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2012年3月 2日 (金)

中原中也が訳したランボー「酔ひどれ船」Bateau ivreその8

ランボーの「見者の美学」について
見当がついたところで
中原中也訳の「酔ひどれ船」Bateau ivreを
もう一度読み直しておきましょう。

初めて読んでからほぼ半年が経って
変化があるかどうかを
自己確認するためにも――

私は一艘の船、糞面白くもない不感の河を下って行ったのだが
いつの間にか、船曳きどもは、私から離反していたのだった、
気がついた時には赤肌たちが、奴らを引っ捕まえて、
色鮮やかな棒杭に縛りつけ裸のまんま釘付けにしてしまっていた。

(船に革命が起きたのです。)

私は一行の者、つまり、フラマンの小麦やイギリス綿の荷役(にやく)などに
まったくかまけていなかった
船曳きどもと、奴らが起こした騒ぎとが、私から去ってしまってからは
河は私を思うがままに下らせてくれるのだった。

(酔っ払った船のように漂流が始まります。フラマンの小麦やイギリスの綿花を運ぶ任務もなくなり、舵も錨もない解放された航海は、革命=パリ・コンミューンの解放区を暗示しています。)

波が荒れ狂う中を、過ぎ去った冬のこと
子どもの頭よりもきかんぼうに漂ったことがあったっけ!

(「聾乎(ぼつ)として」は「聞き分けのない」の意味の中原中也独自の訳語です。滅茶苦茶に漂流しまくった、って感じです。)

怒涛の波に洗われる半島の周辺といえども
その時ほど荒れ狂ったことはない、凄まじい動乱だったさ。

嵐は私の警戒ぶりを褒めたたえたよ。
浮きよりも軽々と波間におどったもんだ
それまで犠牲になった者たちを永遠にもてあそんでいる波の間に放り出されて
幾夜も幾夜も艫(とも)の灯に目が疲れるなんてことも気にならなかった

(嵐のほうが私の警戒ぶりを褒めてくれた。
私は浮きよりも軽快に波間を行き交ったもんだ。
それまでの犠牲者を永遠に弄んでいる波間にほっぽりだされて、
毎夜艫(とも)にある照明灯のまぶしい光にやられても気にならなかったさ。)

子どもが食べるすっぱいリンゴよりしんみりした

(「しんみり」は「熟す」で「甘酸っぱい」の意味か、ここも中也らしい。)

緑の海水は樅(もみ)の木でできた船体に染み込むことだろう
安酒アブサンやゲロの痕が、舵も錨もなくなった私にやたらと刻まれることになった。

(船がアルコール臭のするゲロの臭気で満ちていた)

その時からだ、(真に)海の歌を浴びたのは。

(「海の歌」の目のくらむような色彩の祭典の始まりです。特に、この連からの5連ほどは、ランボーの韻文詩の中でも、類例を見ない絢爛豪華な原色の絵巻。言語で描かれる油彩絵画です。中原中也は「色」の翻訳をおろそかにしません。)

星をちりばめたミルクのような夜の海に
生々しくも船の吃水線が青ずんで、緑の空に溶け込みそうなところを
丁度、一人の水死人が、何か考え込むように落ちて行く。

(水死体が一つ、何かを考えたまま硬直して海面を降りていく景色も、神秘的な美しさを帯びていながら、恐怖を誘うものではありません。)

そこにたちまちにして蒼―い(あおーい)色が浮かび、おどろおどろしく
また太陽のかぎろいがゆるゆるしはじめる、その下を
アルコールよりもずっと強く、オルゴールよりも渺茫として
愛執の、苦い茶色が混ざって、漂ったのだ!

(青、緑のグラデーションに、黄色、赤、茶色……の眩暈!)

