中原中也が訳したランボー「ジャンヌ・マリイの手」Les Mains de Janne-Marie
「ジャンヌ・マリイの手」Les Mains de Janne-Marieは
パリ・コンミューンの義勇兵となったランボーが
兵務の間をぬって、
「自由にぶらつき」回ったときの見聞などをもとに
コンミューン軍の女性労働者マリイを
100年前のフランス革命の女性闘士「ジャンヌ・ダルク」にダブらせて
歌いあげている詩です。
もちろん
マリイという名の女性が
実在したかどうかわかりませんし
架空の女性をランボーが創りあげたのかもしれませんが
その女性を
ランボーは遠くから崇(あが)めることはしないで
彼女の手の描写から歌ったのは
いかにも至近距離で
コミューン派の女性革命戦士を実際に見た印象が強かったからといえるでしょうか。
ジャンヌ・マリイの丈夫な手
夏の陽の乱反射にやられ、うすら暗い色、
青白く死人の手のようだ
――これを、ジュアナ(妖女)の手というのだろうか?
第1連終行にある「――」と
第7連初行にある「――」が
この詩の構造を理解する印(しるし)になっていることに注意してください。
第1連終行の「――」以下、第7連初行まで
同じ疑問符「?」をつけて
ジャンヌ・マリイの
丈夫で、暗い、死人のような
手の由来に疑問を投げかけ
第7連以降は
これらの疑問を打ち消すかの断言が連ねられ
マリイへの手の讃歌へと変わっているのです。
この両手は褐色の乳脂を
快楽の池から汲んだのだろうか?
両手は月がキラキラする
澄んだ水に漬かったものだろうか?
……
そういうこともあったかもしれない
……
しかし、この手は
蜜柑を売らない
神にひざまずき、日に焼けたりはしない、
赤ん坊たちのオムツを洗ったことはない
手だ。
この手は
背骨をも矯正する手
どんな機械よりも正確で
どんな馬よりも強い
猛(たけ)り狂う火のように
敏捷に、うち震え
マルセイエーズを歌うけれども
エレイゾン(賛美歌)などは歌わない
……
あらくれどもがこの手に応え
接吻した手。
大砲に降りそそぐ太陽の下で。
その手は拳を作って
この上に指輪があればねと叫ぶ。
革命の絶頂期のパリの真ん中から
ランボーが歌ったのは
たくましい女への讃歌(オマージュ)でした。
*
ジャンヌ・マリイの手
ジャンヌ・マリイは丈夫な手してる、
だが夏負けして仄かに暗く、
蒼白いこと死人の手のやう。
――ジュアナの手とも云ふべきだ?
この双つの手は褐の乳脂を
快楽(けらく)の池に汲んだのだらうか?
この双つの手は月きららめく
澄めらの水に浸つたものか?
太古の空を飲むだのだらうか?
可愛いお膝にちよんと置かれて。
この手で葉巻を巻いただらうか、
それともダイヤを商(あきな)つたのか?
マリアの像の熱き御足に
金の花をば萎ませたらうか?
西洋莨菪(はしりどころ)の黒い血は
掌(てのひら)の中で覚めたり睡(ね)たり。
双翅類をば猟り集め
まだ明けやらぬ晨(あした)のけはひを
花々の密の槽へと飛ばすのか?
それとも毒の注射師か?
如何なる夢が捉へたのだらう?
展伸(ひろ)げられたるこの手をば、
亜細亜のかカンガワールのか
それともシオンの不思議な夢か?
――密柑を売りはしなかつた、
神々の足の上にて、日に焼けたりもしなかつた。
この手はぶざまな赤ン坊たちの
襁褓を洗つたことはない。
この手は背骨(せぼね)の矯正者、
決して悪くはしないのだ、
機械なぞより正確で、
馬よりも猶強いのだ!
猛火とうごめき
戦き慄ひ、この手の肉は
マルセイェーズを歌ふけれども
エレーゾンなぞ歌はない!
あらくれどもの狼藉は
厳冬の如くこの手に応(こた)へ、
この手の甲こそ気高い暴徒が
接唇をしたその場所だ!
或時この手が蒼ざめた、
蜂起した巴里市中の
霰弾砲の唐銅(からかね)の上に
托された愛の太陽の前で!
神々しい手よ、甞てしらじらしたことのない
我等の脣(くち)を顫はせる手よ、
時としておまへは拳(こぶし)の形して、その拳(こぶし)に
一連(ひとつら)の、指環もがなと叫ぶのだ!
又時としてその指々の血を取つて、
おまへがさつぱりしたい時、
天使のやうな手よ、それこそは
我等の心に、異常な驚き捲き起すのだ。
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ 第6連の「カンガワール」の「ワ」は、原作では濁点が付いています。ルビは原作に
あるもののみを( )の中に入れました。編者。
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