたはあたいの羊毛と、深い髪の毛にキスしました、
あたいはなされるがままになっていた……ああ、行ってちょうだい、その方がよろしい
のです、

男の方々は! 愛情こまやかな女というものが
汚い恐れを感じる時は、どんなにか辱められ、
どんなに傷められるものであるか、お気づきにならない
またあなたへの熱中の全てが不品行であることにお気づきにならない!

《だって、あたいの最初の聖体拝受は執り行われました。
あたいはあなたのキスを、お受けすることは出来ません、
あたいの心と、あなたがお抱きになったあたいの体は
イエス様の腐ったキスでウヨウヨしています!》

第8節の第1連以外は
少女の独白(=モノローグ)ですが、
詩人が語らせているものですから
ランボーの表明ということになります。
(※第2、3連に二重パーレンの受けがなく、第4連には、始まりも受けもないのは、原
詩の「クオーテーション" "」の表記と同様です。)

こうして、ついに
最終節の2連に入ります。
この期に及んで
キリストへ呼びかけるのは
この詩の作者ランボー。
面と向かって
キリストに語りかけます。

かくて敗れた魂と悲しみ悶える魂は
キリストよ、貴様の呪詛が滔々と流れ流れるのを感じるのです、
――男らは、貴様の不可侵の憎しみの上に止まっていた、
死の準備のためにといって、真正な情熱を逃れることによって、

キリストよ! 貴様は永遠の精力の略奪者、
父なる神は2000年もの間、貴様の蒼白さに捧げさせたというわけか
恥と頭痛で地に縛られて、
動転している、女らのひどく悲しげな額を。

 *
 最初の聖体拝受

     Ⅰ

それあもう愚劣なものだ、村の教会なぞといふものは
其処に可笑をかしな村童の十四五人、柱に垢をつけながら
神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聴いてゐる、
まこと奇妙な墨染の衣、その下では靴音がごそごそとしてゐる。
あゝそれなのに太陽は木々の葉越しに輝いてゐる、
不揃ひな焼絵玻璃(やきゑがらす)の古ぼけた色を透して輝いてゐる。

石は何時でも母なる大地を呼吸してゐる。
さかりがついて荘重に身顫ひをする野原の中には
泥に塗(まみ)れた小石の堆積(やま)なぞ見受けるもので、
重つたるい麦畑の近く、赫土の小径の中には
焼きのまはつた小さな木々が立つてゐて、よくみれば青い実をつけ、
黒々とした桑の樹の瘤(こぶ)や、怒気満々たる薔薇の木の瘤、

百年目毎に、例の美事な納屋々々は
水色か、クリーム色の野呂で以て塗換へられる。
ノートル・ダムや藁まみれの聖人像の近傍に
たとへ異様な聖物はごろごろし過ぎてゐようとも、
蠅は旅籠屋や牛小舎に結構な匂ひを漂はし
日の当つた床からは蠟を鱈腹詰め込むのだ。

子供は家に尽さなければならないことで、つまりその
凡々たる世話事や人を愚鈍にする底の仕事に励まにやならぬのだ。
彼等は皮膚がむづむづするのを忘れて戸外(そと)に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今し効験顕著(あらたか)な手をば按(お)かれたのだ。
彼等は司祭様には東屋の蔭濃き屋根を提供する
すると彼等は日焼けした額をば陽に晒させて貰へるといふわけだ。

最初(はじめて)の黒衣よ、どらやきの美しく見ゆる日よ、
ナポレオンの形をしたのや小判の形をしたの
或ひは飾り立てられてジョゼフとマルトが
恋しさ余つて舌(べろ)を出した絵のあるものや
――科学の御代にも似合(ふさ)はしからうこれらの意匠――
これら僅かのものこそが最初の聖体拝受の思ひ出として彼等の胸に残るもの。

娘達は何時でもはしやいで教会に行く、
若い衆達から猥(わい)なこと囁かれるのをよいことに
若い衆達はミサの後、それとも愉快な日暮時、よく密会をするのです。
屯営部隊のハイカラ者なる彼等ときては、カフヱーで
勢力のある家々のこと、あしざまに云ひ散らし、
新しい作業服着て、恐ろしい歌を怒鳴るといふ始末。

扨、主任司祭様には子供達のため絵図を御撰定遊ばした。
主任司祭様の菜園に、かの日暮時、空気が遠くの方から
そこはかとなく舞踏曲に充ちてくる時、
主任司祭様には、神様の御禁戒にも拘らず
足の指がはしやぎだすのやふくらはぎがふくらむのをお感じになる……
――夜が来ると、黒い海賊船が金の御空に現れ出ます。

     Ⅱ

司祭様は郊外や豊かな町々の信者達の間から
名も知れぬ一人の少女を撰り出しなされた
その少女の眼は悲しげで、額は黄色い色をしてゐた。
その両親は親切な門番か何かのやうです。
《聖体拝受のその日に、伝導師の中でもお偉い神様は
この少女の額に聖水を、雪と降らしめ給ふであらう。》

     Ⅲ

最初の聖体拝受の前日に、少女は病気になりました。
上等の教会の葬式の日の喧噪よりも甚だしく
はじめまづ悪寒が来ました、――寝床は味気なくもなかつた、
並(なみ)ならぬ悪寒は繰返し襲つて来ました、《私は死にます……》

恋の有頂天が少女の愚かな姉妹達を襲つた時のやうに、
少女は打萎れ両手を胸に置いたまゝ、熱心に
諸天使や諸所のエス様や聖母様を勘定しはじめました、
そして静かに、なんとも云へぬ喜びにうつとりするのでありました。

神様!……――羅典の末期にありましては、
緑の波形(なみがた)ある空が朱(あけ)色の、
天の御胸(みむね)の血に染(し)みた人々の額を潤ほしました、
雪のやうな大きな麻布は、太陽の上に落ちかゝりました!――

現在の貞潔のため、将来の貞潔のために
少女はあなたの『容赦(みゆるし)』の爽々(すがすが)しさにむしやぶりついたのでご
ざいますが、
水中の百合よりもジャムよりももつと
あなたの容赦(みゆるし)は冷たいものでございました、おやシオンの女王様よ!

     IIII

それからといふもの聖母ははや書物(ほん)の中の聖母でしかなかつた、
神秘な熱も時折衰へるのであつた……
退屈(アンニユイ)や、どぎつい極彩色や年老いた森が飾り立てる
御容姿(みすがた)の数々も貧弱に見え出してくるのであつた、

どことなく穢らはしい貴重な品の数々も
貞純にして水色の少女の夢を破るのであつた、
又脱ぎ捨てられた聖衣の数々、
エス様が裸体をお包みなされたといふ下著をみては吃驚するのでありました。

それなのになほも彼女は願ふ、遣瀬なさの限りにゐて、
歔欷に窪んだ枕に伏せて、而も彼女は
至高のお慈悲のみ光の消えざらんやう願ふのであつた
扨涎(よだれ)が出ました……――夕闇は部屋に中庭に充ちてくる。

少女はもうどうしやうもない。身を動かし腰を伸ばして、
手で青いカーテンを開く、
涼しい空気を少しばかり敷布や
自分のお腹(なか)や熱い胸に入れようとして。

     Ⅴ

夜中目覚めて、窓はいやに白つぽかつた
灯火(ひかり)をうけたカーテンの青い睡気のその前に。
日曜日のあどけなさの幻影が彼女を捉へる
今の今迄真紅(まつか)な夢を見てゐたつけが、彼女は鼻血を出しました。

身の潔白を心に感じ身のか弱さを心に感じ
神様の温情(みなさけ)をこころゆくまで味ははうとて、
心臓が、激昂(たかぶ)つたりまた鎮まつたりする、夜を彼女は望んでゐました。
そのやさしい空の色をば心に想ひみながらも、

夜(よる)、触知しがたい聖なる母は、すべての若気を
灰色の沈黙(しじま)に浸してしまひます、
彼女は心が血を流し、声も立て得ぬ憤激が
捌(は)け口見付ける強烈な夜(よる)を望んでゐたのです。

扨夜(よる)は、彼女を犠牲(にへ)としまた配偶となし、
その星は、燭火手に持ち、見てました、
白い幽霊とも見える仕事着が干されてあつた中庭に
彼女が下り立ち、黒い妖怪(おばけ)の屋根々々を取払ふのを。

     Ⅵ

彼女は彼女の聖い夜(よる)をば厠の中で過ごしました。
燭火(あかり)の所、屋根の穴とも云ひつべき所に向けて
白い気体は流れてゐました、青銅色の果(み)をつけた野葡萄の木は
隣家(となり)の中庭(には)のこつちをばこつそり通り抜けるのでした。

天窗は、ほのぼの明(あか)る火影(あかり)の核心
窓々の、硝子に空がひつそりと鍍金してゐる中庭の中
敷石は、アルカリ水の匂ひして
黒い睡気で一杯の壁の影をば甘んじて受けてゐるのでありました……

     Ⅶ

誰か恋のやつれや浅ましい恨みを口にするものぞ
また、潔い人をも汚すといふかの憎悪(にくしみ)が
もたらす所為を云ふものぞ、おゝ穢らはしい狂人等、
折も折かの癩が、こんなやさしい肉体を啖(くら)はんとするその時に……

     Ⅷ

さて彼女に、ヒステリックな錯乱がまたも起つて来ますといふと
彼女は目(ま)のあたり見るのです、幸福な悲愁の思ひに浸りつつ、
恋人が真つ白い無数のマリアを夢みてゐるのを、
愛の一夜の明け方に、いとも悲痛な面持(おももち)で。

《御存じ? 妾(あたし)が貴方を亡くさせたのです。妾は貴方のお口を心を、
人の持つてるすべてのもの、えゝ、貴方のお持ちのすべてのものを
奪つたのでした。その妾は病気です、妾は寝かせて欲しいのです
夜(よ)の水で水飼はれるといふ、死者達の間に、私は寝かせて欲しいのです

《妾は稚(わか)かつたのです、キリスト様は妾の息吹をお汚しなすつた、
その時妾は憎悪(にくしみ)が、咽喉(のど)までこみあげましたのです!
貴方は妾の羊毛と、深い髪毛に接唇(くちづけ)ました、
妾はなさるがまゝになつてゐた……あゝ、行つて下さい、その方がよろしいのです、

男の方々(かたがた)は! 愛情こまやかな女といふものが
汚い恐怖(おそれ)を感(おぼ)える時は、どんなにはぢしめられ、
どんなにいためられるものであるかにお気付きならない
又貴方への熱中のすべてが不品行(あやまち)であることにお気付きならない!

《だつて妾の最初の聖体拝受は取行はれました。
妾は貴方の接唇(くちづけ)を、お受けすることは出来ません、
妾の心と、貴方がお抱きの妾のからだは
エス様の腐つた接唇でうようよしてます!》

     Ⅸ

かくて敗れた魂と悲しみ悶える魂は
キリストよ、汝が呪詛の滔々と流れ流れるを感ずるのです、
――男等は、汝が不可侵の『憎悪』の上に停滞(とどま)つてゐた、
死の準備のためにとて、真正な情熱を逃れることにより、

キリストよ! 汝永遠の精力の掠奪者、
父なる神は二千年もの間、汝が蒼白さに捧げしめ給うたといふわけか
恥と頭痛で地に縛られて、
動顛したる、女等のいと悲しげな額をば。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作は、第8節最終連最終行を、「うよ/\してます!」と繰り返し記号で表記して
います。また、原作の「二重パーレン」は、《 》で代用し、ルビは原作にあるもののみ
を( )の中に入れました。編者。

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2012年2月21日 (火)

中原中也が訳したランボー「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsその3

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsは
どんな内容であるかを辿っていくだけでは
詩を味わうこととほど遠いことのようですが
触れてみないことには
詩と出会うことすら出来ませんから
詩の最後まで読んでみます。

このように読んでいることだけでも
いつかは詩を読んだといえるような瞬間があるであろうことを期待して
空しい努力を続けることも
詩を読む楽しさの一つといえばかっこよすぎですが
ランボーの詩のうちの難解なものは
何度も何度も繰り返し読んでも難解のままであり続け
さらに読んでも十分に理解できたかどうか
もやもやとしたものが残ることがありましても
なおまた読もうという欲求が生まれてくるから不思議なものです。

中原中也訳であることが
倍加して繰り返し繰り返し読もうとする欲求を
誘い出しているのかもしれません。

いや
中原中也が訳したランボーであろうとなかろうと
ランボーの詩(の難解なもの)は
繰り返し繰り返し読まなければ済まない
何かがあります、麻薬みたいな。

いや
詩というもの一般が
麻薬のようなものがあるといえるのかも。

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsは
麻薬のような魅力?魔力?麻力? でしょうか――

第5節(=Ⅴ)は
少女が夜中に目を覚まし
いましがた見ていた真っ赤な夢が
鼻血になっている、鼻血に変化していることに気づく場面からはじまります。

夜中の黒が、目覚めて白、
ロウソクの火の黄が、カーテンの青へ、
真っ赤な夢が鼻血……と
色彩豊かなランボー詩の片鱗。

夜中に目覚めると、窓はいやに白っぽかった
灯火を受けたカーテンの青い眠気の前では。
日曜日のあどけなさの幻影が少女を捉える
今の今まで、真っ赤な夢を見ていたっけが、彼女は鼻血を出しました。

