中原中也が訳したランボー「やさしい姉妹」Les Sœurs de charité
「やさしい姉妹」Les Sœurs de charitéは
「ジャンヌ・マリイの手」が書かれてから
そう遠くはない日に作られた詩ですが
そのことに意味を見出そうとしても
無駄なことかもしれません。
「ジャンヌ・マリイの手」で歌った女性闘士へのオマージュが
「やさしい姉妹」で消滅したとしても
その意味を探ったからといって
「やさしい姉妹」を
上手に読む手掛かりがつかめるものではないはずですから。
中原中也訳の「やさしい姉妹」で
まず目に見える形の特徴といえば
文語体七五調(五七調)への志向です。
冒頭行こそ
4―8(4-4)―5―4と決めていませんが
第2行は
7―5―5、
第3行は
7―5―7、
第4行は
7―5―5―7―5ときっちり決めています。
以下同様に
字余り、字足らず、破調を含みながら
このやや長い詩を最終行まで
古典的音数律五七で貫いています。
◇
若者、その眼は輝き、その皮膚は褐色(かちいろ)、
裸かにしてもみまほしきその体躯(からだ)
月の下にて崇めらる、ペルシャの国の、
或る知られざる神の持つ、銅(あかがね)に縁(ふち)どられたる額して、
◇
この若者、その眼はかがやき、皮膚は褐色、
裸にしてみたいほどの身体、
月下に崇拝されるペルシャ国の
ある知られざる神の、赤銅に縁どられた額、
――どうやら、若い男の物語がはじまりますが
いきなり、「裸にしてみたいほどの身体」と
いかにも、近くで、その男の身体を眺めたことのあるような口ぶりです。
いったい
この若者は何者でしょうか――。
*
やさしい姉妹
若者、その眼は輝き、その皮膚は褐色(かちいろ)、
裸かにしてもみまほしきその体躯(からだ)
月の下にて崇めらる、ペルシャの国の、
或る知られざる神の持つ、銅(あかがね)に縁(ふち)どられたる額して、
慓悍なれども童貞の悲観的なるやさしさをもち
おのが秀れた執心に誇りを感じ、
若々し海かはた、ダイアモンドの地層の上に
きららめく真夏の夜々の涙かや、
此の若者、現世(うつしよ)の醜悪の前に、
心の底よりゾツとして、いたく苛立ち、
癒しがたなき傷手を負ひてそれよりは、
やさしき妹(いも)のありもせばやと、思ひはじめぬ。
さあれ、女よ、臓腑の塊り、憐憫の情持てるもの、
汝、女にあればとて、吾(あ)の謂ふやさしき妹(いも)にはあらじ!
黒き眼眸(まなざし)、茶色めく影睡る腹持たざれば、
軽やかの指、ふくよかの胸持たざれば。
目覚ます術(すべ)なき大いなる眸子(ひとみ)をもてる盲目(めくら)の女よ、
わが如何なる抱擁もつひに汝(なれ)には訝かしさのみ、
我等に附纏(いつきまと)ふのはいつでも汝(おまへ)、乳房の運び手、
我等おまへを接唇(くちづけ)る、穏やかに人魅する情熱(パシオン)よ。
汝(な)が憎しみ、汝(な)が失神、汝が絶望を、
即ち甞ていためられたるかの獣性を、
月々に流されるかの血液の過剰の如く、
汝(なれ)は我等に返報(むく)ゆなり、おゝ汝、悪意なき夜よ。
★
一度女がかの恐惶、愛の神、
生の呼び声、行為の歌に駆り立てられるや、
緑の美神(ミューズ)と正義の神は顕れて
そが厳めしき制縛もて彼を引裂くのであつた!
絶えず絶えず壮観と、静謐に渇する彼は、
かの執念の姉妹(あねいもと)には見棄てられ、
やさしさ籠めて愚痴を呟き、巧者にも
花咲く自然に血の出る額を彼は与へるのであつた。
だが冷厳の錬金術、神学的な研鑚は
傷付いた彼、この倨傲なる学徒には不向きであつた。
狂暴な孤独はかくて彼の上をのそりのそりと歩き廻つた。
かゝる時、まこと爽かに、いつかは彼も験(な)めるべき
死の忌はしさの影だになく、真理の夜々の空にみる
かの夢とかの壮麗な逍遥は、彼の想ひに現れて、
その魂に病む四肢に、呼び覚まされるは
神秘な死、それよやさしき妹(いも)なるよ!
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※原作は、第8連のはじまりを、「絶えず/\」と繰り返し記号で表記しています。ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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