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2012年2月 3日 (金)

中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ansその6小林秀雄訳

小林秀雄は
詩の道を選ばず
散文家の道を行き
日本国で評論文学を大成しますが
まだ、そうした選択が決定的になる以前
詩に取り組んだ時期があります。

結果、ランボーの翻訳でも
韻文詩に取り組み
酩酊船、
渇の喜劇、
堪忍、
オフィリヤ、
谷間に眠る男――と
幾つかを残したのですが
中に「七才の詩人」があり
これを散文詩として訳出しました。

小林秀雄訳の「ランボオ詩集」(創元社、昭和23年)に
「七才の詩人」は収録されず
以後も「未定稿扱い」にされますが
昭和5年発行の「詩・現実」に発表されて
それが「新編中原中也全集」(角川)に
同時代訳として掲出されているのを読むことができます。

参考までに同書から
小林秀雄訳の「七才の詩人」を引用・掲出しておきます。

韻文詩を散文詩に訳すという試みが
ユニークなどと言われ
持ち上げられたりしますが
いかがなものでしょうか
詩句が寝ころんでしまって
味が立っていない料理みたいな響きがありはしませんか。

中原中也訳と読み比べるだけでも
スリリングですし
いろいろな発見もできそうですし
詩を読む楽しさをサポートしてくれることでしょう。

 ◇
 
 七才の詩人
 小林秀雄訳

 やがて、「母親」は、宿題の本をふせ、満足して、如何にも得意気に出て行つた。碧い眼のうちで、でこぼこの一杯ある額の下で、息子の心が、糞でも喰へ、と構へてゐるのも知らないで。

 一日中、彼は唯々として汗をかいてゐた。随分利口な子なのだが、陰鬱な顔面の痙攣や、どことはない面ざしは、苛立たしい嬌飾を語つてゐる様だつた。
 壁紙に黴の生えた廊下を伝ひ、物蔭を通る時、彼は舌を出し、股のつけ根に拳固を二つくらはせて、閉ぢた眼の裏に、点々(ぼちぼち)を見た。
 戸口は夕闇に放たれてゐた。屋根からぶらさがつた明窓の入江の下に、欄干にいす倚つて、苦し気に息をついてゐる、彼の姿が、ランプの火影に照らされて彼方(むかう)に見えた。
 とりわけ、夏はへこたれて、馬鹿みたいに、強情に、冷え冷えとした便所に閉ぢこもり、鼻の孔をふくらませ、森閑として、物思ひにふけつたものだ。
 様々な昼間の臭ひに洗はれて、家の背後(うしろ)で小園が、冬の陽を浴びる時、彼は壁下に身を構へて、肥料用の泥灰石に埋れて、とりどりの夢を見ようと、魚の切身の様な片眼を圧し潰し、疥癬を病んで壁上に拡つた、葡萄の枝々のざわめきに耳を傾けた。
 彼に親しい仲間といつては、可愛相に頬のうえのに光沢(つや)のない眼を据ゑた、帽子もかぶらぬ、身窄しい子供等だけだつた。市場のいやな臭ひのする、色もすつかり褪せちやつた着物の下に、黄色く、黒く、泥によごれた、痩せた指を、おしかくし、白痴の様な優しさで、言葉をかはすのであつた。この穢らは憐憫の現場をみつけては、母親は慄え上つた、子供の深い幼(いとけな)さが、彼女の驚きに武者振りついた、よろしい、彼女だつて碧い眼なんだ、――例の嘘つきの。
 七つになつて、彼は大沙漠の生活の上に、様々な物語を織つた。恍惚とした「自由」や、森や、太陽や、岸や、草原が、きらきら光を放つた。彼は、絵本で、赤く染つたイスパニア人やイタリヤ人が笑つてゐるのを眺めて奮発した。
 更紗模様の着物を着て、道化た、茶眼の、隣の職人とこの八つになる小娘だが、この野放しの小娘が片隅で、組毛を振り乱して、彼の背中に躍り上つた。彼は下敷きになつたのだが、どうせ娘は猿股なんかはいてた事はない。彼はお尻に咬み附いてやつた。こんな時には、彼は、娘の肌の舌触りを、部屋まで持つて帰つた。

 彼の嫌ひな、十二月の物悲しい日曜には、頭に煉脂(ポマド)を塗つて、桃花心木(アカジュ)の円卓の上で、生キヤベツ色の縁をした聖書を読むのであつた。毎晩、様々な夢が、寝室で彼の呼吸を妨げた 彼は「神様」が嫌ひであつた。彼は、鹿子色の黄昏に、仕事着を着た、黒い人影が、場末の町にくり出して来るのを眺めた、東西屋が、三遍がかり、太鼓のどろどろ打ちをすると、看板をかこんだ群集が、笑つたり、唸つたりする。
 彼の夢みたものは、恋しい牧場であつた、燦々とした波のうねり、清らかな香気、黄金の繊毛、静かに動いては、飛翔する。

 暗鬱なものものを、彼はとりわけ噛みしめた。苛々(いらいら)と湿気をふくみ、丈高く、赤裸の室に鎧戸をしめ、物語を読む時は、彼の思ひは絶え間なく、重たげな石黄色の空や氾濫する森や延び拡がつた天体の林に咲く生肉の花に満されて、――眩暈と崩壊、潰乱と憐憫。
 下に街の喧騒をきき乍ら、彼は、唯一人、粗末な布きれの上に寝ころんで、切ないまでに、満々たる帆を予覚した。

 *

 七才の詩人

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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