身の潔白を心に感じ、身のか弱さを心に感じ
神様のみなさけを心ゆくまで味わおうということで、
心臓が、高ぶったり静まったりする、夜を彼女は望んでいました。
そのやさしい空の色を心に思いイメージしながらも。

夜、触知することが出来ない聖母マリアは、すべての若気を
灰色のしじまに浸してしまいます、
彼女は心が血を流し、声も立てられない憤激が
はけ口を見つける強烈な夜を望んでいたのです。

さて夜は、彼女を犠牲とし、また配偶として
その星は、ロウソクの火を持ち、見ていました、
白い幽霊とも見える仕事着が干されてあった中庭に
彼女が降り立ち、黒いお化けの屋根という屋根を取り払うのを。

(つづく)

 *

 最初の聖体拝受

     Ⅰ

それあもう愚劣なものだ、村の教会なぞといふものは
其処に可笑をかしな村童の十四五人、柱に垢をつけながら
神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聴いてゐる、
まこと奇妙な墨染の衣、その下では靴音がごそごそとしてゐる。
あゝそれなのに太陽は木々の葉越しに輝いてゐる、
不揃ひな焼絵玻璃(やきゑがらす)の古ぼけた色を透して輝いてゐる。

石は何時でも母なる大地を呼吸してゐる。
さかりがついて荘重に身顫ひをする野原の中には
泥に塗(まみ)れた小石の堆積(やま)なぞ見受けるもので、
重つたるい麦畑の近く、赫土の小径の中には
焼きのまはつた小さな木々が立つてゐて、よくみれば青い実をつけ、
黒々とした桑の樹の瘤(こぶ)や、怒気満々たる薔薇の木の瘤、

百年目毎に、例の美事な納屋々々は
水色か、クリーム色の野呂で以て塗換へられる。
ノートル・ダムや藁まみれの聖人像の近傍に
たとへ異様な聖物はごろごろし過ぎてゐようとも、
蠅は旅籠屋や牛小舎に結構な匂ひを漂はし
日の当つた床からは蠟を鱈腹詰め込むのだ。

子供は家に尽さなければならないことで、つまりその
凡々たる世話事や人を愚鈍にする底の仕事に励まにやならぬのだ。
彼等は皮膚がむづむづするのを忘れて戸外(そと)に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今し効験顕著(あらたか)な手をば按(お)かれたのだ。
彼等は司祭様には東屋の蔭濃き屋根を提供する
すると彼等は日焼けした額をば陽に晒させて貰へるといふわけだ。

最初(はじめて)の黒衣よ、どらやきの美しく見ゆる日よ、
ナポレオンの形をしたのや小判の形をしたの
或ひは飾り立てられてジョゼフとマルトが
恋しさ余つて舌(べろ)を出した絵のあるものや
――科学の御代にも似合(ふさ)はしからうこれらの意匠――
これら僅かのものこそが最初の聖体拝受の思ひ出として彼等の胸に残るもの。

娘達は何時でもはしやいで教会に行く、
若い衆達から猥(わい)なこと囁かれるのをよいことに
若い衆達はミサの後、それとも愉快な日暮時、よく密会をするのです。
屯営部隊のハイカラ者なる彼等ときては、カフヱーで
勢力のある家々のこと、あしざまに云ひ散らし、
新しい作業服着て、恐ろしい歌を怒鳴るといふ始末。

扨、主任司祭様には子供達のため絵図を御撰定遊ばした。
主任司祭様の菜園に、かの日暮時、空気が遠くの方から
そこはかとなく舞踏曲に充ちてくる時、
主任司祭様には、神様の御禁戒にも拘らず
足の指がはしやぎだすのやふくらはぎがふくらむのをお感じになる……
――夜が来ると、黒い海賊船が金の御空に現れ出ます。

     Ⅱ

司祭様は郊外や豊かな町々の信者達の間から
名も知れぬ一人の少女を撰り出しなされた
その少女の眼は悲しげで、額は黄色い色をしてゐた。
その両親は親切な門番か何かのやうです。
《聖体拝受のその日に、伝導師の中でもお偉い神様は
この少女の額に聖水を、雪と降らしめ給ふであらう。》

     Ⅲ

最初の聖体拝受の前日に、少女は病気になりました。
上等の教会の葬式の日の喧噪よりも甚だしく
はじめまづ悪寒が来ました、――寝床は味気なくもなかつた、
並(なみ)ならぬ悪寒は繰返し襲つて来ました、《私は死にます……》

恋の有頂天が少女の愚かな姉妹達を襲つた時のやうに、
少女は打萎れ両手を胸に置いたまゝ、熱心に
諸天使や諸所のエス様や聖母様を勘定しはじめました、
そして静かに、なんとも云へぬ喜びにうつとりするのでありました。

神様!……――羅典の末期にありましては、
緑の波形(なみがた)ある空が朱(あけ)色の、
天の御胸(みむね)の血に染(し)みた人々の額を潤ほしました、
雪のやうな大きな麻布は、太陽の上に落ちかゝりました!――

現在の貞潔のため、将来の貞潔のために
少女はあなたの『容赦(みゆるし)』の爽々(すがすが)しさにむしやぶりついたのでございますが、
水中の百合よりもジャムよりももつと
あなたの容赦(みゆるし)は冷たいものでございました、おやシオンの女王様よ!

     IIII

それからといふもの聖母ははや書物(ほん)の中の聖母でしかなかつた、
神秘な熱も時折衰へるのであつた……
退屈(アンニユイ)や、どぎつい極彩色や年老いた森が飾り立てる
御容姿(みすがた)の数々も貧弱に見え出してくるのであつた、

どことなく穢らはしい貴重な品の数々も
貞純にして水色の少女の夢を破るのであつた、
又脱ぎ捨てられた聖衣の数々、
エス様が裸体をお包みなされたといふ下著をみては吃驚するのでありました。

それなのになほも彼女は願ふ、遣瀬なさの限りにゐて、
歔欷に窪んだ枕に伏せて、而も彼女は
至高のお慈悲のみ光の消えざらんやう願ふのであつた
扨涎(よだれ)が出ました……――夕闇は部屋に中庭に充ちてくる。

少女はもうどうしやうもない。身を動かし腰を伸ばして、
手で青いカーテンを開く、
涼しい空気を少しばかり敷布や
自分のお腹(なか)や熱い胸に入れようとして。

     Ⅴ

夜中目覚めて、窓はいやに白つぽかつた
灯火(ひかり)をうけたカーテンの青い睡気のその前に。
日曜日のあどけなさの幻影が彼女を捉へる
今の今迄真紅(まつか)な夢を見てゐたつけが、彼女は鼻血を出しました。

身の潔白を心に感じ身のか弱さを心に感じ
神様の温情(みなさけ)をこころゆくまで味ははうとて、
心臓が、激昂(たかぶ)つたりまた鎮まつたりする、夜を彼女は望んでゐました。
そのやさしい空の色をば心に想ひみながらも、

夜(よる)、触知しがたい聖なる母は、すべての若気を
灰色の沈黙(しじま)に浸してしまひます、
彼女は心が血を流し、声も立て得ぬ憤激が
捌(は)け口見付ける強烈な夜(よる)を望んでゐたのです。

扨夜(よる)は、彼女を犠牲(にへ)としまた配偶となし、
その星は、燭火手に持ち、見てました、
白い幽霊とも見える仕事着が干されてあつた中庭に
彼女が下り立ち、黒い妖怪(おばけ)の屋根々々を取払ふのを。

     Ⅵ

彼女は彼女の聖い夜(よる)をば厠の中で過ごしました。
燭火(あかり)の所、屋根の穴とも云ひつべき所に向けて
白い気体は流れてゐました、青銅色の果(み)をつけた野葡萄の木は
隣家(となり)の中庭(には)のこつちをばこつそり通り抜けるのでした。

天窗は、ほのぼの明(あか)る火影(あかり)の核心
窓々の、硝子に空がひつそりと鍍金してゐる中庭の中
敷石は、アルカリ水の匂ひして
黒い睡気で一杯の壁の影をば甘んじて受けてゐるのでありました……

     Ⅶ

誰か恋のやつれや浅ましい恨みを口にするものぞ
また、潔い人をも汚すといふかの憎悪(にくしみ)が
もたらす所為を云ふものぞ、おゝ穢らはしい狂人等、
折も折かの癩が、こんなやさしい肉体を啖(くら)はんとするその時に……

     Ⅷ

さて彼女に、ヒステリックな錯乱がまたも起つて来ますといふと
彼女は目(ま)のあたり見るのです、幸福な悲愁の思ひに浸りつつ、
恋人が真つ白い無数のマリアを夢みてゐるのを、
愛の一夜の明け方に、いとも悲痛な面持(おももち)で。

《御存じ? 妾(あたし)が貴方を亡くさせたのです。妾は貴方のお口を心を、
人の持つてるすべてのもの、えゝ、貴方のお持ちのすべてのものを
奪つたのでした。その妾は病気です、妾は寝かせて欲しいのです
夜(よ)の水で水飼はれるといふ、死者達の間に、私は寝かせて欲しいのです

《妾は稚(わか)かつたのです、キリスト様は妾の息吹をお汚しなすつた、
その時妾は憎悪(にくしみ)が、咽喉(のど)までこみあげましたのです!
貴方は妾の羊毛と、深い髪毛に接唇(くちづけ)ました、
妾はなさるがまゝになつてゐた……あゝ、行つて下さい、その方がよろしいのです、

男の方々(かたがた)は! 愛情こまやかな女といふものが
汚い恐怖(おそれ)を感(おぼ)える時は、どんなにはぢしめられ、
どんなにいためられるものであるかにお気付きならない
又貴方への熱中のすべてが不品行(あやまち)であることにお気付きならない!

《だつて妾の最初の聖体拝受は取行はれました。
妾は貴方の接唇(くちづけ)を、お受けすることは出来ません、
妾の心と、貴方がお抱きの妾のからだは
エス様の腐つた接唇でうようよしてます!》

     Ⅸ

かくて敗れた魂と悲しみ悶える魂は
キリストよ、汝が呪詛の滔々と流れ流れるを感ずるのです、
――男等は、汝が不可侵の『憎悪』の上に停滞(とどま)つてゐた、
死の準備のためにとて、真正な情熱を逃れることにより、

キリストよ! 汝永遠の精力の掠奪者、
父なる神は二千年もの間、汝が蒼白さに捧げしめ給うたといふわけか
恥と頭痛で地に縛られて、
動顛したる、女等のいと悲しげな額をば。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作は、第8節最終連最終行を、「うよ/\してます!」と繰り返し記号で表記しています。また、原作の「二重パーレン」は、《 》で代用し、ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月20日 (月)

中原中也が訳したランボー「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsその2

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsは
第2節へ入り
教会の司祭様が
信者たちの中から一人の少女を選んで
聖水を与えたことを歌いますが
この少女の眼が悲しげで、黄色い額をしていて
両親は親切な門番かなにかの職業であることを明らかにしただけで
1連で終ってしまい
第3節へと進みます。

最初の聖体拝受の日の前日に、この少女は病気になりました。

――と、この詩のタイトルである最初の聖体拝受が
この少女に行われたことがわかるのですが
ここでランボーがこの詩の主人公を
男の子にしないで少女にすることで
自伝的な、事実の記録と解釈されることを回避しました。

そうであっても
少女がランボーの分身であることを否定するものは何もなく
キリストの犠牲になった可哀想な少女を歌うことによって
ランボーはキリストへの反逆を表明していることに変わりありません。

最初の聖体拝受の前の日に、少女は病気になりました。
教会の上等の葬式の日の喧噪よりも甚だしく
はじめは先ず悪寒が来ました、――ベッドは味気なくもなかったし、
並ではない悪寒は繰り返し襲って来ました、((私は死にます……))

まるで、恋の有頂天が少女の愚かな姉妹たちを襲ったときのように、
少女はうち萎れ、両手を胸に置いたまま、熱心に
色々な天使や色々な所のイエス様や聖母マリア様を数えはじめました、
そして静かに、なんともいえない喜びにうっとりするのでした。

神様! ……――ラテンの末期にありましては、
緑の波形のある空が朱色の、
天の御胸の血に染まった人々の額を潤しました、
雪のような大きな麻布は、太陽の上に落ちかかりました!――

現在の貞潔のために、将来の貞潔のために
少女はあなたのみゆるしのすがすがしさにむしゃぶりついたのでございますが、
水中の百合の花よりも、ジャムよりももっと
あなたのみゆるしは冷たいものでございました、おやシオンの女王様よ!