私は知っている。稲妻に裂かれる空、竜巻を
打ち返す波、潮を。夕べを知っている、
群れ立つ鳩に、上気したようなピンクの朝日を、
また、人々がにおぼろげに見たような(幻を)この目で見た。

(稲妻、空、竜巻、波、潮、夕べ、群れ立つ鳩、朝日……まぼろし)

落日は、不可思議なるものの畏怖に染まり
紫色の長い長い塊(かたまり)を照らし出すのは
古代ギリシアの劇の俳優たちか

(ギリシア悲劇の合唱隊=コロスをさしているのでしょうか。)

巨大な波が遠くの方で逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

(ここは第10連で、大洋に出た船が猛(たけ)り狂う現実の海のさ中にあって、目も眩(くら)むばかりの雪が降り積もった緑の夜を夢に見る、というシーン。気が遠くなるような美しい景色です。)

雪の白が夜の中で緑を帯びる眩(まばゆ)い光景に
接吻(くちづけ)が海の上にゆらりゆらりと立ち昇ってくる

(というのは、太陽が昇ってくる朝の景色でしょうか。)

かつて聞いたこともない生気がぐるぐると循環し
歌うような(赤い)燐光は青や黄色に映えていっそう鮮烈さを増した

(大海原に雪が降り積もり緑色を帯びている夜の夢が、太陽の昇るシーンへ場面転換し、めくるめく色彩の乱舞するサンライジングのあざやぎ! この「あざやぐ」は、中原中也がよく使う造語です。「あゝ! 過ぎし日の 仄燃えあざやぐ をりをりは」の例が「含羞」にあるほかにも、いくつかが使われています。)

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小屋に似た大波が暗礁にぶつかっていくのに
もしもあの光り輝くマリアの御足が
お望みとあらば大洋に猿轡(さるぐつわ)をかませ給うたままであったのにも気付かずに。

(この連あたりから、恍惚の絶頂が過ぎて、なにやら崩壊し、下降する感覚。)

船は衝突した、世にも不思議なフロリダ州
人の肌の色をした豹の目は、群れなして咲く花々にまじって
手綱のように張り詰めた虹は遙か彼方の沖合いで
海の緑の色をした畜獣の群れに、混ざり合っている。

(ヨーロッパを離れて、アメリカ大陸沿岸を漂流していた船が、フロリダ半島に衝突します。衝突といっても、船が陸地にぶつかって座礁した、というのではなく、いつしか、フロリダ沖に流れ着いてしまったということらしい。)

私は見た、沼かと見間違えそうな巨大な魚簗(やな)が沸き返り
そこにリバイアサンの仲間が草にからまり腐ってゆき
凪の中心に海水は流れ込み
遠くの方の深みをめがけて滝となって落ちているのを。

(沼と見まごう巨大な漁場で、怪物の群れが海草に絡まり、腐っている。リバイアサンは、旧約聖書に現れる怪物。イギリスの政治思想家ホッブスの著作のタイトルにもなり、広く知られました。凪がやってくると中心部に海水は流れ注いで、遠くのほうが滝になって落ちています。)

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠(オキ)のような空
褐色の入江の底にはぞっとする破船の残骸
そこに大蛇(おろち)が虫の餌食になって
くねくねと曲がった木々の枝よりもどす黒い臭気を放って死んでいた。

(海の歌は、墓場の歌をいつしか歌っています。破船の残骸、大蛇の屍骸に群がる虫。「くねくねと」は、中原中也の自作詩「盲目の秋」の最終行「うねうねの瞑土(よみぢ)の径を昇りゆく。」を連想させます。)

子どもらに見せてやりたかった、碧い波に浮いている鯛や
そのほか、金色の魚、歌う魚

泡沫=うたかたは、私の漂流を祝福し
なんともいえない風が吹いて時々は航行を進めてくれるのだった。

(……しかし、墓場は海の底の光景で、海面の景色ばかりは、子供たちに、というのは、国の友人たちのことでしょうか、見せてあげたかった、と私=船は思うのでした。漚=オウの花とは「泡沫」がかなり近い言葉でしょうか。その漚の合間に浮ぶ鯛や金魚や歌う魚! )

時には地極と地帯にあき果てた殉教者さながら海は
すすり泣いて私をあやしなだめ
黄色い吸い口がある仄暗い花をかざして見せた
その時私は祈るようなポーズになっていた、跪く女のようであった。

