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2012年2月 1日 (水)

中原中也が訳したランボー「七才の詩人」Les Poètes de sept ansその5

中原中也訳の「七才の詩人」Les Poètes de sept ansの
詩の末尾にこだわったのですから
他の翻訳もざっとここで見ておきましょう。

詩の終わり方がよければすべてはよい、
などとは、
詩に限ってこそ言えるようなことではないはずですが
終わりの行には、あまねく表現者の苦闘の跡が見られるかもしれませんし
眺めているだけでも壮観ですし、面白くもありますし。

いま、手元にあるものだけを
掲げます。


中原中也訳
七才の詩人

かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……


小林秀雄訳
七才の詩人

 下に街の喧騒をきき乍ら、彼は、唯一人、粗末な布きれの上に寝ころんで、切ない
までに、満々たる帆を予覚した。


村上菊一郎訳
七才の詩人たち

――下界に高まる巷のざわめきを
よそに、――彼はただ一人、生布(きぬの)の敷布に寝ころんで、
はげしくも帆布を予感してゐたのだ!


金子光晴訳
七歳の詩人たち

 はるか低く、衢(ちまた)のざわめきがきこえてくるけれど、
彼はひとり粗(あら)いシーツのうえにころがり、
その布から、切ないばかり帆布をなつかしむのであった!


堀口大学訳
七歳の詩人たち

階下にざわめく巷(ちまた)のもの音は聞き流し
ただひとり、粗布(あらぬの)のシーツの上に横たわり
はげしくも帆布(ほぬの)を予感したとやら!……


西条八十訳
七歳の詩人たち

――階下に街の騒音が聞える時、
彼は巻いた布地(きれじ)の上にひとり寝ころび
海をゆく帆の幻を烈しく予感していた!


粟津則雄訳
七歳の詩人たち

――下の方では、町のざわめきがきこえて
いたが――、彼はただひとり、巻いた生布(きぬの)に
寝そべって、烈しく帆布を予感していた!


鈴木創士訳
七歳の詩人たち

――下のほうで、町のざわめきが聞こえているあいだ、
――たったひとりで、継ぎはぎの生の布地の上に寝そべって、
烈しく帆船を予感するのだ!


宇佐美斉訳
七歳の詩人たち

――下の方では 街のざわめきがしているが その間も――
ただひとりかれは 生麻布(きあさ)のベッドカバーに寝ころんで
船の帆の到来をはげしく望み見ているのだった


鈴村和成訳
七歳の詩人たち

――その間も街のざわめきが昇って来て、
下方で、――ただひとり、何枚かの生成りの麻布に
寝そべって、はげしく帆布を予感していた!

 *

 七才の詩人

母親は、宿題帖を閉ぢると、
満足して、誇らしげに立去るのであつた、
その碧い眼に、その秀でた額に、息子が
嫌悪の情を浮べてゐるのも知らないで。

ひねもす彼は、服従でうんざりしてゐた
聡明な彼、だがあのいやな顔面痙搐患つてをり、
その目鼻立ちの何処となく、ひどい偽嬌を見せてゐた。
壁紙が、黴びつた廊下の暗がりを

通る時には、股のつけ根に拳(こぶし)をあてがひ
舌をば出した、眼(めんめ)をつぶつて点々(ぼちぼち)も視た。
夕闇に向つて戸口は開いてゐた、ラムプの明りに
見れば彼、敷居の上に喘いでゐる、
屋根から落ちる天窗の明りのその下で。
夏には彼、へとへとになり、ぼんやりし、
厠(かはや)の涼気のその中に、御執心にも蟄居した。
彼は其処にて思念した、落付いて、鼻をスースーいはせつゝ。

様々な昼間の匂ひに洗はれて、小園が、
家の背後(うしろ)で、冬の陽光(ひかり)を浴びる時、彼は
壁の根元に打倒れ、泥灰石に塗(まみ)れつゝ
魚の切身にそつくりな、眼(め)を細くして、
汚れた壁に匍ひ付いた、葡萄葉(ぶだうば)の、さやさやさやぐを聴いてゐた。
いたはしや! 彼の仲間ときた日には、
帽子もかぶらず色褪せた眼(め)をした哀れな奴ばかり、
市場とばかりぢぢむさい匂ひを放(あ)げる着物の下に
泥に汚れて黄や黒の、痩せた指をば押し匿し、
言葉を交すその時は、白痴のやうにやさしい奴等。
この情けない有様を、偶々見付けた母親は
慄へ上つて怒気含む、すると此の子のやさしさは
その母親の驚愕に、とまれかくまれ身を投げる。
母親だつて嘘つきな、碧い眼(め)をしてゐるではないか!

七才にして、彼は砂漠の生活の物語(ロマン)を書いた。
大沙漠、其処で自由は伸び上り、
森も陽も大草原も、岸も其処では燿(かがや)いた!
彼は絵本に助けを借りた、彼は絵本を一心に見た、
其処にはスペイン人、イタリヤ人が、笑つてゐるのが見られるのだつた。
更紗模様の着物著た、お転婆の茶目の娘が来るならば、
――その娘は八才で、隣りの職人の子なのだが、
此の野放しの娘奴(め)が、その背に編髪(おさげ)を打ゆすり、
片隅で跳ね返り、彼にとびかゝり、
彼を下敷にするといふと、彼は股(もゝ)に噛み付いた、
その娘、ズロース穿いてたことはなく、
扨、拳固でやられ、踵(かかと)で蹴られた彼は今、
娘の肌の感触を、自分の部屋まで持ち帰る。

どんよりとした十二月の、日曜日を彼は嫌ひであつた、
そんな日は、髪に油を付けまして、桃花心木(アカジユ)の円卓に着き、
縁がキャベツの色をした、バイブルを、彼は読むのでありました。
数々の夢が毎晩寝室で、彼の呼吸を締めつけた。
彼は神様を好きでなかつた、鹿ノ子の色の黄昏(たそがれ)に場末の町に、
仕事着を着た人々の影、くり出して来るのを彼は見てゐた
扨其処には東西屋がゐて、太鼓を三つ叩いては、
まはりに集る群集を、どつと笑はせ唸らせる。
彼は夢みた、やさしの牧場、其処に耀(かゞよ)ふ大浪は、
清らの香(かをり)は、金毛は、静かにうごくかとみれば
フツ飛んでゆくのでありました。

彼はとりわけ、ほのかに暗いものを愛した、
鎧戸閉めて、ガランとした部屋の中、
天井高く、湿気に傷む寒々とした部屋の中にて、
心を凝らし気を凝らし彼が物語(ロマン)を読む時は、
けだるげな石黄色の空や又湿つた森林、
霊妙の林に開く肉の花々、
心に充ちて――眩暈(めくるめき)、転落、潰乱、はた遺恨!――
かゝる間も下の方では、街の躁音(さやぎ)のこやみなく
粗布(あらぬの)重ねその上に独りごろんと寝ころべば
粗布(あらぬの)は、満々たる帆ともおもはれて!……

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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