中原中也が訳したランボー「烏」Les Corbeauxその3
中原中也訳の「烏」Les Corbeauxが発表されたのは
第2次「四季」の昭和10年(1935年)4月号ですが
この頃の中原中也の雑誌への発表活動と
ランボーの翻訳への取り組みと
主な身辺状況(■で示す)とを
年譜でざっと見ておきましょう。
年譜に
雑誌の名前が現れるのは
「白痴群」が廃刊した昭和5年(1930年)からしばらく経った
昭和8年(1933年)5月のことです。
1933年
5月、牧野信一、坂口安吾の紹介で同人雑誌「紀元」に加わる。
6月、「春の日の夕暮」を「半仙戯」に発表。同誌に翻訳などの発表続く。
7月、「帰郷」他2篇を「四季」に発表。
9月、「紀元」創刊号に「凄まじき黄昏」「秋」。以降定期的に詩、翻訳を同誌に発表。
12月、■遠縁の上野孝子と結婚。
同月、三笠書房より「ランボオ詩集<学校時代の詩>」を刊行。
1934年
「紀元」「半仙戯」への詩の発表が続く。「四季」「鷭」「日本歌人」などにも多数発表。
9月、建設社の依頼でランボーの韻文詩の翻訳を始める。同社による「ランボオ全集」全3巻(第1巻 詩 中原中也訳、第2巻 散文 小林秀雄訳、第3巻 書簡 三好達治訳)の出版企画があったためである。中也は暮れに帰省し、翌年3月末上京するまで山口で翻訳を続けたが、この企画は実現しなかった。
10月18日■長男文也が生まれる。
11月、このころ、「歴程」主催の朗読会で「サーカス」を朗読。
12月、高村光太郎の装幀で文圃堂より「山羊の歌」を刊行。■発送作業後山口に帰省し、文也と対面する。翌年3月まで滞在し、「ランボオ全集」のための翻訳に専念する。
1935年
3月末、このころ、「四季」「日本歌人」「文学界」「歴程」などに詩・翻訳など多数発表。
1936年
「四季」「文学界」「改造」「紀元」など詩・翻訳を多数発表。
6月、「ランボオ詩抄」を山本書店より刊行。
11月10日、■文也死去する。、
1937年
1月9日、■千葉市の中村古峡療養所に入院。
9月15日、野田書房より「ランボオ詩集」を刊行。
同月、「在りし日の歌」を編集、原稿を清書し、小林秀雄に託す。
※以上は、「中原中也全詩集」(角川ソフィヤ文庫)巻末資料より抜粋しました。
◇
「烏」Les Corbeauxが発表された昭和10年(1935年)は
「四季」「日本歌人」「文学界」「歴程」などに詩・翻訳など多数発表
――とそっけなく記されてあるだけですが、
それゆえ、発表活動が精力的に行われたことを示しています。
*
烏
神よ、牧場が寒い時、
さびれすがれた村々に
御告(みつげ)の鐘も鳴りやんで
見渡すかぎり花もない時、
高い空から降(お)ろして下さい
あのなつかしい烏たち。
厳(いか)しい叫びの奇妙な部隊よ、
木枯は、君等の巣(ねぐら)を襲撃し!
君等黄ばんだ河添ひに、
古い十字架立つてる路に、
溝に窪地に、
飛び散れよ、あざ嗤(わら)へ!
幾千となくフランスの野に
昨日の死者が眠れる其処に、
冬よ、ゆつくりとどまるがよい、
通行人(とほるひと)等がしむみりせんため!
君等義務(つとめ)の叫び手となれ、
おゝわが喪服の鳥たちよ!
だが、あゝ御空(みそら)の聖人たちよ、夕暮迫る檣(マスト)のやうな
檞の高みにゐる御身たち、
五月の頬白見逃してやれよ
あれら森の深みに繋がれ、
出ること叶はず草地に縛られ、
しようこともない輩(ともがら)のため!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は最終行「しよう」の「よ」
に「ママ」のルビがあります。編者。
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