半島が近づいて揺らぎ金褐色の目をした
怪鳥の糞を撒き散らす
こうしてまた漂流してゆけば、船のロープを横切って
水死体が幾つも後方に流れて行ったこともあった……

(半島が目の前に迫りました。金色をまぶした褐色、オレンジ・ゴールドの目の怪鳥の放つクソを、払い落としながら、私は漂い続けると、また幾人かの水死人が流れてゆくのが見えました。)

私でさえ浦という浦の乱れた髪のい中に踏み迷い
鳥も棲まない大空へハリケーンによって投げられてしまったら
モニター艦もハンザの船も
水に酔っ払ってしまった私の屍骸を救出してくれることもないだろう、

思うままに、煙を吹き出し、紫色の霧を吐き上げて
私は、詩人たちにおいしいジャムや
太陽の苔や青空の鼻水を与えてくれる
壁のように赤らんだ空の中をズンズンと進んでいった、

カミナリとさんざめく星を着け、
黒い海馬に守られて、狂った小舟(私のことか?)は走っていた
7月が、丸太棒を打つかのように
燃える漏斗形の紺青の空を揺るがせた時、

(夏の海の紺青の空が「ロート」の形に捉えられたのです。)

私は震えていた、50里の彼方で
ベヘモと渦潮(メールストローム)が発情する気配がすると
ああ永遠に、青く不動の海よ
昔ながらの欄干にもたれるヨーロッパが恋しい!

(ついに、弱音が吐かれます。「欄干」も中原中也の詩「長門峡」に出てきます。長男文也を失った詩人の悲しみが歌われた旅館の欄干です。)

私は見た! 天を飛ぶ群鳥を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流者たちに開放されていた
底知れぬこんな夜に眠ってはいられない、もういないのか
おお、百万の金の鳥、未来よ! 精力よ!

だが、思えば私は慟哭し過ぎた。曙光は胸を抉(えぐ)り
月はおどろしく太陽は苦かったから。
どぎつい愛は心をとろかして私をいかせてしまい縛りつけてしまった。
おお! 竜骨も砕けてしまえ、私も海に沈んでしまおう!

(砕けてしまえ、と「大黒柱」に呼びかけるのです。どうなっても構わないという、破れかぶれの心境は、どこからやってくるのでしょうか。)

もし私がヨーロッパの水を欲しているとしても、それはもはや
黒い冷たい林の中の池水で、そこに風薫る夕まぐれに
子どもは蹲(しゃが)んで悲しみでいっぱいになって、放つのだ
5月の蝶とかいたいけない笹小舟。

おお波よ、ひとたびお前の倦怠(けだい)にたゆたっては
棉船の水脈をひく航跡を奪ってしまうわけにもいかず
旗と炎の驕慢を横切りもできず
船橋の、恐ろしい眼の下を潜り抜けることも出来ないってことなのさ。

(「倦怠」も、ここでは「けだい」と読みました。波に揺られるままの漂流、酔っ払ったままの旅を、いつまで続けなければならないのか――。生きるための漂流であるにしても、波よ、いくらお前と相性がよくとも、うんざりもしてくるよ、波よ、わが友よ、わが命よ。多少なりとも、「倦怠」でランボーと中原中也がクロスします。自由に倦(う)んじた詩人と悲しみ呆(ぼ)けの詩人と……。)

 *

 酔ひどれ船

私は不感な河を下って行ったのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れているのであった、
みれば罵り喚く赤肌人等が、彼等を的にと引ッ捕らえ、
色とりどりの棒杭に裸のままで釘附けていた。

私は一行の者、フラマンの小麦や英綿(えいめん)の荷役には
とんと頓着していなかった
曳船人等とその騒ぎとが、私を去ってしまってからは
河は私の思うまま下らせてくれるのであった。

私は浪の狂える中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂ったことがあったっけが!
怒涛を繞(めぐ)らす半島と雖も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであった。

嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももっと軽々私は浪間に躍っていた
犠牲者達を永遠にまろばすという浪の間に
幾夜ともなく船尾(とも)の灯に目の疲れるのも気に懸けず。

子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだろう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかった。

その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のような海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入ってあれば、
折から一人の水死人、思い深げに下ってゆく。

其処に忽ち蒼然色(あおーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろいのその下を、
アルコールよりもなお強く、竪琴よりも渺茫と、
愛執のにがい茶色も漂った!