大いなる日を迎える前の日に
少女が病気にかかってしまい
神に祈って心休まるのですが
みゆるしは冷たいものでした。

ここまでが
第3節。

それからというもの聖母はもはや書物の中の聖母でしかなかった、
神秘な熱も時々衰えるのだった……
アンニュイ(倦怠)や、どぎつい極彩色や老いた森が飾りたてる
みすがたの数々も貧弱に見え出してくるのだった、

どことはなく汚らわしい貴重な品の数々も
貞純で水色の少女の夢を破るのだった、
また脱ぎ捨てられた聖衣の数々、
イエス様が裸体をお包みになされていた下着をみてはびっくりするのでありました。

それなのになお彼女は願う、やるせなさの極みにいて、
すすり泣いて窪んだ枕に伏せて、しかも彼女は
至高のお慈悲のみ光が消えないように願うのだった
さて、涎が出ました……――夕闇は部屋に中庭に充ちてくる。

少女はもうどうしようもない。身を動かし腰を伸ばして、
手で青いカーテンを開く、
涼しい空気を少しばかりシーツや
自分のお腹や熱い胸に入れようとして。

第4節では
少女の空しい努力が続けられて……
夕闇が迫る時刻になります……

夜中に目覚めると、窓はいやに白っぽかった
灯火を受けたカーテンの青い眠気の前では。
日曜日のあどけなさの幻影が少女を捉える
今の今まで、真っ赤な夢を見ていたっけが、彼女は鼻血を出しました。

夜中の少女は
夢から覚めると
鼻血を出していました――。

延々と
馬鹿馬鹿しいほどの
神への献身? 従属? 犠牲? が歌われているようで
終りが見えません。

 *
 最初の聖体拝受

     Ⅰ

それあもう愚劣なものだ、村の教会なぞといふものは
其処に可笑をかしな村童の十四五人、柱に垢をつけながら
神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聴いてゐる、
まこと奇妙な墨染の衣、その下では靴音がごそごそとしてゐる。
あゝそれなのに太陽は木々の葉越しに輝いてゐる、
不揃ひな焼絵玻璃(やきゑがらす)の古ぼけた色を透して輝いてゐる。

石は何時でも母なる大地を呼吸してゐる。
さかりがついて荘重に身顫ひをする野原の中には
泥に塗(まみ)れた小石の堆積(やま)なぞ見受けるもので、
重つたるい麦畑の近く、赫土の小径の中には
焼きのまはつた小さな木々が立つてゐて、よくみれば青い実をつけ、
黒々とした桑の樹の瘤(こぶ)や、怒気満々たる薔薇の木の瘤、

百年目毎に、例の美事な納屋々々は
水色か、クリーム色の野呂で以て塗換へられる。
ノートル・ダムや藁まみれの聖人像の近傍に
たとへ異様な聖物はごろごろし過ぎてゐようとも、
蠅は旅籠屋や牛小舎に結構な匂ひを漂はし
日の当つた床からは蠟を鱈腹詰め込むのだ。

子供は家に尽さなければならないことで、つまりその
凡々たる世話事や人を愚鈍にする底の仕事に励まにやならぬのだ。
彼等は皮膚がむづむづするのを忘れて戸外(そと)に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今し効験顕著(あらたか)な手をば按(お)かれたのだ。
彼等は司祭様には東屋の蔭濃き屋根を提供する
すると彼等は日焼けした額をば陽に晒させて貰へるといふわけだ。

最初(はじめて)の黒衣よ、どらやきの美しく見ゆる日よ、
ナポレオンの形をしたのや小判の形をしたの
或ひは飾り立てられてジョゼフとマルトが
恋しさ余つて舌(べろ)を出した絵のあるものや
――科学の御代にも似合(ふさ)はしからうこれらの意匠――
これら僅かのものこそが最初の聖体拝受の思ひ出として彼等の胸に残るもの。

娘達は何時でもはしやいで教会に行く、
若い衆達から猥(わい)なこと囁かれるのをよいことに
若い衆達はミサの後、それとも愉快な日暮時、よく密会をするのです。
屯営部隊のハイカラ者なる彼等ときては、カフヱーで
勢力のある家々のこと、あしざまに云ひ散らし、
新しい作業服着て、恐ろしい歌を怒鳴るといふ始末。

扨、主任司祭様には子供達のため絵図を御撰定遊ばした。
主任司祭様の菜園に、かの日暮時、空気が遠くの方から
そこはかとなく舞踏曲に充ちてくる時、
主任司祭様には、神様の御禁戒にも拘らず
足の指がはしやぎだすのやふくらはぎがふくらむのをお感じになる……
――夜が来ると、黒い海賊船が金の御空に現れ出ます。

     Ⅱ

司祭様は郊外や豊かな町々の信者達の間から
名も知れぬ一人の少女を撰り出しなされた
その少女の眼は悲しげで、額は黄色い色をしてゐた。
その両親は親切な門番か何かのやうです。
《聖体拝受のその日に、伝導師の中でもお偉い神様は
この少女の額に聖水を、雪と降らしめ給ふであらう。》

     Ⅲ

最初の聖体拝受の前日に、少女は病気になりました。
上等の教会の葬式の日の喧噪よりも甚だしく
はじめまづ悪寒が来ました、――寝床は味気なくもなかつた、
並(なみ)ならぬ悪寒は繰返し襲つて来ました、《私は死にます……》

恋の有頂天が少女の愚かな姉妹達を襲つた時のやうに、
少女は打萎れ両手を胸に置いたまゝ、熱心に
諸天使や諸所のエス様や聖母様を勘定しはじめました、
そして静かに、なんとも云へぬ喜びにうつとりするのでありました。

神様!……――羅典の末期にありましては、
緑の波形(なみがた)ある空が朱(あけ)色の、
天の御胸(みむね)の血に染(し)みた人々の額を潤ほしました、
雪のやうな大きな麻布は、太陽の上に落ちかゝりました!――

現在の貞潔のため、将来の貞潔のために
少女はあなたの『容赦(みゆるし)』の爽々(すがすが)しさにむしやぶりついたのでございますが、
水中の百合よりもジャムよりももつと
あなたの容赦(みゆるし)は冷たいものでございました、おやシオンの女王様よ!

     IIII

それからといふもの聖母ははや書物(ほん)の中の聖母でしかなかつた、
神秘な熱も時折衰へるのであつた……
退屈(アンニユイ)や、どぎつい極彩色や年老いた森が飾り立てる
御容姿(みすがた)の数々も貧弱に見え出してくるのであつた、

どことなく穢らはしい貴重な品の数々も
貞純にして水色の少女の夢を破るのであつた、
又脱ぎ捨てられた聖衣の数々、
エス様が裸体をお包みなされたといふ下著をみては吃驚するのでありました。

それなのになほも彼女は願ふ、遣瀬なさの限りにゐて、
歔欷に窪んだ枕に伏せて、而も彼女は
至高のお慈悲のみ光の消えざらんやう願ふのであつた
扨涎(よだれ)が出ました……――夕闇は部屋に中庭に充ちてくる。

少女はもうどうしやうもない。身を動かし腰を伸ばして、
手で青いカーテンを開く、
涼しい空気を少しばかり敷布や
自分のお腹(なか)や熱い胸に入れようとして。

     Ⅴ

夜中目覚めて、窓はいやに白つぽかつた
灯火(ひかり)をうけたカーテンの青い睡気のその前に。
日曜日のあどけなさの幻影が彼女を捉へる
今の今迄真紅(まつか)な夢を見てゐたつけが、彼女は鼻血を出しました。

身の潔白を心に感じ身のか弱さを心に感じ
神様の温情(みなさけ)をこころゆくまで味ははうとて、
心臓が、激昂(たかぶ)つたりまた鎮まつたりする、夜を彼女は望んでゐました。
そのやさしい空の色をば心に想ひみながらも、

夜(よる)、触知しがたい聖なる母は、すべての若気を
灰色の沈黙(しじま)に浸してしまひます、
彼女は心が血を流し、声も立て得ぬ憤激が
捌(は)け口見付ける強烈な夜(よる)を望んでゐたのです。

扨夜(よる)は、彼女を犠牲(にへ)としまた配偶となし、
その星は、燭火手に持ち、見てました、
白い幽霊とも見える仕事着が干されてあつた中庭に
彼女が下り立ち、黒い妖怪(おばけ)の屋根々々を取払ふのを。

     Ⅵ

彼女は彼女の聖い夜(よる)をば厠の中で過ごしました。
燭火(あかり)の所、屋根の穴とも云ひつべき所に向けて
白い気体は流れてゐました、青銅色の果(み)をつけた野葡萄の木は
隣家(となり)の中庭(には)のこつちをばこつそり通り抜けるのでした。

天窗は、ほのぼの明(あか)る火影(あかり)の核心
窓々の、硝子に空がひつそりと鍍金してゐる中庭の中
敷石は、アルカリ水の匂ひして
黒い睡気で一杯の壁の影をば甘んじて受けてゐるのでありました……

     Ⅶ

誰か恋のやつれや浅ましい恨みを口にするものぞ
また、潔い人をも汚すといふかの憎悪(にくしみ)が
もたらす所為を云ふものぞ、おゝ穢らはしい狂人等、
折も折かの癩が、こんなやさしい肉体を啖(くら)はんとするその時に……

     Ⅷ

さて彼女に、ヒステリックな錯乱がまたも起つて来ますといふと
彼女は目(ま)のあたり見るのです、幸福な悲愁の思ひに浸りつつ、
恋人が真つ白い無数のマリアを夢みてゐるのを、
愛の一夜の明け方に、いとも悲痛な面持(おももち)で。

《御存じ? 妾(あたし)が貴方を亡くさせたのです。妾は貴方のお口を心を、
人の持つてるすべてのもの、えゝ、貴方のお持ちのすべてのものを
奪つたのでした。その妾は病気です、妾は寝かせて欲しいのです
夜(よ)の水で水飼はれるといふ、死者達の間に、私は寝かせて欲しいのです

《妾は稚(わか)かつたのです、キリスト様は妾の息吹をお汚しなすつた、
その時妾は憎悪(にくしみ)が、咽喉(のど)までこみあげましたのです!
貴方は妾の羊毛と、深い髪毛に接唇(くちづけ)ました、
妾はなさるがまゝになつてゐた……あゝ、行つて下さい、その方がよろしいのです、

男の方々(かたがた)は! 愛情こまやかな女といふものが
汚い恐怖(おそれ)を感(おぼ)える時は、どんなにはぢしめられ、
どんなにいためられるものであるかにお気付きならない
又貴方への熱中のすべてが不品行(あやまち)であることにお気付きならない!

《だつて妾の最初の聖体拝受は取行はれました。
妾は貴方の接唇(くちづけ)を、お受けすることは出来ません、
妾の心と、貴方がお抱きの妾のからだは
エス様の腐つた接唇でうようよしてます!》

     Ⅸ

かくて敗れた魂と悲しみ悶える魂は
キリストよ、汝が呪詛の滔々と流れ流れるを感ずるのです、
――男等は、汝が不可侵の『憎悪』の上に停滞(とどま)つてゐた、
死の準備のためにとて、真正な情熱を逃れることにより、

キリストよ! 汝永遠の精力の掠奪者、
父なる神は二千年もの間、汝が蒼白さに捧げしめ給うたといふわけか
恥と頭痛で地に縛られて、
動顛したる、女等のいと悲しげな額をば。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作は、第8節最終連最終行を、「うよ/\してます!」と繰り返し記号で表記しています。また、原作の「二重パーレン」は、《 》で代用し、ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月19日 (日)

中原中也が訳したランボー「最初の聖体拝受」Les Premières Communions

「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsは
9節30連で構成される
長い詩です。
第1節が、1連が6行で7連、
第2節が、1連6行で1連、
第3節以下第9節までが、1連4行で22連あります。
原詩も同様の構成です。

ランボーは、1866年の復活祭に
最初の聖体拝受を行いましたが
兄フレデリックとともに正装したその時の写真が残っていて
書物などで見ることができます。

まさにその時のことを歌ったのが
「最初の聖体拝受」Les Premières Communionsということになりそうですが
それでは
この詩は事実の記録ということになってしまい
そうでないことは
冒頭行からも明らかです。

そりゃあもう愚劣極まりないものさ、村の教会などというものは
そこにおかしな村のガキどもが14、5人、柱に自分の体の垢をこすりつけながら
神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聞いている
ほんとに奇妙な黒染めの服を着て、その下に隠れた足で靴をゴソゴソと鳴らしている。
ああ、それなのに、太陽は木々の葉の向うで輝いている、
ふぞろいなステンドグラスの古ぼけた色を透かして輝いている。

石はいつでも母なる大地を呼吸している。
さかりがついて、荘重に身震いしている野原には
泥にまみれた小石の山などが見られるもので
重ったるい麦畑の近く、赤土の小道には
焼きの回った小さな木々が立ち、よく見れば青い実をつけ、
黒々とした桑の木の瘤や、怒っているような薔薇の木の瘤、

