中原中也が訳したランボー「盗まれた心」Le Cœur voléその2
「思いだすことなど」は
大岡昇平が「中原中也必携」(学燈社)」という
「別冊国文学」の1979年夏号の巻頭記事のための語り下ろしで
昭和初期の経験の記憶をたどったものですが
予め練られたテーマに沿って語られたものがあり
それからの書き起こしであるということを差し引いて、
70歳の回想ということを差し引いたとしても、
中原中也本人に反論することができないということを差し引くことはできず
どうしたって不在者批判の印象を拭いきれません。
そうしたことを理解した上で
この回想を読まなくてはなりませんが
この回想がないよりはあったほうが
断然、中原中也がこの時何を考えていたかを知ることになりますし
「盗まれた心」という詩作品を
詩人がどのように見なしていたか
詩人のこの詩への思いへ近づくことができるでしょうから
貴重な証言であることに変わりはありません。
これほどまでのことを言えるのは
やはり、詩人の同時代者であり
同じ文学の道を行こうとしていた同士であり
そのうちでも、ごく親しい友人であり
友人のうちでも、特に近しい友人、つまり親友であり
その親友同士がランボーの詩の翻訳を
かつて共にしあった仲であったからのことでしょう。
「僕の方じゃ昔仲よく翻訳してた頃の昔話をしているつもりですからね。」と
大岡昇平が語っているのはそのあたりの事情です。
大岡が「盗まれた心」に関して述べているところは
1、「諷刺詩流儀」ってのは誤訳で、原文はithyphallique兵隊の隠語で、辞書にない。
「助平の」と訳されるのが普通、これは私自身の昭和三年頃のよた訳なんです。
2、彼は「白痴群」第五号に訳したヴェルレーヌの「ポーブル・レリアン」の中に「盗まれ
た心」がありますが、この辺はそれは僕のままなんです。そして山本文庫版でも直っ
てない。
3、僕のフランス語もその後少しは進歩してるから、phallique(男根的)って字が入って
いるから、あれは違うよ、こんど全訳を出す時は直した方がいい、といったんです。
4、「玄妙不可思議の波浪」っていうのも僕の珍訳、
5、彼は「波浪よ」と「よ」をつけただけですからね。僕は「よ」という詩人の慣用句が大
嫌い、
――の5点です。
一つひとつに詩人は回答した様子はありませんが
詩人が回答したにもかかわらず
大岡の記憶から抜けたということもあり得ますから
その辺は差し引いて考えたほうがよく
そうすると、大岡の発言の一方的であることも少しは見えてくるのですが
ここでの詩人の反応は
1、彼は変な顔をしてしばらく黙ってこっちを見てたが、
2、不意に「お前はおれが、お前の訳を盗ったっていうのか」と変にこもった声でいう。
彼がおこっていることがわかって、
3、「ちょっとした文句の違いが、全体を替えるんだ」っていうんだが、
4、だんだんかっかしてくる、 ※この「かっかしてくる」のは、双方のことらしい。
――の4点です。
中原中也は、
「誤訳」への反論をしなかったようですが
反論をしなかったことを
ただちに誤訳を認めたから、と見なしてよいものではなく
その誤訳は大岡のものだから
なんと反論してよいか、戸惑ったというのが真実のようであり、
そのうえ、多義的な語句を一義的に規定しなくてもよいと考えたのかもしれず
また、「玄妙不可思議の波浪よ」と
「よ」をつけて独創とした詩人の翻訳の技が
「大嫌い」と大岡に生理的な嫌悪感を抱かれるのは勝手ですが
このどちらの件にしても、両者はまったくすれ違っていることがわかります。
(つづく)
*
盗まれた心
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる。
そしてスープの吐瀉(げろ)を出す、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす。
一緒になつてげらげら笑ふ
世間の駄洒落に打ちのめされて、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる!
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!
舵の処(とこ)には壁画が見える
諷刺詩流儀の雑兵気質の。
おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した。
奴等の噛煙草(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、
奴等の煙草が尽きたとなつたら。
私のお腹(なか)が跳び上るだらう、
それで心は奪回(かへ)せるにしても。
奴等の噛煙草Z(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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