私は知っている稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知っている、
群れ立つ鳩にのぼせたような曙光を、
又人々が見たような気のするものを現に見た。

不可思議の畏怖に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いている。

私は夢みた、眩いばかり雪降り積った緑の夜を
接唇(くちずけ)は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌うがような燐光は青に黄色にあざやいだ。

私は従った、幾月も幾月も、ヒステリックな
牛小舎に似た大浪が暗礁を突撃するのに、
もしかの光り耀うマリアの御足が
お望みとあらば太洋に猿轡かませ給うも儘なのを気が付かないで。

船は衝突(あた)った、世に不可思議なフロリダ州
人の肌膚の豹の目は叢なす花にいりまじり、
手綱の如く張りつめた虹は遙かの沖の方
海緑色の畜群に、いりまじる。

私は見た、沼かと紛う巨大な魚梁(やな)が沸き返るのを
其処にレヴィヤタンの一族は草に絡まり腐りゆき、
凪の中心(もなか)に海水は流れそそぎ
遠方(おちかた)は淵を目がけて滝となる!

氷河、白銀の太陽、真珠の波、燠の空、
褐色の入江の底にぞっとする破船の残骸、
其処に大きな蛇は虫にくわれて
くねくねの木々の枝よりどす黒い臭気をあげては堕ちていた!

子供等にみせたかったよ、碧波に浮いている鯛、
其の他金色の魚、歌う魚、
漚(オウ)の花は私の漂流を祝福し、
えもいえぬ風は折々私を煽(おだ)てた。

時として地極と地帯に飽き果てた殉教者・海は
その歔欷(すすりなき)でもって私をあやし、
黄色い吸口のある仄暗い花をばかざした
その時私は膝つく女のようであった

半島はわが船近く揺らぎつつ金褐の目の
怪鳥の糞と争いを振り落とす、
かくてまた漂いゆけば、わが細綱を横切って
水死人の幾人か後方(しりえ)にと流れて行った……

私としてからが浦々の乱れた髪に踏み迷い
鳥も棲まわぬ気圏(そら)までも颶風によって投げられたらば
海防艦(モニトル)もハンザの船も
水に酔った私の屍骸(むくろ)を救ってくれはしないであろう、

思いのままに、煙吹き、紫色の霧立てて、
私は、詩人等に美味しいジャミや、
太陽の蘚苔(こけ)や青空の鼻涕(はな)を呉れる
壁のように赤らんだ空の中をずんずん進んだ、

電気と閃く星を著け、
黒い海馬に衛られて、狂える小舟は走っていた、
七月が、丸太ン棒で打つかとばかり
燃える漏斗のかたちした紺青の空を揺るがせた時、

私は慄えていた、五十里の彼方にて
ベヘモと渦潮の発情の気色(けはい)がすると、
ああ永遠に、青き不動を紡ぐ海よ、
昔ながらの欄干に倚る欧羅巴が私は恋しいよ。

私は見た! 天にある群島を! その島々の
狂おしいまでのその空は漂流う者に開放されてた、
底知れぬこんな夜々には眠っているのか、もう居ないのか
おゝ、百万の金の鳥、当来の精力よ!

だが、惟えば私は哭き過ぎた。曙は胸抉り、
月はおどろしく陽はにがかった。
どぎつい愛は心蕩(とろ)かす失神で私をひどく緊(し)めつけた。
おゝ! 竜骨も砕けるがよい、私は海に没してしまおう!

よし今私が欧羅巴の水を望むとしても、それははや
黒い冷たい林の中の瀦水(いけみず)で、其処に風薫る夕まぐれ
子供は蹲んで悲しみで一杯になって、放つのだ
五月の蝶かといたいけな笹小舟。

あゝ浪よ、ひとたびおまえの倦怠にたゆたっては、
棉船の水脈(みお)ひく跡を奪いもならず、
旗と炎の驕慢を横切りもならず、
船橋の、恐ろしい眼の下をかいくぐることも、出来ないこった。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※原作の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改め、ルビは一部を省略しました。

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