100年目ごとに、あの見事な納屋という納屋は
水色か、クリーム色の塗料で塗り替えられる。
ノートル・ダムや藁にまみれた聖人像のそばに
たとえ異様な聖なる物がゴロゴロ置かれていようとも
ハエは旅館や牛小屋に結構な匂いを漂わせ
陽の当たった床からは蠟(ろう)を嫌というほど詰め込むのだ。

子供は家に尽くさなければならないということで、つまりは
凡々とした世話ごとや人を愚鈍にする体の仕事に励まねばならない。
彼らは皮膚がムズムズするのを忘れて外に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今まさに効験あらたかな手を置かれたところだった。
彼らは司祭様には東屋の陰の濃い屋根を提供する
すると彼らは日焼けした額を陽に晒させてもらえるというわけだ。

初めて着る黒衣よ、ドラヤキの美しく見える日よ、
ナポレオンの形をしたのや、小判の形をしたのや
あるいは、飾り立てられてジョセフとマルトが
恋しさあまって舌ベロを出した絵のあるものや
――科学の時代にもふさわしいであろうこれらのデザイン――
これらわずかのものこそが最初の聖体拝受の思い出として彼らの胸に残るもの。

娘たちはいつでもはしゃいで教会に行く、
若い男衆から卑猥なジョークを囁かれるのをよいことに。
若者たちはミサの後、それとも愉快な日暮れどき、よく密会をするのです。
屯営部隊のハイカラもんである彼らときては、カフェで
勢力のある家々のことなど、悪口を言い散らし
新しい作業服を着て、恐ろしい歌を怒鳴るという始末。

さて、主任司祭様は子供たちのための絵図をお選びになられました。
主任司祭様の菜園に、あの日暮れどき、空気が遠くのほうから
そこはかとなく舞踊曲が満ちてくる時、
主任司祭様には、神様の御禁戒にも拘わらず
足の指がはしゃぎ出すのや、ふくらはぎが膨らむのをお感じになる……
――夜が来ると、黒い海賊船が金のみそらに現われ出でます。

以上が、
第1節の全7連です。

とりあえず
どんな詩かを見るために
ざっと目を通しましたが

初めて着る黒衣よ、ドラヤキの美しく見える日よ、
ナポレオンの形をしたのや、小判の形をしたのや
あるいは、飾り立てられてジョセフとマルトが
恋しさあまって舌ベロを出した絵のあるものや

ここに、タイトルの聖体そのものが登場するほかは、
ありふれた教会風景の描写といったところでしょうか。

少しだけ、
キリストの司祭様へのジャブ――

まだ、その程度のアンチ・キリストです。

 *
 最初の聖体拝受

     Ⅰ

それあもう愚劣なものだ、村の教会なぞといふものは
其処に可笑をかしな村童の十四五人、柱に垢をつけながら
神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聴いてゐる、
まこと奇妙な墨染の衣、その下では靴音がごそごそとしてゐる。
あゝそれなのに太陽は木々の葉越しに輝いてゐる、
不揃ひな焼絵玻璃(やきゑがらす)の古ぼけた色を透して輝いてゐる。

石は何時でも母なる大地を呼吸してゐる。
さかりがついて荘重に身顫ひをする野原の中には
泥に塗(まみ)れた小石の堆積(やま)なぞ見受けるもので、
重つたるい麦畑の近く、赫土の小径の中には
焼きのまはつた小さな木々が立つてゐて、よくみれば青い実をつけ、
黒々とした桑の樹の瘤(こぶ)や、怒気満々たる薔薇の木の瘤、

百年目毎に、例の美事な納屋々々は
水色か、クリーム色の野呂で以て塗換へられる。
ノートル・ダムや藁まみれの聖人像の近傍に
たとへ異様な聖物はごろごろし過ぎてゐようとも、
蠅は旅籠屋や牛小舎に結構な匂ひを漂はし
日の当つた床からは蠟を鱈腹詰め込むのだ。

子供は家に尽さなければならないことで、つまりその
凡々たる世話事や人を愚鈍にする底の仕事に励まにやならぬのだ。
彼等は皮膚がむづむづするのを忘れて戸外(そと)に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今し効験顕著(あらたか)な手をば按(お)かれたのだ。
彼等は司祭様には東屋の蔭濃き屋根を提供する
すると彼等は日焼けした額をば陽に晒させて貰へるといふわけだ。

最初(はじめて)の黒衣よ、どらやきの美しく見ゆる日よ、
ナポレオンの形をしたのや小判の形をしたの
或ひは飾り立てられてジョゼフとマルトが
恋しさ余つて舌(べろ)を出した絵のあるものや
――科学の御代にも似合(ふさ)はしからうこれらの意匠――
これら僅かのものこそが最初の聖体拝受の思ひ出として彼等の胸に残るもの。

娘達は何時でもはしやいで教会に行く、
若い衆達から猥(わい)なこと囁かれるのをよいことに
若い衆達はミサの後、それとも愉快な日暮時、よく密会をするのです。
屯営部隊のハイカラ者なる彼等ときては、カフヱーで
勢力のある家々のこと、あしざまに云ひ散らし、
新しい作業服着て、恐ろしい歌を怒鳴るといふ始末。

扨、主任司祭様には子供達のため絵図を御撰定遊ばした。
主任司祭様の菜園に、かの日暮時、空気が遠くの方から
そこはかとなく舞踏曲に充ちてくる時、
主任司祭様には、神様の御禁戒にも拘らず
足の指がはしやぎだすのやふくらはぎがふくらむのをお感じになる……
――夜が来ると、黒い海賊船が金の御空に現れ出ます。

     Ⅱ

司祭様は郊外や豊かな町々の信者達の間から
名も知れぬ一人の少女を撰り出しなされた
その少女の眼は悲しげで、額は黄色い色をしてゐた。
その両親は親切な門番か何かのやうです。
《聖体拝受のその日に、伝導師の中でもお偉い神様は
この少女の額に聖水を、雪と降らしめ給ふであらう。》

     Ⅲ

最初の聖体拝受の前日に、少女は病気になりました。
上等の教会の葬式の日の喧噪よりも甚だしく
はじめまづ悪寒が来ました、――寝床は味気なくもなかつた、
並(なみ)ならぬ悪寒は繰返し襲つて来ました、《私は死にます……》

恋の有頂天が少女の愚かな姉妹達を襲つた時のやうに、
少女は打萎れ両手を胸に置いたまゝ、熱心に
諸天使や諸所のエス様や聖母様を勘定しはじめました、
そして静かに、なんとも云へぬ喜びにうつとりするのでありました。

神様!……――羅典の末期にありましては、
緑の波形(なみがた)ある空が朱(あけ)色の、
天の御胸(みむね)の血に染(し)みた人々の額を潤ほしました、
雪のやうな大きな麻布は、太陽の上に落ちかゝりました!――

現在の貞潔のため、将来の貞潔のために
少女はあなたの『容赦(みゆるし)』の爽々(すがすが)しさにむしやぶりついたのでございますが、
水中の百合よりもジャムよりももつと
あなたの容赦(みゆるし)は冷たいものでございました、おやシオンの女王様よ!

     IIII

それからといふもの聖母ははや書物(ほん)の中の聖母でしかなかつた、
神秘な熱も時折衰へるのであつた……
退屈(アンニユイ)や、どぎつい極彩色や年老いた森が飾り立てる
御容姿(みすがた)の数々も貧弱に見え出してくるのであつた、

どことなく穢らはしい貴重な品の数々も
貞純にして水色の少女の夢を破るのであつた、
又脱ぎ捨てられた聖衣の数々、
エス様が裸体をお包みなされたといふ下著をみては吃驚するのでありました。

それなのになほも彼女は願ふ、遣瀬なさの限りにゐて、
歔欷に窪んだ枕に伏せて、而も彼女は
至高のお慈悲のみ光の消えざらんやう願ふのであつた
扨涎(よだれ)が出ました……――夕闇は部屋に中庭に充ちてくる。

少女はもうどうしやうもない。身を動かし腰を伸ばして、
手で青いカーテンを開く、
涼しい空気を少しばかり敷布や
自分のお腹(なか)や熱い胸に入れようとして。

     Ⅴ

夜中目覚めて、窓はいやに白つぽかつた
灯火(ひかり)をうけたカーテンの青い睡気のその前に。
日曜日のあどけなさの幻影が彼女を捉へる
今の今迄真紅(まつか)な夢を見てゐたつけが、彼女は鼻血を出しました。

身の潔白を心に感じ身のか弱さを心に感じ
神様の温情(みなさけ)をこころゆくまで味ははうとて、
心臓が、激昂(たかぶ)つたりまた鎮まつたりする、夜を彼女は望んでゐました。
そのやさしい空の色をば心に想ひみながらも、

夜(よる)、触知しがたい聖なる母は、すべての若気を
灰色の沈黙(しじま)に浸してしまひます、
彼女は心が血を流し、声も立て得ぬ憤激が
捌(は)け口見付ける強烈な夜(よる)を望んでゐたのです。

扨夜(よる)は、彼女を犠牲(にへ)としまた配偶となし、
その星は、燭火手に持ち、見てました、
白い幽霊とも見える仕事着が干されてあつた中庭に
彼女が下り立ち、黒い妖怪(おばけ)の屋根々々を取払ふのを。

     Ⅵ

彼女は彼女の聖い夜(よる)をば厠の中で過ごしました。
燭火(あかり)の所、屋根の穴とも云ひつべき所に向けて
白い気体は流れてゐました、青銅色の果(み)をつけた野葡萄の木は
隣家(となり)の中庭(には)のこつちをばこつそり通り抜けるのでした。

天窗は、ほのぼの明(あか)る火影(あかり)の核心
窓々の、硝子に空がひつそりと鍍金してゐる中庭の中
敷石は、アルカリ水の匂ひして
黒い睡気で一杯の壁の影をば甘んじて受けてゐるのでありました……

     Ⅶ

誰か恋のやつれや浅ましい恨みを口にするものぞ
また、潔い人をも汚すといふかの憎悪(にくしみ)が
もたらす所為を云ふものぞ、おゝ穢らはしい狂人等、
折も折かの癩が、こんなやさしい肉体を啖(くら)はんとするその時に……

     Ⅷ

さて彼女に、ヒステリックな錯乱がまたも起つて来ますといふと
彼女は目(ま)のあたり見るのです、幸福な悲愁の思ひに浸りつつ、
恋人が真つ白い無数のマリアを夢みてゐるのを、
愛の一夜の明け方に、いとも悲痛な面持(おももち)で。

《御存じ? 妾(あたし)が貴方を亡くさせたのです。妾は貴方のお口を心を、
人の持つてるすべてのもの、えゝ、貴方のお持ちのすべてのものを
奪つたのでした。その妾は病気です、妾は寝かせて欲しいのです
夜(よ)の水で水飼はれるといふ、死者達の間に、私は寝かせて欲しいのです

《妾は稚(わか)かつたのです、キリスト様は妾の息吹をお汚しなすつた、
その時妾は憎悪(にくしみ)が、咽喉(のど)までこみあげましたのです!
貴方は妾の羊毛と、深い髪毛に接唇(くちづけ)ました、
妾はなさるがまゝになつてゐた……あゝ、行つて下さい、その方がよろしいのです、

男の方々(かたがた)は! 愛情こまやかな女といふものが
汚い恐怖(おそれ)を感(おぼ)える時は、どんなにはぢしめられ、
どんなにいためられるものであるかにお気付きならない
又貴方への熱中のすべてが不品行(あやまち)であることにお気付きならない!

《だつて妾の最初の聖体拝受は取行はれました。
妾は貴方の接唇(くちづけ)を、お受けすることは出来ません、
妾の心と、貴方がお抱きの妾のからだは
エス様の腐つた接唇でうようよしてます!》

     Ⅸ

かくて敗れた魂と悲しみ悶える魂は
キリストよ、汝が呪詛の滔々と流れ流れるを感ずるのです、
――男等は、汝が不可侵の『憎悪』の上に停滞(とどま)つてゐた、
死の準備のためにとて、真正な情熱を逃れることにより、

キリストよ! 汝永遠の精力の掠奪者、
父なる神は二千年もの間、汝が蒼白さに捧げしめ給うたといふわけか
恥と頭痛で地に縛られて、
動顛したる、女等のいと悲しげな額をば。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作は、第8節最終連最終行を、「うよ/\してます!」と繰り返し記号で表記しています。また、原作の「二重パーレン」は、《 》で代用し、ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月18日 (土)

中原中也が訳したランボー「やさしい姉妹」Les Sœurs de charitéその3

「やさしい姉妹」Les Sœurs de charitéは
ある若者が、やさしい女、妻にしたい女をほしくなるという「起」にはじまり
だが、待てよ、といった調子の「承」へと進みます。

とはいうものの、女よ、臓腑のかたまり、憐憫の情を持つものよ
お前は、女であるからといって、私のいうやさしい恋人ではないのだ!
黒い眸(ひとみ)と眼(まなこ)、茶色っぽい影の眠る腹を持たないのだし、
軽やかな指、ふくよかな胸も持っていないのであれば。

目を覚ます術のない、大きな眸を持つ盲目の女よ、
私のどのような抱擁もついにお前には訝しいだけ、
私たちにつきまとうのは何時でもお前、乳房を持つもの、
私たちはお前に口づけする、穏やかに人を魅了するパッションよ。

お前の憎しみ、お前の失神、お前の絶望を
つまり、かつて傷められたあの獣性を、
月々に流される女の血の過剰のように
お前は私に報いるのだ、おお、お前、悪意のない夜よ。

どうやら、女というものは、
全面的には受け入れられるものではないと
厄介扱いする語り手=詩人の思いが表明されます。
そして、後半部(「転」と「結」)に入っていきます。

ひとたび女が、あの恐惶、愛の神、
生の呼び声、行為の歌に駆り立てられるとき、
緑のミューズと正義の神は現われて
その厳めしい制縛で、彼を引き裂くのだった!

