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2012年3月28日 (水)

中原中也が訳したランボー「涙」Larmeその2

ランボーの「涙」Larmeは
「地獄の季節」にランボー自らが引用していることでも広く知られていますが、
中原中也は「地獄の季節」を訳していませんから
小林秀雄訳で読んでみることにします。

鳥の群れ、羊の群れ、村の女たちから遠ざかり、
はしばみの若木の森に取りまかれ、
午後、生ぬるい緑の霞に籠められて、
ヒースの生えたこの荒地に膝をつき、俺は何を飲んだのか。

この稚(おさな)いオアーズの流れを前にして、俺に何が飲めただろう。
――楡(にれ)の梢に声もなく、芝草は花もつけず、空は雲に覆われた。――
この黄色い瓠(ひさご)に口つけて、ささやかな棲家(すみか)を遠く愛しみ、
俺に何が飲めただろう。ああ、ただ何やらやりきれぬ金色の酒。

俺は、剥げちょろけた旅籠屋(はたごや)の看板となった。
――驟雨(しゅうう)が来て空を過ぎた。
日は暮れて、森の水は清らかな砂上に消えた。
『神』の風は、氷塊をちぎりちぎっては、混沌にうっちゃった。

泣きながら、俺は黄金を見たが、――飲む術はなかった。

(岩波文庫「地獄の季節」2005年10月5日第68刷より)

これが「地獄の季節」中「錯乱Ⅱ」の
「言葉の錬金術」に引用されている「涙」を
小林秀雄が翻訳したものです。

最初は試作だった。俺は沈黙を書き、夜を書き、描き出す術もないものを控えた。俺は様々な眩暈(げんうん)を定着した。

――と書かれたのに続けて、
この詩が引用され、
連続して「朝の思い」も引用されます。

さらに
「一番高い塔の歌」
「飢」
「永遠」
「幸福」をランボーは引用するのですが
「言葉の錬金術」の章は
これらの詩との決別を告げて終ります。

ランボーは記します。

過ぎ去った事だ。今、俺は美を前にして御辞儀の仕方を心得ている。

――と。

昭和23年3月、雑誌「展望」誌上に
小林秀雄は「ランボウの問題」(後に「ランボオⅢ」と改題)を発表、
最後のランボー論を披瀝します。

その結末部では、
ランボーがアフリカで撮った写真に触れて
アデン発のランボーの書簡を引用、

「嘗ては、自ら全道徳を免除された道士とも天使とも思った俺が、今、務めを捜さうと、この粗ら粗らしい現実を抱きしめようと、土に還る」と「地獄の季節」で書いた彼は、今、本当の地獄を抱いた様である。

――と、結論のようなものを表明して後、

彼が、故郷のオアーズの流れを前にして歌った歌が、僕の心を横切る。

――として、「涙」の全文を引用するのです。
「僕」とは、言うまでもなく、小林のことです。

そして、

これが、いつも具体世界との直接の取引に終始した彼が生涯に歌う事の出来た唯一の抒情詩であった。

――と、読み(=解釈・鑑賞)を入れます。

そして、続けます。

何故かと言うと、彼が飢渇という唯一つの抒情の主題しか持っていなかったからである。感傷でもない、懐疑でもない、まさに抒情詩なのだが、あらゆる抒情詩の成立条件を廃棄した様に見えるその純粋さを前にしては、凡そ世上の所謂抒情詩は、贅肉と脂肪とで腐っている。

何の感情もないところから、一つの感情が現れて来る。殆ど虚無に似た自然の風景のなかから、一つの肉体が現れて来る。

彼は河原に身を横たえ、飲もうとしたが飲む術がなかった。彼は、ランボオであるか。どうして、そんな妙な男ではない。それは僕等だ、僕等皆んなのぎりぎりの姿だ。
(文春文庫「考えるヒント4」より)

――と、記すのです。

小林秀雄の呼吸が
揺れているような記述です。

 *

 涙

鳥たちと畜群と、村人達から遐く離れて、
私はとある叢林の中に、蹲んで酒を酌んでゐた
榛の、やさしい森に繞られて。
生ツぽい、微温の午後は霧がしてゐた。

かのいたいけなオワズの川、声なき小楡、花なき芝生、
垂れ罩めた空から私が酌んだのは――
瓢(ひさご)の中から酌めたのは、味もそつけもありはせぬ
徒に汗をかゝせる金の液。

かくて私は旅籠屋(はたごや)の、ボロ看板となつたのだ。
やがて嵐は空を変へ、暗くした。
黒い国々、湖水々々(みづうみみづうみ)、竿や棒、
はては清夜の列柱か、数々の船著場か。

樹々の雨水(あめみづ)砂に滲(し)み
風は空から氷片を、泥池めがけてぶつつけた……
あゝ、金、貝甲の採集人かなんぞのやうに、
私には、酒なぞほんにどうでもよいと申しませう。

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。編者。

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