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2012年3月22日 (木)

中原中也が訳したランボー「烏」Les Corbeauxその2

中原中也訳「烏」Les Corbeauxは
「四季」の昭和10年(1935年)4月号に
「オフェリア」とともに発表されました。
同じ号に自作詩「わがヂレンマ」も発表されています。

「四季」には
季刊「四季」が出された1933年以来ずっと発表を続け
1936年2月発行の第15号からは
正規に同人として加わっています。
前年末に
同人への勧誘があり
中原中也はOKの返事をしたことが
日記に記されていますが
月刊「四季」の同号で同人として活動し始めました。

「四季」同人の顔ぶれを見ておきますと――。
1934年の創刊当時の同人は5人で

堀辰雄
三好達治
丸山薫
津村信夫
立原道造

1936年に「組織改編」が行われて

井伏鱒二
萩原朔太郎
竹中郁
田中克己
辻野久憲
桑原武夫
神西清
神保光太郎
中原中也

――この9人が加わりました。

1933年に
前身というべき季刊「四季」が2回出ていますが
この季刊「四季」と
戦後も3次にわたって出された「四季」と区別するため
1934年創刊の「月刊四季」を「第2次四季」と呼び、
「季刊四季」を「第1次四季」と呼ぶ習わしです。

「第2次四季」にはこのほかに
いはば「顧問格」として
萩原朔太郎
三好達治、室生犀星らがいましたし
寄稿者は延べ300人
同人は多い時で32人を数えたこともありました。

萩原朔太郎はいうまでもなく
三好達治らは
文壇とも交流があり
「文学界」の
河上徹太郎
小林秀雄
深田久弥
永井龍男
今日出海らと接触する機会がありましたし
他にも幅広く活動する同人もあり
中原中也への寄稿の依頼は
色々なルートがあったことが推察できます。

「歴程」の草野心平と中原中也は
1934年に知り合いますが
中原中也は「四季」の「創刊メンバー」だったのですから
草野心平の仲立ちがなくとも
「四季」への寄稿はできたのです。

むしろ中原中也が草野心平に声をかけて
1935年の「四季」4月号への寄稿があったのかもしれません。

いずれにしても
このあたりは
ごくごく小さい可能性の話です。

「四季」編集の実務を中心的に担っていた
津村信夫あたりとのやりとりで
中原中也は「四季」へ寄稿していたと考えるくらいが妥当な線です。

 *

 烏

神よ、牧場が寒い時、
さびれすがれた村々に
御告(みつげ)の鐘も鳴りやんで
見渡すかぎり花もない時、
高い空から降(お)ろして下さい
あのなつかしい烏たち。

厳(いか)しい叫びの奇妙な部隊よ、
木枯は、君等の巣(ねぐら)を襲撃し!
君等黄ばんだ河添ひに、
古い十字架立つてる路に、
溝に窪地に、
飛び散れよ、あざ嗤(わら)へ!

幾千となくフランスの野に
昨日の死者が眠れる其処に、
冬よ、ゆつくりとどまるがよい、
通行人(とほるひと)等がしむみりせんため!
君等義務(つとめ)の叫び手となれ、
おゝわが喪服の鳥たちよ!

だが、あゝ御空(みそら)の聖人たちよ、夕暮迫る檣(マスト)のやうな
檞の高みにゐる御身たち、
五月の頬白見逃してやれよ
あれら森の深みに繋がれ、
出ること叶はず草地に縛られ、
しようこともない輩(ともがら)のため!

(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は最終行「しよう」の「よ」に「ママ」のルビがあります。編者。

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