絶えず、壮観と、静謐に渇望している彼は
あの執念の姉妹には見捨てられ、
やさしさを込めて愚痴をこぼし、巧者にも
花の咲く自然に、血の出る額を与えるのだった。

このあたりが、「転」の部分ですが
中原中也の訳は逐語的で
噛み砕かれていません。
無闇に意訳に走らないゆえの効果が
意図されているのかもしれません。

ランボーの難解を
ランボーのままにしておこう、という企み。

だが、冷厳とした錬金術、神学的な研鑽は
傷ついた彼、この傲慢な男には向いていなかった。
狂暴な孤独は、このようにして、彼の上をのそりのそりと歩き回った。
こうした時、実に爽やかなことに、いつかは彼も味わうことになる

死の忌まわしさの影さえなく、真理の夜々の空にみる
あの、夢とかの壮麗な逍遥は、彼の思いの中に現われて、
その魂によって病んだ四肢に、呼び覚まされるのは
神秘な死、それこそ、やさしい妹なのだよ!

最終行の、神秘な死――
それこそが、やさしい妹=妻の正体というものなのだ

この、
なんという、落ち。
なんという、「結」。

この1行のために
この詩は歌われたような、急降下。

いや
急上昇!

そして、姉妹とは、何?

謎は残されたままです。

 *
 やさしい姉妹

若者、その眼は輝き、その皮膚は褐色(かちいろ)、
裸かにしてもみまほしきその体躯(からだ)
月の下にて崇めらる、ペルシャの国の、
或る知られざる神の持つ、銅(あかがね)に縁(ふち)どられたる額して、

慓悍なれども童貞の悲観的なるやさしさをもち
おのが秀れた執心に誇りを感じ、
若々し海かはた、ダイアモンドの地層の上に
きららめく真夏の夜々の涙かや、

此の若者、現世(うつしよ)の醜悪の前に、
心の底よりゾツとして、いたく苛立ち、
癒しがたなき傷手を負ひてそれよりは、
やさしき妹(いも)のありもせばやと、思ひはじめぬ。

さあれ、女よ、臓腑の塊り、憐憫の情持てるもの、
汝、女にあればとて、吾(あ)の謂ふやさしき妹(いも)にはあらじ!
黒き眼眸(まなざし)、茶色めく影睡る腹持たざれば、
軽やかの指、ふくよかの胸持たざれば。

目覚ます術(すべ)なき大いなる眸子(ひとみ)をもてる盲目(めくら)の女よ、
わが如何なる抱擁もつひに汝(なれ)には訝かしさのみ、
我等に附纏(いつきまと)ふのはいつでも汝(おまへ)、乳房の運び手、
我等おまへを接唇(くちづけ)る、穏やかに人魅する情熱(パシオン)よ。

汝(な)が憎しみ、汝(な)が失神、汝が絶望を、
即ち甞ていためられたるかの獣性を、
月々に流されるかの血液の過剰の如く、
汝(なれ)は我等に返報(むく)ゆなり、おゝ汝、悪意なき夜よ。

     ★

一度女がかの恐惶、愛の神、
生の呼び声、行為の歌に駆り立てられるや、
緑の美神(ミューズ)と正義の神は顕れて
そが厳めしき制縛もて彼を引裂くのであつた!

絶えず絶えず壮観と、静謐に渇する彼は、
かの執念の姉妹(あねいもと)には見棄てられ、
やさしさ籠めて愚痴を呟き、巧者にも
花咲く自然に血の出る額を彼は与へるのであつた。

だが冷厳の錬金術、神学的な研鑚は
傷付いた彼、この倨傲なる学徒には不向きであつた。
狂暴な孤独はかくて彼の上をのそりのそりと歩き廻つた。
かゝる時、まこと爽かに、いつかは彼も験(な)めるべき

死の忌はしさの影だになく、真理の夜々の空にみる
かの夢とかの壮麗な逍遥は、彼の想ひに現れて、
その魂に病む四肢に、呼び覚まされるは
神秘な死、それよやさしき妹(いも)なるよ!

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作は、第8連のはじまりを、「絶えず/\」と繰り返し記号で表記しています。ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月15日 (水)

中原中也が訳したランボー「やさしい姉妹」Les Sœurs de charitéその2

「やさしい姉妹」Les Sœurs de charitéは
ランボーの修辞学コースの担任ジョルジュ・イザンバールの
友人であり詩人であるポール・デメニー(ドメニーと訳すこともあります)の
結婚と関連づけて語られることが定例のようです。

ある一つの詩が
ある解釈を試みられる場合に
その詩が作られた背景が探られて
詩人が営んでいた実生活との関係が注目され
実生活と作品の因果律の中で
詩が読まれるのは普通によくあることです。

よくあること、というより
ほとんどの詩という詩、
作品という作品は
詩の外部から、作品の外部から
詩の中へ、作品の中へという経路
またはその逆の経路をたどって
読まれているといっても過言ではありません。

詩の中へいきなり入っていくことが
階段を何段か飛ばして
駆け上がっていくような無理があるなら
飛ばしてしまっては危ないことになる階段を
一段一段上っていったほうが
詩の中に入りやすいというようなことでしょうか。

「やさしい姉妹」は
デメニーが1971年3月に結婚したことに触れた
ランボーのデメニー宛の手紙が「一つの階段」になり
作品の中と外がつながり
解釈の手掛かりとなっています。

この詩の若者とは
ポール・デメニーを指示しているのですが
だからといって
若者が実生活上のデメニーそのものであるとは言えないところに
詩は成り立っていることをも見過ごせません。
若者=デメニーのことを歌いながら
若者にはランボー自身が投影されていないとも限らないのです。

このようにして
この詩の入り口に立ってみますと……。

この若者、その眼はかがやき、皮膚は褐色、
裸にしてみたいほどの身体、
月下に崇拝されるペルシャ国の
ある知られざる神の、赤銅に縁どられた額、

剽悍だが、女を知らず、ものごとを悲観するやさしさがあり
自分の人並み優れた好みに誇りをもっているのは
若々しい海か、ダイアモンドの地層の上に
キラキラ輝いている真夏の夜の涙か

この若者、この世の醜悪さを前に
心底ぞっとして、ひどく苛立ち
癒すことのできない傷を負って以来
やさしい妹(いも)=恋人でもあったらいいなあと、思ひはじめた……のです。

(つづく)

 *
 やさしい姉妹

若者、その眼は輝き、その皮膚は褐色(かちいろ)、
裸かにしてもみまほしきその体躯(からだ)
月の下にて崇めらる、ペルシャの国の、
或る知られざる神の持つ、銅(あかがね)に縁(ふち)どられたる額して、

慓悍なれども童貞の悲観的なるやさしさをもち
おのが秀れた執心に誇りを感じ、
若々し海かはた、ダイアモンドの地層の上に
きららめく真夏の夜々の涙かや、

此の若者、現世(うつしよ)の醜悪の前に、
心の底よりゾツとして、いたく苛立ち、
癒しがたなき傷手を負ひてそれよりは、
やさしき妹(いも)のありもせばやと、思ひはじめぬ。

さあれ、女よ、臓腑の塊り、憐憫の情持てるもの、
汝、女にあればとて、吾(あ)の謂ふやさしき妹(いも)にはあらじ!
黒き眼眸(まなざし)、茶色めく影睡る腹持たざれば、
軽やかの指、ふくよかの胸持たざれば。

目覚ます術(すべ)なき大いなる眸子(ひとみ)をもてる盲目(めくら)の女よ、
わが如何なる抱擁もつひに汝(なれ)には訝かしさのみ、
我等に附纏(いつきまと)ふのはいつでも汝(おまへ)、乳房の運び手、
我等おまへを接唇(くちづけ)る、穏やかに人魅する情熱(パシオン)よ。

汝(な)が憎しみ、汝(な)が失神、汝が絶望を、
即ち甞ていためられたるかの獣性を、
月々に流されるかの血液の過剰の如く、
汝(なれ)は我等に返報(むく)ゆなり、おゝ汝、悪意なき夜よ。

     ★

一度女がかの恐惶、愛の神、
生の呼び声、行為の歌に駆り立てられるや、
緑の美神(ミューズ)と正義の神は顕れて
そが厳めしき制縛もて彼を引裂くのであつた!

絶えず絶えず壮観と、静謐に渇する彼は、
かの執念の姉妹(あねいもと)には見棄てられ、
やさしさ籠めて愚痴を呟き、巧者にも
花咲く自然に血の出る額を彼は与へるのであつた。

だが冷厳の錬金術、神学的な研鑚は
傷付いた彼、この倨傲なる学徒には不向きであつた。
狂暴な孤独はかくて彼の上をのそりのそりと歩き廻つた。
かゝる時、まこと爽かに、いつかは彼も験(な)めるべき

死の忌はしさの影だになく、真理の夜々の空にみる
かの夢とかの壮麗な逍遥は、彼の想ひに現れて、
その魂に病む四肢に、呼び覚まされるは
神秘な死、それよやさしき妹(いも)なるよ!

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作は、第8連のはじまりを、「絶えず/\」と繰り返し記号で表記しています。ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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中原中也が訳したランボー「やさしい姉妹」Les Sœurs de charité

「やさしい姉妹」Les Sœurs de charitéは
「ジャンヌ・マリイの手」が書かれてから
そう遠くはない日に作られた詩ですが
そのことに意味を見出そうとしても
無駄なことかもしれません。

「ジャンヌ・マリイの手」で歌った女性闘士へのオマージュが
「やさしい姉妹」で消滅したとしても
その意味を探ったからといって
「やさしい姉妹」を
上手に読む手掛かりがつかめるものではないはずですから。

中原中也訳の「やさしい姉妹」で
まず目に見える形の特徴といえば
文語体七五調(五七調)への志向です。

冒頭行こそ
4―8(4-4)―5―4と決めていませんが
第2行は
7―5―5、
第3行は
7―5―7、
第4行は
7―5―5―7―5ときっちり決めています。

以下同様に
字余り、字足らず、破調を含みながら
このやや長い詩を最終行まで
古典的音数律五七で貫いています。

若者、その眼は輝き、その皮膚は褐色(かちいろ)、
裸かにしてもみまほしきその体躯(からだ)
月の下にて崇めらる、ペルシャの国の、
或る知られざる神の持つ、銅(あかがね)に縁(ふち)どられたる額して、

この若者、その眼はかがやき、皮膚は褐色、
裸にしてみたいほどの身体、
月下に崇拝されるペルシャ国の
ある知られざる神の、赤銅に縁どられた額、

――どうやら、若い男の物語がはじまりますが
いきなり、「裸にしてみたいほどの身体」と
いかにも、近くで、その男の身体を眺めたことのあるような口ぶりです。

いったい
この若者は何者でしょうか――。

 *
 やさしい姉妹

若者、その眼は輝き、その皮膚は褐色(かちいろ)、
裸かにしてもみまほしきその体躯(からだ)
月の下にて崇めらる、ペルシャの国の、
或る知られざる神の持つ、銅(あかがね)に縁(ふち)どられたる額して、

慓悍なれども童貞の悲観的なるやさしさをもち
おのが秀れた執心に誇りを感じ、
若々し海かはた、ダイアモンドの地層の上に
きららめく真夏の夜々の涙かや、

此の若者、現世(うつしよ)の醜悪の前に、
心の底よりゾツとして、いたく苛立ち、
癒しがたなき傷手を負ひてそれよりは、
やさしき妹(いも)のありもせばやと、思ひはじめぬ。

さあれ、女よ、臓腑の塊り、憐憫の情持てるもの、
汝、女にあればとて、吾(あ)の謂ふやさしき妹(いも)にはあらじ!
黒き眼眸(まなざし)、茶色めく影睡る腹持たざれば、
軽やかの指、ふくよかの胸持たざれば。

目覚ます術(すべ)なき大いなる眸子(ひとみ)をもてる盲目(めくら)の女よ、
わが如何なる抱擁もつひに汝(なれ)には訝かしさのみ、
我等に附纏(いつきまと)ふのはいつでも汝(おまへ)、乳房の運び手、
我等おまへを接唇(くちづけ)る、穏やかに人魅する情熱(パシオン)よ。

汝(な)が憎しみ、汝(な)が失神、汝が絶望を、
即ち甞ていためられたるかの獣性を、
月々に流されるかの血液の過剰の如く、
汝(なれ)は我等に返報(むく)ゆなり、おゝ汝、悪意なき夜よ。

     ★

一度女がかの恐惶、愛の神、
生の呼び声、行為の歌に駆り立てられるや、
緑の美神(ミューズ)と正義の神は顕れて
そが厳めしき制縛もて彼を引裂くのであつた!

