中原中也が訳したランボー「烏」Les Corbeauxその4
中原中也訳の「烏」Les Corbeauxが発表されたのは
第2次「四季」の昭和10年(1935年)4月号――。
制作は、この2か月前として
同年2月頃と推定されますが
この頃、中原中也は
建設社版「ランボオ全集」のために
帰省期間を長くして
山口・湯田温泉にとどまり
懸命にランボーの翻訳に取り組んでいた時期でした。
出来立て「ホヤホヤ」の「烏」を
「四季」に発表したことになります。
◇
この年、1935年の正月は
生れたばかりの長男・文也や妻や
家族・親戚・地縁の中にあり
詩人が生まれ育った土地で過ごした上に
前年末には第一詩集「山羊の歌」を出版して
「公私ともに」充実した日々でした。
その中で
「ランボオ全集」全3巻のうちの1巻を占める
ランボーの韻文詩の翻訳に取り組んでいたことになります。
「烏」はその中から生まれた成果でした。
「四季」の同じ号に発表した
ランボーの「オフェリア」は
中原中也の翻訳の中でも傑出した作品ですが
これも同じ時期に生み出された成果でした。
◇
さびれすがれた
御告(みつげ)の鐘
見渡すかぎり花もない
厳(いか)しい
巣(ねぐら)
黄ばんだ河
通行人(とほるひと)
しむみり
御空(みそら)
御身たち
しようこともない
◇
語彙(ボキャブラリー)が豊富で
しかし、一つ一つを
ひねり出してきたような苦吟の跡は
感じられません。
滑らかというものでもありませんが
一つ一つの語が
ピンと立っているところは
他の詩と同様、変わりはありません。
キリスト教に親しかった詩人が
御告、御空、御身などと使う措辞(そじ)も
この詩(の翻訳)に生きています。
◇
だからといって
安楽が生んだ成果とは言いません。
そんなこと言うつもりではありません。
ドメスティックな幸福の時間が
傑作を生んだなどということは言いません。
◇
「昨日の死者」を悼むという原作を
他人事(ひとごと)ではないものと感じる詩人の魂は
日々培われていたはずのものです。
「五月の頬白見逃してやれよ」は、
森深くに住み慣れて
大きな世界へ出ることもできない
草地に生きざるを得ない
「しようこともない」ヤツらホオジロを
しかし、ふと見直してみる時があり
庇護してあげておくれよと
喪服の鳥に呼びかける詩(=ランボー)に
共鳴・共振している風があるのは
この帰郷のせいなのかもしれません。
◇
1935年という年は
中原中也という詩人の活動の
何回目かのピークでした。
*
烏
神よ、牧場が寒い時、
さびれすがれた村々に
御告(みつげ)の鐘も鳴りやんで
見渡すかぎり花もない時、
高い空から降(お)ろして下さい
あのなつかしい烏たち。
厳(いか)しい叫びの奇妙な部隊よ、
木枯は、君等の巣(ねぐら)を襲撃し!
君等黄ばんだ河添ひに、
古い十字架立つてる路に、
溝に窪地に、
飛び散れよ、あざ嗤(わら)へ!
幾千となくフランスの野に
昨日の死者が眠れる其処に、
冬よ、ゆつくりとどまるがよい、
通行人(とほるひと)等がしむみりせんため!
君等義務(つとめ)の叫び手となれ、
おゝわが喪服の鳥たちよ!
だが、あゝ御空(みそら)の聖人たちよ、夕暮迫る檣(マスト)のやうな
檞の高みにゐる御身たち、
五月の頬白見逃してやれよ
あれら森の深みに繋がれ、
出ること叶はず草地に縛られ、
しようこともない輩(ともがら)のため!
(講談社文芸文庫「中原中也全訳詩集」より)
※ルビは原作にあるもののみを( )の中に入れました。原作は最終行「しよう」の「よ」に「ママ」のルビがあります。編者。
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