中原中也が訳したランボー「カシスの川」La Rivière de Cassis
凡そ世上の所謂抒情詩は、贅肉と脂肪とで腐っている。
――と、小林秀雄が「ランボオの問題」の末尾に記したのは
昭和22年3月の「展望」誌上でしたから
中原中也が死去して10年を経過していますが
敗戦直後の記述かどうか
ひょっとすると
昭和初期に書いたものかもしれず
中原中也存命中の表白かもしれず
いや、中原中也が生きている時と死亡後を問わず
中原中也の抒情詩が意識されていないということはないであろう、
と、推察される一節です。
小林秀雄は
ランボーの唯一の抒情詩として「涙」を取り上げているのですが
中原中也の抒情詩がダブルイメージされていた可能性を否定できません。
ここは、しかし、このことを追究する場ではありませんから
先に進むことにします。
◇
「カシスの川」La Rivière de Cassisは
1872年5月の制作と推定される
「後期韻文詩」に属する作品です。
百羽の烏が声もて伴(つ)れ添ふ……
――という、第1連第3行によって
すぐさま、「前期韻文詩」の「烏」が連想されるのは
自然の流れというものでしょう。
黒すぐりの実は
東京・銀座のこじゃれた飲み屋などで
すぐり酒として出されていたりしますし
百貨店や通販などでも流通していますからお馴染ですが
「赤黒い紫」は「どどめ」の色に似て
ランボーの生地シャルルヴィル近辺を流れるスモウ川の川辺に自生していたのを
散策中のランボーはよく見かけた風景で
これをモチーフにした詩、とか
「烏」に現れる
死んだ兵士の黒い血とのつながりを連想するという読み、とか
色々な鑑賞が行われているようです。
(「新編中原中也全集第3巻 翻訳・解題篇」)
◇
中原中也の翻訳は
「紀元」の昭和8年11月号に初出で
同年9月の制作(推定)とされています。
これを第1次形態とし
「ランボオ詩集」に収録されたものが
第2次形態とされます。
◇
「カシスの川」も
昭和3年に
大岡昇平へのフランス語授業の名目で行っていた
ランボー詩の翻訳に取りあげられた詩の一つで、
中原中也の担当だったと
大岡は記録しています。
この時の翻訳が
どの程度、形をとどめているのかは
わかりませんのは
「涙」などと同様です。
◇
「涙」と同じくこの詩も
「音と色」に
ランボーの技が散りばめられているようですが
それらを十分に味わうには
フランス語原詩にあたるのがベストでしょう。
中原中也訳には
飛脚は矢来に何を見るとも
なほも往くだらう元気に元気に。
――など、古き時代を感じさせる語彙を配するなどして
19世紀フランスの片田舎の素朴な田園風景が映し出され
それだけでも
ランボーの詩に迫っています。
烏は
ここでも
詩人の仲間うちです。
*
カシスの川
カシスの川は何にも知らずに流れる
異様な谷間を、
百羽の烏が声もて伴(つ)れ添ふ……
ほんによい天使の川波、
樅の林の大きい所作に、
沢山の風がくぐもる時。
すべては流れる、昔の田舎や
訪はれた牙塔や威儀張つた公園の
抗(あらが)ふ神秘とともに流れる。
彷徨へる騎士の今は亡き情熱も、
此の附近(あたり)にして人は解する。
それにしてもだ、風の爽かなこと!
飛脚は矢来に何を見るとも
なほも往くだらう元気に元気に。
領主が遣はした森の士卒か、
烏、おまへのやさしい心根(こころね)!
古い木片(きぎれ)で乾杯をする
狡獪な農夫は此処より立去れ。
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。
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