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2012年2月12日 (日)

中原中也が訳したランボー「盗まれた心」Le Cœur voléその5

「盗まれた心」 Le Cœur voléが
パリ・コンミューンの最中で作られたものであることを
生き生きと伝える実証的研究の一つを
ここで紹介しておきましょう。

アンリ・マタラッソー、ピエール・プティフィスの共作
「ランボーの生涯」(粟津則雄、渋沢孝輔訳、筑摩書店、1972年)の中の一節ですが、
この詩を解釈する一つの角度を提供してくれていて、参考になります。

以下引用。

 はるかパリの方で燃えあがっている大義のために身を捧げたいという欲求は、かつてランボーの心を去ったことはなかった。ところで、コミューン軍が、日給30スーで兵隊を募集していた。彼は、ためらうことなく出発した。4月20日頃のことと思われる。例によって徒歩で、一日、3、40キロという速度だった。もっとも、馬車の御者に呼びかけて、今日「ヒッチハイク」と呼ばれていることもやった。運賃がわりに、漫画を描いてみせたり、いろいろな逸話を話してきかせたりした。戦争のおかげで、それらの題材は尽きることがなかったのである。

パリの市門に到着したのは、1871年4月23日か24日頃のことであった。徴募本部で、彼は歓迎され、彼のために、帽子をまわしてくれた(ドラエーの話では、21フラン13スー集ったということだ)。それで、彼は、これらの恩人たちにおごった。つまり、冒険は、調子よく始まったのである。彼は、バビロン街の兵舎に連れていかれた。そして、義勇兵のグループに入れられた。

その当時、パリとヴェルサイユとのあいだは、現代的な言いかたをすれば、「妙な戦争」だった。互いに探りあい、おのれの陣営を固めていた。はげしい戦闘が行われるのは、周辺部の、ヴァンヴやイシーのあたりだけだった。全体の雰囲気には、攻囲されたメジエールを思い起させるところがあった。同じような荒々しい決定があり、同じような気ちがいじみた信頼があり、同じような無秩序があった。

兵営には、兵士や、労働者や、アルジェリア歩兵や、国民軍兵士や、水夫などが、武器も毛布もなしに、ごちゃごちゃにつめこまれていた。かくして、或る朝、ランボーは、同室の屈強な男たちにの中で目覚めた。どいつもこいつも、多かれ少かれ入れ墨をしていて、彼と同様、命を引きかえにした志願兵だった。外出は自由だった。

彼は、フォランという同じ年頃の若者といっしょに(フォランは、もうすでに絵を描いていた)、パリを歩きまわった。このことは、フォランが、フェルナン・グレグ氏にはっきりと語ったことである。グレグ氏は書いている。「彼(フォラン)は、私に、パリの浮浪児と呼ばれていた若い頃の話をきかせてくれた。彼の話では、彼は、コミューンのときに、ランボーといっしょに『ぶらつきまわった』ということだ。そのとき或る司祭が、ランボーに興味を抱いたという話だが、私は、もうその司祭の話を覚えていない。」

ランボーは、ものを書いていた。彼が、小さなノートを、『共産主義政体』の試案(これは現在未発見)で埋めたり、『パリの軍歌』を作ったりしたのは、おそらくこの兵営でのことであろう。だが、革命軍の兵士たちとの接触は、程なく、彼に嘔吐を催させた。食事、嗅ぎ煙草、泥酔、卑猥な言行、彼らは、こういうことから抜け出ようとしなかった。

ランボーは、彼らの理想が含む高貴さを呼び起そうと、空しく努めたであろうか? 彼らの淫奔なふるまいの犠牲となったであろうか? そらはわからない。しかし、4月末に、或る辛い事件が、彼に、いっさいを放棄させたのである。苦痛に心をくだかれた彼は、その失意幻滅を或る詩で語った。

この詩には、順次次の三つの題が与えられている。『処刑された心』、『道化師の心』、『盗まれた心』。ランボーは、一個の英雄たろうとした。ところが、ひとりの道化者にすぎなかったのである。

(※読みやすくするために、改行と行空きを加えてあります。また、漢数字を洋数字に変えました。編者。)

 *
 盗まれた心

私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる。
そしてスープの吐瀉(げろ)を出す、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす。
一緒になつてげらげら笑ふ
世間の駄洒落に打ちのめされて、
私の悲しい心は船尾に行つて涎を垂らす、
私の心は安い煙草にむかついてゐる!

諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した!
舵の処(とこ)には壁画が見える
諷刺詩流儀の雑兵気質の。
おゝ、玄妙不可思議の波浪よ、
私の心を浚ひ清めよ、
諷刺詩流儀の雑兵気質の
奴等の駄洒落が私を汚した。

奴等の噛煙草(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。
それこそ妙な具合であらうよ、
奴等の煙草が尽きたとなつたら。
私のお腹(なか)が跳び上るだらう、
それで心は奪回(かへ)せるにしても。
奴等の噛煙草Z(たばこ)が尽きたとなつたら、
どうすれあいいのだ? 盗まれた心よ。

(角川書店「新編中原中也全集 第3巻 翻訳」より)
※ ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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