絶えず絶えず壮観と、静謐に渇する彼は、
かの執念の姉妹(あねいもと)には見棄てられ、
やさしさ籠めて愚痴を呟き、巧者にも
花咲く自然に血の出る額を彼は与へるのであつた。

だが冷厳の錬金術、神学的な研鑚は
傷付いた彼、この倨傲なる学徒には不向きであつた。
狂暴な孤独はかくて彼の上をのそりのそりと歩き廻つた。
かゝる時、まこと爽かに、いつかは彼も験(な)めるべき

死の忌はしさの影だになく、真理の夜々の空にみる
かの夢とかの壮麗な逍遥は、彼の想ひに現れて、
その魂に病む四肢に、呼び覚まされるは
神秘な死、それよやさしき妹(いも)なるよ!

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作は、第8連のはじまりを、「絶えず/\」と繰り返し記号で表記しています。ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月14日 (火)

中原中也が訳したランボー「ジャンヌ・マリイの手」Les Mains de Janne-Marieその2

中原中也訳の「ジャンヌ・マリイの手」Les Mains de Janne-Marieは
難解といわれもするランボーの詩の
機関銃のような言葉の乱射をそのまま再現し
難解なものは難解のままにしながら
生き生きと言葉一つひとつに命が息吹いているような
鮮やかさに満ちています。

ジャンヌ・マリイの丈夫な手
夏の陽の乱反射にやられ、うすら暗い色、
青白く死人の手のようだ
――これを、ジュアナ(妖女)の手というのだろうか?

この二つの手は褐色の乳脂を
快楽の池から汲んだのだろうか?
二つの手は月がキラキラする
澄んだ水に漬かったものだろうか?

太古の空の青を飲んだのだろうか?
可愛いお膝にチョコンと置かれて。
この手で葉巻を巻いただろうか、
ダイヤモンドの売り買いをしただろうか?

聖母マリア像の熱き御足に
金の花を縮ませたろうか?
ハシリドコロの黒い血は
手のひらで覚めては、また眠った。

ハエやカを採集して
まだ明けていない朝の気配を
花々の蜜のツボへと飛ばすのか?
それとも毒の注射のつもりか?

どんな夢が捉えたのだろう?
広げた手を
アジアのかカンガバールのか
それともシオンの不思議な夢なのか?

何かしら鮮烈な
意味を探ろうとすれば
混沌とした原色の世界が開けて
いったい、いま・ここはどこなのか、と
自問を迫られるような
とはいっても、それは苦痛になるということでもなく
むしろワクワクする
夢の中で見知らぬ場所を冒険しているような。

前半部は
ジャンヌ・マリイの遍歴への
詩人の幻想幻視なのでしょうか
マリイの革命への情熱の来歴が語られているのでしょうか。
詩人が紡いだ鮮烈なビジョンの旋回を
もう一人の詩人の言葉が必死に捕まえようとしているよう。

この手は
蜜柑を売らない、
神にひざまずいて陽に焼けたりはしない、
赤ん坊たちのオムツを洗ったことはない
手なのです。

これより「?」が「!」に変わります。
原詩にある通りの「技」を
中原中也はここで忠実に辿っています。

この手は
背骨をも矯正する手
どんな機械よりも正確で
どんな馬よりも強い!

猛(たけ)り狂う火のように
敏捷に、うち震え
マルセイエーズを歌うけれども
エレイゾン(賛美歌)などは歌わない!

……

大砲に降りそそぐ太陽の下で。
あらくれどもがこの手に応え
接吻した!

その手が
拳を作って
このうえ指輪があれば言うことはない、と叫んだ!

……

 *
 ジャンヌ・マリイの手

ジャンヌ・マリイは丈夫な手してる、
だが夏負けして仄かに暗く、
蒼白いこと死人の手のやう。
――ジュアナの手とも云ふべきだ?

この双つの手は褐の乳脂を
快楽(けらく)の池に汲んだのだらうか?
この双つの手は月きららめく
澄めらの水に浸つたものか?

太古の空を飲むだのだらうか?
可愛いお膝にちよんと置かれて。
この手で葉巻を巻いただらうか、
それともダイヤを商(あきな)つたのか?

マリアの像の熱き御足に
金の花をば萎ませたらうか?
西洋莨菪(はしりどころ)の黒い血は
掌(てのひら)の中で覚めたり睡(ね)たり。

双翅類をば猟り集め
まだ明けやらぬ晨(あした)のけはひを
花々の密の槽へと飛ばすのか?
それとも毒の注射師か?

如何なる夢が捉へたのだらう?
展伸(ひろ)げられたるこの手をば、
亜細亜のかカンガワールのか
それともシオンの不思議な夢か?

――密柑を売りはしなかつた、
神々の足の上にて、日に焼けたりもしなかつた。
この手はぶざまな赤ン坊たちの
襁褓を洗つたことはない。

この手は背骨(せぼね)の矯正者、
決して悪くはしないのだ、
機械なぞより正確で、
馬よりも猶強いのだ!

猛火とうごめき
戦き慄ひ、この手の肉は
マルセイェーズを歌ふけれども
エレーゾンなぞ歌はない!

あらくれどもの狼藉は
厳冬の如くこの手に応(こた)へ、
この手の甲こそ気高い暴徒が
接唇をしたその場所だ!

或時この手が蒼ざめた、
蜂起した巴里市中の
霰弾砲の唐銅(からかね)の上に
托された愛の太陽の前で!

神々しい手よ、甞てしらじらしたことのない
我等の脣(くち)を顫はせる手よ、
時としておまへは拳(こぶし)の形して、その拳(こぶし)に
一連(ひとつら)の、指環もがなと叫ぶのだ!

又時としてその指々の血を取つて、
おまへがさつぱりしたい時、
天使のやうな手よ、それこそは
我等の心に、異常な驚き捲き起すのだ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ 第6連の「カンガワール」の「ワ」は、原作では濁点が付いています。ルビは原作に
あるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月13日 (月)

【ニュース】中原中也賞の詩集に「ウイルスちゃん」

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 優れた現代詩集に贈られる「中原中也賞」の選考会が11日、山口市の旅館で開かれ、横浜市の暁方(あけがた)ミセイさん(23)の詩集「ウイルスちゃん」(思潮社)が選ばれた。
 詩集は昨年10月に出版された暁方さんのデビュー作で、19編を収録。主なテーマである「死生観」が豊かな感性で描かれている。
 詩人北川透さんら6人の選考委員は「今までの詩人がうまく捉えられなかった死や生を、うまく表現している」と高く評価。作家で明治学院大教授の高橋源一郎さんは「この1年で読んだ中で最高の詩集だった」と振り返った。
 暁方さんは「実感もあまりなく、ただ不思議な、幸福な気持ちでいっぱいです」と受賞の喜びをコメントした。
 賞は中原中也の故郷、山口市が新人発掘などの目的で創設。今回が17回目で、171点が選考対象になった。(共同)

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120211-902374.html
(日刊スポーツcomより)

 

中原中也が訳したランボー「ジャンヌ・マリイの手」Les Mains de Janne-Marie

「ジャンヌ・マリイの手」Les Mains de Janne-Marieは
パリ・コンミューンの義勇兵となったランボーが
兵務の間をぬって、
「自由にぶらつき」回ったときの見聞などをもとに
コンミューン軍の女性労働者マリイを
100年前のフランス革命の女性闘士「ジャンヌ・ダルク」にダブらせて
歌いあげている詩です。

もちろん
マリイという名の女性が
実在したかどうかわかりませんし
架空の女性をランボーが創りあげたのかもしれませんが
その女性を
ランボーは遠くから崇(あが)めることはしないで
彼女の手の描写から歌ったのは
いかにも至近距離で
コミューン派の女性革命戦士を実際に見た印象が強かったからといえるでしょうか。

ジャンヌ・マリイの丈夫な手
夏の陽の乱反射にやられ、うすら暗い色、
青白く死人の手のようだ
――これを、ジュアナ(妖女)の手というのだろうか?

第1連終行にある「――」と
第7連初行にある「――」が
この詩の構造を理解する印(しるし)になっていることに注意してください。
第1連終行の「――」以下、第7連初行まで
同じ疑問符「?」をつけて
ジャンヌ・マリイの
丈夫で、暗い、死人のような
手の由来に疑問を投げかけ
第7連以降は
これらの疑問を打ち消すかの断言が連ねられ
マリイへの手の讃歌へと変わっているのです。

この両手は褐色の乳脂を
快楽の池から汲んだのだろうか?
両手は月がキラキラする
澄んだ水に漬かったものだろうか?
……

そういうこともあったかもしれない
……

しかし、この手は
蜜柑を売らない
神にひざまずき、日に焼けたりはしない、
赤ん坊たちのオムツを洗ったことはない
手だ。

この手は
背骨をも矯正する手
どんな機械よりも正確で
どんな馬よりも強い

猛(たけ)り狂う火のように
敏捷に、うち震え
マルセイエーズを歌うけれども
エレイゾン(賛美歌)などは歌わない
……

あらくれどもがこの手に応え
接吻した手。
大砲に降りそそぐ太陽の下で。

その手は拳を作って
この上に指輪があればねと叫ぶ。

革命の絶頂期のパリの真ん中から
ランボーが歌ったのは
たくましい女への讃歌(オマージュ)でした。

 *
 ジャンヌ・マリイの手

ジャンヌ・マリイは丈夫な手してる、
だが夏負けして仄かに暗く、
蒼白いこと死人の手のやう。
――ジュアナの手とも云ふべきだ?

この双つの手は褐の乳脂を
快楽(けらく)の池に汲んだのだらうか?
この双つの手は月きららめく
澄めらの水に浸つたものか?

太古の空を飲むだのだらうか?
可愛いお膝にちよんと置かれて。
この手で葉巻を巻いただらうか、
それともダイヤを商(あきな)つたのか?

マリアの像の熱き御足に
金の花をば萎ませたらうか?
西洋莨菪(はしりどころ)の黒い血は
掌(てのひら)の中で覚めたり睡(ね)たり。

双翅類をば猟り集め
まだ明けやらぬ晨(あした)のけはひを
花々の密の槽へと飛ばすのか?
それとも毒の注射師か?

如何なる夢が捉へたのだらう?
展伸(ひろ)げられたるこの手をば、
亜細亜のかカンガワールのか
それともシオンの不思議な夢か?

――密柑を売りはしなかつた、
神々の足の上にて、日に焼けたりもしなかつた。
この手はぶざまな赤ン坊たちの
襁褓を洗つたことはない。

この手は背骨(せぼね)の矯正者、
決して悪くはしないのだ、
機械なぞより正確で、
馬よりも猶強いのだ!

猛火とうごめき
戦き慄ひ、この手の肉は
マルセイェーズを歌ふけれども
エレーゾンなぞ歌はない!

あらくれどもの狼藉は
厳冬の如くこの手に応(こた)へ、
この手の甲こそ気高い暴徒が
接唇をしたその場所だ!

或時この手が蒼ざめた、
蜂起した巴里市中の
霰弾砲の唐銅(からかね)の上に
托された愛の太陽の前で!

神々しい手よ、甞てしらじらしたことのない
我等の脣(くち)を顫はせる手よ、
時としておまへは拳(こぶし)の形して、その拳(こぶし)に
一連(ひとつら)の、指環もがなと叫ぶのだ!

