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2012年3月 4日 (日)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその9

「後(あと)六分間の御辛抱」と書いて
ランボーはポール・ドメニー宛の手紙のペンを休め
なにかゴソゴソと頭陀袋の中を探っています――

もちろん、ここは想像です。

尿意を充たすために
トイレに走ったのかもしれません。
この詩を挿入する前のくだりは
「うまく書けた!」と
ランボーの興奮が伝わってきますから 
そのための小休止であったかもしれません。

そこのところを
再び見ておきますと――


 
 「見者」たるべし、「見者」となるべし、と私は云うのです。
 「詩人」はあらゆる感覚の、久しい、宏大(こうだい)な、熟考された不羈奔放化によって「見者」となるのです。恋愛の、苦悩の、狂気のありとあらゆる形式です。

 己れ自身を探し求め、己れの裡(うち)にある一切の毒物を汲(く)み尽し、その精髄のみを保存するのです。口舌に尽し難い苦悩、その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、その時こそあらゆる人々の中で最も偉大な病者、最も偉大な罪人、最も偉大な呪(のろ)われ人となり、――果ては至上の「学者」となる!

 なにしろ彼は未知のものに達しているからである! それも既にいかなる魂にも増して豊穣(ほうじょう)だった自分の魂を自ら耕したからである。彼は未知のものに達したのである。

 そして気も錯乱して遂には自分の幻像が理解出来なくなった時、彼は正しくその幻像を見たわけです!

 数限りない前代未聞の事物による跳躍のなかで、くたばるならくたばるがよい。他の恐るべき労働者たちがその代わりにやって来るだろう。他方が倒れた地平線から彼等は仕事をやり始めることだろう。

――このあたりになりそうですが
これを何度も何度も読んでいると
「Bateau ivre」の作り方、作られ方が
見えてくることが分かりますね。

そうです! 
「見者の詩学」の
この核心部は
「Bateau ivre」がこのようにして書かれたということを
ランボー自らが明らかにしているようなのですが
いかがでしょうか。

詩人は見者になる必要がある
→あらゆる感覚を不羈奔放化する(経験する)
→恋愛、苦悩、狂気……。
→己れ自身を探し求め、
 己れの裡(うち)にある一切の毒物を汲(く)み尽し、
 その精髄のみを保存する。
→口舌に尽し難い苦悩(を味わう)、
→その時こそ、あらゆる信念、あらゆる超人間的な力が必要であり、
→その時こそ最も偉大な病者、
 最も偉大な罪人、
 最も偉大な呪(のろ)われ人となる
 果ては至上の「学者」となる
→未知のものに達する
→気も錯乱して
→自分の幻像が理解出来なくなる
→幻像を見た

そして、次のくだり――

くたばるならくたばるがよい。他の恐るべき労働者たちがその代わりにやって来るだろう。他方が倒れた地平線から彼等は仕事をやり始めることだろう。

――は、「Bateau ivre」の結末部に
直接、繋がっていきます。
つまり

おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

から、

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

――の最終行へと。

棉船(綿船)、
旗と炎(トリコロールと革命)、
船橋の恐ろしい眼(監獄)

これらこそ
「酔ひどれ船」Bateau ivreが
たどってきた軌跡でありました。

少し強引かもしれませんが
ドメニー宛の「見者の詩論」が
「Bateau ivre」の読みをサポートしてくれることの証です。
その一つの例です。

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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