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2012年3月 6日 (火)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその11

中原中也が翻訳したランボーの手紙は
全部で4篇あり、

①「ドラエー宛書簡1873年5月」が、
「紀元」昭和9年新年小説号(昭和9年1月1日発行)
②「ヴェルレーヌ宛書簡1873年7月4日」も同号、
③「同1873年7月7日」は、「苑」第二冊(昭和9年4月1日発行)
④「パンヴィル宛書簡1870年5月24日」は
「ヴァリエテ」第6号(昭和9年6月5日発行)にそれぞれ発表されました。

制作は、いずれも発行日の3か月前という推定ですが、
このうちの
④1870年5月24日付けでパンヴィルに宛てたものを
ここで読んでみましょう。

「酔いどれ船」を書く1年以上も前で
ランボー15歳。
シャルルヴィル高等中学校の修辞学級の担当教官イザンバールの
生徒であったランボーは
中央詩壇へのデビューを画策し
重鎮テオドール・ド・パンヴィルに
「現代高踏詩集」への自作詩の掲載を申し入れたのでした。

 ◇

ランボー書簡4 パンヴィル宛

 テオドル・ド・パンヴィル宛(註。此の手紙が最初に発表されたのは1925年10月10日発行のヌウヹル・リテレール誌上である)
                  シャルルヴィル(アルデンヌ県)にて、1870年5月24日

 拝啓
 時下春暖の候、小生間もなく17歳になります。(註。彼は16にもなつてゐなかつた。「間もなく」の語は、稿本では書いた上を消してある。) 世間流に申せば、希望と空想の年齢(とし)――扨小生事ミューズの指に触(さは)られまして――俗調平(ひら)にお許し下さい――信念、希望、感動などすべて詩人がもの――小生それを春のものと呼びたく存じますが――を、表現致し始めました。

 只今その若干を良き出版者ルメール氏を通じてお送り致すに就きまして、理想美に熱中致します全ての詩人、全てのパルナシアンを――斯(か)く申しますのは、詩人たるやパルナシアンでございませうから、――小生は慕つてをりますこと申上度(もうしあげたく)存じます。猶、貴下、ロンサアルの後裔(こうえい)、1830年代の宗匠の一人、真の浪漫主義者、真の詩人たる貴下を心よりお慕ひ致してゐることを申上げねばなりません。斯様(かよう)の次第にて、無躾(ぶしつけ)とは存じ乍(なが)ら、詩稿御送り致します。

 2年後の後、否恐らく1年のごには、小生出京致すでございませう――(小生も亦)、(訳者註。「小生も亦」はラテン語で書かれてある。) 其の節は諸兄と共にパルナシアンでございませう。それからどうなりますことか存じませんが、小生が美の神と自由の神を信奉致して永(とこし)へに変りませぬことは、お誓ひすることが出来ます。

 同封の詩(註。此の手紙には、次の諸詩篇が同封されてゐた。1870年4月20日と日附したSensation. 。1870年4月29日と日附したCredo in unam。これは後にSoleil et chair と改題されたものである。猶、追而書(おってが)きがあり、それは次のやうである。《若しこれらの詩篇が「現代詩文集」(パルナス・コンテンポラン)に載つてゐましたなら、どんなものでございませう?――これらの詩篇は、詩人等(パルナシアン)の誓約書とも云へるではありますまいか?――小生の名はいまだ知られてをりませぬ、が、ともかく詩人は皆互に兄弟であります――これらの詩篇は信じ、愛し、希望してをります。そしてそれが全てであります。先生、何卒(なにとぞ)小生を御起用下さい。小生は猶稚(わこ)うございます。何卒お手を伸べて下さいまし……》) 御高覧の程願上ます。Credo in unamを若し御掲載下さらば、希望と喜びに、小生は狂喜致すことでございませう。パルナス(註。「現代詩文集」(パルナス・コンタンポラン)の分本の最初の一群は、1866年に出た。次のは1869年以来着手されてゐたが、戦争のために遅延して1871年に出た。3度目のは1876年に。――ランボオに於けるパルナス礼讃及びさうした傾向が、一時的であつたことを強調して考へることは無益なことである。何故なら、やがて彼は浪漫主義をも象徴主義をもパルナス同様瞬く間に汲み尽してしまふのであるから。然し此の手紙の当時には、彼は学生らしい夢をみてゐたのである。彼は原稿が発表され、田舎を抜け出すことが叶へばとばかり考へてゐたのである。因みに彼のLes Etrennes des Orphelins は1870年に、《La Revue pour tous 》誌上に掲載されたのである。)のお仲間に加はるを得ば、諸兄等が綱領書(クレド)ともなるでございませう!
 右熱望してやみません!
                                      Arthur Rimbaud.

(「新編中原中也全集 第3巻・翻訳・本文篇」より。原作の漢数字を洋数字に、二重パーレンを《 》に替えました。また、読みやすくするために、改行・行空きを加えてあります。編者。)

本文中の、
Sensationは、中原中也訳では「感動」、Credo in unam「一ナル女性を信ズ」はラテン
語のタイトルで、その異稿は、Soleil et chair「太陽と肉体」、Les Etrennes des
Orphelinsは、中原中也訳で「孤児等のお年玉」です。

本文中の「註」は、
中原中也のもので
並大抵ではない研究の跡がうかがえます。

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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