又時としてその指々の血を取つて、
おまへがさつぱりしたい時、
天使のやうな手よ、それこそは
我等の心に、異常な驚き捲き起すのだ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ 第6連の「カンガワール」の「ワ」は、原作では濁点が付いています。ルビは原作に
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2012年2月12日 (日)

中原中也が訳したランボー「盗まれた心」Le Cœur voléその5

「盗まれた心」 Le Cœur voléが
パリ・コンミューンの最中で作られたものであることを
生き生きと伝える実証的研究の一つを
ここで紹介しておきましょう。

アンリ・マタラッソー、ピエール・プティフィスの共作
「ランボーの生涯」(粟津則雄、渋沢孝輔訳、筑摩書店、1972年)の中の一節ですが、
この詩を解釈する一つの角度を提供してくれていて、参考になります。

以下引用。

 はるかパリの方で燃えあがっている大義のために身を捧げたいという欲求は、かつてランボーの心を去ったことはなかった。ところで、コミューン軍が、日給30スーで兵隊を募集していた。彼は、ためらうことなく出発した。4月20日頃のことと思われる。例によって徒歩で、一日、3、40キロという速度だった。もっとも、馬車の御者に呼びかけて、今日「ヒッチハイク」と呼ばれていることもやった。運賃がわりに、漫画を描いてみせたり、いろいろな逸話を話してきかせたりした。戦争のおかげで、それらの題材は尽きることがなかったのである。

パリの市門に到着したのは、1871年4月23日か24日頃のことであった。徴募本部で、彼は歓迎され、彼のために、帽子をまわしてくれた(ドラエーの話では、21フラン13スー集ったということだ)。それで、彼は、これらの恩人たちにおごった。つまり、冒険は、調子よく始まったのである。彼は、バビロン街の兵舎に連れていかれた。そして、義勇兵のグループに入れられた。

その当時、パリとヴェルサイユとのあいだは、現代的な言いかたをすれば、「妙な戦争」だった。互いに探りあい、おのれの陣営を固めていた。はげしい戦闘が行われるのは、周辺部の、ヴァンヴやイシーのあたりだけだった。全体の雰囲気には、攻囲されたメジエールを思い起させるところがあった。同じような荒々しい決定があり、同じような気ちがいじみた信頼があり、同じような無秩序があった。

兵営には、兵士や、労働者や、アルジェリア歩兵や、国民軍兵士や、水夫などが、武器も毛布もなしに、ごちゃごちゃにつめこまれていた。かくして、或る朝、ランボーは、同室の屈強な男たちにの中で目覚めた。どいつもこいつも、多かれ少かれ入れ墨をしていて、彼と同様、命を引きかえにした志願兵だった。外出は自由だった。

彼は、フォランという同じ年頃の若者といっしょに(フォランは、もうすでに絵を描いていた)、パリを歩きまわった。このことは、フォランが、フェルナン・グレグ氏にはっきりと語ったことである。グレグ氏は書いている。「彼(フォラン)は、私に、パリの浮浪児と呼ばれていた若い頃の話をきかせてくれた。彼の話では、彼は、コミューンのときに、ランボーといっしょに『ぶらつきまわった』ということだ。そのとき或る司祭が、ランボーに興味を抱いたという話だが、私は、もうその司祭の話を覚えていない。」

ランボーは、ものを書いていた。彼が、小さなノートを、『共産主義政体』の試案(これは現在未発見)で埋めたり、『パリの軍歌』を作ったりしたのは、おそらくこの兵営でのことであろう。だが、革命軍の兵士たちとの接触は、程なく、彼に嘔吐を催させた。食事、嗅ぎ煙草、泥酔、卑猥な言行、彼らは、こういうことから抜け出ようとしなかった。

ランボーは、彼らの理想が含む高貴さを呼び起そうと、空しく努めたであろうか? 彼らの淫奔なふるまいの犠牲となったであろうか? そらはわからない。しかし、4月末に、或る辛い事件が、彼に、いっさいを放棄させたのである。苦痛に心をくだかれた彼は、その失意幻滅を或る詩で語った。

この詩には、順次次の三つの題が与えられている。『処刑された心』、『道化師の心』、『盗まれた心』。ランボーは、一個の英雄たろうとした。ところが、ひとりの道化者にすぎなかったのである。

(※読みやすくするために、改行と行空きを加えてあります。また、漢数字を洋数字に変えました。編者。)

 *
 盗まれた心

私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる。
そしてスープの吐瀉(げろ)を出す、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす。
一緒になつてげらげら笑ふ
世間の駄洒落に打ちのめされて、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる!

諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!
舵の処(とこ)には壁画が見える
諷刺詩流儀の雑兵気質の。
おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した。

奴等の噛煙草(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、
奴等の煙草が尽きたとなつたら。
私のお腹(なか)が跳び上るだらう、
それで心は奪回(かへ)せるにしても。
奴等の噛煙草Z(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月 7日 (火)

中原中也が訳したランボー「盗まれた心」Le Cœur voléその4

「盗まれた心」 Le Cœur voléの原典には
三つの異なるテキストが存在し
それぞれのテキストには
それぞれ異なるタイトルが付けられています。

三つのタイトルとは、
「処刑された心臓(こころ)」
「道化師の心臓(こころ)」
「盗まれた心臓(こころ)」。

本文は同じ内容でありながら、
タイトルは主格「心臓(こころ)」の修飾語を
ある時に「処刑された」
ある時に「道化師の」
ある時に「盗まれた」と
送られた相手によって変化するバージョンを持っているのです。

「処刑された心臓(こころ)」は
1871年5月13日付けで
イザンバールに宛てた書簡に記された自筆の原稿、
「道化師の心臓(こころ)」は
1871年6月10日付けで
ポール・デメニーに宛てた書簡に記された自筆原稿、
「盗まれた心臓(こころ)」は
1871年10月に書かれたことが推定されている
ポール・ヴェルレーヌによる筆写原稿です。

中原中也が翻訳に使ったテキストは
第2次ペリション版で
ヴェルレーヌの筆写原稿を採用していますから
タイトルは「盗まれた心臓(こころ)」です。

いずれも1871年に書かれていますが
この年に起こったパリ・コミューンの状況を反映していて
宛てた相手それぞれに
異なったタイトルをつけたものと見られているのです。
書簡を書いた時のパリ・コンミューンが
解放区であったか
それとも、労働者の敗北が決まっていた時だったかによって
詩(タイトル)に変化を及ぼし
詩の解釈にも相違を生んでいます。

どのバージョンにしたって
この詩はランボーのパリ・コンミューン体験をモチーフにしたものと見られ
3月18日に成立し
5月28日に崩壊したとされているコンミューンを
ランボーがどのように体験したか、
あるいは、しなかったかを含めて
パリで書いたのか、シャルルビルで書いたのか、などの問いに答える
さまざまな説が飛び交います。

どの制作日であっても
どれほどの距離を置いていたかの判断の相違はあるものの
パリ・コンミューンという歴史の只中に
ランボーが入り込んだことは間違いないことで、
「自由の女神と美神ヴィーナス」を夢に描いて
脱出を試みようとしていた片田舎シャルルビルの青年が
世界史の表舞台へと
突如、アンガジエ(参加)してしまったことは確実です。

詩は
大衆革命の動乱の最中に、
期せずして、性的な暴力にさらされた経験を歌ったものとする解釈や
「見者の美学」に立とうとする高揚と挫折を歌ったものとする解釈など、
諸説紛々としていますが
原色めくるめく明るい光に満ちたトーンは消え失せ
処刑された、とも、
道化師の魂を装った、とも、
盗まれてしまった、とも言えるランボーの
心臓の鼓動の暗鬱な響きだけが伝わってくるかのようです。

どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。

というエンディングは、
答えを見つけられないで
途方に暮れているランボーの立ち姿ですが
このどん底は
やがて生まれる「酔いどれ船」の
絢爛たる冒険譚への序章の位置にあるものであるのを知れば
ややほっとした気持ちにもなれるというものです。

大岡昇平の回想は、
中原中也が身を置いていた
花園アパートの青山二郎のサロンにも
「ランボーという事件」が飛び火していてことを明らかにしているのですが
このサロンに出入りしていた文士や評論家たちは、
この「盗まれた心」を巡って
どのような会話を交わしていたものでしょうか。
もはやそれは想像する以外になく
大岡昇平の回想はこの点でも
貴重というほかにいいようがありません。

 *
 盗まれた心

私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる。
そしてスープの吐瀉(げろ)を出す、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす。
一緒になつてげらげら笑ふ
世間の駄洒落に打ちのめされて、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる!

諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!
舵の処(とこ)には壁画が見える
諷刺詩流儀の雑兵気質の。
おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した。

奴等の噛煙草(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、
奴等の煙草が尽きたとなつたら。
私のお腹(なか)が跳び上るだらう、
それで心は奪回(かへ)せるにしても。
奴等の噛煙草Z(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
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2012年2月 6日 (月)

中原中也が訳したランボー「盗まれた心」Le Cœur voléその3

大岡昇平が「大嫌い」といい
「詩人の慣用句」と断じた「よ」は、

おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、

どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、

どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。

――の3度、登場しますが、
どの場合も、詩の自然な流れに沿っています。

そもそも

おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、

と、歌われる「盗まれた心」第2連は
なにやら「安い煙草」にむかついた私がゲロを吐き
下品極まる駄洒落に汚れた心を歌った第1連を受けて
その汚れてしまった心を洗い流し清めておくれと
祈り懇願する気持ちを歌ったもので
呼びかけの「よ」として必須の措辞といえるものです。

これを「大嫌い」と言うのは勝手というものですが
それは詩の評価ではなく
嫌悪感の表明ですから
もしも、それが表明されたのでしたら
中原中也が怒っても当然で
喧嘩を売っているのが大岡昇平か中也中也かのどちらかは明白です。

70歳になってまで
こんなふうに表白する大岡昇平の
大作家としての「上から目線」は
そのまま昭和11年、大岡27歳の血気盛ん振りに通じていることが想像されますが
これでは詩人のプライドなんてあったものではなく
「玩具の賦」で詩人が展開した
「遊び心のない」
「玩具の楽しみを知らない」
プロザイックな立場とは
ますます遠ざかっていく詩人の立場が
痛いほどに見えてくるというものです。

花園アパート時代の中原中也に
どことはなく沈んだ感じがあり
昭和10年春には
市谷へ転居する詩人ですが
ここでも「私はその日人生に、椅子を失くした」と
遠い日に歌ったまんまの詩人がいるような気がしてなりません。

(つづく)

 *
 盗まれた心

私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる。
そしてスープの吐瀉(げろ)を出す、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす。
一緒になつてげらげら笑ふ
世間の駄洒落に打ちのめされて、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる!

諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!
舵の処(とこ)には壁画が見える
諷刺詩流儀の雑兵気質の。
おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した。

奴等の噛煙草(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、
奴等の煙草が尽きたとなつたら。
私のお腹(なか)が跳び上るだらう、
それで心は奪回(かへ)せるにしても。
奴等の噛煙草Z(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
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2012年2月 5日 (日)

中原中也が訳したランボー「盗まれた心」Le Cœur voléその2

「思いだすことなど」は
大岡昇平が「中原中也必携」(学燈社)」という
「別冊国文学」の1979年夏号の巻頭記事のための語り下ろしで
昭和初期の経験の記憶をたどったものですが
予め練られたテーマに沿って語られたものがあり
それからの書き起こしであるということを差し引いて、
70歳の回想ということを差し引いたとしても、
中原中也本人に反論することができないということを差し引くことはできず
どうしたって不在者批判の印象を拭いきれません。

そうしたことを理解した上で
この回想を読まなくてはなりませんが
この回想がないよりはあったほうが
断然、中原中也がこの時何を考えていたかを知ることになりますし
「盗まれた心」という詩作品を
詩人がどのように見なしていたか
詩人のこの詩への思いへ近づくことができるでしょうから
貴重な証言であることに変わりはありません。

これほどまでのことを言えるのは
やはり、詩人の同時代者であり
同じ文学の道を行こうとしていた同士であり
そのうちでも、ごく親しい友人であり
友人のうちでも、特に近しい友人、つまり親友であり
その親友同士がランボーの詩の翻訳を
かつて共にしあった仲であったからのことでしょう。
「僕の方じゃ昔仲よく翻訳してた頃の昔話をしているつもりですからね。」と
大岡昇平が語っているのはそのあたりの事情です。

大岡が「盗まれた心」に関して述べているところは

1、「諷刺詩流儀」ってのは誤訳で、原文はithyphallique兵隊の隠語で、辞書にない。
「助平の」と訳されるのが普通、これは私自身の昭和三年頃のよた訳なんです。

2、彼は「白痴群」第五号に訳したヴェルレーヌの「ポーブル・レリアン」の中に「盗まれ
た心」がありますが、この辺はそれは僕のままなんです。そして山本文庫版でも直っ
てない。

3、僕のフランス語もその後少しは進歩してるから、phallique(男根的)って字が入って
いるから、あれは違うよ、こんど全訳を出す時は直した方がいい、といったんです。

4、「玄妙不可思議の波浪」っていうのも僕の珍訳、

5、彼は「波浪よ」と「よ」をつけただけですからね。僕は「よ」という詩人の慣用句が大
嫌い、

――の5点です。

一つひとつに詩人は回答した様子はありませんが
詩人が回答したにもかかわらず
大岡の記憶から抜けたということもあり得ますから
その辺は差し引いて考えたほうがよく
そうすると、大岡の発言の一方的であることも少しは見えてくるのですが
ここでの詩人の反応は

1、彼は変な顔をしてしばらく黙ってこっちを見てたが、

2、不意に「お前はおれが、お前の訳を盗ったっていうのか」と変にこもった声でいう。
彼がおこっていることがわかって、

3、「ちょっとした文句の違いが、全体を替えるんだ」っていうんだが、

4、だんだんかっかしてくる、 ※この「かっかしてくる」のは、双方のことらしい。

――の4点です。

中原中也は、
「誤訳」への反論をしなかったようですが
反論をしなかったことを
ただちに誤訳を認めたから、と見なしてよいものではなく
その誤訳は大岡のものだから
なんと反論してよいか、戸惑ったというのが真実のようであり、
そのうえ、多義的な語句を一義的に規定しなくてもよいと考えたのかもしれず
また、「玄妙不可思議の波浪よ」と
「よ」をつけて独創とした詩人の翻訳の技が
「大嫌い」と大岡に生理的な嫌悪感を抱かれるのは勝手ですが
このどちらの件にしても、両者はまったくすれ違っていることがわかります。

(つづく)

 *
 盗まれた心

私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる。
そしてスープの吐瀉(げろ)を出す、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす。
一緒になつてげらげら笑ふ
世間の駄洒落に打ちのめされて、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる!

諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!
舵の処(とこ)には壁画が見える
諷刺詩流儀の雑兵気質の。
おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した。

奴等の噛煙草(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、
奴等の煙草が尽きたとなつたら。
私のお腹(なか)が跳び上るだらう、
それで心は奪回(かへ)せるにしても。
奴等の噛煙草Z(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月 4日 (土)

中原中也が訳したランボー「盗まれた心」Le Cœur volé

盗まれた心 Le Cœur voléは
中原中也訳「ランボオ詩集」の12番目にある作品。
解釈をめぐって
さまざまな説が乱れ飛ぶ詩です。

難解ではないけれど
独特の「象徴化」が
多様な解釈を生じさせることになるのは仕方がなく
中原中也がこの詩に取り組みながら
何を考え、どのように解釈していたか
どんな想像を描いていたか、知りたいところです。

そこで、若干、そのヒントになるのが
大岡昇平の回想です。

1979年に「思い出すことなど」として「中原中也必携」(学燈社)に初出・発表され
後に「生と歌 中原中也その後」(角川書店)に収録された回想の中で
大岡は中原中也との喧嘩についてあらいざらい述べていて
その一部としてながら、
新宿の花園アパートでやった
3度の喧嘩のうちの一つを詳しく語っているのですが
その中に、まさに「盗まれた心」の翻訳をきっかけにした喧嘩のことが出てきます。

昭和11年(1936)の6月末か7月初のこととして、
「盗まれた心」の第2連の

諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!

で、「諷刺詩流儀」とあるのは誤訳であることを
大岡昇平が指摘したことから
あやうく大事になるところを青山二郎が中に入って
事なきを得た、という喧嘩にならなかった喧嘩に触れたのです。

そこのところを
「生と歌 中原中也その後」から引用しておきます。

――「諷刺詩流儀」ってのは誤訳で、原文はithyphallique兵隊の隠語で、辞書にない。「助平の」と訳されるのが普通、これは私自身の昭和三年頃のよた訳なんです。小林が奈良へ行ったあと、代りに中原にフランス語を教わることにしていた、いや何も習うことはないけれど、親から飲み代を出させてるためです。一週間の間にランボーやネルヴァルを一篇か二篇訳して、二人で見せっこする。僕が初期詩篇をやり、彼は「イリュミナシオン」の中の行分け詩をやっていた。それぞれが気に入った、そして未訳のものをやった。彼はたしか「蹲踞」「忍耐」「カシスの川」を持って来たと思います。僕は「烏」「盗まれた心」「フォーヌの頭」「夕べの辞」などをやった。訳稿を取り替えっこをするんですが、彼は「白痴群」第五号に訳したヴェルレーヌの「ポーブル・レリアン」の中に「盗まれた心」がありますが、この辺はそれは僕のままなんです。そして山本文庫版でも直ってない。僕のフランス語もその後少しは進歩してるから、phallique(男根的)って字が入っているから、あれは違うよ、こんど全訳を出す時は直した方がいい、といったんです。彼は変な顔をしてしばらく黙ってこっちを見てたが、青山とほかの話をしていると、不意に「お前はおれが、お前の訳を盗ったっていうのか」と変にこもった声でいう。彼がおこっていることがわかって、こっちはびっくり、僕の方じゃ昔仲よく翻訳してた頃の昔話をしているつもりですからね。「玄妙不可思議の波浪」っていうのも僕の珍訳、「ちょっとした文句の違いが、全体を替えるんだ」っていうんだが、彼は「波浪よ」と「よ」をつけただけですからね。僕は「よ」という詩人の慣用句が大嫌い、――そんなことをいっているうちに、だんだんかっかしてくる、この時は、青山から、「大岡はお前が盗ったとは、一度もいってねえじゃねえか」と取りなしてくれて、大事にいたらなかった。(一部の校正ミスがありますが、原文のママにしてあります。編者。)

(つづく)

 *
 盗まれた心

私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる。
そしてスープの吐瀉(げろ)を出す、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす。
一緒になつてげらげら笑ふ
世間の駄洒落に打ちのめされて、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる!

諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!
舵の処(とこ)には壁画が見える
諷刺詩流儀の雑兵気質の。
おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した。

奴等の噛煙草(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、
奴等の煙草が尽きたとなつたら。
私のお腹(なか)が跳び上るだらう、
それで心は奪回(かへ)せるにしても。
奴等の噛煙草Z(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
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2012年2月 3日 (金)

中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ansその6小林秀雄訳

小林秀雄は
詩の道を選ばず
散文家の道を行き
日本国で評論文学を大成しますが
まだ、そうした選択が決定的になる以前
詩に取り組んだ時期があります。

結果、ランボーの翻訳でも
韻文詩に取り組み
酩酊船、
渇の喜劇、
堪忍、
オフィリヤ、
谷間に眠る男――と
幾つかを残したのですが
中に「七才の詩人」があり
これを散文詩として訳出しました。

小林秀雄訳の「ランボオ詩集」(創元社、昭和23年)に
「七才の詩人」は収録されず
以後も「未定稿扱い」にされますが
昭和5年発行の「詩・現実」に発表されて
それが「新編中原中也全集」(角川)に
同時代訳として掲出されているのを読むことができます。

参考までに同書から
小林秀雄訳の「七才の詩人」を引用・掲出しておきます。

韻文詩を散文詩に訳すという試みが
ユニークなどと言われ
持ち上げられたりしますが
いかがなものでしょうか
詩句が寝ころんでしまって
味が立っていない料理みたいな響きがありはしませんか。

中原中也訳と読み比べるだけでも
スリリングですし
いろいろな発見もできそうですし
詩を読む楽しさをサポートしてくれることでしょう。

 ◇
 
 七才の詩人
 小林秀雄訳

 やがて、「母親」は、宿題の本をふせ、満足して、如何にも得意気に出て行つた。碧い眼のうちで、でこぼこの一杯ある額の下で、息子の心が、糞でも喰へ、と構へてゐるのも知らないで。

 一日中、彼は唯々として汗をかいてゐた。随分利口な子なのだが、陰鬱な顔面の痙攣や、どことはない面ざしは、苛立たしい嬌飾を語つてゐる様だつた。
 壁紙に黴の生えた廊下を伝ひ、物蔭を通る時、彼は舌を出し、股のつけ根に拳固を二つくらはせて、閉ぢた眼の裏に、点々(ぼちぼち)を見た。
 戸口は夕闇に放たれてゐた。屋根からぶらさがつた明窓の入江の下に、欄干にいす倚つて、苦し気に息をついてゐる、彼の姿が、ランプの火影に照らされて彼方(むかう)に見えた。
 とりわけ、夏はへこたれて、馬鹿みたいに、強情に、冷え冷えとした便所に閉ぢこもり、鼻の孔をふくらませ、森閑として、物思ひにふけつたものだ。
 様々な昼間の臭ひに洗はれて、家の背後(うしろ)で小園が、冬の陽を浴びる時、彼は壁下に身を構へて、肥料用の泥灰石に埋れて、とりどりの夢を見ようと、魚の切身の様な片眼を圧し潰し、疥癬を病んで壁上に拡つた、葡萄の枝々のざわめきに耳を傾けた。
 彼に親しい仲間といつては、可愛相に頬のうえのに光沢(つや)のない眼を据ゑた、帽子もかぶらぬ、身窄しい子供等だけだつた。市場のいやな臭ひのする、色もすつかり褪せちやつた着物の下に、黄色く、黒く、泥によごれた、痩せた指を、おしかくし、白痴の様な優しさで、言葉をかはすのであつた。この穢らは憐憫の現場をみつけては、母親は慄え上つた、子供の深い幼(いとけな)さが、彼女の驚きに武者振りついた、よろしい、彼女だつて碧い眼なんだ、――例の嘘つきの。
 七つになつて、彼は大沙漠の生活の上に、様々な物語を織つた。恍惚とした「自由」や、森や、太陽や、岸や、草原が、きらきら光を放つた。彼は、絵本で、赤く染つたイスパニア人やイタリヤ人が笑つてゐるのを眺めて奮発した。
 更紗模様の着物を着て、道化た、茶眼の、隣の職人とこの八つになる小娘だが、この野放しの小娘が片隅で、組毛を振り乱して、彼の背中に躍り上つた。彼は下敷きになつたのだが、どうせ娘は猿股なんかはいてた事はない。彼はお尻に咬み附いてやつた。こんな時には、彼は、娘の肌の舌触りを、部屋まで持つて帰つた。

 彼の嫌ひな、十二月の物悲しい日曜には、頭に煉脂(ポマド)を塗つて、桃花心木(アカジュ)の円卓の上で、生キヤベツ色の縁をした聖書を読むのであつた。毎晩、様々な夢が、寝室で彼の呼吸を妨げた 彼は「神様」が嫌ひであつた。彼は、鹿子色の黄昏に、仕事着を着た、黒い人影が、場末の町にくり出して来るのを眺めた、東西屋が、三遍がかり、太鼓のどろどろ打ちをすると、看板をかこんだ群集が、笑つたり、唸つたりする。
 彼の夢みたものは、恋しい牧場であつた、燦々とした波のうねり、清らかな香気、黄金の繊毛、静かに動いては、飛翔する。

 暗鬱なものものを、彼はとりわけ噛みしめた。苛々(いらいら)と湿気をふくみ、丈高く、赤裸の室に鎧戸をしめ、物語を読む時は、彼の思ひは絶え間なく、重たげな石黄色の空や氾濫する森や延び拡がつた天体の林に咲く生肉の花に満されて、――眩暈と崩壊、潰乱と憐憫。
 下に街の喧騒をきき乍ら、彼は、唯一人、粗末な布きれの上に寝ころんで、切ないまでに、満々たる帆を予覚した。

 *

 七才の詩人

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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2012年2月 1日 (水)

中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ansその5

中原中也訳の「七才の詩人」Les Poètes de sept ansの
詩の末尾にこだわったのですから
他の翻訳もざっとここで見ておきましょう。

詩の終わり方がよければすべてはよい、
などとは、
詩に限ってこそ言えるようなことではないはずですが
終わりの行には、あまねく表現者の苦闘の跡が見られるかもしれませんし
眺めているだけでも壮観ですし、面白くもありますし。

いま、手元にあるものだけを
掲げます。


中原中也訳
七才の詩人

かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……


小林秀雄訳
七才の詩人

 下に街の喧騒をきき乍ら、彼は、唯一人、粗末な布きれの上に寝ころんで、切ない
までに、満々たる帆を予覚した。


村上菊一郎訳
七才の詩人たち

――下界に高まる巷のざわめきを
よそに、――彼はただ一人、生布(きぬの)の敷布に寝ころんで、
はげしくも帆布を予感してゐたのだ!


金子光晴訳
七歳の詩人たち

 はるか低く、衢(ちまた)のざわめきがきこえてくるけれど、
彼はひとり粗(あら)いシーツのうえにころがり、
その布から、切ないばかり帆布をなつかしむのであった!


堀口大学訳
七歳の詩人たち

階下にざわめく巷(ちまた)のもの音は聞き流し
ただひとり、粗布(あらぬの)のシーツの上に横たわり
はげしくも帆布(ほぬの)を予感したとやら!……


西条八十訳
七歳の詩人たち

――階下に街の騒音が聞える時、
彼は巻いた布地(きれじ)の上にひとり寝ころび
海をゆく帆の幻を烈しく予感していた!


粟津則雄訳
七歳の詩人たち

――下の方では、町のざわめきがきこえて
いたが――、彼はただひとり、巻いた生布(きぬの)に
寝そべって、烈しく帆布を予感していた!


鈴木創士訳
七歳の詩人たち

――下のほうで、町のざわめきが聞こえているあいだ、
――たったひとりで、継ぎはぎの生の布地の上に寝そべって、
烈しく帆船を予感するのだ!


宇佐美斉訳
七歳の詩人たち

――下の方では 街のざわめきがしているが その間も――
ただひとりかれは 生麻布(きあさ)のベッドカバーに寝ころんで
船の帆の到来をはげしく望み見ているのだった


鈴村和成訳
七歳の詩人たち

――その間も街のざわめきが昇って来て、
下方で、――ただひとり、何枚かの生成りの麻布に
寝そべって、はげしく帆布を予感していた!

 *

 七才の詩人

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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